夜の語らい
よろしくお願いします。
太陽の光が容赦なく天から降り注ぎ、肌を焼く。
まるで炎に熱せられた鉄鍋のような気分だ。
体力の消耗を防ぐために外套を頭から被るが、今度は内部から蒸されてしまって汗が止まらない。
滴り落ちる雫が唇に入り、舌にほんのりと塩の味が広がった。一歩、一歩と歩くたびにふらつき、身体が休息を求めた。
期待を込めてもう一人の仲間の様子を見るが。
「ふんふんふーん♪」
灼熱の苦しみに耐えながら苦行を重ねる求道者のようなこちらとは違い、鼻歌交じりに歩くルナはまるで花畑を歩いている普通の女の子のようだ。
長く伸ばした黄金の髪が歩くたびに左右に揺れる。一日中歩き続け、もうすぐ日が暮れるというのにこの勇者はいつも元気いっぱいだ。
故郷の村を出てもうすぐ十日が経とうとしていた。
『馬は使わないの?』
それが旅を始めて最初に出た質問だった。荷物を背負いながら連日歩き続けるというのは想像以上に体力を消耗する。ルナの足を引っ張りたくはないから、疲れたとも言えない。
そんな痩せ我慢から出た言葉だった。
『うーん、城を出発した時に渡されたんだけどね……初めての戦闘中に流れ弾に当たって死んじゃったんだよね』
城。
ルナは故郷のことについてあまり話そうとしない。直接質問したことはないが、なんとなく今は触れない方が良いと思った。
というか彼女と過ごして数日経つのに、自分は彼女のことについて何も知らない。
勇者についてもだ。
村に伝わっている古い伝承から聖剣に選ばれ、人間を脅かす魔物や魔族とその主である魔王。そして、それを倒す使命を背負った勇者。その程度だ。
『私が死んでも、聖剣は次の勇者に引き継がれる。私なんかいなくなっても誰も……困らない』
「……」
「今日はここで野宿しよっか」
ルナの声で現実に引き戻された。
十日も経てば不思議となれるもので疲労で動けないと思っても、体が自然と野営の準備を始めていく。
「今日は兎の丸焼きだね」
ルナが先ほど狩った兎を手際よく捌き、焚き火で炙っていく。
血抜きをした以外に特に下拵えもなく炙った兎を食べて良いか不安になるがルナは気にせずかぶりつき、と満面の笑みを浮かべていた。
炙った兎の肉は柔らかく短剣で切ると驚くほど柔らかい。
そのままかぶりつく。
美味い。先ほどまで火に炙られていたのだから舌が火傷しそうになる程熱いのに、そんなことが気にならないほどに美味い。
一日歩き疲れ、空っぽになった胃袋はすぐに二口目を要求してくる。二口、三口。あっという間に肉を平らげると疲労と満腹感から急速に瞼が重くなった。
「ん……」
冷たい風に頬が叩かれて目が覚める。
いつの間にか寝てしまっていたらしく、身体に毛布がかけられていた。
焚き火がパチパチと音を立てて燃えていた。
ルナがいない。周囲を見渡すが気配は感じられない。遠くに行ったのだろうか。手掛かりを探すと、足跡がわずかに残っていた。焚き火から太い枝を松明代わりに引き抜いてその跡を追っていく。
こんな調子で大丈夫なのだろうか?そんな考えが頭を過ぎる。この数日間は、旅で出会った村人や行商人など出会った人全員を助け続ける日々だった。それも大切なことには違いないが、その分魔王討伐という目的からは遠のくことになるだろう。
おまけに……
『ヒッヒ。何とも情けない。今代の勇者は歴代でも最弱と聞いていたがこれほどまでに弱いとはな。だが、正体がこんな小娘であれば納得だ』
七魔のバイゼルの言葉が正しければルナの力は魔王討伐に失敗してきた勇者を含めてもかなり力が弱いらしい。そんなルナだが、特に気にする様子もなく、それどころか旅の景色や食べ物、人助けすら楽しんでいる節がある。
一度伝えた方が――「ハァ!」
遠くで大木が崩れる音がした。
白い閃光が闇を斬り裂いている。
慌てて近づくと、そこにいたのは必死に剣を振るうルナの姿だった。
剣を振りかぶり、縦に振るう。
仮想の魔物の攻撃を避けるように後方へと素早く後退。
迎撃を入れるように横へ剣を薙ぎ払う。
