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呪われた星々  作者: 三角形
幼き天狼編
26/34

二十六話『二週間の旅路』

 ルガは自身の目を疑った。


 否、ルガだけではない。その場にいたルミナ以外の人物は皆、己の目の前で起こった出来事を把握することに時間を要した。


 ルガたちは確かに小屋の中にいたハズなのだ。だが彼は今外気に触れ、乾いた空気が彼の頬を撫でている。空を見上げれば夜の暗さが星の光を引き立てていた。

 ルガはルミナの腕の中にキャッチされており、反対にルミナたちに襲いかかった男たちは地面に尻餅をついていた。

 小屋らしき物は無く、代わりに小屋に使われていた木材がガラクタとなって辺りに散らばっていた。


「な、……に、これ」


 ルガは何が起きたかさっぱり分からなかった。


 ただルミナの周りに突如として強風が現れ、いとも容易く小屋や自分ごと吹き飛ばしていったことは覚えている。


「ひ、ひぃいいっ!? い、一体何で……何で急に風が!」

「し、しかも小屋やおれたちまで吹き飛んだぞ……!」


 男たちは風によって飛ばされた衝撃と地面に落ちる際に尻から着地した影響でなかなか立ち上がれないでいる。彼らは起こった出来事を受け止めきれずに仰天し、声を上げる。

 一方、ルミナに受け止められていたルガは地面へと下ろされ、ただ茫然と周りを見ていた。


「……今回はまあ上手くいった方か」


 この状況を生み出したらしきルミナは自分の手のひらを見てそうぽつりとこぼすと、風で乱れた横髪を手ぐしで直した。


「ま、まさか……魔法ってやつか!?」

「う、うそだろ……そんな素振り見せなかったじゃねぇか!」

「そうだね。十分な威力を発揮させるまでに時間がかかるのが普通。けどそれは凡人の魔法だ。ボクには関係無い」


 ひねくれた天才のごとく言いのけたルミナは嘲笑して男二人を見下ろした。


「で? ボクを殺して、荷物を奪おうって? ならボクは村を焼き払って、それで暖を取りながら一夜を過ごそうかな」


 平然とした調子で告げるルミナの声色に揺らぎは無い。それがますます彼女の言葉に真実味を持たせてしまい、男たちは恐れ慄いた。


 まさに化け物。

 そう圧巻する彼らは、ルミナに対して畏怖の目を向けていた。


「……ちょっと意地悪が過ぎたかな」


 まともな受け答えすらできなくなり、自身を人間じゃない目で見る男たちを見て、ルミナはぽつりとこぼした。

 そしてルガの方へと向き合う。


「キミはこれからどうしたい?」

「えっ?」

「ここに残るか。それとも――ボクと来るか」


 ルミナはルガへ手のひらを差し出した。彼は唐突に与えられた二択に戸惑いを見せる。


「まあ、どちらにせよボクの言うことを聞いてもらうけどね。パンのお礼ももらってないし」


 補足するルミナの声はあまりルガの耳には入らなかった。


 ルガはすぐに決断したからだ。


「つっ、ついてく。つれてって」

「後悔しないかい?」

「しない。なんでもする」


 ルガはすがる気持ちを瞳に浮かばせ、ルミナの手を真っ先に取った。


 幼い子どもの承認欲求と、恩人に対する感謝がルガの胸中を占める。ルガは自覚できなかったが、それでも衝動が彼を突き動かした。


「うん、決まりだね。それじゃあ――おっと」


 だが不意にルガの目の前が歪んだ。薄笑いを浮かべるルミナとその後ろにある夜の山の景色が揺らぎ、彼は平衡感覚を失う。


「……ぁえ……?」


 足がもつれて倒れかけるのは必然だった。ぐらりとおかしくなる彼の視界が段々と暗くなり、意識が遠ざかる。


 彼を受け止める手の温度が伝ったのを感じたところで、ルガは意識を失った。







「やあ、やっと目が覚めたかい?」


 気絶したルガが次に目を覚ましたのは、既に太陽が南中している頃だった。

 山の麓にある森の中、ルミナは落ち葉や木の枝を焚いて焚き火をしており、火の上ではルミナの顔ほどある鍋に蓋をされて何かを煮込んでいた。

