六話『実はおねショタだったのさ!』
燃える薪の前に手をかざしながら、三人は水で冷えた身体を温める。その近くにはルミナのローブやタタラのパーカーなど、羽織っていたものが干されていた。
ルミナのローブの下は肘まで袖のある黒のインナーだったが、吸水したせいで肌にひっついてしまっている。それを隠すように、やや生乾きである相棒のローブに袖が通された。
「まだ完全にローブ乾いてないだろ」
「薄着は落ち着かないんだ」
「あっそ。臭いそうだな」
「旅でそこまで清潔感なんか気にしていられないさ。まあそろそろ焚き火の燃料として燃やして、新しいローブでも買うかな……」
つい先ほどまで窮地にいた緊張感はどこへやら。
三人は村の隅っこを借りて、水で冷えた身体を温めながら呑気に過ごしていた。
「あったかい……」
「火に突っ込むんじゃねーぞ」
「さすがにしない!」
ルガも炎の温度の恩寵を賜っては顔がとろけていたが、揶揄気味なタタラの忠告に一気にしかめ面へ変わる。
「にしても、さっきの女はどこだ? 騒ぎに対して野次馬根性で見に来る気配も無ェ。この村の人間ではあるんだろうが……」
「タタラ、はなのした、のびてる」
「ルガ、そんな難しい言葉を覚えたんだね。すごいすごい」
「んへへ」
タタラは下心もあるが、不可解げに村を見渡した。
花も恥じらい人目を惹く彼女の容姿は目立つ。ゆえにタタラが見逃すハズがないのだ。
となれば彼女はこの村にはいない。もしくは――
「彼女なら、この村で一番大きなお屋敷にいたよ」
その答えは、何故か居場所を知るルミナによって与えられた。
「どうやら彼女は村の長の一人娘のようで、そこに住んでるみたいだね」
「相変わらずいつの間にか知ってンのキメェ」
「心外だな」
確信めいた物言いで断言するルミナに気味悪がるのは至極真っ当な反応と言えよう。
ルガはルミナの既知に慣れた様子で濡れた尻尾を乾かしていたが、タタラは苦虫を噛み潰したような顔で右目を閉じたルミナを見る。
「まあどうであれ、騒ぎを聞きつけた彼女は様子を見に来るよ。人の目をかいくぐってね」
「何で人目を気にする必要があンだよ」
「屋敷に例の盗賊たちがいるからだよ」
「とうぞく!?」
その名を聞き、ルガは尻尾を立てて屋敷の方を警戒する。今にも屋敷に向かいそうなルガをルミナが抑え、首を横に振った。
「盗賊自体が村に危害を加える気配は無い。というか昼間からお酒を飲んだりして、屋敷の者たちにいい迷惑をかけているようだね」
「我が物顔で居座ってるのか……何で村人たちは許してンだ?」
「それはこれから訪ねる彼女に聞いてみよう」
ルミナは明後日の方を向いた。
ルガとタタラがそれに釣られて見た先には、彼らが今朝見た特徴的な銀髪を持つ少女が建物の影に隠れて様子を伺っていた。
彼女は視線に気づくなり、気まずげな様子で戸惑っていた。
「どうも、レティシアさん。少しお話を聞かせてもらってもいいかな」
「……っ! な、なぜ、私の名前を……」
「この村を治める一族の総領娘さんだ。噂くらい聞くさ」
「いつ聞いたんだよ」
少なくともタタラとルガの耳に届いたことはなく、タタラは無粋にも言及する。
だが疑問に返答どころか反応は無かった。
「ボクの自己紹介はまだだね。ボクはルミナ。姓は無いよ」
「……レティシア・ヴィラス・アーシェントと申します。長いのでどうぞレティとお呼びください」
恐る恐る歩み寄る少女はその表情に一端の怯えを募らせ、律儀に頭を下げた。
頭を上げた彼女はルガとタタラをそれぞれ一瞥し、「あの」と口を開く。
「もしかして、その……私を追いかけてこの村にいらっしゃったのですか?」
「うん。レティ、こまってるように見えた!」
「でしたら大丈夫ですよ。もう困ったことはありませんから。わざわざ手間取らせてしまったようで、申し訳ありません」
彼女は銀髪を揺らして膝に手を当て、矮躯なルガへ笑いかけた。口調からしても非常に温厚さがうかがえることがルガにとってはひどい違和感を持たせたようで、彼は小首を傾げる。
「……ヘンなの」
「どうかしました?」
「むらのひととレティ。なんか、えっと――きもちわるい!」
「き、気持ち悪いっ!? そんな……」
しかし言語化能力が同年代と比べても著しく低いルガはそれを上手く言い表せない。
ルガの悪意の無い悪口にショックを受けた様子で、レティは一気に表情を変えてしょぼくれる。
