私のことなんか興味ないって言ってたくせに。
学園ラブコメです。
扉がゆっくりと開いていく。
その奥の薄暗い空間から、女の声が響いてくる。
――魔道具の三日月堂へようこそ。私は店主のクロエです。
当店は絶大な力を持った魔道具を数多く取り揃えています。
あらゆる奇跡を起こすことから、私のことを『三日月の魔女』クロエ・アナと呼ぶ方もいらっしゃるそうで。
例えばどんな商品があるのかって?
それでは、こちらの魔道具をご覧ください。
……モテたい。
誰でも一度は、そう思ったことがあるのではないでしょうか。
多感な思春期の頃なら、特に。
もしも、そんな願望を叶えてくれる魔法の道具があったとしたら、あなたならどうしますか?
参考までに、あるエピソードをご紹介しましょう……。
**********
「ホントに、これを使えば私でもモテるわけ……?」
子爵令嬢ブリジットは、長机の上の小さな瓶を見つめて首をひねっている。
ポンプ付きのガラス製の小瓶は、紫色の液体で満たされている。
魔道具店の店主であるクロエが長机の向かいで「そうですよ」と言うと、ブリジットは「でも私、コレよ?」と自分の顔を指差して言う。
「ご覧の通り、髪も瞳もありきたりな茶色だし、ソバカスも気になるし、なるべく甘いもの我慢してるのにすぐ太っちゃうし。別に自分が嫌いってわけじゃないけど、決してモテるタイプじゃないでしょ。告白だってされたことないし」
「容姿は関係ありませんよ、この魔道具なら」
「ホントにィ~~~~? どんな見た目でもモテちゃうってわけ?」
「はい」
「う~~ん……。三日月の魔女のウワサは聞いたことあるけど、さすがに信じられないっていうか……。この私がモテるなんて、あり得るのかなぁ……」
首をひねるブリジットに、三日月の魔女クロエ・アナは(あなた充分可愛いでしょ)と言ったところで余計に話が長くなるだけだと考えて、話を進めることにした。
「こちらの商品、歌手や舞台女優でも使っている方、けっこういるんですよ」
「えッ! もしかして、アネット・ボランとかマリー・エモニエとか!?」
「個人名を出すのは、控えさせて頂きますが」
「……でも、なんかわかる気がする。あの人たち、別にめちゃくちゃ美人ってわけじゃないのに、すごい人気だもん。特に男子から。確かに愛嬌はあるけど『そんなにモテるほど?』って感じ。でも、これを使ってるっていうなら、納得だわ。それで、なんていう名前なの? コレ」
ブリジットが指さした小瓶を、クロエは少しだけ手で押し出して言う。
「こちらの魔道具は、モテモテコロン」
「……変な名前」
「失礼ですね。とにかく、この香水を使えば猛烈にモテるようになります。詳細はこちらの注意書きをよく読んでください」
ブリジットは目の前の小瓶を手に取り、裏面に貼られたラベルを読み上げていく。
「ええと……これを毎日1回使用すると、自分に好意のない異性からも激しい好意を得られるようになります……?」
「ええ。誰からも見向きされないというあなたにピッタリの商品です」
「それから……1日に1回の使用を中断すると、これまで好意を持たれていたのと同等の期間、激しい敵意を向けられるようになってしまいます……?」
「ええ。それまでモテたのと同じだけ、嫌われるようになるということですね」
ブリジットは小瓶――モテモテコロンをさまざまな角度から眺め「1日1回だけ……毎日たまごの白身を顔に塗りたくる努力に比べたら楽勝じゃない……」などとつぶやいている。
「いかがでしょう?」
クロエがそう尋ねるとブリジットは、
「買ったわ!」
と満面の笑みを見せてパンパンに膨れた革袋を長机に叩きつけた。
「コツコツ貯めてきた私のお小遣い、これで全財産! お釣りはいくらかしら!?」
**********
「まさか全財産きっちり持っていかれるとは……これで効果なかったら最悪だわ……」
そんな独り言を言いながら、ブリジットは学園の寮から校舎へと歩いていく。
寮の部屋を出る前にモテモテコロンはしっかりとふりかけてきた。
校舎の正門が見えてきて、登校中の生徒の数も次第に増えていく。
「ブリジットちゃん、おはよう!」
振り返ると、そこには友人の男爵令嬢セリアの姿があった。