 ルガのよく知る村とは少し離れた場所のようで、ルガが嗅いでも人のニオイはルミナ以外では随分と遠くに感じる。


「倒れたんだよ、キミ。きっと栄養失調だろうね。ご飯を食べたら日の当たるところで日光浴をするといいよ」

「……ごはん? くれるの?」

「食べて元気になってもらわないと困る。キミにはやることがあるからね」


 ルミナは黒の半袖インナーと膝下にかけて絞られた紺のボトムスという動きやすい格好をしており、彼女の第一印象を大きく決めるようなローブは無かった。

 不思議そうにしながら起き上がったルガはそのローブが自分にかけられていたことに気づく。


「ほら。熱いからゆっくり飲むんだ」


 ルガに差し出されたものは野菜を溶かし込んだスープだった。具材は不均等に切り分けられ、ひどく不恰好だ。

 適当に切られた野菜と、少しの調味料。それがそのスープの正体だった。


 それでもそのスープの器とスプーンを受け取ったルガはゆっくりと飲み込む。時折「あつっ」と漏らしながらも、食道を通る温かさが心地良くて何度もスプーンですくっては飲み込んだ。


 野菜や汁を頬張っては飲み込むことを繰り返すと、ルガはすぐに完食した。中身の無い器を覗き込んだルミナはさじで鍋の中を一回かき混ぜる。


「おかわりはいるかい? まだ余っているよ」

「いる」


 ルミナの提案にルガは即答した。


 それから鍋の中の野菜スープが空になるまでそう時間はかからなかった。


「……ルガ、どうなる?」


 ルミナの言いつけ通り、日の当たるところに野菜スープを飲んでポカポカする身体を置くルガは後片付けをするルミナへそう尋ねた。彼の耳は垂れ下がっており、自分がこれからどうなるのか不安がっている。

 それに気づいたルミナだが声色は変えなかった。


「ちょうど進行方向に獣人たちが身を寄せて住む村がある。天狼の獣人はいないが、キミの境遇を理解してくれる人はいるだろう。キミをそこまで連れていくよ」

「……? る、ルガ、なにかするって」

「ああ、道中は用心棒になってもらおうとね」

「よーじんぼー……?」


 聞き馴染みの無い言葉にルガは首を傾げた。


「もし魔物と戦うことがあれば、キミに戦闘を任せたい。天狼の獣人は子どもでも昼は強いと聞いたよ」

「……たたかう?」

「ボクは魔法は強いけど、使うと必ず周りに被害が出る。そこでキミの出番というわけだ」


 ルミナの視線がルガに向く。彼女はニッコリと笑って青い髪を揺らした。


「でも無理強いはしない。戦いが苦手だと言うのなら拒むといい。できると思って任せたのに役に立たないのが一番困る」

「たっ……たたかう。がんばる」

「そうかい? なら期待しているよ」


 ルミナはサラッと告げたが、戦闘を任せる言葉にルガは目を輝かせ、やる気をみなぎらせた。


 衝動的に安易に頷いてしまい、魔物と戦うことになった彼だが、後でその決断を後悔してしまう。

 だが今はただルミナの役に立ちたい一心で彼女の顔色をうかがっていた。


「……ねぇ」

「うん?」

「なまえ」


 ルガは空腹から抜け出し、日光浴によって更に活力を得て少し元気を取り戻すと、思考に余裕を持てるようになる。

 すると何故か自分を助けてくれたルミナについて気になり、しかし彼女の名前を知らないルガはまず名を尋ねた。


「ボクの名前かい? ……そうだね、『お姉さん』と呼ぶといいよ」

「おねえ、さん?」

「そう。お姉ちゃんじゃなくてお姉さんだよ」

「……なにがちがう、それ?」

「『お姉ちゃん』っていうのは面倒見が良くて子どもにも優しい年上の女性さ。でもボクは面倒を見られるのはともかく、面倒を見るのはガラじゃない。だから『お姉さん』さ」


 ルガはまばたきを繰り返した。


「……おねえちゃん」

「違う。お姉さんだよ」


 ルミナの説明を聞いて、ルガは改めて正しいと思った呼び名でルミナを呼んだが、彼女はすかさず訂正をした。

 