汗だくになりながら、真剣に剣を振るうその表情からは、普段の快活さは微塵も感じられない。美しさすら感じる剣筋からは、それが一朝一夕の修行でないことは素人目にも明らかだった。
まさか、毎晩これをやっているのだろうか。ルナだって勇者とはいえ、生身の身体だ。一日中歩き回り、人助けまでこなして疲労は限界のはず。
なのに――
しばらく修行を観察した後に、ルナの姿を背に元来た道を歩き出す。
僕は馬鹿だ。ルナがどれだけ必死か分かっていなかった。なのに、心の中で批判していた。
強くなろう。弱い僕でも、反復すれば多少は剣技もマシになるだろう。
それを反復して、いつかルナを支えられるように――
「お〜〜寒寒!」
「え?」
元の場所に戻ると真っ白な髭を蓄えた老人が焚き火の側に座っているのだった。
「はっはっは!いや、悪いのう。道に迷って焚き火を勝手に借りていたのに、こんなにご馳走になるとは」
「いえ」
白い口髭をたっぷりと蓄えた老人が豪快に笑いながら美味そうに干し肉を食べる。その手は熊のように大きく、干し肉が豆粒に見えるほどだった。それだけではない。表情こそ柔和で人懐っこい笑みを浮かべているものの、手足は丸太のような太さで、筋肉がみっちりと詰まっている。また、肩口からは体を両断したような切創が上着の上から見え隠れしており、彼が歴戦の戦士であったことを感じさせた。
老人は、そんな僕の考えなど知る由もなく、本当に美味しそうに干し肉を頬張り、水を勢い良く飲み干した。村から出る際に非常食として持ってきたものだが、仕方がない。ルナならば絶対にこうする筈だ。
「あー、食った食った。勢い良く飛び出してきたものの、食料を持ってくるのを忘れての。ここ数日飲まず食わずで生活しとったんじゃ。助かったわい。少年は命の恩人じゃな!」
「いえ、そんなに大したことでは」
「いやいや。それでは儂の気が収まらんよ。そうじゃな……何か褒美を与えねば」
老人は、顎に手を当て、思案するように目を閉じた。そこに先ほどまでのような陽気さは欠片もなく、まるで王のような威厳に満ちていた。
「では……どうしたら強くなれるか、教えてくれませんか?」
「は……?」
老人の目が点になる。そして次の瞬間――
「は――はっはっは!!!どうしたら強くなれるかじゃと?よりによってこの儂に対して!」
「すみません。とても肉体を鍛えていらっしゃるように見えたので。非常識ですよね。会ったばかりの人にこんなことを聞くなんて」
老人はよほど面白かったのか、なおも涙を拭きながらこちらを見つめていた。
「いや、良い。どうすれば強くなれるかじゃな。逆に聞こう。お主はどう思っておる?」
「それは……修行する、戦いを経験する、ですか?」
「そうじゃ。強さに近道はない。日々の地道な修行と戦いの繰り返し。これ以外にはない」
「そう、ですよね」
胸に薄寒い風が吹いたような気がした。
そうだ。当たり前じゃないか、だからルナは毎晩剣を振るっているのに。
何を期待しているんだ、僕は……!
恥ずかしさで頬が赤くなる。老人と視線を合わせるのがたまらなく恐ろしく感じた。
すると、老人はこちらの心境を察してか「しかし……」と言葉を紡いだ。
「男にはいつか、愛する者を守るために自分よりも強大な敵に立ち向かわなければならない時がある。敵は自分が強くなるのを待ってはくれぬ。そんな時、どうするか。お主に必要なのは、それではないかね?」
「は、はい。けれど、それをどうすればいいか……」
「そうじゃな。では、考え方を変えてみれば良い。戦では強者が常に弱者を倒すことができる。これは絶対か、否か」
「いえ、違うと思います」
「どうしてじゃ?」
「それは……やはり、時の運というものがあるからです。でもそれに頼るようじゃ駄目だし。それ以外で何とかする方法を考えないと」
じっと考え込むが、いくら考え込んでも闇をゆらめく炎しか見えない。炎は何も真実を照らしてはくれない。
ふと、楽しそうにこちらを見つめる老人に気づいた。もしこの老人に勝たなければならなとしたら、どうする。
老いているとはいえ、筋力の差は歴然。正面から戦っても、まず勝ち目はないだろう。
なら筋力以外なら?
