第三十五話 四人旅
そこは、どこか命の息吹が乾いているように思えた。
歩くたびに、硬い地面が反発し、足に鈍い衝撃を蓄積させていく。衝撃はやがて鉛のような重さへと変わり、いつしかただ一歩を踏み出すたびに小さな痛みを芽生えさせた。
時折地面から覗く岩肌が鋭利な刃物のように足を突き刺す。ぬるりと滑るような足の感触に、マメが潰れたな、とぼんやりとした思考が浮かんだ。
最初のうちはスネイルさんに治してもらっていたが、自然に治癒した方が強い皮膚に変わっていくと知ってからは大きな傷以外は極力頼らないようになっていた。
村を出て、少しは強くなれたのだろうか。
不安を頭の隅に追いやりながら、僕は歩を進めるのだった。
アスラの修験道。
初代勇者一行の戦士、アスラが修行したとされる山岳地帯。
険しい荒地、地上と比べて薄い空気は足腰の筋力と心肺機能を高め、この地を生き抜く強い魔物との戦いが能力をあげる。
そのため、かつては冒険者や戦士達が修行を行う場所として栄えたこともあったのだという。
「ま、今じゃ見る影もないけどね」
ルナが廃棄された小屋を見ながら言った。
人が使わなくなってから数十年は経っているだろう。元は何かの店をやっていたと思しき小屋の屋根と壁は穴が空き、中は荒れ放題で正体不明の虫がカサカサと音を立てている。
そんな光景を気持ち悪そうに見つめながら、彼女は説明を続けた。
「この道は昔、アスラ国とアリス国を結ぶ唯一の道だったんだ。だからこそ、たとえ危険でも人の交流があったし、他人と協力すれば危険な魔物にも対処できた。けれど、時代が進むにつれてより安全に進む道の開発が進んで今じゃこの有様だよ」
「だからこそ、今じゃこんな道を進むのはよっぽどの物好きか、俺たちみたいな修行を兼ねた奴ぐらいだよ」
荷物を地面に置き、スネイルさんが説明してくれた。
今夜はここで野営するので、今から疲れた身体に鞭を打って荷を解き、準備をしなければならなかった。
今までは。
「リリィ、頼めるか?」
「もちろんですわ」
リリィさんが杖を振る。
途端に道具が風とともに宙を舞い、ひとりでに組み立てられていく。
まるで見えない糸に操られているかのように次々と整えられていき、しばらくすると人力で設営するよりも短時間で、かつ美しく天幕が張られていた。
そのあまりに見事な腕前は、何度も見ているはずのスネイルさんが「流石だな」と称賛の言葉を漏らすほどだった。
でもその気持ちは分かる。魔物との戦闘は言うに及ばず、探索魔法による旅の安全の確保や動物の狩猟、天幕の設営以外にも焚き火をつけたり、今まで水を節約するためにできなかった水浴びや洗濯など魔法によって旅の質が明らかに上がっていた。
最初は学生だったリリィさんが旅に馴染めるかスネイルさんと心配していたが、今や彼女はこの旅に欠かせない人材となっていた。
「そんなことありませんわ。私の腕前などまだまだです。私からすればスネイル様の奇跡の方が驚きです。人体の回復という最難関の技術を扱えるだけでも凄いことだというのに、すでに上級の奇跡も習得済みと伺っています。いつか、見せて頂きたいものです」
「そんな事態が起きない方がありがたいけどな」
「ふふっ、それもそうですわね」
笑い合う二人。
最初、リリィさんには怖い印象があったが、実際に旅を共にしてみるとむしろ逆で、優しくてよく笑う女性だった。
僕とルナよりも一つ年上ということだったが、実際の年齢よりも大人びて見える。
口調も丁寧で、立ち振る舞いの一つ一つに気品のようなものを感じる。
これでいて、いざ魔物との戦闘になれば魔物を一掃できる強さを持っているのだから、凄い人だった。
全ては順調に進んでいた。
とある人物を除いては。
「……」
背後にジットリとした視線を感じて振り返る。
そこには、予想通りどこか面白くなさそうにこちらを見つめるルナの姿があった。
これには理由がある。
それは、十数日前のこと――
アリスを出発した僕たちは、野営の準備をしていた。
魔物との戦闘をこなしつつ、一日歩き通した後の野営の準備は億劫なことこの上ない作業だが、やらないわけにはいかない。
僕とルナ、スネイルさんは慣れているが、学院で生活し、旅に不慣れなリリィさんには酷な作業だ。
初日は休んでもらおうとしたのだが、リリィさんはその提案を断り、一緒に準備を手伝うことを申し出てくれた。
