あなたって忘れっぽいのね
銀色のオイルに、月夜の蜂蜜
夜の粉末
蝙蝠の影
全部全部混ぜ込んで、星のしずくを最後に一滴
溶かしてのぞいて未来を見せて……。
「何をなさってるんですか? お嬢様」
「まあ、カミロ」
背後からの声に、女性は軽やかに振り返った。
「見てわからない? 月夜の散歩よ」
「"散歩よ"、ではありません。伯爵家のご婚約者様が、こんな夜遅くにひとり歩きなんて。いくら敷地内とはいえ、ここはほぼ林です。池も窪みある。もし事故でも起きたら大変です」
「平気よ。月は十分明るいし、ここは馴染みの場所。それに私はきっとすぐ、"伯爵家のご婚約者"じゃなくなるしね」
「──何をおっしゃっているのか、私にはわかりません」
「ふふ、本気で言ってる?」
彼女の問いに、庭師の青年カミロは気まずく目を逸らした。
カミロが仕える伯爵家には噂があった。
主人であるアヴリル伯爵は浮気をしていて、侯爵家から預かった婚約者を冷遇している。
いずれは婚約者を追い出し、愛人を妻に迎えると言って憚らない人でなしだと。
アヴリル伯爵の婚約者ルシアナは侯爵家の出。彼女は十代になったばかりの頃、この家に来た。
早いうちから仲良くさせようという親同士の目論見で迎えられた少女は、はたしてアヴリル伯爵の両親が健在だった頃は大切にされていた。
しかし彼らが亡くなり、嫡男が後を継いで当代伯爵となってからは待遇が一転。ルシアナの冷遇生活が始まった。
婚約者なのだから成婚せず実家に帰れば良い、と人は思うかも知れない。
ところが伯爵は小狡い男だった。
侯爵家からは毎年莫大な支援金と、ルシアナの生活費が振り込まれている。
彼女を手放せば両家の縁は切れ、すっかり依存している大金が得られなくなってしまう。
それは、経営下手の若き伯爵には避けたい現実であり、また侯爵家の方も。
何年も同棲させた娘が戻ったところで、次の嫁ぎ先は見つからない。
すでに代替わりもしており、このまま波風立たずに成婚まで至らせ、実家から籍を抜いた後の方が。
離縁となっても醜聞のダメージが少なく、また引き取る義務もないため関わらなくて済む、と考えている節があった。伯爵家への援助など、潤沢な資産を持つ侯爵家にははした金も同然らしい。
結果、引き伸ばされた成婚で、ルシアナは飼い殺し状態。
不実な婚約者の仕打ちに耐える中、最近ではますます彼の恋人が幅を利かせており、屋敷の使用人たちも皆そちらにおもねって、さらに孤立無援となっていた。
(痛ましい。こんなにお美しい方が、不遇な立場に甘んじなければならないなんて)
「どうしたの、カミロ。険しい顔をして。お腹でも冷やした?」
「っつ、お嬢様!」
のぞき込まれていて、その顔の近さに飛び跳ねんばかりに驚く。
そんなカミロの反応にカラカラと笑って、ルシアナは手に持つ鏡を見せた。
「本当はおまじないをしていたの。呪文を唱えて月にかざすと、将来を共にする相手が鏡に映るんですって」
「……ご婚約者の、アヴリル伯爵様の姿が映りましたか?」
「さあ、どうかしら。ほら、一緒に見てみましょう?」
「えっ。ええっ??」
カミロを引き寄せたルシアナが鏡をのぞく。
と、鏡にはルシアナとカミロ。ふたりが普通に映り込んでいる。
「まあ、カミロが映ってるわ。私の運命の人ってお前かしら」
「なっ……。おふざけにも程があります、お嬢様っっ!」
夜目にも、カミロの顔が真っ赤に染まっていることがはっきりとわかる。それが怒りではなく、もっと別の感情であることも。
カミロは好意をまったく隠せていない。
満足そうにルシアナが笑った。
「あら? 私とじゃ不満?」
「そんなわけなく! じゃなくて、俺とお嬢様とでは住む世界が違います。お嬢様をお世話する権利は、アヴリル伯爵にあって──」
「でも私は、お前がいいわ。あの人は私のことなんて、眼中にないもの」
「!! お嬢様っっ」
「わかってる。誰かに聞かれたら、お前の身に危険が及ぶものね」
寂しそうに目を伏せるルシアナに、カミロは慌てた。
「そんな意味で言ったわけでは──」
「でもこれだけは聞かせて? 私のことは、嫌いじゃない? 怒らないから、本心で答えて欲しいの」
「……もちろん……嫌いなわけ、ないじゃないですか……」
むしろ誰よりも焦がれています。あなたに──。
心に言葉を吞み込んで、そっと拳を握りしめるカミロに、ルシアナは頷いた。
「ありがとう。お前の気持ちが聞こえたわ。さて。おまじないも無事完了したしことだし。部屋に戻りましょうか。送ってね、カミロ」
