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呪われた星々  作者: 三角形
幼き天狼編
25/34

二十五話『一年前の昔話』

 宴は夜が深くなり、主役である旅人たちが早めに休むという(てい)で早々にお開きとなった。村の子どもたちははしゃぎながらも我が家に帰り、宴の支度を整えた者たちは後片付けも忘れず行っていく。

 その中には、ルガを部屋のベッドへと置いて自分も片付けに回るレティも混ざっていた。


 香り漂う料理も、感謝の願いが込められた飾りも仕舞われ、屋敷の前はすっかりいつも通りの光景に戻る。村人も余韻に浸りながら家に戻り始める頃、反対に屋敷へ戻る者たちがいた。


「あ……ルミナさんにタタラさん。お話はもうよろしいんですか?」


 少し気まずげながらもレティは以前通りに振る舞い、二人を笑顔で出迎えた。


「ああ。《タタラはもう休むといい》。ボクは……そうだね、レティさんに少しさっきの続きについて話そうかと思って。疲れているなら明日でも構わないけど」

「いえ、この後でも大丈夫ですよ」

「悪いね」


 ルミナの言葉にタタラは嘆息してから自分にあてがわれた部屋へと向かう。残されたルミナとレティの間には、いたたまれない空気が漂った。

 だがルミナにそんな空気を無視して口を開く。


「ルガを寝室まで運んでくれてありがとう」

「き、気にしないでください。ルガくんのような子どものお世話、好きですから」

「そうかい。……昨日は悪いね、キミにルガの面倒を見させて。あの子は昼間は活発だから、振り回されたろう」

「ええ、まあ。でも村の子どもとさほど変わらず、元気でいい子でしたよ」

「それは良かった。ルガもキミのことをまるで『おねえちゃん』のように思ったそうだよ」

「お姉ちゃん……ふふ、確かに私も『弟がいたらこんな感じなのかな』とは思いました」


 今は夢の中にいる幼子が話題となると、レティは頬を緩ませる。あどけなく笑む彼女とルガの相性はその表情からは言うまでもないだろう。

 それを見たルミナは少し視線を落とす。


「……ボクの考えていること、ちょっとくらいキミに話しておこうかと思って」

「えっ?」

「キミだって得体の知れないヤツにいきなり『同行しろ』と言われたら不安になるだろうし。それともキミの中でボクはミステリアスな方がいいかい?」

「い、いえ。ぜひ知りたいです。ただ……」

「『何か言葉巧みに騙す気なんじゃないか』……って、身構えているのかい?」


 ルミナの指摘にレティは短く唸る。図星だったようだ。

 どこか気まずげになるレティに、ルミナは気を和らげるように笑う。


「別にキミがボクに罪悪感を抱く必要は無いよ。それを隠すことも」

「しかし……なんだか、失礼な気がして」

「失礼?」


 ルミナは首を傾げ、うろたえるレティを見る。


「正直言えば、ルミナさんのことは半信半疑です。……でも疑うのは失礼でしょうし、できるだけ信用できるように努力します」

「キミの中で、疑うって失礼なことなんだ」

「え? は、はい。だって、なんだか申し訳ない気がして……」


 レティの述べた理由をルミナが理解するには少し時間を要したらしく、ルミナは目を逸らして脳内で言葉を噛み砕く。やがて彼女は理解を諦めたのか「まあいいか」と漏らした。


「うん、何でもないよ。本筋とは逸れたから戻ろうか。それで、キミを同行させる理由をちゃんと説明しようと思ってね」

「そういえば、どうしてですか? 私がいると村が危ないだとか、どうとか……」

「うん。マルフィックはこの村、ひいてはセンリュシアさんやレティさんを狙っていた。それはどうして?」

「えっと……恐らく、明けの一族が狙いなんですよね」


 レティはそこまで言ってハッとする。


「まさか、それで?」

「ああ。噂の星の魔女――ガランはマルフィックを配下として使い、明けの一族の女を狙ったが失敗した。とは言えそれで諦める男じゃない。すぐに次の手を打つかもしれない」

「また私を狙って、村を襲うかもしれない……ということですか」

「そう。そこでボクらがキミについてやれば、ガランが来ても守れる。けど村にこもりっぱなしではいつまでもガランの居場所は掴めない。だからボクらに同行してもらいながら探そうと思ってね」


 レティは相槌を打ちながら真剣に聞く。自分を狙って村も危うくなるかもしれないとなれば、彼女は真面目に聞く他ない。


「しかし、何故わざわざ私たちを……」

「西の泉の祠。そこの封印を解くためだろうね。あれを管理しているのはキミたち一族だろう?」

「封印を……? それって――魔龍のですか!?」

「ああ」


 神妙に頷くルミナにレティはごくりと唾を飲んだ。が、疑問が浮かび上がったことで彼女は首を傾げる。


「ルミナさん、私の一族や我々が管理しているものに詳しいですよね。この島の住人でもないのに……」

「師匠が昔、研究でこの島に来てね。明けの一族や祠の封印について調べてまとめた資料を見て、色々と知ったんだ」

「え? た、太陽の魔女が昔ルキダリア島にいらっしゃったんですか!?」


 驚愕の声と共に、レティは口を開けっ放しにする。その様子を捉えたルミナはどこか得心がいったように口を開く。


「……やっぱり知らなかったんだね。道理で太陽の魔女の話になると目を輝かせるわけだ……」

「な、何の話ですか?」

「師匠についてキミはどんなことを聞いてる?」

「え? えっと……東に行けば街を呑むほどに巨大な魔物を街に一切傷をつけることなく倒し、西に行けば魔物の群衆を一蹴して人々を助け、その圧倒的な力に驕ることなく世のため人のために尽力した素晴らしい魔法使いだと聞き及んでいます」