「あ、セリアちゃん、おはよ!」
「今日もいい天気だね~、あれ、ブリジットちゃん香水変えた?」
「え、あ……そうなの。どうかな……?」
セリアはブリジットに顔を近づけてスンスンと鼻を鳴らす。
「いいんじゃない? 私はけっこう好きな匂い」
「あ、ありがとう…………えと、それだけ?」
「え……うん。あ、ホントにいい匂いだと思うよ? 高かった?」
「ま、まあ、ちょっとね」
ブリジットはそう言いながらも(本当はちょっとどころか私の全財産だったけど)と心の中でつぶやいた。
(なんか、セリアちゃんの反応イマイチだし、本当に効果あるのかしら……? あ、でもセリアちゃんは同性だから関係ないのか。注意書きにも『異性から激しい好意を得られる』って書いてあったし……)
うつむいて考え事で頭がいっぱいだったせいで、ブリジットは前が見えていなかった。
ブリジットは突然、何かに激突して尻もちをついた。
「いったぁ~~~~い……、もう、なんなの……?」
と言ってブリジットが顔を上げると、そこには天をつくような大男の背中。
「げ! ごご、ごめんなさいッ! アベル先輩ッ!」
大男は「あ~~~~ん……?」と不機嫌そうに、ゆっくりとブリジットの方へ振り向く。
学園で最恐とも名高いアベル・ラングレー。
他校の生徒たち10人以上をたった1人で叩きのめした、すでに闇組織の幹部から声をかけられている、本気を出せばドラゴンとさえも渡り合えるなど、その武勇伝は枚挙にいとまがない。
そのアベルの視線がブリジットの視線と交差すると、
「す、すまんッ! つい俺の不注意で! 怪我はないかッ!?」
アベルは膝をついてブリジットの身を案じる素振りを見せる。
「え、あ……大丈夫です、全然。別にどこも怪我なんか」
「いや! 手のひらがほんのちょっと擦りむけているじゃないか! 俺が保健室に連れて行こう!」
「え、別にこんなの平気、ていうか手だし、ええッ!?」
困惑するブリジットが抵抗する間もなく、アベルは小柄なブリジットをひょいと抱き上げてしまう。ブリジットは制服のスカートがめくれてしまわないよう慌てて手で抑える。
「待ちたまえ、アベル・ラングレー。その女子生徒をどこに連れていくつもりだ」
そう言って現れたのは生徒会副会長のオーギュスト・シャノワール。
「どこって保健室だって言ってんだろ!」
「それならば私が連れていこう。君がレディの扱いを心得ているとは思えんからな」
「なんだとォ!?」
一触即発のアベル・ラングレーとオーギュスト・シャノワール。
ブリジットは顔を真っ赤にして「はわわわわ……!」と身を固くするばかり。友人のセリアも「どどど、どうなってんの!?」とうろたえることしかできない。
「まあまあ、お前ら。ここは俺の顔を立ててもらおうか。彼女は俺が連れていく」
そう言って登校用の白馬から華麗に舞い降りたのは、生徒会長にしてこの国の第一王子であるクリストフ・ルイ・ロメーヌ。
「く、クリストフ様……! しかし、ここは副会長であるこの私が」
「この女は俺と話してたんだぜ……王子だからって横取りするのかよ……!」
「ふん、横取りなんて獲物のように言うなよ。彼女は動物じゃないんだぜ」
三つ巴で視線の火花を散らす男たち。
そしていつの間にかその場を取り囲んでいた大勢の男子生徒たちからも、次々に声が上がる。
「ちょっと待った! 彼女は僕が連れていく!」
「い~や、俺だ! こればっかりは他のやつらに譲れねえぜ!」
「ぼ、ぼぼ、僕だって黙っているわけにはいかないぞ……!」
「お前らノロマの出る幕じゃねえ! ここはオイラに任せとけって!」
「バカ言ってんじゃねえ! ここはこの俺様が」
それぞれの言い分を口々に、男たちが一斉にブリジットに群がっていく。
「ちょ、ちょっと! ブリジットちゃん!?」
セリアの悲鳴混じりの声が上がる中、ブリジットは大勢の男たちにワッショイワッショイと、まるで神輿のように担がれ校舎へと運ばれていく。
「な、ななな、なんなのコレぇ~~~~ッ!」
ブリジットは困惑の叫びを上げながらも、心の中で歓喜のガッツポーズを決めた。
(しゃあっ! これよ! まさに私が求めていたのは! モテモテコロン! めちゃくちゃスゴイじゃないッ!)
