4.知らなかったですとも
見事に後ろにひっくり返ってから数日。
あれこれ大事な部分を思い出した私の目は座っていた。
非常に大事な情報ではあるが、まったく役に立たない。どうしろというのか。
ぶっすうと頬を膨らませて、紅茶を睨みつける。
せっかく少しでも和むようにと今年二十歳になるメイドのペイズリーが入れてくれたのにまったく気分は晴れない。
「エリザベスお嬢様、大丈夫ですか?」
ペイズリーがおずおずと様子うかがいするが、私は目が座ったままにこっと笑った。
「ええ。大丈夫です」
「その顔、大丈夫には見えませんが」
「私が大丈夫だと言えば、大丈夫なんです」
転生を繰り返してそこそこ精神年齢は重ねているはずなのに、どうしても感情に左右されて表情に出てしまう。
こっちの意図に反してぷくぅっと頬を膨らませてしまうので、私は不貞腐れるように唇を尖らせた。
「そうですか。その、大変申し上げにくいのですが、ルイ様がお見舞いに来られております」
「ぬわんですってぇぇ」
私の態度に微苦笑を浮かべたペイズリーが静かにそう告げた途端、私はかっと目を見開いた。今なら目から何か発光物を出せるのではないかというほど目力が出ていると思う。
俊敏に立ち上がり、感情的になりすぎてわなわなと手が震えたけれど、ペイズリーの苦笑とわずかに呆れた視線にはっとしてしずしずと座り直す。
「お会いになりますか?」
「ええ。もちろん。せっかく来ていただいたんだもの」
そう聞かれた私は清く正しき淑女のようにほわっと笑みを浮かべながら礼儀正しくあろうとしたが、心の中では、「来たかこんにゃろー。やってやろうじゃないか」と闘志メラメラだ。
少し冷めた紅茶をぐいっと一息に飲み、敵が現れるのを待つ。
──何、詰んでくれてるのよ。おかげでもう一度人生設計練り直しじゃない!
ごごごごぉと黒い炎を背負い、相手が来るのを待つ。
いつ来るか来るかと待っていた相手に、言いたいことは山ほどあった。
それほど待つことなくして現れた相手は私と視線が合うと、つかつかつかと急ぐように歩いてきたかと思えば、あと一歩近づけば目と鼻の先くらい近くまでやってくるとぴたりと止まった。
そのまま、「ああ、エリー」と愛おしげに名前を呼び、いつものように優雅に伸ばされた手が姉の愛の監視により手入れされた私の白い手を取った。
その際、緑青色の明るく鈍い緑の髪がふわっと風に乗るように舞い、優しい匂いが周囲に立ち込める。
「もう大丈夫なの?」
柔らかな色合いのエメラルドの瞳が心配そうに見下ろし、私の顔色、身体をチェックすべく視線を走らせた。
「……これが大丈夫に見えますか?」
「……見えないね」
ぐぐぐっと眉根を寄せて視線を合わせない私に、しょんぼりと返ってくる声音。
ううぅ、負けたら駄目よエリザベス。私は怒っているのよと言い聞かせないと、つい態度を軟化しそうになる。
年々男らしく精悍さが増してきたが、まだ可愛らしい雰囲気が勝る優しい顔立ちが目の前にあった。
「ですよね。さて、このたびの申し開きはありますか?」
じとっと握られた手を一点集中とばかりに見つめながらそう告げると、友人だと思っていたルイ・ランカスター王子は、はてと首を捻った。
その姿も優美でついつい見惚れるほどであるが、今日は絆されるわけにはいかない。
私の怒りもわかっていないとは、罪深い。
ごごごごぉと更に燃え出した私の背後の炎の幻想に、ルイは困ったと整った眉を寄せて私の横に腰を下ろした。
今まで培ってきた距離感のまま当然とばかりに座られた私は、一瞬怒りの炎を引っ込めてぱかりと口を開けたまま止まる。
「申し開きと言われても。そもそもなぜ逃げ回るようなことになったのかな? まさかあそこまで鬼ごっこが成立するものかとびっくりしたけど」
「それは……」
逃げ回ったことに関して問われると、反射的にそうしてしまっただけで、後はもう意地だったので返す言葉がない。
「エリーがあんなに走るのが速いのを僕は知らなかったよ。スカートで走りにくいはずなのに、最後のほうは綺麗な足をみんなに見せて走り回って、ちょっと気分が悪くなったなぁ。何でそんなことしたのかな?」
こちらが質問していたはずなのに、質問返しされてしまった。「そもそも、なぜあの場にサミュエルが?」と、まだ質問は続く。
穏やかな森のような優しい色合いの双眸だったはずなのに、質問を重ねるごとにその奥に揺らめく熱が見え、私はこくりと息を呑んだ。
「何でって。それはルイ様のせいです」
「僕?」
なぜか気迫負けしそうになったが負けていられないと口を開くと、ふわりさらりと髪を動かしながら、ルイはまた首を傾げた。
──元凶なのに知らないとは言わせないから!
