プロローグ 夢ならいいのに
【第一部 彼女のひっそり行動は乙女たちによってこっそりフラグを立てられる】
雲ひとつない晴れやかな空。爽やかな風が吹き、気持ちのよい日差しが地上に届く。
十三歳になって最近身長が伸びてきたと喜んでいたばかりの出来事に衝撃を受け、私、エリザベス・テレゼアは息を切らせて駆けていた。
「はあ、はあ。もう、急にやって来てなんなのよ」
ぶつぶつと文句を言いながら、走るのに邪魔だととっくに靴は放り出していたので素足でよいせっと目の前の木に登る。
その際にピンクゴールドの髪がなびき視界の邪魔をするが、気にしている場合ではない。
「もう、これ以上走りたくないんだけど」
そこで大きな枝に身を隠すように立つと大きく息を吐き出し、周囲の様子をうかがった。
ここは、ランカスター国家設立時に貢献した四大貴族のひとつテレゼア公爵家の庭園だ。
ランカスター王国は周辺諸国に比べると領土は大きくないが、一定基準を超えた魔力保有者が多く安全安定の国として繁栄し、その国の中東部にランカスター公爵家は土地を保有している。
そこの現当主の次女である私は、木々や花々に囲まれながら現在追いかけっこ中であった。
「見つけた!」
「――ふぇっ? もう見つかったのぉー」
聞こえてきた声に顔をしかめ一直線にこちらにかけてくる青年を確認し、私は慌てて木から飛び降りた。
ふわりとスカートが大きくはためき、地面に足をつけさっとスカートを手で押さえると同時に走り出す。
「待て!」
「嫌です!」
反射的に答えながら、なぜこうなったのかと眉尻を下げながら足は絶対止めてなるものかと動かし続けた。
私は世間では公爵家の半ば引きこもり令嬢と言われおり、大人しく目立たず二歳上の姉と比べてぱっとしないと噂をされている。
――そんな大人しいと言われている淑女を追いかけ回すってどうなの!?
納得がいかないと思いながらも、私には迫り来る追っ手から逃げるしかできない。
先ほどのように木に登っては見つかり、池に飛び込もうとしては見つかり、庭にひっそり隠れて地味化しようとしては見つかり、そのたびに逃げてと繰り返しもうへとへとだ。
そして現在。今度こそとまた木に登って隠れていたら見つかってしまったので、再び駆け出したところだった。
どうやら私を追いかけてくる青年は諦めるつもりはないようだ。
――もう、ほんとなんなの!
本気を出すべくスカートをぐいっと捲し上げ、むむぅと眉間を寄せた。
ドレスを汚して後で叱られるのは気になったが、もう今更なのでせっせと足を動かしながら、数十分前のことを後悔する。
晴天にうきうきと心沸き立つ気持ちとともに、きっといい日になるだろうと呑気に散歩などしなければよかった。
後悔先に立たず。悔しがっても、今は逃げるのみ。それが生きる道。
そう、やっぱり私は逃げるしかないのよ!