◇
それから、しばらくして。
「侯爵令嬢ルシアナ! 僕はきみとの婚約を破棄し、ここにいるホアナと結婚する!」
伯爵家の応接室で、ついにアヴリル伯爵が宣言した。
彼の恋人ホアナが"歌姫"として栄誉ある賞を獲得し、社交界での名声が高まった今が好機、と判断したためだろう。
彼としてはいつまでも今の関係を維持していたかったが、さすがに適齢期も過ぎ、結婚を引き延ばすにも限度があった。ホアナからも「早く妻にしてくれ」と催促がうるさい。
そろそろ潮時だ。
伯爵は、とってつけたような理由を並べた。
「きみは僕の婚約者として振舞うべき立場なのに、つまらない嫉妬からホアナにきつく当たっていたそうだな。そんな狭量な女を妻に迎えるなど、あり得ない。伯爵夫人には、それなりの度量と才覚が求められる。きみには出て行って貰う!」
"これは、この場の全員が望む未来のカタチである"
何年も家に縛り付け、挙句、理由にもならない言いがかりで放り出すという理不尽。
だがホアナの肩を抱くアヴリル伯爵の後ろで、控える使用人たちが示し合わせたように頷いている。
婚約者交代に、ルシアナをのぞく全員が乗り気であった。
いや。
ルシアナも。
彼女の頬にほんのりと紅が差し、嬉し気に唇が引き上げられる。
「!?」
「私はホアナ様にきつく当たったことなどありませんでしたが……」
事実は逆で、ルシアナは度々ホアナから嫌がらせを受けていた。
そう口にしながら、ルシアナが確認する。
「では私の婚約は今日をもって消えたと、そう受け取って良いでしょうか?」
その笑みが、目を奪うほど輝かしくて。
「っつ、ルシアナ様。悔しいのはわかるけど、伯爵様は私を選ばれたの。妬んだりなんか、なさらないでね」
ホアナが吠える。
ルシアナが絶望しないことに、焦りを感じたらしい。
「ええ、もちろん。妬むわけないでしょう?」
ルシアナが鷹揚に微笑む。
「な! ルシアナ、貴様わかっているのか! ここを追い出されても、実家には戻れない。路頭に迷うか、修道院に駆け込むしか道はないんだぞ」
長年の婚約者をそんな境遇に追い込むと分かった上で婚約破棄をのたまったアヴリルが、なぜか念を押す。
ルシアナが首を傾げた。
「おふたりは何がご不満なの? すべてあなた方の望む通りにする、と私は言っているのに」
「あ、」
「う……、それは。殊勝な心掛けで、何より、だ」
ルシアナの反応がよほど意外だったのだろう。
ふたりが腑に落ちない表情で、けれども結局、頷いた。
内容に異論はないからだ。
ただ、そう、捨てたルシアナが、泣いて縋って悲しむ姿を見れなかったのが残念なだけで……。
「では私は出ていくということで構いませんね?」
ルシアナが尋ねた。
「無論だ」
そう伯爵が断言した途端。
どぉぉぉぉぉぉぉん!
遠く、大地を揺るがすような轟音が響き、伯爵家の窓を揺らした。
「な!」
驚きに満ちる室内で、ただひとり、ルシアナだけが悠然とした表情で、目を細めた。
「ああ、ちょうど限界だったようね」
軽やかな声をあげる。
「限界?」
「今のは何の音?」
「ふふ。伯爵家の古木が倒れた音ですわ」
「古木?」
「は?」
「伯爵様には古木に願ったことを、すっかりお忘れのご様子。あなたの婚約者ルシアナがいなくなった時、"侯爵家の融資が無くなったら家が傾くから、婚約を維持して欲しい"とおっしゃったではないですか。でも今日、その婚約が合意のもとに終了した。同時にあなたが放置した古木も、木としての寿命が来たみたい」
「何を言っている……? ルシアナがいなくなった……? お前はここに。僕の目の前にいるじゃないか」
「まあ。私は精霊ですよ? 伯爵家が祀る古木の」
「!? は……? 誰がどう見ても、ルシアナだろう……?」
目を見開く伯爵に、精霊だと名乗ったルシアナが滔々と語る。
伯爵の婚約者ルシアナは、ふざけた境遇に耐えきれず、とっくの昔に出奔していた。
しかしそんな事実がバレたら、世間から後ろ指を指される。
平民の恋人に入れあげた挙句、格上の侯爵家から預かった婚約者を行方不明にさせたなんて。
アヴリル伯爵は必死にルシアナを探したが、逃げ出した婚約者を見つけることは出来なかった。
成果が出ない捜索を打ち切った後、伯爵は窮地に立たされた。
侯爵家になんと申し開きをしたものか。
それに何より、賭博にのめり込んで家の財を傾けている。
借金から逃れるためにも、侯爵家からの金が要る。絶対に!