「…………おねえさん」

「うん、そうだよ」


 ルガが渋々といった様子でルミナが推奨した呼び方をすると、彼女は呆気なく頷いた。

 

「なまえは?」

「内緒さ。どうせ少しの間の付き合いだ、知っても知らなくても変わらないよ」

「しりたい」


 頑なに名前を教えないルミナだが、ルガも強情だった。遠慮を知らないルガに押し負けたルミナは肩をすくめ、ルガに近づいて彼の頭に手を置く。

 ルミナが自分に対して暴力を振るような人間ではないと短期間で信用していたルガはそれを受け入れ、それどころか心地良さげに目を細めた。


「……じゃあ獣人たちが住む村に着いたら教えてあげるよ。それまでは『お姉さん』だ」

「うー……わかった」


 ようやく譲歩を見せたルミナにこれ以上は無いと悟り、ルガは渋々頷いた。


「おねえさん」

「どうしたんだい?」

「なんで、たすけた?」

「大した理由は無いよ。旅のついで。進行方向に獣人の村があるようだし、珍しいから手を貸してあげるのもいいかなって」

「めずらしい……?」

「そう。天狼の獣人なんて滅多にいないんだ。ボクも実物を見るのはキミで初めてだよ」


 ルミナは時折ルガの耳の付け根に触れながらも頭を撫でる。


「……こわく、ない?」


 ルガは声を絞ってルミナへ問う。

 それは散々村で化け物扱いされてきたがゆえの疑問だった。彼は自身の耳と尻尾のせいで迫害されており、しかし実際にそれらに触れても全く怖がらないルミナに対してルガは心を開きかけていた。


「別に。ボクがこの世で恐ろしいと思うものは、師匠くらいさ」

「ししょー……?」

「そう。ボクの魔法の師匠。とんでもない化け物なのさ。アレに比べたら、キミなんかとても可愛いものだよ」

「こわく、ない……ルガが? ほんと?」

「ああ。それに村の人たちはキミが天狼の獣人だからキミを怖がっていたけど、ボクはキミが天狼の獣人だったから助けてあげてもいいと思ったんだよ」

「じゅーじん、だったから?」

「そう」


 彼女は一度頷く。


「だから自分が獣人であることにそう忌避感や嫌悪感を抱かずともいい」

「……? むずかしい」

「『気にしないで』ってこと。たまたまキミが珍しい天狼の獣人であるのと、たまたま進行方向に獣人の村があったお陰でボクは手を貸したまでだ」


 つけ足して「不幸中の幸いだね」と微笑みかけるルミナだが、彼女は不意に考え込む。


「……ああ、でも、あんまりボクを困らせると置いていっちゃうかな」

「こ、こまらせないっ! できるだけ、しない、けど……」


 ルミナは自分の意見を伝えるだけ伝え、満足するとルガの頭から手を離そうとした。


 が、必死なルガが離れゆくルミナの手首を掴んで引き寄せ、もう一度頭に手を乗せさせる。

 人の熱がルガにとっては心地良いらしく、ましてや褒めるような撫でる動作ともなればルガの胸にじんわりと温かいものが蔓延るのだった。


「……もっと撫でるかい?」

「うん」


 ルガのしてほしいことを時間をかけて汲み取ったルミナは、離そうとした手を再びルガの頭に預けた。


「分かった、いいよ。……もしかして誰かによくこうしてもらってた?」

「うん。おとーさん、よくね、なでてくれた」


 ルガのお願いを聞いたルミナは再びルガの頭を優しく撫でる。ボサボサとなった橙色の髪は彼女の手ぐしに直され、彼は幸せの熱を感じていた。

 だが不意に彼は眉を下げる。


「でも、どっか、いっちゃったぁ……」

「そうかい。……同じだね」

「おなじ?」


 同類と言うルミナはそっと微笑をこぼすが、ルガが見上げると彼女の表情もどことなくもの寂しげになっていた。

 