**********
そしてブリジットの学園生活は、まさにバラ色となった。
授業中は教室のどこを向いても自分を見つめていた男子生徒と目が合うし、昼休みともなれば食堂に全校生徒の半分(男子生徒のすべて)がブリジットの近くに集まろうとして阿鼻叫喚となるし、食事は学食ではなく高位貴族たちの専属シェフがそれぞれのスペシャリテを出し合う激しい料理バトルとなるし、放課後には行列をなす男子生徒たちからの告白を受けるだけであっという間に日が暮れていく毎日だった。
女子寮に帰れば平穏が訪れるかといえばそうでもなく、外に群がる男子生徒たちからの歓声が鳴りやまず、他の女子生徒たちに迷惑だからさすがにそれはやめてくれと言うべくブリジットが窓を開けるだけで、失神する男子生徒も出るほどだった。
学園にはブリジットのファンクラブが結成され、厳格なルールが定められた。
1)ブリジットの言葉は絶対と心得るべし。
2)ブリジットのためなら自分の命さえも惜しむべからず。
3)ブリジット以外の神を信仰するべからず。
ルールは全部で77項目にもわたるものとなったが、要するにブリジットは絶対権力者となってしまったので、ブリジットが「やめて」と言えば他の女子生徒に迷惑がかかることはすぐになくなったし、今まで粗暴だった一部の男子生徒たちもブリジットに気に入られようと女子生徒たちに礼を尽くすようになったため学園の治安はむしろ向上した。
そんな毎日にブリジットは有頂天だったが、それも束の間。
1ヶ月も経てばそれは日常となり、2ヶ月目には煩わしさを感じ始め、3ヶ月目にはすっかり退屈していた。
持ち時間は1人10分、1日10人まで、と定められた放課後の告白タイムが終わり寮への帰路についたブリジットの前に現れたのは、幼馴染の子爵令息、ノエル・アシャールだった。
「よ、よう」
夕暮れの中、ノエルは頬を赤く染めて腕組みをしている。
視線はブリジットから避けるように、斜め下に向けられている。
「何よ、今日の告白タイムは受付終了よ」
「べ、別にそんなんじゃねーよ」
ノエルはこれまでブリジットに告白したことは一度もなかった。
いくら撃沈しても何度も繰り返し挑戦してくる男子生徒ばかりの中、まだ一度も告白していない男子生徒がノエルの他にいたかどうか、ブリジットは思い出せなかった。
「それなら何の用よ。告白タイムが終わったら私に声かけちゃいけないって、ファンクラブのルールにもあるでしょ?」
「し、知らねーよそんなの。ファンクラブなんか入ってねーし」
「え、そうなの?」
そういえばそうだったと、ブリジットは思い至って質問は自己完結された。
ファンクラブが結成されてからブリジットは、会員の顔写真付きプロフィールが並べられた冊子を何度も読み返していたが、確かにノエルのページはいつまで経っても追加されなかった。
ブリジットには、それが少し寂しくもあった。
だって、ノエルとは幼馴染なのにさ。
昔からコイツ、私のことなんか女の子として見てないんだもん。
「それで、お前さ……」
「何よ」
「毎日毎日、いろんなやつから告白されてるけどさ……」
「だから何」
そこで会話は途切れ、沈黙が流れる。
腕組みして斜め下を見つめるノエル。
同じく腕組みをしているものの、ノエルとは真逆の方向、斜め上を見ているブリジット。
カラスの鳴き声が響く中、ノエルが弱々しい声で会話を再開させる。
「な、なんで誰とも付き合ったりしないんだよ……」
「別に、アンタなんかに関係ないでしょ」
そう言ってから、ブリジットは自分の口調が思いのほか冷たいものになってしまったと感じる。
「そ、そうだけどさ……」
ノエルの声が震えている。
――傷つけてしまった?
