二十九話『虎の威を借る同類』
「はぁ〜〜〜〜……」
とある三階建ての建物の中、一階にある奥の部屋。そこで三つ編みのおさげの少女がテーブルに突っ伏し、大きな溜息を吐いた。彼女の表情は疲労困憊の一言に尽きるほど相当参っているようで、ぐったりとするその様を見た男性が声をかけた。
「どうしたんだ、ナナ」
「どうしたもこうしたもないわよぉ……」
「外海で修行して一人前の魔法使いになったんだろ? クラーケンすら倒すほどの」
「それに頭を悩まされてるのよ、パパ」
男性はナナと同じ金髪頭や緑眼であり、その容姿はナナの血縁者であることをほのめかしていた。
「帰ってきてからみんなの目が痛いのよ……」
「まあバカでかい魔物を倒したんじゃあな」
「あれは……うぅ、もうあんな規模のおかしい魔法出せないって」
「ああ、過剰に魔力を使ったせいで、その後遺症で最大魔力量が減ったんだっけか」
真相は別にあるのだが、ナナはそう誤魔化している。
命を救われた恩もあり、ルミナの約束通りにクラーケンを倒したことをルミナではなく自分の手柄にしたナナだが、彼女は自らの功績に胃痛を覚えていた。
近海に現れた船より大きい魔物を爆発魔法一発で倒す。そんな芸当ができる人物は島を見渡しても滅多にいない。
明けの一族の当主ともなれば対抗できるかもしれないが、そのレベルに達した魔法使いが島で話題にならないワケが無かった。
身の丈に合わない噂はすぐに広がり、ナナは本来の実力とは乖離した実力者として認識されるようになってしまった。
「あたしは『もう魔法使いにはならない』って言ってるのに、子どもからは魔法の使い方について教えを乞われたり、挙げ句の果てにはあたしに弟子入りしようとするヤツだっていたのよ」
「俺が客に『ウチの娘はクラーケンを倒したすごい魔法使いだ』って宣伝したお陰だな」
「何やってんのよこの親バカ親父」
噂を鎮火したいのに、むしろ油を注いでいる自身の父にナナは頭を抱えた。
「魔法の腕は良かったらしいが、家業継いでいいのか? 別にそのまま魔法使いとしてどっかで働いても良かったんだぞ」
「いーのよ、別に。あたしには荷が重いもの」
「おっ? 宿屋の仕事ナメてるな? 魔法使いより楽だと思ってんのか?」
「師匠にたんまりしごかれたから、体力はあるわよ。それに小さい頃は宿屋の仕事、手伝ったじゃない」
「受け取る代金を間違えたり、客が使った部屋掃除しようとしたらジュースこぼしたりしたことが仕事か?」
「う、うるさいわね! いつの話をしてんのよ!!」
「お前が小さい頃に手伝った仕事の話だぞ」
父親の反論に「ぐぬぬ」と唸るナナはふてくされたように自室へと戻っていった。
ばたんと音を立てて戸を閉じた彼女は再び大きく溜息を吐くと、三つ編みを解いて胸下まである金髪を揺らした。
そのままベッドへ腰を下ろすと、遠い目をした。
「どうしてこうなっちゃったのよ……」
ナナはそう呟かざるを得なかった。
帰郷する最中の船でクラーケンに遭遇し、討伐されたと思えばルミナに「船全員の恩人」という名誉を押しつけられ、自分は強力な魔法使いであると誤解される。
それは彼女にはひどくプレッシャーになっているのだった。
「……あたし、そんなすごいヤツじゃないわよ」
ナナは人差し指を立てると、その指先にはろうそくに灯る程度の火が現れた。めらめらと燃える火はナナの魔力を火種にしているが、その火種も大したことが無いために火はそれ以上大きくならない。
「そりゃあ、あたしだっていっときは夢見てたわよ。センリュシアさんみたいに風を自由に操れたり、レティみたいに人を癒せたり……ルミナくんみたいに派手な魔法をぶっ放したり」
ナナは火を消し、ベッドに足を乗せると膝を抱えた。
「でも、あたしに才能なんて無かったから師匠に勘当食らって、こうしてむざむざと帰郷してんのよ……」
ナナはその場に誰もいないのをいいことに虚空に向かって思いの丈をぶつける。
すると不意に彼女の部屋の窓が急に大きな物音を立てて割れた。
「いやぁああっ!?」
驚いて飛び上がったナナだが、よく確認すると部屋の中には石が転がっていた。