「誤解させてすまないね。多分、ルガは別に侮辱してるワケじゃないんだ」
すかさず手慣れた様子でルミナが足りない言葉を補う。
「村人たちは旅人であるボクらに排他的だった。しかし村人たちの代表の娘であるキミは物腰が柔らかい。ルガはその差に違和感を抱いた。そうかい?」
「たぶんあってる!」
「そ、それはまあ、その。なんと言いますか……」
しどろもどろになりながら紫紺の瞳を揺らす彼女は、要領を得ない返事で誤魔化しを企んでいた。
「本来はキミのように温厚な方々なのだろう、彼ら。ずぶ濡れのボクらに場所と薪と火を貸してくれて、善意がにじみ出ている」
「アンタら、嘘ヘッタクソだな。いい加減吐いちまえよ、隠してることをよォ」
「タタラ、おそってるみたい」
悪辣に口角を上げて白状を強要するタタラはさながら悪漢のごとし。頬の切り傷の痕も相まってか、人を怯えさせるのに十分効力を発揮している。
「嘘吐いても無駄だぜ? オレは嘘にゃ鼻が利くんだよ」
「タタラ、性根の悪さが顔に出ているよ」
「テメェに言われたかねェよ」
「……帰ってください」
無駄口を叩くと、窮したレティは拒絶を口にする。
憂うその表情に深刻さをにじませて。
「帰ってください。ここはあなた方が来るところではありません」
下手な誤魔化しや嘘より、追い払う態度を貫くことを決意したようだ。
だからと言ってむざむざと帰るルミナたちではない。むしろ何か事情があると察し、ずけずけと踏み込む。
「でもボクたちって、家無しアテ無しどうしようも無しの三拍子が揃った旅人だから、帰るところなんて無いし」
「そういう話をしてるのではありませんし、それでしたら港町へお戻りください。とにかく、この村にはもう来ないで」
「なんでそんな拒むんだ? 何か隠してンだろ」
「何もありません。あなたたちが目を見張るようなものは何も。強いて言うなら迷惑ですから、出ていってください」
「ルガたち、めいわく……?」
「うっ……そ、そうです」
強い口調で旅人を拒絶するが、尻尾と耳を垂れさせて悲しみを表現するルガを見るなり、一瞬躊躇うレティ。
そこには生来の誠実さが垣間見えた。
どうにか糸口を見つけて隠し事を暴こうとする一行と、頑なに黙秘するレティで対立が繰り広げられる。
が、そこに水を差す輩が現れた。
タタラはハッと顔を上げると、咄嗟に剣を抜いて振り向きざまに振るった。彼は視界の端で輝いた鈍色の光に反応すると、飛んできた得物を弾き落とす。
ガキン! と人の耳に不快感を与える金属音が辺りをつんざく。それはのどかな村には不釣り合いな剣呑さを持ち合わせていた。
一拍遅れて、銀に輝く鋭利な刃物が地面へ落ちる。
「二度目ましてってのに、とんだご挨拶だな」
「チッ……防ぎやがったか」
タタラは突如としてその場に現れた刺客を睨みつけていた。奇襲の一手を防がれた男は苦々しく顔を歪め、歯ぎしりをこぼす。
「なっ――ど、どうして! 屋敷で酔っていたハズ……」
「アンタと同じで、たまたま空から落ちた変なモンを目撃したんだよ。そんで見に行こうとしたら、アンタの気配が無ェ。盗賊ナメんなよ? いい加減に見えて気配には敏感なんだ」
どうやら屋敷でもてなしを受けていた盗賊の一人で、レティを追いかけて来たようだ。
しかし奇襲は失敗。一人では再戦しても勝てないと察しがついているようで、徐々に後退りする。
タタラはサーベルを構え、一戦が始まる予感をにおわせた。
「だ、ダメです! その人を倒しては!」
だが制止の声が切実に響いた。
声の主に視線が集まる。彼女は狼狽えながら首を横に振っていた。
盗賊の男も得意げになって笑う。
「ああ、そうだぜ。俺たちを倒しちゃあ、マルフィック様が黙っちゃいねェもんなァ?」
「誰だそいつ?」
初出の固有名詞に疑問を抱くタタラ。
その問いは、盗賊の男の後ろからわらわらと現れた援軍が答えた。
「今は村の後ろの山を根城としている、俺たちのボスが仕えてるヤツの配下である魔物だ。明けの一族の当主すら手も足も出なかったんだぜ!」
「明けの一族?」
「……私の一族のことです。我が家では代々、家督を継ぐ者は誰よりも力をつける慣わしがあります。それゆえに、当主――私のお母様は村一番の、それどころかこの島でも有数の戦闘力を有しているのですが……」
つまるところ、村で最強の人物すら足元にも及ばなかった恐ろしく強い存在らしい。レティは面持ちを暗くして視線を逸らす。