もし自分が勝てる部分があるとすれば、それは速度と体力だ。
体格の差を利用し、短剣ですばしっこく攻撃し続けるのもいい。
弓矢のような飛び道具を持っていれば、相手の力を発揮させずに倒せる。
つまり――
「敵の弱点に自分の強みをぶつけること、ですか?」
「正解じゃ。敵を知り、己を知れば百戦危うからずじゃよ。ま、これだけで全ての敵に勝てるかと言えばそうではないがの。その一歩にはなるじゃろう。ほれ、正解を導けた少年には、褒美をやらねばな」
老人が取り出して見せたのは、白い石だった。一見すると、何の変哲もないただの石にしか見えないが……
「これは、閃光石という。石を砕くとその名の通り、辺りに凄まじい閃光を放つ。普段洞窟のような暗い場所を棲家とする下級の魔物。ここら辺ではゴブリンなど暗闇を好む魔物の目を眩ませるのに有効とされておる」
「ありがとうございます」
老人から閃光石を受け取る。
石は拳で握り込めるほどに小さく、加減を誤れば簡単に崩れてしまうほどに脆い。
こんな、こんな小さな石ころが……
悔しい。
その一念だけが、心に渦巻いて離れない。
こんな石があると知っていれば村での戦いもあんな犠牲者が出ることはなかったかもしれない。いや、知らなくても、ゴブリンに光が有効であることを知っていればもっと上手く――
僕は知らないことばかりだ。後悔することばかりだ。
けれど。
ルナの笑顔が浮かぶ。
立ち止まっている暇はない。もっと知りたい。魔物のことを。魔族のことを。色んなことを、もっと。
そのことを老人に伝えると、いつの間にか老人の笑みは消えていた。自然と背筋が伸びた。
「珍しいな」
「えっ……?」
「今までも、多くの人間を見てきた。その者達には大なり小なり魔族達への恨みや怒りなどの負の感情が渦巻いておった。じゃが、お主にそれはない。ゴブリンに村を襲われ、親しい人間も失ったのじゃろう。お主は奴らが憎くないのか?」
「そうですね。ゴブリンに村を襲撃され、僕の父も魔族に殺されました。母は魔族に襲われた人達を助けるために夜遅くまで働いて、過労で倒れました。憎くないといえば嘘になります」
「ふむ」
「けれど、父は死ぬ間際にこう言い遺したんです」
憎しみに囚われるな。
父は寡黙な人だった。親子らしい会話をしたことをほとんど覚えていないし、最近までは複雑な思いを抱いてもいた。
けれど、それが父の最後の言葉だった。それだけの理由。ちっぽけな理由かもしれない。けれども、大切な人の言葉は守りたかった。
「だから僕は、憎しみに囚われたくないんです」
「そうか……そうか」
老人はしばらくの間、何かを考え込むように下を向いていたが、やがて顔をあげた。
その顔は少しだけ優しげに見えた。
「少年は今、大切な人はいるかね?」
「えっ、どういう意味ですか?」
「深い意味はない。守りたい家族や友人、大切な人はおるかね?なんなら、恋人でも良いぞ。儂も少年の歳の頃は女子からモテまくりじゃったからな」
「恋人はいませんよ。けど、友達はいます」
「そうか。ならば、大切にしなさい。誰かを大切に思う心。愛こそ強さの源なんじゃよ」
「愛が、強さの源……」
「そうじゃ。愛なき力に意味はない。守るべき者がいない戦いほど、虚しいことはないのじゃからのぅ」
そう言う老人の瞳は、悲しいほどに澄んで見えた。
「おっと、話が脱線してもうた。すまん、すまん。この年になると若者に自分の話をしてしまいたくなるんじゃ。確か、魔族や魔物について知りたいんじゃったな」
「はい」
今まで当たり前に使っていた『魔物』や『魔族』というものが何なのかさえ分からずに勇者と旅をしていた事実に頭を抱えそうになるが、だからこそ今の自分は知らなければならないと思った。
「魔物や魔族とは何か。一言で言えば、心臓部に魔石がある生き物のことじゃ」
「魔石って、確か魔道具を動かすために必要な物ですよね」
「そうじゃ。魔石は魔物・魔族からしか採取できず、それを抜かれれば塵となって消えてしまう。魔族はその中でも人に近い形をとり、人語を解する一族の総称じゃな。独自の社会や文化、知識を持ち限りなく人間に近い生活を送っている」
「どうして、人と魔族は争うんですか?分かりあうことはできないんですか?」
魔物はまだ理解できる。
ゴブリンと同様に人間を襲い、食い物にしたり欲望の捌け口にするためだ。
だが魔族は?
