1 決戦前夜、当日の舞台
「行ってきます」
ある日DMで届いたのは、イベントに参加してほしいとの内容だった。
自分が音楽提供で参加したゲームのイベント、そのコンサートをオーケストラを組んで催すというもの。
音楽への接し方が、まったく真逆に位置すると思う組み合わせに見えた。
自分は打ち込みの環境に身を置いている。
一方、『本物の楽器』を使用するオーケストラは、雲の上の存在に思えた。
楽器は触ったことがないので(!)、さてどうしようと思っていたら、ゲーム音楽に関して少しトークをしてくれたらいいというもの。
初めての一人で乗る新幹線に、心躍る。
道中は、スマホの指示に従うだけなので、案外簡単に駅まで到着出来た。
タクシーを拾い、主催者が用意したホテル名を告げる。
ホテルの正面玄関ポーチへタクシーが横付けした。
立派なホテルだ。
チェックインを済まし、部屋へ行く。
滞在中はここが自分の城になるのか。
さて。
台本に目を通すものの、時間を持て余す。
そうだ、ここから、会場までそんなに遠くない。
途端に、会場を見たくなった。
下見に行こう!
フロントでタクシーを手配してもらうと、すぐに迎えが来た。
会場名を伝えると、タクシーは動き出す。
どのくらい走ったか、運転手さんが、
「正面付近でいいんですか?」
「はい、そこで」
ちなみに、明日は地下の駐車場へ入るように指示を受けている。
一般客と、関係者入り口は違うらしい。
あまり実感がわかない。
翌日。
ホテルで朝食を済ませ、午後は呼び寄せたタクシーに乗り込み、いざ会場に乗り込む。
タクシーは、コンサートホール会場の地下駐車場へ吸い込まれていく。
何分くらいに着きそうかわかれば、連絡入れてほしいとのことだったので、タクシーの中からメッセージを送っておいた。
降車場で、関係者の方が待っていた。
タクシーが止まりドアが開くと快く出迎えてくれた。
「きもとさんですね、ご案内します」
エレベーターを上がり、楽屋へ案内される。
名札に「きもと様」と書かれていて、
「本日は、こちらをお使い下さい」とのこと。
てっきり、大部屋だと思っていたので、コミュ障の自分としては、助かった。
花が贈られていたらしく、『祝 きもと様 〇〇家一同』と札があった。
〇〇は自分をこの世界へ連れてきてくれた、『アンチ』の本名だ。
「会場とスタッフをご案内します」
廊下にも、たくさんの贈られた花が飾られていた。
連れて行かれた部屋で案内のスタッフさんがノックをする。
「きもとさん、入りました!」
中へ入ると、プロデューサーと会社の偉い人が待ち構えていた。
このプロデューサーは、自分を拾い上げた恩人だ。
「ようこそ、お越しくださいました。本日はよろしくお願いします」
「今日は楽しみましょう! 後ほど打ち合わせ、よろしく」
丁寧な大人の対応に、ペコリと頭を下げた。
少しだけ遅めの入り時間だったのだろう。
すでに、多くのスタッフさんや関係者が準備を進めていた。
舞台へ顔を出す。そこには、圧巻の5000席。
「きもとさん、入りまーす」
準備中のスタッフが、各々ペコリと頭を下げる。
廊下では、スタッフがトラブルで走り回っている。
会場案内やグッズ案内等、入り口に掲示したQRコードを読み込んでも、サイトへ飛ばないトラブルらしい。大丈夫かな?
楽屋に戻ると、お水だけ頂こうかな。
口の中が渇いて仕方ない。
この後呼ばれて、進行打ち合わせをこなす。
とは言え、今回のプログラムでは、自分達はメインではない。
冒頭に簡単なゲームの開発裏話や、どこまで話していいのか、などの関連のこと。
台本を読み合わせる程度で、打ち合わせ自体は、簡単に終わった。
メインは、贅沢なフルオーケストラだ。
音楽に携わる人間なら、形はどうであれ、大舞台で披露するというのは、夢の到達点の一つだ。それがもうすぐ叶う。もうすぐ舞台の幕が上がる。
舞台袖で演奏リハーサルを聴いていた。
想像を超えていた。
自分が書いた曲の数々が、重厚な厚みとパワーを伴って、耳へ帰ってくる。
感極まって、ただ立ち尽くす。
リハーサルが終わり、ついに本番へと動き出す。
「では開場しまーす! 開場しまーす!」
自分は、演奏で加わることはしない。いや、出来ない。
PCで音入れは出来るけど、楽器は全くの素人だ。
機械だから奏でられるけど、こんなのを人間技で演奏出来るのかな、と思う。
どうやって指があんなに高速で動くのだろう。不思議で仕方ない。
なぜ、あんなに正確に指を置けるのだろう。手元見てないし。
願わくば、演奏するフリで参加したかった。
ダメ元で、言えばよかったな。
いや、演奏者の皆さんが積み上げた技術とキャリアに対し失礼だな。
そうだね、言わなくて良かった。
こんなことなら、楽曲にカスタネットをアクセントで入れておけばよかった。
カスタネットなら出来そう。
一旦それぞれの楽屋へ戻る。
廊下を慌ただしく動くスタッフの皆さん。
何もしない、出来ない自分。
落ち着いて座れない。
冒頭で話す内容の台本を何度も頭に叩き込む。
喉だけ、やたら渇く。ミネラルウォーターを頻繁に口にする。
こんなに水分取って、途中でトイレに行きたくなったらどうしよう。
こんなに水分を取っているのに、念の為トイレに行っても、一滴も出てこない。
空振りして、手を洗って出てくる。
キリキリと脇腹が痛くなってきた。
意識していないと、呼吸の仕方を忘れてしまう。
吸って吸って吸いっぱなしで、吐くことが出来ない。
楽屋へ戻り、目を閉じて、息を吐くことに集中する。
コンコンとノック。
「間もなくです、お願いします!」
真っ白になった。