だがそれを聞いてもなお動揺しないのは、事情をよく知らぬ部外者の特権であった。
「なるほどな。そいつがいるから、テメェらはイキって横暴を働いても見逃されてるワケか」
合点がいったタタラは軽く頷く。
続いてルミナも対峙する盗賊たちから視線を切って、山へ金色の瞳を向けた。
「キミたちのボスが仕えてるヤツの配下、ね……ボス『に』仕えてるヤツの配下じゃなくて」
「……あ? 何が言いたいんだ、テメェ」
「虎の威を借る狐だな、と月並みの感想を抱いたまでさ。借り物で村を占拠したことがそんなに嬉しいんだね」
ルミナは不敵な笑みを浮かべて煽る。
それに不快に思った盗賊たちは一瞬顔をしかめるが、彼らの背後にいる存在を思い出してはそれぞれ大声を上げて笑った。
「ハッハッハ! そんなこと言っていいのか? マルフィック様はな、身体支配のまじないを持っているんだ!」
「これはな、文字通り人の身体を支配して自由自在に操る! テメェらを支配して自害させたって構わねェんだよ!!」
勝気な笑い声に品は無い。盗賊たちは意気揚々と声を高らかに上げ、それぞれ武器を構えた。
「俺たちに何かあればマルフィック様がまじないを振り撒くから、おとなしくしてた方がいいぜ?」
「この人たちに手を出すのはやめてください……!」
「いいんだよ、レティさん。庇ってくれてありがとう」
ルミナたちの前に立ちはだかり、レティは気高く擁護する。自分を追って村に来てしまった旅人に対し、罪悪感から身を案ずる彼女だが、その心配は杞憂である。
その証拠に、ルミナは帽子の下で相も変わらず笑みを浮かべていた。
「しかし残念ながら、魔法とは違ってまじないはそう便利じゃないよ。まじないをかけるにも莫大な魔力が必要だし、一つのまじないの対象は一人の人間が限度だ。もしかして、そんなことも知らずに息巻いていたのかい?」
「なっ――そ、それは本当ですか!?」
「ボクは魔法にもまじないにも精通しているから、この手の話には明るいんだ。なぁ、タタラ?」
「……うっせェよ、性悪魔女が」
意味ありげなルミナの視線がタタラを突き刺す。
一方で話を振られたタタラは忌々しげに毒を吐いていた。怨嗟すら渦巻く彼の表情の矛先は今もなお自然体で佇むルミナだった。
「しかしこれで大体の疑問は解けたね。大方脅されて、村の人たちは外部の人間を冷遇しようとしたのだろう」
「……そうです。『もし助けを呼んだり、村の誰かが逃げるようなことがあれば、すぐにでもまじないをかける』と、そうおっしゃったようで」
「なるほどなァ。退路も助けも断たせて、橋も落とさせて袋のネズミにしたのか。わざわざ一人にしかかけられないまじないを複数に効くようハッタリをかまして」
「ああ。さて、聞きたいことは聞けたし――もういいよ、ルガ」
「え、ルガくん?」
途中から会話に混ざらなくなった幼子の名が呼ばれ、その子を思い出したレティは彼がいた辺りを探す。しかし小さな存在は見当たらない。
一体どこかと心配そうに見渡すレティの視界の端で、盗賊の一人が倒れた。
「ぐぁ……ッ!?」
「お、オイ! どうした!? ――がァッ!!」
空に橙色の毛玉が舞う。それは縦横無尽に飛び回っては盗賊たちに襲いかかり、背後やみぞおち、頭を狙って激突しては盗賊たちをのしていた。
残る盗賊も抵抗して己の得物を振るが、空振って無意に終わる。最後の一人すら地面へノックアウトしたところで、タタラが動いた。
「《曇り蜘蛛ノ糸》」
サーベルが横一文字に空間を一閃する。何も斬らぬその切っ先が一瞬だけキラリと光ると、盗賊たちはまるで糸でぐるぐる巻きにされたように身体を硬直させた。ジタバタともがく彼らは見えない拘束を解けず、陸に打ち上げられた魚のごとく身体をくねらせるだけで終わった。
数巡の出来事に盗賊やレティは目を見張る。殺すでもなく容易く無力化したことから、相当な実力を感じ取ったのだ。
ルミナは朗らかに笑い、盗賊を倒して期待で目を輝かせるルガの頭に手をやって撫でる。それは彼の求めていた行動と合致したようで、ルガは心地良さげに目を細めて尻尾を振った。
「ルガは長い話をじっとして聞くのが苦手だからね。回り込んでもらったよ」
「いつの間に……それに、こんな……!」
「どうやらアンタの気配には敏感でも、ガキの気配にゃ疎かったみてェだな。ハッ、盗賊の風上にも置けねェ」
レティは二人の強さに圧巻される。口元を押さえて驚愕で目を見開く彼女に、ルミナは向き合って手を差し伸べた。