聞く限り、彼らは人間と近いように思えた。
「詳細な発端は、伝わっておらぬ。恐らく、そこまで深刻なものではなかったのじゃろう。これまでも歩み寄ろうとした者達もおったはずじゃ。しかし、魔族は人間よりも力が優れている分、人間を見下しやすい悪癖がある。それが両者の溝を深めておった。しばらくして人間が魔石の有用性に気づいてからは、さらに争いが激化した。今では互いに憎しみが刻まれ過ぎて、何のために争うておるのかも分かっておらぬ者が多い」
「そうなんですね。すみません、分かり合えるなんて馬鹿らしいですよね」
「いや、そうでもないぞ。現に今の魔族の長たる魔王は穏健派でな。魔族に対して自衛以外で積極的に攻撃せんように呼びかけておるんじゃ。おかげで長い年月をかけ、少しずつ争いは減ってきておる。まっ、それでも全ての争いはなくせてはおらんがの」
いつの間にか、顎に手を当ててどうすれば争いをなくせるかを考え始めていた。
「戦争以外で力こそが全てという魔族が納得し、互いの憎しみが発散できるようなものがあれば……」
「君もそう思うか。儂も長年それについては考えていてな。例えば、戦争の代わりに両者で模擬戦闘を行い、勝った方が一定の領土など、何らかの褒美を得るとかの。勿論多少は荒っぽくなるが規則をしっかりと作っていけば戦争の代わりになり、流血は少なくなるじゃろう」
「けど、それだとあまりにも魔族が有利すぎます」
「じゃから、力勝負だけでなく戦略や、知識を試す勝負を行ってもよい。そこならば、まだ教育制度の行き届いている人間に有利じゃろう」
「それはいいですね」
それでもまだ問題は多いと思うが、この形ならば戦争は無くなっていくのではないだろうか。
「この形なら、もしかすれば戦争は――「なくならないよ」」
「え?」
夜の闇を照らす月のように、その少女は輝いて見えた。出会った時とまるで変わらない、目が合えば、老若問わず目を奪われるであろうその美しさ。けれど、今夜の彼女はまるで違う。その声はあまりにも冷たくて――
「確かにその規則なら、見かけ上は平等に見えるかもね。けれど、今代の魔王はその教育制度に最も力を入れていることで有名だ。いずれ、知識や技術面でも人間の先を行くことはおかしくないと一部の学者も予言しているくらいだ」
その姿は憎悪の炎に揺らめいて見えて――
「私の友達を誑かさないでくれる?やっぱり魔族は信用ならない。騙し、奪う。卑劣な種族だ。奴らは私が一匹残らず殺す。根絶やしにする。だから――ここで死んでもらうよ『魔王』」
仮面の奥に憎しみの光を宿しながら、勇者は魔王に剣を向けた。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。次話は来週土曜日21時に更新予定です。
※魔王
魔剣に選ばれし魔族の王。かつて世界を支配しようとしたザインと呼ばれる魔族が最初の魔王とされており、絶大な力で人類を追い詰めた。彼の死後、魔王の力はその時代ごとの有力な魔族に引き継がれていき、現代でもなお、魔族と人類の争いは続いている。