第八話『弱り目に祟り目の蹈鞴星』
「なら決まりだ。レティさん、藁をもらえるかな?」
「はい、どうぞ。……それにしても、藁で一体何を……」
「まじないの対抗手段としてちょっとね。センリュシアさん、ボクたちはこれで失礼するね。お大事に」
「ええ、ありがとうございます。……どうか、ご武運を」
怪我人のいる部屋で騒ぐのは彼女の身体に障ると判断したルミナは、話に飽き出して窓から空を見ていたルガとタタラを回収し、レティと共に退室する。
一階の踊り場へ引き返すと、ルミナは外へ足を向けた。
「ちょっと一人になってくるよ。あ、タタラ、キミの髪を一本寄越してくれ」
「ハァ? 断る」
「ではローブの内側に常にしまってある、人骨すら容易く断ち切るナイフでキミの頭を狙って――」
「怖ェな! ほらよ!」
ルミナはタタラを脅迫すると、それに屈した彼は自分の赤髪を一本つまんで引き抜いてルミナに差し出した。
外に出ようとするその背は誰も追わなかったが、彼女の行動の真意を誰もつかめない事実だけ残った。
レティはたった今去った存在の方向を見つめ、ぽつりと漏らす。
「……不思議な方ですね、ルミナさん。読めないですが、頼りがいがあります」
「ありゃ胡散臭せェだけだぜ」
「ルミナ、やさしくてつよい」
「アレが強いのはともかく優しいは無ェだろ」
ルガとタタラの意見は対立する。相反するイメージは同一人物であると、傍から見て誰が思うだろうか。
再び二人の間に火花が散った。
「そ、それにしても、お二人は何故ルミナさんにご同行を?」
「ルガ、ルミナについてきた」
「オレは無理矢理連れてかれた」
「タタラ、じぎょーじとく!」
「自業自得、な。つかそうでもねェから」
「え、えぇ……」
別に明確な理由も無くルミナの旅の道連れとなっている二人にレティは困惑を漏らした。
「ま、ルミナよりは弱いが、アイツよりは戦えるぜ、オレたち。だからアイツの護衛役にもなってンだよ、不本意ながら」
「……? 強さと戦いやすさに関係が?」
「ルミナ、いちばんつよい。でもよわい」
「ど、どういうことです?」
レティはちぐはぐな情報に困惑する。
ルミナの魔法の破壊力は折り紙つきで、ひとたびその秘めたる力を解放すれば、天地を揺るがし、海を割ることなど造作も無い。
が、残念ながらその魔法は味方や自分自身すら脅かすのだ。
不安を煽るようにそれを説明したタタラは、レティの顔を青褪めさせた。
世界最強の魔女、その弟子。
レティは肩書きからその強さを推測し、そして親子共々勘違いしてしまったのだ。
もしや師匠と同じくして魔法の極みに近づき、自由自在に魔法を操れるのではないか――と。
それは残念ながらほぼ誤認であったが、ルガは言葉足らずながらルミナを庇うように首を横に振る。
「ヘーキ。ルミナ、サポート。ルガたち、ルミナのかわり、たたかう!」
「そ、それはそれで大丈夫なのですか? こんな子どもまで戦闘に繰り出すなんて」
「コイツは絶好調になるとオレたちの中で一番タフで力強いからな。条件によっちゃ、コイツが最強にもなり得る」
「ふふん。ルガ、つよい!」
「でも暗い閉所じゃオレが最強だぜ。だから誰が一番強いとかはアテにならねェよ」
「そ、そうなのですね……なんだか不思議なご一行ですね」
要は適材適所である。