ふわふわと優しげな雰囲気を出してももう騙されてやらないからと、私はぐつぐつと煮える気持ちにぎゅっと拳を握った。
「なぜ、僕のせいなの?」
ふるふると肩を震わせるだけの私に、わからないのだけどと落ち着かせるような優しい声音が落ちてくる。
私は絆されないぞと、ぎっ、と憤りを込めてルイを見た。
「何でもルイ様を誑かす者がこの屋敷にいるとか」
「誑かす、ねぇ。それでエリーはそう言われて何て言ったの?」
「もちろん、知らないと答えました。ルイ様が姉の美しさの虜になっていたとはちっとも気づきませんでしたが、姉の意思も確認せず身内を売るようなことはいたしません」
姉がモテるのは今に始まったことではないし、姉にその気はなくても相手が勝手に寄ってくるのだ。
誑かすなんて身内を悪女のように扱われたことにも、私は怒っていた。
「ちょっと何でそうなるの? 確かにマリア嬢は綺麗だけど、僕はここにはエリーに会いに来ていて、エリーとともに一緒に過ごしてきたはずだけど」
「それは私もあの瞬間まではそうだと思っておりました。だから、気づかなかったと自分の甘さを反省し、本来の目的を隠しておられたのだとその時に悟りました。昔から姉の美貌に目の眩んだ者が、相手にされず私を巻き込もうとするのはよくありましたので」
ぷっすん、ぷっすんと怒りながらも長年の友人に裏切られた寂しさもあって、最後は力なく告げた。
すると私の勢いに合わせるように、ルイの表情は暗くなっていく。
「ああ、そこまで重症だとは思わなかった」
ルイは頭が痛いとばかりに、眉をひそめる。
重症とは意味がわからなしなんだかバカにされているようでむっと口を引き結ぶと、ルイはふっと物憂げな溜め息をついて、あからさまに悲しげな表情を作った。
そっと握っていた手に、もう一方の手を重ね正面から私を見つめる。
「エリー、そう言われて僕が傷つかないと思う?」
「えっ?」
思わぬことを言われ、私は瞬きを繰り返しルイを見た。
「えっ、じゃないよ。僕は純粋にエリーに会いたくてここに通ってきているのに。それを疑われてとてもショックだよ」
「だって、王子であることを隠していた人をどう信じたらいいのか。その上、こちら側が悪いみたいに誑かしていると言われては、信じたくなかったですが裏があるのではと思ってしまいます」
「確かにエリーの話を聞いて、そう思い込む理由もわかるけれどね。でも、違うものは違う。それに、僕は王族であることを積極的に伝えはしなかったけど隠しもしてないよ」
ルイにはっきりと告げられ、私は強張っていた肩の力が抜けた。怒りがわずかに薄れる。
今までの努力が詰まれてしまったこととは別に、ルイに嘘をつかれていたこともものすごくショックだったので、友人として過ごした時間に嘘はないと言われ心底安堵した。
何度も転生を繰り返しておきながら、ルイは今生で初めましての初めての友人であった。
ちょっとばかり行動的な私にお茶会などの会話は窮屈で年頃の仲の良い令嬢はおらず、同じ年で遊べるルイはとても新鮮で貴重だった。
戸惑いながらもわずかな期待を込めて、ルイを見つめる。
「そうなんですか?」
「そうだよ。大体この屋敷の人は知ってると思うけど」
ようやくいつもの私が戻ってきたと感じたのかルイはほっと息をつき、大きく肯定した。
その言葉に私はショックを隠せず、ぐわんと顔を上げると部屋の端で控えるメイドを見た。
「ペイズリーも?」
「はい。知っておりました」
「……嘘でしょう」
もっとも信頼しているメイドに当たり前のように頷かれ、私は頭が真っ白になった。
──えっ、知らなかったのは私だけ?