「どうかな、レティさん。ボクたちに任せてみないかい? 例の魔物を倒すことを」
「それは……!」
「ヘッ……テメェらで敵うワケが無ェ!」
拘束下に置かれてもなお、盗賊らは息を巻く。
だがタタラが近付いて吠えた男の顔の真横にサーベルで突き刺せば、彼らは小さく悲鳴を上げた後に萎縮して黙り込んだ。
よく吠える割には肝が小さいようだ。
「今更遠慮すンなって。乗りかかった船だしな。協力するぜ、レティサン」
「タタラ、みかた、めずらしい」
「余計なこと言うんじゃねェよ。カッコつかねーだろ」
ルガの無垢な言葉がタタラの決め台詞を台無しにする。じとりと見下ろされるルガはケラケラと笑い、大人げない大人のタタラを嘲る。
「……ふふ」
実力を持ち合わせながらも、平和な応酬をする二人を見て、レティは緊張した表情を和らげて柔らかく笑んだ。
それは朝焼けの美しさを凝縮したような、あどけなくも艶然とした微笑だった。麗しい唇が描く弧に将来性のある美貌も合わさり、誰もが天女と錯覚しただろう。
「レティ、わらった! キレイ!」
「へっ!? あ、ありがとう、ございます……」
「レティさんは笑ってるカオが一番似合うね。その笑顔のためにも、ボクたちに助けさせてくれないかな?」
盗賊たちを一瞬でいなした実力を目の当たりにし、レティの心は揺らぐ。
もしかしたら、という希望が彼女を動かし、彼女の瞳にはすがる気持ちがにじみ出ていた。
「いいん、ですか……? 相手は島屈指の実力を誇るお母様ですら敵わなかった魔物ですよ! 危険ですし……」
「でもアンタは助けを求めてる。本心ではオレたちにすがりたくなるくらいにな。いいからとっとと頷けよ」
「強引だな、キミは……」
「アンタに言われたくはねェ」
ルミナはジト目をタタラへ向ける。まじないや強力な存在を聞きつけてもなお、平然としたペースを崩さない旅人たちはレティの目にはとても頼もしく映ったらしい。
間が空いて、ルミナの白い手がほのかに温まった。
「お願いしても、よろしいのでしょうか」
何かに堪えたような低い声は震えていた。痛切な感情が言葉として堰を切ったように紡がれる。
「村も、村の人たちも大切なんです。お母様もまともに戦えなくなるくらいに負傷してしまって、私もまだまだ未熟者で……でも守りたいんです! みんな、みんな大切だから……!」
使命感に燃えるレティはルミナの手に自分の手を重ね、握っていた。
例えすがった先が藁であろうと、悪魔であろうと、村のために身を投じる勢いで真っ直ぐとルミナを見つめ返していた。
レティの返事を確かに聞き届けたルミナは、張られた共同戦線に頷く。
「その心意気に乗った。協力しよう。改めてよろしく、レティさん」
「はい、ルミナくん。よろしくお願いします……っ!」
レティは自分よりやや背の低いルミナを見下ろして、笑顔で頷いた。
しかしルガは不思議そうに目をパチクリとさせ、横やりを入れる。
「なんで、くん?」
「え? いえ、だって……ルミナくん、男の子でしょう?」
納得いかない様子で両者はまばたきを繰り返す。二人は困惑して首を傾げた。
数巡置いて、第三者のタタラは腹を抱えるなり膝を叩いて笑い声を上げる。
「ックク……アーッハッハッ!! 自分より背が低くて自分のことを『ボク』って言うから、そうだと思ったのか?」
「な、何で笑うんですか! 確かに女の子っぽい名前ですけど……!」
何故か大きく笑われるレティはタタラに憤慨する。そのように振る舞われる心当たりは無いために疑義を呈するレティ。
彼らの前でルミナは帽子を取って後ろ髪をいじる。
「一緒に戦うんだ。言っておこうか」
レティはルミナの方を見て、一度まばたきをする。
次に目を開けた時には、肩にまで届きそうな長さを持つ群青色の髪が結びを解いて現れた。
帽子の鍔の影でよく見えなかった端正な顔の眉は申し訳なさげに八の字になる。
ふんわりとした内巻きのミディアムヘアと相まって、その容姿は女性的だった。
「誤解させるような格好で申し訳ないね。――ボクは女なんだ」
突然現れた少女のような風貌に呆気に取られるレティ。
トドメの一言はサラッと添えられた。
「ついでに言うとキミは十七歳だろうけど、ボクはとっくに二十を過ぎているよ。ボクの方が年上さ」
レティがニッコリと告げるルミナの言葉を理解するのに、一拍かかった。
その後、驚愕による大声が付近に響いた。