それぞれ得意分野があり、彼らがそれに直面した場合、各々本領を発揮する。
逆に苦手分野に当たると全力を出せないので、その場合はいつでもどこでも器用に戦えるタタラが自動的に一番力になるのだ。
「安心しろ、オレだって腕には自信がある。アンタを命を賭してでも守ってやるよ」
「……た、頼りになりますっ」
タタラはキメ顔を送る。生来整った彼の相貌も相まり、その言葉にはそこはかとない説得力を生んでしまった。
レティはたちまち顔を赤くし、タタラの言葉から生まれる説得力に頷いた。
「タタラ、おまえ、だれ?」
「うるせェ、オレはオレだ。あーほら、ルミナが戻ってくるぞ」
「そらすな」
ルガの鳥肌は立っていた。
その理由を説明するには言語化できるほどの能力が欠如していたために、その意図がレティに伝わることは無かった。
だがルガの顔は引きつっていた。
彼は身震いすらして恐ろしげにタタラを見るが、再び戻ってきたルミナを見るなり彼女の元に駆け寄る。
「ルミナー! タタラ、ヘン!」
「タタラが変なヤツなのは今に始まったことじゃないだろう」
「テメェにだけは言われたかねェよ。……何だ、その人形?」
ルミナの手には、先ほど入手した藁でできた束が収まっていた。人に見えなくもないその見た目は素朴で、とても呪いに対抗できるような代物であるとは誰も思わない。
「《丑の刻参り》と呼ぶまじないだ。用途は見せた方が手っ取り早いね。例えばここをぐりぐりと押すと……」
「――い、いでででッ!! いってェ!!」
「呪いに使った髪の持ち主に災いをもたらすんだ」
ルミナは実践として人形の腹を押す。すると呼応してタタラは腹を押さえて絶叫をあげた。
痛みを訴える彼には堪えがたい災いが降りかかっているようで、ついにはうずくまって膝を突いてしまった。
「て、テメ……ッ、さっきオレの髪を使ったのってそういうことかよッ!!」
藁人形にはタタラの特徴とも言える赤い髪が刺さっていた。
ルミナが藁人形の腹から指を離すと、タタラは痛みから解放されて肩で息をする。
「ちなみにまじないはこめた魔力によってその強さが決まる。このボクのまじないなのだから、ボク以外ではそうそう解けないさ」
「ふっざけんなよテメェ、一度に飽き足らず二度までも!?」
「うん?」
「やめろ、人形を押そうとするな!」
タタラが不服を叫ぶと、ルミナは親指の腹を藁人形の中部に乗せた。彼女は満面の笑みでタタラを見下ろしており、圧が垣間見えた。
「だ、大丈夫なのですか? タタラさん、とても痛がってましたが……」
「まあそうそうくたばらないよ。彼の生命力はボクも信頼してる。それに魔物と戦った後はちゃんとまじないも解いて、この藁人形は破棄するさ」
「えー、とくの?」
「残念がるんじゃねェ、いつまでもかけられっぱなしでたまるか!」
ルガの不満げな幼い声にタタラは噛みつく。
「しかし、何故それがまじないの対策に……」
「まあ、馴染みないよね。まじない自体は元々東洋のもの――東洋版の魔法みたいなものだから。さて、まじないについても説明がてら作戦会議を開こうじゃないか」
ルミナは一時的に教鞭をとる。
同時に打倒マルフィックのための作戦会議が今、開かれるのであった。
――ぐぅ。
「……ルガ、おなかすいた」
打倒マルフィックのための作戦会議が、タタラがルガに干し肉をあげたのちに開かれるのであった!