「エリザベス様!? またですか」
「まあ、お嬢様」
「今度は一体何をなさっているのかしら」
名門公爵家の次女のあるまじき私の姿を見た公爵家の騎士や使用人たちが驚いた顔をしたが、すぐに仕方がないとばかりに笑うと生温く小さな子でも見るような視線に変わる。
その反応はいつものこと。屋敷内、そして怪我をしなければ多少は目をつぶるのは日常となっているので、私のお嬢様らしからぬ言動も慣れたものだ。
私としては行動の制限をされないことはとてもありがたいけれど、ちょっぴりお子様扱いには不服である。
彼らの反応に眉をしかめながら、やはりそれどころではないので必至で走る。
だが、今日は見守るだけにはいかないことに彼らは気がついたのか、続いて後ろから来る私と同じ年頃の赤髪の青年を目にし、動揺とともにざわめきだした。
互いに隣にいる者の服をくいくいっと引っ張り合い、これは大変なことなのではと言い合っているけれど、そんなことよりも助けてほしい。
「あの後ろから来られる方って……」
「まさか、なぜ殿下が?」
「お嬢様、お止まりください。どうなっているのかご説明を!」
徐々に戸惑いの声が大きくなり、ざわざわと慌てだす使用人たちを背に、私は息を切らせながら叫んだ。
「なら、まずその方をどうにかして」
「あっ、ちょっとお嬢様!?」
追っ手をなんとかしてちょうだいと告げ、そのまま屋敷内へと向かう。
周囲が驚くのはわかるけれど、相手が止まってくれないとこちらも止まれない。
走る合間に後ろをそれとなく確認すると目立つ赤髪がすぐそこにあり、あまりのしつこさに今度は私のほうから声をかけた。
「なんで追いかけてくるんですか?」
「逃げるからだな」
「追いかけてくるから逃げるんです」
追いかけられたら、逃げたくなるのは本能だ。
しっとりと汗ばみ額にくっつく前髪を払いながら言い返してみる。
そして残念なことに、このまま進むと少し先は行き止まりで退路がない。私は走るスピードを落とすしかなかった。
目撃されることが増え、これだけ騒動にもなっている。相手も半時間ほどにわたって諦めずに私を追いかけてきたので、逃げたところで避けられないのも本当はわかっていた。
――それでも、ほんの少しの可能性にかけたいって思うじゃない。
私にとっては、今までの人生設計が崩れるほどの事件なのだ。逃げ切れるかどうかでかなり今後が変わってくる。
無情にも、ぱしりと肩に両手をかけられ振り向かされる。荒い息を整えるようにふぅっと大きく息を吐き出し、目の前の人物を見上げた。
髪色同様、赤みがかった意思の強い瞳に見据えられる。彼の瞳の中に映る私の菫色の瞳が大きく目を見開いて、こっちを見つめ返している。
「さあ、観念しろっ!」
切れ長の目の上品な顔立ちに見下ろされ、私は口を尖らせそうになってきゅっと引き結んだ。
――嫌です。何、その悪代官みたいなセリフ。
さすがに声に出して文句を告げる度胸はない。
相手もこれほど本格的な追いかけっこになるとは思っていなかったのか、大きく息を吐き出し言葉遣いもぞんざいになっている。
「お許しください」
「何をだ?」
悪足掻きだとわかっているけれど、ここまで頑張ってきたことがこの一瞬で泡のように消えゆくことに、私はどうしてもそう言わずにはいられない。
悔しくてもう泣きそうだ。
こみ上げるのもを抑えきれず眦に涙をため相手を見るが、無理だとふるふると首を振られた。
無慈悲だ。過剰なものを望まず平凡に生きたいだけなのに。
「どうか」
見逃してほしい。忘れてほしい。私は切に願った。
ほら、この顔を見て? 美しいと評判の姉様と比べたら普通すぎるでしょ。彼女と比べたら地味すぎでしょう。
だから、捨て置いてください!
「ダメだ」
捕まってしまったのなら仕方がないと切々と気持ちを込めて見つめるも間髪言わず否定され、さあっと血の気が引いた。
相手は諦めるつもりはないようだ。
――本当にもうダメなの?
私は悔しくて、暗い緑色のドレスをぎゅっと掴んだ。
この日まで地味に目立たず生きてきた。回避、回避の人生で絶対長生きしてやると決めていた。
なのに、目の前の権力者はもう決めたという顔をしている。
──いやぁぁぁ、誰か夢だと言ってぇ~!
ひっそり生きたいと望んでいただけなのにと、私はあまりのことにバタンッと後ろに倒れた。
「エリーっ!?」
「エリザベス様!?」
ざわざわと周囲が騒がしくなる。ここにいるはずのない、大事な友人の声もしたような気もしなくもない。
――ああ、詰んだ……。
その言葉を最後に、私は意識を手放した。