誰かの悪戯により外から石を投げ入れられたのだと悟ったナナは瞬時に犯人探しをすべく、飛び散ったガラスの破片を避けて窓に近づき、逃げようとする影を探す。
「まったく、誰? こんなイタズラ……」
不機嫌そうに眉間にシワを寄せる彼女は夜の外へ目を凝らす。
彼女の集中は外に向いていた。
そのため、彼女は自室の扉が開いていることに気づかなかった。
「――っ!? んむーッ!」
ナナの災難は窓から石を投げ入れられるのみに留まらなかった。
唐突に彼女は口元にハンカチのようなものを当てられ、呼吸を阻まれる。混乱して目を見開き、誰かに助けを呼ぼうとする彼女だが声はハンカチに吸い込まれる。
やがてハンカチに薬品でも仕込まれていたのか、ナナの意識は遠のく。
「ん……ぅ」
「よし、引き上げるか。早くハーミットの兄貴のところに戻るぞ」
「おう!」
ナナが最後に得た情報は、二人の男のそんなやりとりだった。
☆
次にナナが目を覚ました時、彼女は薄暗く場所の硬い地面に横たわっていた。
自分は一体何故こんなところに寝ていたのか。それを思い出そうとするナナは重たげに身を起こした。が、その途中で自分の両手が手錠で拘束されていることに気づく。
ナナが顔を上げると鉄格子がはめられており、その向こうには緑髪に一房赤い髪の混じった若々しい男がいた。
「よォ、目ェ覚めたか」
「……むぐ」
だれ、と言いかけたナナだが、猿ぐつわを噛まされており、言葉はぼかされた。そのせいで大した声は張れず、代わりの意思表示としてナナは自分に声をかけた緑髪の男を睨みつける。
「テメーがクラーケンを倒したってウワサのナナ・チャリオットだな。返事は首を縦か横に振れ」
男は鉄格子越しにナナを見下ろし、ぶっきらぼうに告げる。
混乱に混乱を極めたナナはおずおずながらも頷く。下手なことを言うと殺されかねないと悟ったのだ。
男の手元にある鈍く光るナイフが見えたために。
「ならまじないについて知ってるか?」
ナナは再度頷く。
「そうか。じゃあ『影縛り』というまじないについて聞いたことは?」
今度はナナは首を横に振った。
「……チッ、本当に知らないのか? 答えようによっては――」
ナナの否定に苛立った若々しい男はナナに背を向けると、ボロボロの机の上にある小瓶を手に取った。中で何かが自由に動き回っているのを見るに、何か生物が入っている。
小瓶を目の前に差し出されたナナはヒュッと息を呑んだ。
「アタラグモ。コイツに咬まれて毒を摂取すると、発熱と発汗、筋肉麻痺、更には呼吸困難を引き起こして死すら覚悟しなきゃならねえ。毒も熱や水で薄めた程度で効果は失せねえ」
小瓶の中でうごめくクモはナナの恐怖を引き立て、男の説明で震え上がった。
「テメーだって死にたくないよなァ?」
ナナは何度も首を振る。せっかく命拾いした矢先に毒グモに殺されて死ぬなど、彼女には御免なのだった。
「ならまじないについて知ってることがあれば全部吐け。一つ残らずだ」
男は切羽詰まった様子で脅迫していた。
だがナナはあまり答えることはできない。猿ぐつわに発言を阻まれていることもそうだが、そもそもまじないについて詳しくない。
現に男はアタラグモを見せつけながらもナナの猿ぐつわを外すが、ナナはなかなか答えないのだった。
「……オイ、早く答えろ。でないとクモを放つぞ。魔法を唱える素振りを見せても同じだ」
男は口角を片端上げる。
「テメーら魔法使いは魔力を溜めたり、魔法を唱えないとロクな威力が出ねェんだろ。だからテメーがクモを魔法で殺す前に、クモはテメーを咬むだろうよ」
「……ま、まじないって言ったってっ、あたし……」
「あ?」
「東洋人が使う、人の精神に関わる陰湿な魔法モドキだって……師匠から聞いたくらいよ」
「……他には?」
「ほ、他って言われても」
ナナはなんとか頭をひねり、目の前の男が満足しそうな情報を探す。
そんなナナに苛立った男は不機嫌そうに顔をしかめる。
「なら太陽の魔女は?」
「彼女を知らない魔法使いなんていないわよ。トウコ・テンガイでしょ」
「ヤツのまじないについて何か知らないか?」
「……知ってどうするのよ?」
「いいから吐け」
ナナは一方的に詰められることを不服に思って問い返すが、男にクモを見せつけられて私語を慎む他無かった。