☆
木々が生い茂る山の空気は澄んでおり、遠くの景色をも映す。段々畑を抜けて山の中腹を目指す一行の目的地は明らかである。
彼らはしばらく坂道を上っていた。
一同はターゲットを探して辺りを見渡す。見晴らしの良い坂を上り切ればそこは崖であり、落下防止の柵はあれどその先に道は無い。
しかし絶景かな。登山者の感銘を打つほどに広大な景色が三人を出迎える。
「むら、みえる!」
「おーおー、村があんな小さく……人がゴミのようだ」
「タタラさん!? なんてことをおっしゃるのですか!」
「ジョーダンジョーダン」
タタラの軽口を真に受けてショックを受けるレティがなだめられた後、全員は崖から村を見下ろす。
緑の原っぱに浮かぶレンガ屋根の集団は遠巻きに存在感を放つ。
更に遠くを見やればタタラたちが飛び越えた川は青々とその水面を映す。汚れを知らぬその川は海へと繋がっており、目を細めて景色の果てまで見渡すと水平線を綺麗に引く海が陽光を反射してキラキラと輝いていた。
神の使いが手塩にかけて作成したがごとき島の大自然と、人工物であるレンガの家やレティの住む西洋館。両者は対照的な成り立ちであるが、その実は調和が取れたことによる塩梅に、幼心ながら風情を感じたルガは目を輝かせる。
「きれー!」
「ここからでも十分綺麗ですが、この山の山頂は島の中でも有数の景色を誇るのですよ。ここから西にある森の泉と匹敵するほどの絶景なんです」
「まあ別に空に跳べば、山に登ろうが景色なんざどこも変わらい゛ッでぇぇえっ!」
「た、タタラさん?」
「どーせよけーなこと、言ったから」
野暮な言動で感動をぶち壊そうとしたタタラは突如何者かに後頭部を叩かれたように勢いよく転ける。
彼は片方の呆れた眼差しを無視し、もう片方の心配そうな視線と向き合った。
妙なドヤ顔で。
「けどよ――山の景色なんかより、アンタの方がきれェッでででてぇッ、いてぇッ!! 今のは何でだよッ!?」
「しもごころ?」
「それを言うなら下心な。つーかちげェから」
タタラは再び不可視の制裁を受け、疑問を虚空へ呼びかけた。もちろんそこに誰かいるわけでもなく、しかし文句の矛先へ不満を抱いてはせっかく整った顔を歪めた。
「こんなにも自然豊かで景色も綺麗な山なのですが……」
レティは崖の後ろへ視線をやる。
そこには自然を荒らし、草花を黒ずませ、人間の生活を脅かす存在が我が物顔で佇んでいた。
不遜なその輩は人間の不倶戴天の敵として、山を液状の体躯で汚す。
「最近はスライムが頻繁に現れるようになり、村の者たちも魔物の対処法を知ってる方でないと入れなくなりました」
彼女の物憂げな視線の先には、タタラとルガも午前に見かけたものと同様のスライムが木の影に隠れて黒く光った。
だがレティは動じない。あくまで冷静なその態度は彼女がスライムの対処法を知る実力者であると示唆していた。
彼女はスライムのいる方へ右手をかざす。その魔物を見る眼差しは、存在自体に怒ると共に憐れむ色が混ざっていた。
「《モノ・ザバンタ》」
言霊が澄んだ空気に溶ける。
次の瞬間、スライムの頭上には浴槽一杯分の水が塊として現れ、落下と共にスライムを包んだ。水中で手もなくもがける道理もなく、スライムは大人しく収まる。約十秒ほどするとスライムと水の境界線が曖昧になり、最終的には溶けて混ざる。
水はスライムの肌の色を薄めたような汚い色に染まり、レティはかざした手を下ろすと水も重力に従って落下した。
「……マルフィックが住処としている場所まではもう少しです。気をつけて進みま――」
気を引き締めた彼女が、用心を呼び掛けた時だった。
「ソノ必要はナイ」
低く重厚な声が割り込み、崖には突風が舞った。
「ッ!? 危ねェ!!」
「きゃあっ!?」
普通あり得ないであろう風力と風向きで吹かれたその風の行き先は崖の向こう。
レティたちはバランスを崩し、崖へ吹っ飛ばされた。彼らの身体を受け止めるハズだった柵は風に壊され、容易く空に舞った。よろめいた彼らの足は地面から離れる。