アヴリル伯爵がヤケ酒でさまよい歩いた先にあったのは、一族が祀った古木。
かつて伯爵家の祖先が迷い込んだ聖域から持ち帰った一枝が、芽吹いて育った聖なる木。
家に伝わる馬鹿げた逸話によると、その木は世界樹の末裔で、気まぐれに祖先に約束した。
"酒と共に願いをかければ叶えてやろう"、と。
ただし当主自ら、丹念に木の世話をするように。
願いの実現に力を使えば、生命力を失い、立ちどころに枯れてしまう。
後々まで家を栄えさせたいのなら、欠かすことなく世話することが条件。
伯爵は手に持った酒を古木にぶちまけ、"ルシアナが要る"と古木に叫んだ。
「そんなこと覚えてないぞ」
「ふぅ……。あなたって忘れっぽいのね」
「何っ!」
心底呆れたようなルシアナのため息に、伯爵が憤る。
格下の存在から馬鹿にされるなど、プライドが許さない。
そんな彼を前に、ルシアナがきっぱりと言う。
「覚えてようが、なかろうが。あなたは願った。そして私は現れた。あなたの探す、ルシアナの姿をとって」
酔った伯爵が翌朝目を覚ますと、屋敷にはルシアナがいた。
普通に帰ってきたのだとばかり受け取り、突然失踪したルシアナを詰り、折檻し、今後二度と屋敷からは出さんと宣言して、実行した。
その後ルシアナは大人しく伯爵家で過ごしていたが。
今度は夢の世界に逃げて、木の化身だと言い出したらしい。
「お前……、狂った……のか?」
彼女の発言については、そう考える方が自然だった。
「狂ったと思いたければ、ご自由に。ただ私はここから去るわ。虫にやられて本体も倒れたことだし。今頃は忠実な庭師が、私の根から伸びた若木を、引っ越してくれている」
「引っ越し? 何のことかわからないが、好きに……したら良い。どのみちお前とは離縁だからな」
「ふふふふ、離縁の使い方、ちょっと違うけど、じゃあお別れね! 私はこの家の守護から手を引くから、後は自力で頑張りなさい!」
機嫌良くステップを踏みながら部屋を出るルシアナを、伯爵とホアナ、そして使用人たち呆然と見送った。
◇
その後。
伯爵家は次々と災難に見舞われた。
まず、侯爵家から訴えられた。
何年も前にルシアナがいなくなっていたにも拘らず、いると思わせ、お金を請求し続けていた件で。
本物のルシアナが他国に渡り、かの地の大商人と結婚して子を生していたと発覚したのだ。
侯爵家が商談のため出向いた先でルシアナと偶然再会。実家にも伯爵家にも失望していたルシアナが、連絡を入れなかったことは致し方ないとして、彼女はそれを理由に侯爵家との取引を突っぱねた。
多額の損失を被った侯爵家が調査して初めて、アヴリル伯爵の不実が浮き彫りになる。
ルシアナはもうずっと人前にも出ていなかったし、使用人たちも。
未来の奥方を粗末に扱っていたなど、口が裂けても言えない。
結果、"ルシアナは長年いなかった。アヴリル伯爵の隠ぺい工作だ"と判断される要因となった。
詐欺もろもろあらゆる罪状と多額の罰金が、伯爵家に降りかかる。
悪評は伯爵家の信用を失墜させ、さらに間の悪いことに資金源だった鉱山が、何の成果も出さなくなった。
領地では災害が続き、森は枯れ、川は暴れ、どんどん土地が痩せていく。
農民は流出し、商人は避けて通って、みるみるうちに伯爵家は家名を失うほど衰退した。
少し前までは、アヴリル伯爵家には不思議な加護があり、縁続きになれば婚家も栄えるとまで言われていたのに──。
元伯爵は現在、労役刑に科せられているという。
また彼の恋人ホアナも。アヴリル元伯爵の悪行とともにその行いが知れ渡り、仕事を失い、今はどこで何をしているのか。気にかける者もいないほど落ちぶれたらしい。
一方。
「お嬢様、本当に俺で良かったんですか?」
「あなたが良いと言うより、あなたじゃなきゃ嫌だったの。私をずっと気にかけてくれた」
「それは当然のことです。世界樹の末裔たるあなた様に、敬意を払わないエルフがいましょうか。虫のことは……力及ばず申し訳ありません」
庭師帽を脱いで頭を下げるカミロの両端に、ピンと尖った耳が跳ねる。
