五話『コーナーで差をつけろ!(空中)』
魔法。
それは不可能を可能にする、人類の叡智の結晶。腕力や精神力とは異なる力、魔力を源として自然に存在する元素を生み出しては操れたり、人体に何らかの影響を及ぼしたり、逆に何かの異常を治すことも出来る摩訶不思議な現象だ。
だが誰にでも使えるわけではない。魔力を持たない人間もいれば、人により扱える分野が違うからである。
そして素質の持たない人間に魔法は向いていない。
現にナナ・チャリオットのような平凡な人間は、高威力の魔法を放つためには長時間魔力を練る必要がある。
その時間の長さは、もし彼女が魔物に遭遇した場合には命取りになるに値するほどだ。
魔力を練ることは魔法の威力を上げるコツの一つだが、いかんせんよほど才能に恵まれていない限り、その時間の必要量は更に上がる。
ゆえに素質を持たぬ人間が魔法を操る実力者――すなわち魔法使いになることは推奨されていない。
その点で言えば、ルミナは誰よりも魔法使いに向いていた。あまり魔力を練らずともクラーケンを容易く屠るほどの魔法を放てるからだ。
「さぁ、行くよ」
「待て待て、オレは別の道を探し――」
「こっちの方が手っ取り早いだろう?」
「そらとぶ! あはは!」
「ちくしょう、まともなのはオレだけか!」
しかしルミナの魔法には致命的な短所が存在した。
そのためにタタラが命の危機すら感じ、全力で拒むほどに。
ルガは興奮しきった様子できゃっきゃとはしゃぐが、対照的にタタラは顔を青褪めさせる。
そんな中、ルミナは己の魔力を解き放つ。
三人のいた跡には旋風が舞った。
そして三人の身体は紙切れのごとく空へ飛ばされた。
「オォォォイッ!! 前回より全然高けェじゃねーか!! 方向も上すぎるだろ! もうちょっと横に出来なかったのか!?」
「すまない、調整が甘かった」
「だから嫌だったんだよ、テメェの魔法はよォ!!」
彼らは勢い良く空を飛びすぎてしまった。ビュービューと風を切る音が鼓膜をつんざき、肌を突き刺す風は上昇に対する抑止力として働くが、彼らを止めるには弱すぎた。
ルミナは確かに敵を倒す魔法使いとしては優秀である。
魔法の威力を上げるためには長時間大量の魔力を練ったり、言霊を魔法に乗せる必要があるが、ルミナはそれらを必要とせずとも大規模な被害を生み出せる。
しかし逆にその高すぎる威力を抑えることができないのだ。まるで魔法を覚えたての、制御を知らぬ子のように。
そのせいで必要以上の威力を叩き出してしまうのである。タタラはそれを危惧してルミナの強引な橋の渡り方を否定した。
実際に彼らは弓矢のごとく上空へ打ち上げられてしまった。
地表から約五百メートルのところでようやく上昇が止まって落下が始まる。
命綱無しで高すぎるバンジージャンプの幕開けである。
「あそこが村のようだ。のどかそうでいいね」
「呑気に空から眺めてる場合かよ!」
「タタラ、こわい? こわいのか?」
「さてはテメェら、着地のことを何も考えてねェな!!」
ルミナは風にさらわれそうになる三角帽子を押さえながら、進行方向に見えた村を見やる。
港町より活気は劣るが、山のふもとにある穏やかそうな村だ。レンガの屋根がまばらに散見され、奥の方にはいっとう大きい屋敷が鎮座していた。
山には土地を活かした段々畑が壮大に並び、そこに生える青々とした木々には大量の緑色の実がなっている。
他にそれらしきものは見当たらないので、あれが件の村らしい。そう判断したルミナは落下しながら口元に笑みを浮かばせた。
「まあここから落ちてもなんとかなるよ」
「ホントになんも考えてねェ!?」
あまりにも楽観的な意見への鋭いツッコミは、同じく空を飛ぶ鳥すら驚かせた。
クラーケン戦では今回より上昇は控えめなおかつ触手に着地出来たから良かったものの、残念ながら今は空に足場は無い。下に落ちる等加速度運動は時が経てば経つほど、莫大なエネルギーを生む。
問題はそのエネルギーをいかに逃がして着地するかだった。
落下の衝撃を受けて無事で済む人間を人間と呼ぶかは疑わしいところだ。このまま無抵抗であれば、地面を抉るほどの衝撃が身体に襲いかかるだろう。