「ボクも置いていかれちゃったんだ。大事な二人に」

「……おとーさんと、おかーさん?」

「さあねぇ。さて、キミの容態的に今日はここで更に一泊だね。キミは昼、日に当たって身体を休めるといい。ボクは夕方まで寝るから」

「えっ、ね、ねる?」

「夜、二人とも寝てしまってる間に魔物が現れたら困るからね。ボクは夜起きるために今の内に眠るよ。明日には山を完全に降りて、次の町に行くつもりだし」


 ルミナの説明を頭の物足りぬルガが説明する前に、彼女は木に背もたれを預けて目を閉じてしまった。しばらくすると聞こえる静かな寝息に、ルガは声をかけるタイミングを失う。


 頭から離れた手の熱の余韻に寂しがったルガは少ししょんぼりとすると、視界の隅にさっきまで自分にかけられていたルミナのローブに気づく。彼はそれを手に取ると、眠るルミナを起こさないようにそっとかけた。


 ルミナが見える絶好の日向に居座ったルガは少しご機嫌そうに尻尾を揺らした。







 それから始まるルミナとルガの二人旅は困難の連続だった。


 まず森を発った彼女たちがはじめに遭遇した魔物との戦闘で、ルガは足をすくめてしまった。


「っ……う、ぅ」


 ツノの生えた四足歩行の獣の形をした魔物。ルガの三倍はある図体を目の前にし、ルガは魔物から放たれる敵意や迫力に圧倒されて怯えていた。


 ルガは確かに昼の間は強い天狼の獣人だ。

 だがこうして幼いながらに命懸けの戦闘に身を浸すほどの経験は無かった。村では迫害され、彼は抵抗こそしたが命のやり取りはほぼ無かった。


 魔物はルガの方へ猛スピードで駆けて体当たりする腹積もりだったが、一方ルガは完全に気圧されて動けずにいる。


「……まともに戦えないなら、昨日聞いた時にそう言ってくれればいいものを」


 見かねたルミナが魔物の頭部へとナイフを投擲して一撃で殺したことにより何とか事なきを得たが、彼女は溜息を吐いた。

 それに対し、ルガは魔物を前にした時より恐れを見せた。


「ごっ、ごめん、なさい」

「できないことはちゃんと『できない』って言ってくれると助かるね」

「つ、つぎ、ちゃんとがんばる。だから――」

「別にいいよ。魔物とは戦わなくていい。遠回りになるけど、魔物のいない道を通ろうか」


 死んだ魔物からナイフを引き抜きながら声色も変えずに告げるルミナに対し、ルガは誰に叱られるよりもずっと身を縮こませて泣きそうになっていた。


 それから町に着いた時も、ルガはルミナを困らせてしまった。


「お、おねえさん」

「うん?」

「これ……」


 取った宿の机に突っ伏していたルミナは、少し目を離した隙にどこかへ行っていたルガにリンゴを差し出された。


「りんご」


 ルミナの目に映る真っ赤なリンゴはどうやら贈り物らしく、ルガはなかなか受け取らないルミナにずいっと押しつけた。


「……ボクにあげるってこと?」

「うん」

「受け取れないよ」


 キッパリと断るルミナに、ルガは一瞬思考が遅れた。慌ててついてきた現実の理解に、彼はショックを受ける。

 だがルミナは首を横に振り、ルガの頭に手を置いた。


「それ、どこから持ってきたんだい?」

「……おみせ」

「お店の人がくれたのかい?」

「ううん。こっそり、とってきた」

「お店の人はきっと困るよ。キミだって自分のご飯を取られたら困るだろう?」

「でも……リンゴ、いっぱいあった。だから、いっこくらい……」

「たった一個でも農家さんが苦労して育てたリンゴだよ。それを対価も無くもらうのは失礼だ」


 ルミナに諭されたルガは段々と目に涙を溜める。そして顔を下げ、押し黙ってしまった。


 ルガはルミナが喜ぶと思って、悪意無く店からリンゴを盗んでしまったのだ。店の人間のことを考えず、ましてや盗品だろうとルミナに差し出せばきっと笑顔で受け取って頭を撫でてくれると期待したが、それは裏切られた。