でもなんで? あれくらいで?
昔は口喧嘩だってしょっちゅうだったじゃない。
「そうだけど、俺…………」
ノエルの声の震えが大きくなる。今にも泣き出しそうだ。
「俺、怖いんだよ……ブリジットが誰かのものになっちゃうんじゃないかと思って怖いんだよ……夜も眠れねえしさ……どうすりゃいいんだよ、俺…………」
ノエルの言っている意味がよく理解できなくて、ブリジットが思わず彼を見ると、ノエルの両目からボロボロと大粒の涙がこぼれていた。
――え、ウソ。コイツ、泣くことあるの?
子どもの頃、家宝の壺を割ったことで家を追い出された時だって「いっそのこと、このまま冒険者にでもなっちまおうかな!」なんて笑っていたくせに。
私をいじめる年上の男の子と殴り合って目の上をザックリ切った時だって「こんなもんツバつけときゃ治るよ!」なんて強がっていたくせに。その傷跡、今も残っているのに。
なんで泣いてるのよ、コイツ。
「なあ……ブリジット……俺じゃ、ダメかな…………付き合うなんて、俺たち、ガラじゃないかな………………!」
「え……え…………?」
「好きなんだよ、俺! ブリジットのことが! お前が誰かにとられるなんて、絶対イヤなんだよ!」
ブリジットは呼吸の仕方を忘れる。
――なんなのよ、それ。
今までず~っと「お前のことなんか興味ねえ」って言ってたくせに。
「ごめん、忘れてくれ……今日の告白タイムは受付終了だったんだよな……?」
ノエルはそう言ってうつむき、下唇を噛む。
ブリジットもうつむきながら、ゆっくり歩いて近づいていく。
「別に、それはファンクラブのルールだし」
「え……?」
「ファンクラブに入ってないアンタなら、いいわよ」
「そ、それって……?」
ブリジットは突撃するようにノエルに飛びついて抱きつく。
「アンタとなら付き合うって言ってんの! バカ!」
**********
そしてブリジットの毎日は幸福に包まれた。
アイドルだったブリジットに特定のパートナーができたことで学園中の男子生徒たち、それどころか教師や町中の男たちまで悔しさに身を打ち震わせたが、絶対神であるブリジットの生活を脅かす者はめったにいなかったし、男たちから守るべくノエルはブリジットの手をぎゅっと握りしめて歩いた。
2人で公園や河原に遊びに行ったし、流行りのカフェでパンケーキも食べたし、夕闇に沈む女子寮の前で門限ギリギリまでおしゃべりもした。
ブリジットが「私のどこが好き……?」と聞けばノエルは「……全部」と答えたし、ノエルが「……じゃあ、俺のことは?」と聞けばブリジットも「全部好き!」と笑った。
そんな幸福を手放すまいと、ブリジットは毎日欠かさずコロンをふった。
三日月堂でお小遣いのすべてをはたいて買った魔道具、モテモテコロンを。
バカみたいな名前、と使うたびにブリジットは思ったが、それでもそれは命と同じくらい大切なものになった。
――1日に1回の使用を中断すると、これまで好意を持たれていたのと同等の期間、激しい敵意を向けられるようになってしまいます。
ブリジットはコロンの裏面の注意書きを何度も確認した。
(これをやめたら、ノエルにも嫌われちゃう)
それはブリジットにとって、世界が破滅するよりずっと恐ろしいことだった。
それでもある日、ブリジットはそのコロンを失った。
「なんでッ! なんで割れてるのよッ!!」
ノエルとのデートを終えて女子寮に帰ったブリジットが鞄を開けると、その中でコロンは粉々に砕け散っていた。
「きっとあの時だわ――人混みにまぎれて私を襲おうとして変な男がぶつかってきた時。ノエルがやっつけてくれたけど、あれで割れちゃったんだわ……!」
やっぱり持ち歩いたりせずに寮に置いておくべきだったとブリジットは後悔したが、命と同等に大切なものを置いていくのが恐ろしくて最近は肌身離さず持ち歩くことが習慣となっていたのだった。
ガラス片にコロンの中身が付着していないかブリジットは何度も何度も確認した。
手が血だらけになるまでガラス片をかき集めたが、中身は一滴たりとも残っていなかった。
「どうしてッ! どうして何も残ってないの! まだ半分以上あったのにッ! 明日から私は一体どうやって過ごせばいいのよッ!」
女子寮の部屋でブリジットは1人叫んだ。
翌日、ブリジットは学校を休み、馬車に2時間ほど揺られて街の中心部に向かった。
そこは以前、ブリジットが三日月堂を見つけた場所だった。
――ノエルとパンケーキを食べたカフェの2軒となり、おじいさんが1人でやっている骨董品屋さんの上の2階……!