ゆえにただの人間であるタタラは焦る。
だがルミナはいつまでも冷静のままだった。
「着地は任せたよ、タタラ。キミには水魔法も教えただろう」
「オレに辺り一帯を海にしろってか? テメェじゃねェんだからよ」
「いや、こんな高さじゃ地面に落ちようが、水に落ちようがほとんど変わらない。大事なのは、ボクたちの受ける衝撃をいかに減らせるかだ」
「……そういうことかよ」
ルミナから存亡を託されたタタラはその意図を悟る。
着地に関して無理矢理解決する方法は、彼らに無いワケではないのだ。
「《命令、ボクとルガも無事に着地させろ》。一応ね」
「チッ、あわよくばオレだけ助かろうと思ったのに」
「油断も隙も無いな」
タタラは舌打ちと共に、呑気にローブをはためかせるルミナと、落下しながらも突風と戯れて笑顔を咲かせるルガをなんとか引き寄せた。更に魔力を練り始める。
それらは自らなした行いにも関わらず、タタラは不満げに顔をしかめる。
地上まであと二百メートル。
ルガは未だにワクワク感を抑えきれぬ赤い瞳で地上を見下ろす。彼はタタラの脇に抱き抱えられており、息を呑んでギュッとタタラの赤いパーカーを握り締めた。
ルミナもタタラの背に掴まり、迫る地面へ備えていた。
空中で練られた魔力が解き放たれる。
「《雨下り》ィ!」
空に言霊が響く。
途端に一行の横にどこからともなく水が現れた。時間に比例して増える水は三人の回りを漂っては一緒に落下する。
百メートル。
八十メートル。
五十メートル。
落下仲間であったハズの水が突然牙を剥く。重力を無視して徐々に角度を変え、三人を余裕で包める水量の水はタタラたちを包んでは水の玉を形成した。
ぶくぶくぶく、とルガが水中で水の泡を吹き出す。水泡は浮力を得て上に上がるが、大きな水玉は滑り台のように空気を滑りながら落ちた。
やがて移動方向の角度が垂直から約九十度回転した頃には、ルミナたちが持っていた膨大な位置エネルギーは大幅に減少する。
しかし完全にゼロとまではいかなかった。
「よっとっと」
「っぶねェ。……あ」
「ぐぇっ!」
地面に接触し、水が土に吸収される。同時に彼らも着地しようとすると、余った衝撃が三人を襲った。
ルミナとタタラはよろけながらも何とか地面へ降り立つが、抱えられていたルガは反動で地面へ打ちつけられる。跳ねてボールのごとく転がった彼は回転を終えるとピクピクと身体を痙攣させた。
じろりと金の瞳がタタラに向く。
「落とさないでやってくれ」
「無茶言うんじゃねェ! オイ、しっかりしろルガ! テメェがくたばるとルミナがうるせェんだ!」
「ルガより自分の心配をするなんて、いつも通りだね……大丈夫かい、ルガ?」
カエルの鳴き声のようなうめき声を上げてからというものの、ルガから返答は無い。どうやらみぞおちに響いたらしく、起き上がるには回復を待つしかなかった。
ルミナは小さな身体に駆け寄ると膝を折りたたみ、ルガの身を起こして介抱がてら看る。
「……う、ぅ」
「骨は無事だね。打撲と擦り傷程度。うん、すぐに治るよ。まったく、タタラも酷いね。ルガを離すなんて」
「元はと言えば、無茶苦茶な飛び方をいきなりやったテメェが悪いんだろうが」
「まあ命の危機を感じないと、キミって実戦以外じゃ魔法の鍛錬しないし」
「アレ魔法の鍛錬だったのかよ!?」
衝撃の事実に全力で驚くタタラ。
しかしルミナは悪びれもせずにけろりとした表情で続ける。
「水でボクらを包んだことで衝撃を和らげて、そのまま横に薙ぐことで衝撃を逃がすという発想は良かったよ。でももうちょっと早く魔力を練って、水を展開して包まなきゃね。もしくはもっと工夫をしないと」
「命の危機を乗り越えた後で高説垂れ流すな! つーか殺す気か!?」
「やだなぁ。ボクはいつでもキミを殺せるのに、今殺す理由があるのかい?」
「クッソ腹立つな、テメェ……いっぺん死ね」
「お断りだね」
仲間や自らの命すら脅かしたにも関わらず、ルミナは平然と笑う。若干人の手が加わったような草の無い土の上、ずぶ濡れのローブが随分と重そうに立ち上がる。
「それにボクが何の考えも無しに飛ぶワケないじゃないか。地面に立って、何か気づかないかい?」