「私のことは気にしないでくださいまし。それよりも、一日も早く仕事を覚えて皆さんのお役に立ちたいのです」
「リリィ……うん、分かったよ。来て、やり方を教えるから」
「はい!」
ルナはリリィさんの言葉に感動し、彼女と一緒に野営で使用する道具の使い方などを丁寧に説明していった。
子供っぽいところが多く、調子に乗りやすい悪癖もある彼女だが、その実面倒見が良い。旅の経験が長く、また元より学ぶことが大好きな彼女は一行の中で最も知識が豊富で、手際も良い。事実、僕の旅の知識は大半がルナから教わったものだった。
「ここはどうして……」
「ああ、それはね……」
「凄いですわ!」
「そ、そうかな……えへへ。まあ、こういった準備って手間だし省略できたら楽なんだけど、日常じゃ味わえないその不便さが逆に浪漫って言うのかな。苦労してできた時の達成感が旅の醍醐味なんだよね!」
リリィさんが質問し、ルナがそれに答えながら作業を進めていく。
……何というか、格好つけてるな。
普段は、「疲れた」「不便だ」と文句を言ったり「スネイル、やって――」とか言ってスネイルさんに叱られながら作業しているのに、今はまるで違う。まるで、若い女性に良いところを見せようとして蘊蓄を語る熟練者みたいだった。
外には出さなかったが、一行に同年代の少女が加入したことが内心でかなり嬉しかったのだろう。おまけに、リリィさんは勉強熱心なようでどんどん質問してくれるし、「凄い、凄い」と感心してくれるため教えがいもある。
張り切ったルナは、僕らに休むように言うと、リリィさんを伴って焚き火に使用する薪を探しに行った。
「大丈夫か、あいつ」
「どうでしょう」
スネイルさんが、若干不安げな表情で呟いた。
ものすごく同意したい気分だったが、別に悪いことをしているわけじゃないし、大丈夫だろう。
そう思いたかった。
そして、次の日。
「さあ、リリィ!今日は昨日の復習だよ。この天幕の張り方は覚えているかな?」
「はい!」
「まあ、最初のうちは忘れて覚えてを繰り返して――へ?」
信じられないという表情で固まるルナに、リリィさんは昨夜教えられた方法を完璧に口頭で説明できていた。
「私、学院に在籍していた時から記憶力には自信がありますの」
「ふ、ふーん。けど、暗記するのと実際に身体を動かして準備するのとは訳がちが」
「こうでしょうか?」
リリィさんは杖を一振りする。
すると、柔らかな風が吹き道具が一人でに動き出す。
それも天幕や薪、調理に使用する鉄鍋など全ての道具が同時にだ。
まるで、時間が逆さまに流れるように次々と組み合わさり、あっという間に完成してしまった。
「凄いです!」
「ああ!これは凄いな。風魔法をこんなに使いこなせる奴なんて初めて見たよ」
「い、いえ。この程度の魔法なんて大したことありませんわ」
リリィさんが恥ずかしそうに顔を赤くするが、そんなことはないだろう。
魔法のような(というか実際に魔法なのだが)現実に興奮していると、ルナが呆然とした表情で固まっていた。話しかけても反応がなく「旅の醍醐味が……浪漫が……」とぶつぶつ呟いていた。
どう声をかけたものかと考えていると、急に動き出して天幕の紐の締め具合などをこっそりと点検しだした。
あらゆる角度から不備がないか粗を探している姿に、昨夜の熟練者の面影は全くない。
めちゃくちゃ格好悪かった。
それからもコソコソと点検していたが、作業は完璧だったのだろう。僕も見ていたが、ルナよりもむしろ作業自体は丁寧であり、強度も上だった。
自分の知識や経験をあっさりと追い抜かれた悔しさでルナは今にも泣き出しそうだった。
「不備や間違いはありませんでしたか?」
そんなルナを、リリィさんが心配そうに覗き込んできた。
びくり、と悪戯がバレた子供のようにルナがそっぽを向く。
「ま、まあ及第点じゃないかな……初めてにしては」
「良かったですわ!」
嬉しそうに笑うリリィさん。
ルナの強がりに気づく様子が全くなく、本当に嬉しそうだった。
あまりの純粋さに、ルナの器の小ささがより浮き彫りになっていた。
そこからさらに火おこしや洗濯、水浴びなど魔法により旅の質が急上昇し、リリィさんの貢献は計り知れないものになっていった。
そして、ルナの小さな誇りはズタズタになった。