最初は占いの館と間違えて入っちゃったのよね……!
きっと今もそこにあるはず……!
もうお金はないけど事情を話せばきっと新しいモテモテコロンを譲ってくれるはず……!
「ダメです。私の可愛い魔道具をタダで渡せるわけないじゃないですか」
藁にもすがる想いで店を訪れたブリジットにかけられたクロエの言葉は、非情なものだった。
「お願いですッ! お金はいつか必ず用意します! 何年かかっても必ず!」
「私はそんなに何年も待てませんよ」
「どうかお願いします! このままじゃ私、みんなからヒドい目にあわされちゃう! 何より、ノエルから嫌われちゃう! そんなことになったら私もう生きていけないッ!」
「知りませんね。私は慈善事業で魔道具を扱っているわけじゃあないんですよ」
その言葉にいきり立って、ブリジットは「どうしてわかってくれないのよ!」と長机を超えてクロエにすがりつこうとした。
しかし次の瞬間、ブリジットはいつの間にか店の外、大通り沿いの歩道に座り込んでいた。
ブリジットの頭の中にクロエの声が響く。
『私はお金だけで取引するわけではありませんが、今のあなたに商品を売る気にはなれません。あなたの頭が冷えるまでしばらくの間は、出入り禁止とさせて頂きます』
ブリジットは頭を抱えて1人つぶやく。
「そんな……コロンがなかったら、私は一体どうしたらいいのよ……」
再びクロエの声が頭の中に響く。
『そんなことより、昨日コロンを使ってからちょうど丸1日が経ちましたからね。まずは身の安全を確保することを考えた方がいいですよ』
その直後、ブリジットの足元で何かが割れる音がした。
「な、なんなのッ!?」
ブリジットが視線をやると、そこには粉々になった鉢植え。
頭上から声がする。
「惜しいッ! もうちょっとで殺せたのに!」
「下手くそだな! 次は俺にやらせてみろよ!」
「待てよ、俺だってブリジットのクソ女にはムカついてんだぜ!」
アパルトマンの上階から身を乗り出した数人の若い男たちがヘラヘラ笑いながらそんなことを言い合っている。
「こ、これは……!」
ブリジットが周囲を見渡すと、大通りを歩いていた男性たちもブリジットの方へじわりじわりと近づいてきていた。
「ブリジット……お前、調子に乗ってるだろ…………!」
「お前のこと見てるとよォ……どんどんイライラしてくるんだよなァ〜〜〜〜……!」
「可愛いって思ってたけど、よく見りゃただのブスだしよォ〜〜〜〜」
「今まで散々いい思いしてきたんだ……! 今度は俺たちがお前でストレス発散してもいいよなぁ…………!」
男たちの目は血走り、明らかに殺意を放っている。
中には棍棒やナイフを手にしている者もいる。
「切れたのね……! コロンの効力が…………ッ!」
ブリジットの顔が青ざめる。
すると、大通りの男たちのうちの1人が、突然ブリジットに飛びかかった。
「死ねぇッ! ブリジットォ〜〜〜〜ッ!」
ブリジットは冷や汗を流しながらも、先ほど上階から投げ落とされた鉢植えの土をつかむと「じょ、冗談じゃないわッ!」と叫んで男の目に投げつけた。
「ぐわッ!」
ブリジットは男がひるんだ隙に路地裏へと駆け込む。
「あ! 逃げやがった!」
「土を投げつけるとは暴力的な女だ!」
「逃げるなッ! 出てきて謝れ!」
「卑怯だぞ! 責任を取れ、責任を!」
ブリジットは路地裏に積み上げられたゴミや空の木箱をぶちまけながら走っていく。
――ヤバいッ! ヤバすぎるわ、この状況!