「あ?」
「む、からだ、かるい」
ぴょこっと跳ねてルガが立ち上がる。ブンブンと小さな腕が振るわれるが、その速度だけで風が起こるほどに速い。
タタラも不思議そうに己の身体を見下ろした。
「ホントだな。むしろ、身体より服の方が重いような……」
ルミナはローブの裾に含まれた水を絞って出しながら歩き出す。ルガは半袖半ズボンのせいか二人より服が軽いらしく、何の障害も無く動けている。
「空に飛ばすと同時に魔法で質量――まあ体重みたいなものを激減させたのさ。今は従来の五十分の一しかないよ」
「だから前より風にめちゃくちゃ飛ばされたのかよ」
物が重かろうが軽かろうが落下速度は変わらない。だから落下中では、そんな魔法をかけたと思いもしなかっただろう。
実際に彼らは呆気なく空へ飛ばされた。まるで紙切れのごとく。
ルミナは自分たちにかけた魔法を解きながら、説明を続ける。
「ざっくり言うと質量を減らして受ける衝撃を減らした。とは言えそれなりの衝撃を食らうから、その時はキミを踏み台にすればボクとルガは無事ってワケさ」
「さりげなくオレを犠牲にしようとしてンじゃねェ」
「だからキミが魔法を頑張れば無事で済むようにしただろう? ボクは別に鬼じゃないし」
「テメェを鬼と呼ばないなんて、オレを仏と言ってるようなモンだぜ」
「あり得ないね」
「ああ、あり得ねェよ」
何事も無かったかのように進むルミナに、ある意味今回の最大の被害者と言えるタタラは黒幕にドン引きする。
果たしてルミナの血は赤色なのか。それすら疑わしくなったタタラは懐疑的な目を暗い空色のローブに覆われた背に向けた。
「まあ別に、鍛錬のためだけに飛ばしたワケじゃないさ。ほら」
ルミナは向かう先の風景を示す。釣られて海色の瞳が見た先は、先ほど上から見ていた建物と同じものがずらりと並ぶ村の風景だった。
「手っ取り早く村に辿り着けたから万々歳だろう。他にも理由はあるけど――今話してる場合じゃないね」
「……ああ。ロクな歓待を受けられるといいんだが」
「カンタイ? なにそれ、うまい?」
「ルガ、もう腹減ったのか? ほらよ、干し肉」
「にく! いただきます!」
さて、空から水の玉が勢いよく降ってきたと思えば、中から人が出てきたとしよう。
その光景を見逃す人間がいたとするならば、それはきっと異常に対する感知能力が鈍い者だろう。
「あんたたち、いったい何で空から……」
建物の中から、恐ろしいものでも見るかのような目で村人らしき人物がわらわらと現れてはルミナたちを遠巻きに見つめる。中でも勇気ある青年が一歩踏み出し、突然空から現れた不審人物たちへ尋ねる。
三人を代表してルミナは薄っすらと笑みを加えて口を開いた。
「突然申し訳ない。ボクたちは旅人だ。魔法の鍛錬をしていたら、このように吹き飛ばされてしまってね。良ければ一日だけでもこの村に置いてはくれないだろうか」
吹き飛ばした犯人は悠々と告げ、どこか恨めしげな視線がタタラから向けられた。ルガは変わらずタタラからもらった干し肉に夢中になっている。
インパクトのある登場にたじろいだ村人たちだが、青年は顔をしかめ、勇気を振り絞って首を横に振る。
「ダメだ。さっさと出て行け」
「なら半日だけでも。このままだと風邪を引いてしまう」
果たして三人が風邪を引くような性質かどうか、いささか疑問そうに空へ視線を泳がせたタタラだが、流石の彼も空気を読んで黙った。
青年は困ったように遠巻きにいる人たちへ視線を送る。彼らもヒソヒソと周りと話し合い、旅人の処遇について決めあぐねている。
すると一人の老人が頷いたことをキッカケに、話がまとまったようだ。青年はそれを見て呼応するように首肯すると、再びずぶ濡れの旅人に向き合った。
「……数時間だけだ。日暮れまでには出て行け」
「ありがとう。世話になるよ」
本当に嫌そうな、渋々譲歩したような承諾だった。ぎろりとルミナを睨みつけて無愛想に対応する青年は、その上で「ただ」と強調して付け加える。
「山にだけは絶対に行くな」
「肝に銘じておこう」
その言葉が信用に値するかしないかは人それぞれだったが、少なくともタタラは胡散臭げにルミナの帽子を見下ろしていた。