あまりのことにショックを隠せない。
嘘をつかれたと思ってショックを受け、そのせいで詰んだと思って怒っていたが、こちらの認識のせいだと言われれば頭も真っ白だ。
魂魄が抜けたように呆然と座る私の頬を、ルイはぺちぺちと優しく叩く。
「エリー、こっちに戻っておいで」
「あっ、はい」
ショックが抜けきれないまま瞬きを繰り返し、美しい顔立ちの友人を見た。
「うーん。その話し方もダメ。僕らの仲でしょう? 騙していないとわかったのなら、今までのように話してくれなくっちゃ」
「でも……、ルイは第三王子なんでしょう? 私、知らなくてあれこれ……。不敬罪になったり? だから赤髪の、第二王子であるサミュエル殿下が怒りにきたとか?」
あれこれを思い出した私がさらに顔を血の気を引かせると、ルイは溜め息をつく。
「ならないし。サミュエルのことは少し置いておいて。とにかく、僕は僕として接してくれたエリーのことをとても大事に思ってる。それは信じて」
見捨てるなとまるで子犬のような瞳で懇願され、私は初めて出会った時のことを思い出す。
王子だと知らされないままでいたことに関しては拗ねていただけなので、本人に否定されると疑う気持ちはすっかり消え失せる。私は、掴まれた手を握り返した。
「うん…」
ルイの眼差しが愛おしげに細められ、私を見つめる。
──この瞳に弱いのよね。
透き通るような緑。それはとてもとても美しくて尊い。
歪みもなくそのままの私を映し出す大地のような壮大さを思わせるそれは、ルイの寛容な性格をも表しているようで、そんな彼を疑ったことを申し訳なく思う。
自分たちの出会いはちょっぴり普通ではなかったけれど、それさえも飽きずに笑って側にいてくれるようなルイ。
いつも穏やかで優しい眼差しを私に向けてくれている。それは今も変わらない。
そんな友人の双眸を前に、私は気持ちを切り替えた。
「……信じる」
「良かった。王族だからと勝手に距離を取られたらすごく寂しいよ」
傷ついたと告げる口調は軽かったが、その瞳は本当に寂しげで私の良心がチクチク痛む。
「ごめん、ね」
「わかってくれたらいいよ。僕は何があってもエリーの味方ということを忘れないで」
ルイに苦笑しながら再確認するように言われ、その真摯な眼差しに無言で頷いた。
「それで、サミュエルのことだけど」
「ちょっと待って。その前に聞いておきたいことがあるの」
次の話題に移りそうな気配に、私ははいはいと手を挙げた。
すっきりさせるところはしておかないと、後々気になってしまう性分なので確認せずにはいられない。
そんな私の勢いに、ルイはふわりと楽しそうに笑った。ただ、愛おしく細められた双眸はまだ鈍く光っている。
王子という身分を知り改めて見ると、確かに品がある。そして、一筋縄ではいかない笑顔と空気。そこらのボンボンとは違うわけだと納得だ。
「何?」
「名前。名前。積極的に話さなかったと言っても、ルイは初めて会った時に、ルイ・ボナパルトと名乗っていたと思うのだけど。それは虚偽ではないの?」
「虚偽って。大げさな。僕も立場はあるから大事にしたくなくて、公的以外の外出の際は母方の姓を名乗ることが多い。そもそも、もう少し興味持ってくれたらルイという名前ですぐ結びつくはずなのに、そのまま鵜呑みにしちゃって気にもしないんだから」
「でも……」
呆れたように言われ、でもでもっと私だけに非があるわけではないと言い募りたくなった。そうしないと、今までの努力の虚しさったらない。
ひっそりひっそりと言い聞かせてきた毎日の中に、すでにキラキラ危険分子が混じっていたなんて悲しすぎて認めたくない。
「でも?」
「だって、まさか父の紹介から偽名を名乗られるなんて思いもしなかったし。その時そばにいた者たちも特に何も変なところはなかったわ。あら、第三王子と同じ名前なんだって思ったくらいだし」
「それだけ?」
「それ以上の何が?」
同じ名前なんてたくさんいるし、まったく接点もない王子が公爵邸にひょっこり遊びに来るなんて考えもしない。
「本当、エリーは王家に興味がないんだね。仮にも公爵令嬢とあろう人が」
「そんなの人それぞれだもの」
「まあ、そういうところもエリーの良いところであるけどね」
それって、気にかけなかった私が悪いと言っているのと同じでは?
友人であり、改めて知った第三王子という身分のルイ・ボナパルト改め、ルイ・ランカスターはふわりと柔らかい雰囲気をまといながら、たまにぐさっと芯をつく発言で容赦なく攻めてくる。
──はいはい、知らなかったですとも。回避、回避ばかり思って、気にもかけなかった私が悪いんですよね。
私は、心底自分の甘さを呪ったのだった。