隠れなくてはッ! どこか! 男の人たちが入って来れないところへ!
でもそんなところ一体どこにッ!
ここから学園寮まで帰るのだって乗り合い馬車で2時間もかかるわ!
そこまで男の人に1人も会わずたどり着くなんて、どう考えても無理よ!
「ブリジットちゃん!」
ブリジットがその声に振り返ると、そこにいたのは友人のセリア。
他にも数人の女子生徒とともに、大通りの方から手招きしている。
「乗合馬車を1台、私たちが借り切ったわ! 早くこっちに来て乗って!」
**********
馬車で学園寮まで帰る道すがら、ブリジットは泣きながらセリアたちに事の顛末を打ち明けた。
「やっぱり、最近おかしいと思ってたのよね。ブリジットちゃん、急にみんなからモテモテになるんだもの」
「ごめんなさい……!」
「…………別に、謝る必要はないんじゃない?」
「――――え?」
ブリジットが顔を上げると、セリアたち女子生徒は笑っていた。
笑いながら女子生徒たちが話し始める。
「モテモテコロン、だっけ? そんなのあったら、使っちゃう気持ちもわかるわ」
「そうよね~、私だって一度くらいモテモテになってみたいもん」
「侯爵令嬢のアレクサンドラ様は『婚約者のクリストフ様を盗られた!』って怒ってたけど、別にブリジットちゃんはクリストフ様に何かしたわけじゃないもんね」
「そうそう、ブリジットちゃんは男子たちに『婚約者がいる人は私より婚約者を大切にしてください』ってちゃんと言ってたし」
「ルールとかも作って私たちの迷惑にならないようにもしてくれてたもんね、『夜は寮の前で騒がないで』とか『授業の邪魔になるようなことはしないで』とか」
ブリジットは彼女たちの話を聞きながら「でも私……私は……」と再び涙を流し始めた。
――私は、みんなをあざむいた。
こんなに素敵な友達がたくさんいるのに、『男子からモテたい』なんてくだらない欲求に身を任せて、無駄な混乱を招いた。
私がバカなせいで。私がどうしようもないバカなせいで……!
ブリジットはもう一度、みんなに謝ろうと思って顔を上げた。
しかし、女子生徒たちはみんな揃って左右に首を振った。
それを見て、ブリジットは伝える言葉を変えた。
「みんな……ありがとう」
女子生徒たちはブリジットを抱きしめた。
「大丈夫! 寮に帰ったら私たちが守るからね。安心して!」
**********
それからブリジットは寮の中で過ごすことになった。
教師たちにはモテモテコロンのことは伝えず、『町で怪しい占い師に呪いをかけられた』ことが異変の原因だったと友人たちがごまかしてくれた。
校舎には行けないので授業は受けられないが、寮の部屋で課題をこなし、必要な場合は女性教師が放課後に教えに来てくれた。
ブリジットに害をなそうと男子生徒たちが寮に押し寄せようとしたこともあったが、女子生徒たちが団結して撃退した。
アベル・ラングレーやクリストフ・ルイ・ロメーヌなど戦闘能力の高い男子生徒もいたが、女子生徒の中には聖女候補もいて、寮の防衛が突破されることはなかった。
月日が過ぎるほどに、女子寮を取り囲む男子生徒の数も減っていった。
ただ、そんな中でも、1人だけ。
「ねえブリジットちゃん、ノエル君、また来てるよ」
ブリジットと交際していたノエル・アシャールだけは、欠かさず毎日女子寮の前にやってきていた。
「きっと、モテモテコロンの効力を強く受けていたせいね……。私の一番近くにいて、コロンの香りをずっと嗅いでいたのはノエルだもの……」
ブリジットは、モテモテコロンの効力が切れてからノエルとは一度も会っていない。
ノエルが他の男たちのようにブリジットに罵声を浴びせる様子を想像しただけで体の震えが止まらなかった。
「でも、ブリジットちゃん。ノエル君は、なんかそんな感じじゃないのよね」
セリアはブリジットにそう言った。
「他の男子たちみたいに『ブリジットを出せ!』とか『ぶち殺すぞ!』とかじゃなくて、ただ寂しそうに寮の前に立っているだけなのよ。私たちが声をかけても、泣き出しそうな顔で『ブリジットは元気か……?』って言うだけだし」