「ううん。虫はカミロのせいじゃないから、気にしないで。それに私、あなたが連れて来てくれたこの場所には、とても満足してるの」
柔らかな微笑みを受け、カミロの頬がほんのり上気する。
「あなた様を一族の里に迎え入れることが出来て、こんな誉れはありません」
エルフの森の一番日当たりの良い場所では、聖木の苗がいきいきと葉を伸ばしている。
精霊の新しい本体だ。
「出来ればもっと早くにお救い出来れば良かったのですが……」
「制約が強かったのよね。伯爵家の祖先と古代語で約束しちゃってたから、あの土地から出られなくて。新しいまじないで上書きして、ようやく解き放たれることが出来たわ」
月と鏡の力を借りて、カミロと共にまじないをかけた。
だから長年だらだらと引き伸ばしていた伯爵も、突然その気になって婚約破棄に動いたわけで。
ルシアナの姿をとる精霊が、うんうんと頷く。
彼女は少しずつ、伯爵家にいた頃とは色素も印象も変わってきており、本来の姿に戻りつつある。
でもどんな姿でも、カミロにとっては大切な女性。
「あの夜、俺が気づいて後を追わなかったらどうするつもりだったんですか?」
「まあ、あなたは絶対気づくわよ。だって庭師小屋の前を通ったし……。何より私のことを、いつも見ててくれてたでしょう? ──それよりいつまで、私のことを"お嬢様"と呼ぶつもり?」
「あっ。しかし、それは……」
「敬語もよして。私は、私に心を砕いてくれる相手の元で暮らしたいとずっと願っていた。そして、私と同じく永い時間を生きてくれる相手がいいと」
伯爵家の祖先は良い人間だったが、いかんせん寿命が短すぎた。
長く見守ってきたが、どんどん横柄になっていく子どもたち。最後の子孫に至っては、アレだ。
何百年と募らせた失望は、筆舌に尽くしがたい。
「はい。俺ならあなたに、長久の想いを捧げ、永遠の時間を共にすることが出来ます」
神話で聞いた世界樹に憧れ、長く地上を探してようやく会えた精霊。
庭師として伯爵家に潜り込んだ数年は、カミロにとって苦にもならなかった。
「でも、敬語を外せと言うのは──」
その要求に応えるのは、どうにもまだ難しい。
カミロの懇願に、精霊は視線で答えた。
「う。努力はします」
徐々に……、徐々に慣らしていくことが出来れば……、いつか! 百年か、千年か先には応じることが出来るかも知れない。
「だから、これからもお傍に置いてください」
「ええ。私からもお願いするわね。私の愛するカミロ──」
ぽっ、と赤く染まったエルフの青年は、感激で緑の瞳を潤ませている。
そんな愛らしい青年ににっこり笑って、世界樹の姫は新しい名前を彼に強請った。
金色のお日様、蒼い天
緑の木陰に
小鳥の歌
全部全部飲み込んで、恋の囁き最初に一声
見つめてキスして未来をともに……。
エルフと精霊の恋物語が詩人の間に広まったのは、そよぐ世界樹の葉が伝えたからだと言われている。
お読みいただき有り難うございました!
身代わりネタが続いてすみません…!
実はつい先日、X(旧Twitter)で「詩や世界設定から始まる作品は読まれない」というポストを見かけまして(意訳。詳細は覚えてない)。
そういえばウチの「旧執筆途中」に詩から始まる短編あった!、と、数年越しに拾い出して、仕上げてみました。
過去に設定していたお話で、だーいーぶーファンタジーなので( ;∀;) どうだろう。でも楽しんでいただけましたら幸いです♪
冒頭の「てんそ」、蝙蝠の漢字を当てましたが、正確には「天鼠」で、蝙蝠の別名です。
何とか「詩」を乗り切って、本文も読んでいただけますように…!
---追記---2026.02.26.14ː25
素敵な感想メールをいただきました!
「精霊が名前を欲しがるということは、一生あなたのもの、ということですものね」とあって、きゃー(≧∇≦)♡と、大興奮! ラブラブ、尊い! メールありがとうございます♪
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お話をお気に召していただけましたら、下のお星さまに色を塗って応援してくださると嬉しいですヾ(*´∀`*)ノ♪