 褒める代わりに叱るように頭に乗せられた手は、ルガには重く感じた。


「一緒にお店の人に謝りに行こうか、ルガ」

「……ごめんなさい……」

「謝る相手が違うよ」

「おねえさんも、こまらせた」

「別に、今度から気をつければいいさ。それと、何かほしいものがあればボクに相談するといい。路銀には基本困らないから」


 ルガの善意がかえってルミナの手を煩わせる結果となってしまったことにも、ルガは落ち込む羽目になった。


 極めつけには、ルガの体質もルミナの足を引っ張った。何せ夜になるとよほどのことが無い限りは睡魔に耐えられず、どんなに気合を入れても彼は気づけば夢の中へと旅立っている。

 これは大いにルミナの頭を悩ませた。


「……夜になるとどうしても足を止めざるを得ないな」


 日を跨ぐ徒歩での移動は、ルガが夜と共に寝る習性のせいでできなかった。ルミナがルガを背負うにも体力を消耗し、ルガを無理矢理起こすことは不可能。

 ルミナは旅を制限され、二人で進むには少し考える必要があった。


「ご……ごめん、なさい」

「いいよ、別に。天狼の獣人の習性について知っていて、それでもキミを用心棒にしたのはボクだ」


 さりげなく擁護するルミナだが、ルガが落とした気が戻ることはなかった。

 用心棒と呼ばれる通りにルガがルミナを守ったことはない。むしろルガの方が守られ、庇われるばかり。

 