「そもそも太陽の魔女は自分が作った魔法を公表することはあったけれど、まじないは広めなかったわよ。悪用されるだろうからとかなんとか……弟子なら知ってんじゃないの?」
「その弟子に聞けねえから外海で修行してきたっつーテメーに聞いてんだよォ!」
男は大声を上げると、怒りに任せてテーブルに拳をぶつけた。ナナは驚かされながらも、彼女はおおよそ自分が男に拉致され、こうして拘束までされた理由について突き止める。
「太陽の魔女のまじないでも狙ってるワケ?」
「テメーには関係無えな。他に知ってることを吐け」
「ほ、他って……あ、た、確かこんなことを聞いたことあるわ。意中の人を射止めるまじないに、人の心が分かるまじない、人に不幸が降りかかるまじない――」
「チッ」
ナナが人生のどこかで耳にしたことのあるまじないを述べると、男は再び舌打ちをこぼした。
「テメーが役に立たねーのは分かった。……もういい。処分するか」
「しょ、処分って何よ!?」
「あ? 殺すに決まってんだろ。せっかくまじないが解ける希望だったっつーのに、とんだ無駄骨だったぜ……」
男が失望した目でナナを見下ろすと、小瓶の蓋を開けながら鉄格子へじりじりと近づく。ナナは恐怖から後ずさるが、檻は小さいためにすぐに壁が背中に当たる。
ナナは必死に頭を回し、この場の主導権を握る男に役に立ちそうな情報を探す。
「ま、魔法なら知ってるわよ! 五年も習ったんだからそれなりに知ってるし!」
「魔法なんざ興味無え」
「そ――っ、そもそもあたし、まじないにまで精通するほどの魔法使いじゃないわよ! クラーケン倒したのだってホントはあたしじゃないしっ!」
「……なんだと?」
男はナナの言葉に食いつく。
その一方でナナは「やっちゃった」の一言が脳裏によぎるが、一度吐かれた言葉はもう取り返せないのだった。
「オイ、どういうことだ」
「えっ、いや……そ、その……」
男はクモの入った小瓶を見せた。
「っ、あ、あたしじゃなくて、ルミナって子が、クラーケンを爆発一発で倒したのよ……!」
命を脅かす恐怖の前では、ルミナから受けた恩も塵に等しいのだった。クモに怯えるナナは呆気なく暴露し、身を縮める。
「ルミナ……そうか、ガランが言ってた太陽の魔女の一番弟子か。ならクラーケンを一発で倒せんのも納得だ」
「た、太陽の魔女の弟子……?」
初出の情報にナナは戸惑う。
「チッ、じゃあテメーはただのザコってことじゃねえか」
「ッ、ザコで悪かったわね」
「だが、ルミナってヤツと知り合いか。ヤツが今どこにいるのか分かんねえか?」
「わ、分からないわ……船を降りたら、どっか行っちゃったもの。ポルトバ街に帰ってからも見てないわ」
「……まあいいか」
男はクモの入った小瓶の蓋を閉めると、ナナに背を向けてどこかへと去った。
残されたナナは男の企みについて戦々恐々もするも、ひとまず命拾いしたことに大きく息を吐く。
「な……なん、なのよ、もう……」
どっと疲れた様子で肩の力を抜き、彼女はうるさい心臓をなだめた。
そして一旦冷静になると、なんとか身じろぎして拘束から逃れようとする。が、しっかりと鉄の拘束具で固定されているせいで、無駄に終わった。
他にも脱出を試むも、特に策も方法も無かったナナは諦めて男との会話を思い出す。
「ルミナくんが、太陽の魔女の弟子……? じゃあ、もしかして――」
ナナは船でクラーケンを倒し、そしてその功績を押しつけられた時のことを想起する。
『もしかしたら最近よく噂になってる星の魔女より強いんじゃないかな?』
「……まさかあの子、師匠を殺した星の魔女を探してて……あの時にさりげなくあたしに星の魔女について何か知らないか聞いてたワケ?」
ここに本人はいないため、彼女の独り言は彼女の妄想でしかない。
が、あながち間違いでもないのだった。
しかしそれを知ったところで彼女の脱出の手掛かりになりそうにない。
薄暗くジメジメとした牢に居心地の悪さを感じながら、ナナはいつさっきの男が戻ってくるかに怯える他無いのだった。
一方、ナナに尋問していた男――ハーミットは仲間の盗賊たちの元に戻るや否や、置かれていた椅子にどかっと座った。雑な座り方から不機嫌さを垣間見た仲間の一人はハーミットへと声をかける。