ブリジットは「え……どうして……?」とつぶやいた。
セリアは小さくうなずいてブリジットに真剣な眼差しを向ける。
「一度、ノエル君に会ってみない?」
**********
「へェ~~、それで、今日はどういったご要件で当店にお越しにィ~~~~?」
三日月堂の店主、クロエ・アナは不機嫌そうに頬杖をついている。
その向かいに座るのはブリジットとノエルの2人。
長机の下で、手をぎゅっと握りしめている。
「いえ……どうしてノエルには、モテモテコロンが効かなかったのかなって……」
「それってクレームですかぁ~~? 当店の魔道具に対するゥ~~……」
「い、いえ! そうじゃないんです! ただ本当に、どうしてか気になって」
クロエ・アナは背後の棚から新しいモテモテコロンを取り出す。
裏面のラベルを見せて、小瓶を机の上に置く。
「最初に、注意書きはよく読んでと言ったでしょう……?」
ブリジットは身を乗り出して、ラベルの注意書きを読み上げる。
「……これを毎日1回使用すると、自分に好意のない異性からも激しい好意を得られるようになります」
「そうです。この魔道具が効力を発揮する対象は、あなたにもともと『好意のない異性』のみ。モテモテコロンを使う前からあなたのことが好きだった人に効果はないんですよ」
「え……だって『も』って書いてあるのに、『のみ』……?」
「そうですよ。もともと好意のない異性にさえ効果を与えれば、それですべての異性があなたに好意を抱くことになるじゃないですか」
「え、ていうことは…………!?」
クロエ・アナは「みなまで言わせますゥ~~~~?」とだるそうに言ってからノエルに視線を向ける。
「はい、ノエルさん。あなたはブリジットさんのことが?」
ノエルの顔が、ゆでダコのように赤くなっていく。
「ほら、早く」
「…………!」
「ちゃっちゃと言いなさいってば」
「……――――ッ!」
「ええと、本音しか言えなくなる魔道具が確かここに……」
「わ、わかったッ! 言う! 言うよッ!」
壁一面の引き出しを開け閉めするクロエ・アナを制止するように、ノエルが立ち上がる。
「俺は、ブリジットのことがずっと好きだったんだよ……! モテモテコロンなんか使う前から、子どもの頃からずっと……! 本当はずっとお前のことが好きで仕方なかった…………!」
「う、ウソでしょ……?」
「ウソなんかじゃねえよ! 俺が告白したのは、お前が急にモテ始めて焦ったからだけど、好きだったのはずっとずっと前からだよ!」
ブリジットは目に涙を浮かべて立ち上がり、ノエルに抱きつく。
「そんなの、もっと早く言いなさいよッ! 私だってアンタのこと、ずっとずっと好きだったんだから!」
クロエはため息をつきながら再び椅子に座る。
――まったく、イチャつくなら外でやってくださいよ。
またこの前のように魔道具の力で大通りに追い出してやろうと、クロエは考えている。
このままブリジットとノエルの唇がくっついたら、魔道具のスイッチを押すつもりだ。
**********
クロエ・アナが、薄暗い店内で佇んでいる。
――今回ご紹介した魔道具は、いかがでしたでしょうか。
可愛さ余って憎さ百倍。
そんなことわざもあるように、誰からも好かれるということは、実は恐ろしいことなのかもしれません。
それでも、人はなるべくみんなから好かれたいと思ってしまうもの。
それが恐怖の始まりだと知っていたとしても、その願望はなかなか捨てられるものではないのかもしれませんね……。
当店では、他にも様々な魔道具をご用意しています。
ですが、あいにく本日はそろそろ閉店のお時間。この他の商品のご紹介は、もし次の機会があればということで。
それでは、またのご来店を心よりお待ちしています……。
読んで頂きありがとうございます。
ジャンルをまたいで、いくつか短編を投稿しています。
タイトルの上にある「魔道具の三日月堂シリーズ」をクリックすれば他の作品を見ることができます。
皆様がどんな作品を好きなのか教えて頂きたいので、もしお気に召しましたら下の★から評価や感想を頂ければ幸いです。