 ルガは自分がルミナにとって荷物であると自覚していた。


「でも大丈夫、もう獣人たちの住む村に着くよ」


 二人旅は二週間で終わりを迎えようとしていた。


 遠回りをしながらも獣人の村に辿り着いた彼女たちだが、ルミナだけは歓迎されることは無かった。

 それもそのハズ、村の住人は全員獣人であり、彼らから見れば人間であるルミナの方が異端だったからだ。


「申し訳ないが、あなたが村に入るのはご遠慮願いたい。この村には人間に迫害されてやってきて、人間にトラウマを持つ獣人もいる」

「構わないよ。ボクはただこの子をこの村に預けたいだけだ」


 犬の尻尾を持つ精悍な顔つきをした獣人の青年はどうやら村の警護役らしく、彼は村の外からやってきた二人を目ざとく見つけるとルミナの入村に良くない顔をした。

 だがルミナは気にする素振りも見せず、代わりに物珍しげに村を見渡すルガの頭に手を置いた。


「その子どもは?」

「人間の村で生まれた天狼の獣人だ。この子も迫害されていたから、似た境遇の獣人がいるこの村ならこの子が過ごすにはいいと思って連れてきたのさ」

「……我々の村について、どうやって知った? 人間にはバレないよう徹底的に隠匿しているハズだ」

「言えない。が、ボクの他に漏れてはない。神にも誓おう」


 獣人の青年は鋭い目をルミナに向ける。彼の目には何故かこの村について知れたルミナが胡散臭く映っているようで、なかなか疑念が解かれることはなかった。

 ルミナはそれに少し困ったように笑ったが、しばらくするとルガと視線を合わせるためにしゃがんだ。


「ルガ、ここでお別れだよ。これからはここで過ごすんだ。幸いにも、この村ならきっとキミを受け入れてくれるだろう」


 ルガの頭をぽんぽんと撫で、ルミナは別れを告げる。

 彼女の表情はいつもの薄笑いと変わらない。ルガとの別れにせいせいするでもなく、惜しむでもなく、彼女は昼時の呑気な会話でもする調子で挨拶する。

 ルガはそれを素直に受け止められなかった。


 ルミナが立ち上がって村に背を向けようとするが、三歩進むと彼女のローブが引っ張られる。その感覚に足を止めて振り返ったルミナは、ローブを掴む小さな手に気づいた。


「……ルガ?」

「や……やだ、おいてかないで、おねえさん」


 震えた手はルミナのローブを掴み、彼女が村から立ち去ろうとするのを――ルミナとの別れを拒んでいた。


「そうは言われてもね……元々この村までの二人旅だ。キミをこの先の旅には連れていけない」

「な、なんでもする。ワガママ言わないし、こまらせないようにする! だから、……だから……」

「それが既にワガママだよ」

「ッ……! でも、だって……」


 ルガの抵抗はまるで親に依存する子どものようで、ルミナは困ったように溜息を吐いた。


「ボクはいつまでもキミを守れないよ。それにキミは子どもだ。子どもは大人しく村で守られて、ゆっくり大人になる方が向いてる」


 良識的なルミナの言葉にルガは反論する術が思いつかなかった。抗議としてただルミナのローブを掴むが、それもいつまでもできることじゃない。


「……ルガ」

「や、やだ!」

「キミ、いつの間にそんなワガママな子になったんだい?」

「ご、ごめん、なさい……でもやだ、おいてかないで……」


 二人の対立は堂々巡りに入った。

 

 ルミナはルガを獣人の村へ置いて旅に出たい。

 ルガはルミナに置いていかれたくない。


 相反する願いに両者は一歩も譲らなかった。

 そこに待ったをかけたのは、その場で二人の押し問答を見ていた獣人の青年だった。


「……村の外れの方に誰も使ってない倉庫がある。そこで一日、二人でゆっくり話し合う方がいいんじゃないか?」

「いいのかい? 人間が一日でも滞在して」

「ルガという子があなたにとても懐いているのは分かった。幼子にとって大事な人との別れはトラウマになるほど辛いものだ。こちらとしてもトラウマを持った子どもを預かるのは大変なんだ」

「……すまないね。助かるよ」


 獣人の青年の計らいで、ルミナとルガの問題は一旦長引いた。


 倉庫へ案内されたルミナは、彼女に対してびくびくと様子をうかがうルガと向き合った。彼はルミナから叱責の言葉が飛んでくるとでも思っているのか、赤色の目を泳がせて身を縮こませている。


「そんなにボクと別れるのが……いや、置いていかれるのが嫌なんだね、ルガ」

「うん」


 ルガはここぞとばかりに力強く頷いた。彼はルミナとの旅では気弱な部分ばかり見せていたが、どうやら今回ばかりは意思は強いらしい。


「キミの意思は分かったよ。ただ、それはそれとしてこの村を見て回るといい。獣人の村なんてそうあるワケじゃない。せっかくだし見ておくといいよ」

「おねえさんは?」

「ボクは村には入れない。どうやら人間嫌いの獣人もいるようだから、うかつに村に行くとトラウマを刺激するだろう。だからキミ一人で行くといい。邪険にはされないハズだよ」

「……ルガ、むらにいって、おねえさん、どっかいかない?」

「大丈夫、行かないさ。キミが戻るまで休むつもりだ」


 ルガはルミナと離れた拍子に彼女がどこかへ去ってしまうことを恐れ、疑い深く彼女を見上げる。


「ボクがキミに嘘を吐いたこと、あるかい?」

「……無い」

「だろう?」


 ルガは少し不服そうだったが、渋々頷いた。

 仮にルミナがルガを置いて村を出たところで、彼の自慢の嗅覚では逃亡も無意味だろう。

 