宙に投げ出され、重力に抗えるわけも無い。地面までは数十メートルはあり、落ちれば怪我は避けられない。
落下の絶体絶命に、タタラが機敏に動いた。
右手で風に煽られて短パンの左右で逆立つルガのベルトを掴み、左手ではためくレティの服の袖を引き寄せた。
彼はどさくさに紛れて彼女に尻に手を回そうとしたが、見えない強制力によって腰に回す羽目になる。
「……チッ、非常事態でも許しちゃくれねェか。いいじゃねェか、ちょっとくらい」
彼は舌打ちをこぼしながらも魔力を練る。二人を回収する頃には地上は間近。
鋭い双眸は目測で高度に気を使い、大きく息を吸う。
「《雨下リノ糸》!」
タタラの足元にはどこからともなく水が生まれる。不純物が一切含まれていない生まれたての水はタタラの靴に触れるが濡らさず、弾力を持って足場となる。
水は精一杯落下に拮抗し、結果的に減速したことでタタラたちは地面との衝突を免れた。
「み、水の上に……乗ってる!?」
「すごい!!」
「おうおう刮目しろよ、タタラ様のスタイリッシュ着地方法。……と言いたいが、いつまでもそうするワケにゃいかねェな」
レティもタタラに支えられながら水の上に立つ。スライムを足蹴にしたような感触はバランス感覚を問われたが、レティには関係の無い話であった。
三人は水の足場から飛び降りて安全に着地する。足場に使われた水は役目を果たすと、そのまま地面へ落とされて自然に還った。
「うしろから、ひきょう!」
「でけェクセに姑息に不意打ちなんてしてくるなんて、性根は小心者かァ?」
「ほざケ」
崖の奥から巨体が正体を表す。その者が歩みを進めるたびに地は響き、木で羽休みしていた鳥たちは驚いて一斉に羽ばたいてしまう。
「魔法の糸デ水を包み、クッションにするコトで衝撃を和らげたカ……しかし、今ので死ねたナラ楽だったものヲ」
「生憎とオレとルガはその崖から落ちたって死なねェぜ。テメェがマルフィックか?」
「いかニモ。フム……さては旅人ダナ、お主トその子ども」
「いかにもそうだぜ」
「いかいか!」
タタラとルガの煽り口調に厳かに応える者は、人ならざる者であった。
勇ましい虎の顔、ごわごわとした毛に包まれた熊の体、しなやかに鞭打つ蛇の尻尾を持つ、まさしく合成獣の名に違わぬ風貌――聞きしに勝る迫力が、討伐に来た不遜な人間たちを目の前に降臨していた。
人語を理解し、よどみなく会話が出来る魔物。その存在はそう多くいない。そして例外なく彼らは人間の言葉を理解するほどの知能を持つ。
それが意味するのは非常に狡猾であるということだ。スライムやクラーケンなど、人間を見かけたら本能のままに襲う野蛮な雑魚とは一線を画す。
ゆえに一同はマルフィックへ警戒していた。
マルフィックは山へ侵入した人物の顔をそれぞれ見やり、中でもいっとう目を引くほどに美麗な少女に目に留まると反応を見せる。
「……ほう、ワザワザ明けの一族の娘ヲ差し出しに来たのカ。それハ重畳」
「てっぺん、上だぞ? なにいってる、おまえ」
「山のてっぺんの頂上じゃなくて、喜ばしいって意味の重畳だ、ルガ。こんな場面でバカを晒すんじゃねェよ、バーカ」
「うぐっ、ぐぐぅ……っ!」
「け、喧嘩してる場合じゃないでしょう……?」
恥を晒したルガは顔を真っ赤にする。頰を膨らませながら戦闘態勢に入る彼はレティをかばって前に出るが、その背は小さいせいかやや頼りない。
幼子の可愛い間違いを置いて、魔物を討伐しに来た者たちは己の武器を構える。
タタラはサーベルを。
ルガは牙と拳を。
レティは弓と弓矢を。
三人は得物の矛先をマルフィックへと向けた。
「命知らずメ……守護者の家系、明けの一族の当主ヲ倒してもナオ、抗うカ」
「かわいこレティちゃんの笑顔のためならエンヤコラ、ってな」
「んなっ!? い、今はからかわないでください……!」
「うわ」
「ガチで引くんじゃねェよ、ルガ」
開戦の幕開けは、とても緊張感が伴っているとは言えなかった。