「兄貴、尋問の方はどうだったんですかい?」
「まじないについては何の手がかりもありゃしねェ。しかもあの女、魔法使いとしてはただのザコやがんの」
「ザコ!? クラーケンを倒したのにっスか!」
「クラーケンの件、本当は別のヤツが倒したのを自分の手柄にしてやがる。ったく、ややこしい真似しやがって。クソがよォ」
「兄貴だってよく虎の威を借る狐みたいに『ジブンはカンダタの手下だ』って言ってたじゃないっスか」
「るっせ。揚げ足取ってんじゃねえよ。大体、テメーらだってマルフィックの権威を笠に着て村で好き勝手しようとしたろ。同類だ、同類」
ハーミットの眉間のシワはますます深まる。
「まあいい。その代わりにあの女、ルミナとかいう太陽の魔女の一番弟子と知り合いだ」
「じゃ、じゃあルミナに対して人質として使えば……!」
「そう上手くいくかよ」
仲間の提案を一蹴した彼は足を組み、肘を膝に乗せて頬杖を突く。
「ガランも太陽の魔女の弟子だったんだぜ? だがアイツを見てみろ。人を人とも思わぬ性格。もし太陽の魔女が善人だったら、ガランを矯正するだろ」
「でも噂じゃ、多くの国の危機を救ったって――」
「噂は所詮噂だ。つーかガランのクソ野郎ぶりを見てると、むしろ太陽の魔女はやべー奴の可能性だってあるぜ。師弟なんざ似ててもおかしくねえからよ」
「じゃあ同じく弟子だったルミナもやべークソ野郎の可能性があると?」
「ああ」
ストレス発散でもするかのごとくボロクソに口を叩くなり、盗賊間ではしんみりとした空気が流れる。
「念のために牢の女は生かしてるが、ルミナとかいうヤツに対しては人質として有効になるかは知らねえ。もしダメなら――」
と続きを言いかけたハーミットの口は突如止まった。それどころか呼吸とまばたき以外の一切の行動を封じられる。
不思議に思った盗賊がハーミットを呼ぶと、彼はぎこちなく口を開いた。
「『――ガランだ。今からハーミットを通してお前らに話す』」
ハーミットの口からは、ガランの口調で言葉を紡がれる。その拍子に、周りにいた盗賊仲間が一斉にハーミットの方へ振り向く。
「『魔物の軍団を寄越してやるから、引き連れてポルトバ街を連日襲撃しろ。ただしなるべく粘れ。騒ぎが大きくなるように。それとハーミット、お前は影縛りをいつでも発動できるように準備しとけ』」
無愛想な口調に遠慮や配慮は無い。ハーミットの口から淡々と語られる命令は普段の彼の物言いとは異なっており、あまりの抑揚の無さから非情さすら垣間見える。
伝えるだけ伝えるとハーミットは見えぬ呪縛からようやく解放されたのか、いきなり椅子から立ち上がって呼吸を荒げた。
「っ、はぁ、はぁ……っクソが、ガランめッ!」
「あ、兄貴、今のって……」
「ガランの野郎に身体操られたんだわ! チッ、あんのクソ野郎……ジブンはマリオネットじゃねえっつーのっ!」
どうやら何の脈絡も無く話し始めたのは遠隔でガランに身体を操作されていたからであり、ハーミットたちはガランから一方的に命令されたのだった。
ポルトバ街への襲撃命令。それも魔物の軍団を引き連れての。
その意図はハーミットたちには分からない。そもそもガランの目的すら知らされていないために、少なくともこの場にいる者たちはガランについて読めない。
「どうしやすか、兄貴」
「どうするも何も……命令を聞かなかったら、どうせ皆殺しにされるぞ。送り込んでくる魔物がジブンたちを殺しにかかるかもしれねえし、なんなら逃げ出さないようにするために魔物を寄越したのかもしれねえ」
ハーミットは歯ぎしりをこぼす。
「……今は命令をこなすぞ。いつまでたぁ指定されてないが、口ぶりからすると何かの時間稼ぎのためだ。なら終わりはある。もしくは、ある程度まで粘ればいい」
「『粘れ』って言ってやしたから……一気に攻めるんじゃなくてじわじわ襲えばいいんスよね」
「ああ。たびたび騒ぎを起こすのがジブンらの仕事だろ。んでジブンはなんか知らねーけど、『影縛り』の準備をしろと。となれば……」
ハーミットは顎に手を添え、考え込むそぶりを見せる。
ある程度考えがまとまると、彼は顔を上げて周りの仲間に呼びかけた。
「オイ、作戦会議だ」