 そう判断してひとまず頷いたルガは、ルミナの言いつけ通りに村を見て回ろうとやや躊躇いがちに倉庫を出た。


 彼は気の進まない足取りで村に向かえば、村の入り口で会った犬の獣人とばったり出会った。

 彼は一人で気乗りしない様子で村へ向かうルガの前で足を止める。


「あれ、君……さっきの人間は?」

「そうこ。やすむって」

「そうか……君は?」

「おねえさん、むら、みろって。だからみる」

「なるほど。なら少しここで待っててくれないか? 俺が村を案内しようと思うが、少し彼女にも挨拶したいんだ」

「……わかった」


 ルガは外で日向ぼっこしながら、青年の言いつけ通りに待つことにした。

 青年は倉庫の中へ入ると自分の荷物を開けるルミナを見かける。彼女は倉庫に入った青年に気づくと、荷物を閉じて平然と青年の方へ向き合った。


「何か用かな?」

「いや、先ほどの非礼をお詫びしたい。もしかすると警戒しすぎたせいで強く当たり、気に障ったと思い」

「気にしてないよ。人間を警戒するのはキミたちにとって当然だろう。ましてや迫害されたことのある者がいるならば」


 律儀にもルミナへ謝罪しに来た獣人の青年は頭を下げたが、ルミナの見透かした言葉に頭を上げ、彼女をじっと見る。

 

「……あなたは獣人を迫害するような人間ではないようだ。ルガという少年もひどく懐いている。胡散臭いが悪意を感じない」

「胡散臭いって……正直だね。まあ悪意を向ける理由も無いからね。ボクから見れば人間も獣人も大差無いし」

「あなたは、そう言ってくれるのか」


 どこか重みを持って返す青年は少し眉を下げた。


「……勘違いされそうだから言っておくけど、ボクに親切心は無い。ボクがルガに世話を焼いたのは天狼の獣人に対する物珍しさゆえ。それ以外に理由は無い」

「あんなに子どもに好かれておいて、親切じゃないと言うには説得力に欠くが」

「勝手に好いたのは向こうだよ。そもそもボクはルガのような子は嫌いだ」


 獣人の青年は意外そうに目を見張った。


「とてもそうには」

「あの子はあまり正直じゃない。さっきみたいなワガママを常に言ってくれる方が、ボクとしては分かりやすかったんだけども……彼との二週間の旅ではそうじゃなかったから」


 ルミナは溜息を吐くと、やれやれと言いたげに肩をすくめた。その仕草は面倒そうに思っているようだった。

 獣人の青年はどこか考え込む素振りを見せ、やがて自信がなさげに口を開く。


「――俺から見れば、やり方が分からないからだと思う」

「やり方が分からない?」

「親は子どもの抱いた感情に『嬉しかったね』とか『辛かったね』とかを共感して教える。そうして子どもも徐々に感情表現の幅を広げるんだ。だがルガという少年は……感情の抑え方ばかり覚えていたように見受けられる」


 ルミナは青年の話に真面目に耳を傾け、彼に顔を向けた。


「まあ合点はいく。……うん、考えれば考えるほどキミの言う通りだろう。確かにボクも……」

「……? 俺の意見が参考になれば良いと思う。そこで更にお節介なんだが」


 青年は話に一区切りつける。


「彼も一緒に旅に連れていくか、もしくは一緒にどこかに定住するのは――」

「そんな気は無い。ボクは一人で旅を続ける」


 青年の提案は取りつく島もなく断られた。


「……まあ、よく話し合って決めるといい。別に彼がこの村にいると言うなら――」


 特にルミナを説得する気も無かった青年はあっさりと引き下がり、改めてルガのみ定住は歓迎する旨を伝えようとした。

 

 が、それを言い切る前に外で物音がする。倉庫内にいる二人が耳を傾けてみると、それはまるで小さな足が倉庫と反対方向へと駆けていくような音だった。

 その正体を悟ったルミナだが、特に動揺することもなくいつもの調子で青年に言う。


「悪いんだけど、キミにあの子の面倒を任せてもいいかな」

「構わないが……後でちゃんと彼と話し合ってやってくれ」


 青年は離れゆく足音を追い、駆け足気味に倉庫を出た。扉の音がやけに倉庫に響く中、ルミナは扉に背を向けて再び荷物と向き合う。


「――話し合う必要は無いよ」


 ルミナの頑なな拒絶は空虚に溶けた。

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