「それは一体誰から?」

「噂です。ルキダリア島に来る旅人さんから噂好きな方に広まり、更にその噂も広がってよく耳に届くんです」


 質問に質問で返されたレティは耳にした噂を花が咲いたような笑顔で生き生きと語る。

 だが彼女の口から噂が垂れ流されるたびに不思議とルミナの視線が下がった。そしてどこか呆けた様子でまばたきを繰り返すのだった。


「……ルミナさん?」

「いや、うん。間違ってはない。間違ってはないね……」

「ど、どうしました?」

「何でもないよ、こちらの話だ」

「……ルミナさんの話、多いですね」

「いや……今回のは知らない方がキミのためかもね……」

「本当にどうしました!?」


 ルミナは段々遠い目をしてレティの返答を曖昧に濁す。珍しく見せるルミナの強くない姿に思わず声を上げるレティに反応し、ルミナは咳払いをした。


「まあ、それは気になるなら追々ね。それよりキミを旅に同行させるもう一つの理由があってね」

「え、もう一つですか?」

「うん。単純にキミとルガは相性が良さそうだから、面倒を見てほしく思って。ほら、タタラにルガを任せるとよく喧嘩しちゃうから」

「た、確かに。お二人とも、仲良くはないですよね……」


 二人の不仲を実感しているレティは困ったように頬をかき、ルミナも苦笑をこぼしている。

 ふとレティの頭の中に、一つの疑問が湧いた。


「ルミナさんがお世話するのでは、ダメなんですか?」


 素朴な疑問の後、しばらく返答は無かった。不思議に思ってレティがルミナを見ると、ルミナの笑みは固まったままで何か考え事をしているようだった。


「……ルミナさん?」

「ああ、いや……ボク、面倒を見られるのは好きだけど、面倒を見るのは好きじゃなくてね」

「そうなんですか? でもルガくんが頑張った時には頭を撫でてあげたり、ルガくんもルミナさんのことを慕ってたりしてますし、ルガくんのことを可愛がってるじゃないですか」


 レティの脳裏に、ルガを撫でるルミナの姿がよぎる。

 例えば直前まで気配を消して盗賊たちを倒した時、洗脳で暴走するセンリュシアを止めた時、そして先ほどにルミナに疑心を向けるレティを説得した時。

 ルミナはルガが役立った際には褒めるように頭を撫でているのだ。レティの目から見てこの行為は「可愛がってない」と言うには無理があった。


 だがルミナは首を横に振る。

 

「あれはただの真似事だよ。可愛がってるワケじゃない」

「真似事?」

「……子どもの扱いはよく分からないから、一番参考になる人の真似をしてるだけだよ。でもキミは子ども相手にも慣れてそうだから、キミにならルガを任せられる」


 レティへルミナの目がまっすぐと向けられる。少し困って返答に遅れたレティだが、子ども好きなレティがそれに首を横に振るハズも無かった。


「分かりました。でしたら今後もこのルガくんのおやつは預かった方がよろしいのでしょうか?」

「うん、そうしてくれると嬉しいね。それ、仮にルガが遠くに行ってしまったとしても戻ってこられるように少し香辛料の香りを強めているから、もしルガが迷子になったらレティさんのところに戻れるよ」

「る、ルガくんの嗅覚ってすごいですね……本当に」

「ああ、あの子の嗅覚にはボクもたびたび驚かされるよ」


 改めて天狼の獣人の嗅覚の鋭さを実感したレティは感心した。ルミナもまたどこか懐かしむようにくすりと笑みをこぼす。


「レティさん、まだ寝ないかい?」

「え? ええ。この後湯浴みをして、お母様のところに立ち寄るくらいで……」

「だったら少し聞いてほしいことがあるんだ。ルガの話さ」

「ルガくんの……?」


 ルミナは頷き、そして天を見上げた。星々に混ざって輝く月はまだ真上へ到達するには猶予があり、ルミナはゆったりとして言葉を続ける。


「あの子の昔話だよ。ルガの面倒を見る上では聞いてほしい」

「……でしたら、ぜひ聞かせてください」


 レティの承諾を見たルミナは軽く息を吸い込んだ。


「――今からざっと、一年ほど前のことだ」







 日が山に隠れかける頃、鬱蒼とした山の谷で立ち塞がる草木をかき分けながらルミナは一人で獣道を進んでいた。

 彼女は露出を拒むネイビーブルーのローブを着こなし、頭に帽子は何も被ってはいなかったが、肩まである青い髪を後ろにまとめていた。

 

 連れもいなければ愉快な仲間もいない、実に孤独な旅。それゆえに道中は物静かであり、衣擦れや葉のこすれる音、時折奏でられる鳥や虫のメロディだけが彼女の旅路の音楽だった。

 

 彼女が歩く山の谷の空気は乾燥しており、土壌も芳しくない。ほどほどに痩せた土地は人間が住むのに適していなかった。


 が、獣道を抜けた先、ルミナは三角屋根が立ち並ぶ人の集落を見つける。


「な、何もんだアンタ!」


 集落の第一発見者を見つけたルミナだったが、集落における部外者の認識はよほど敵対的だったようで、ルミナが歓迎されることはなかった。


「ボクは見ての通り旅人だ。申し訳ないのだけど、雨風を凌げる場所は無いだろうか」

「無いな、どっか行きな」


 もはや旅人のことを敵として捉え、追い払おうとするその人にルミナは肩をすくめた。

 その人がルミナに背を向けて去ろうとした時、彼女は口を開く。


「……見たところ、この村は不作続きで困っているようだし、非常用のドライフルーツを分けてあげてもいいと思ったんだけどね」


 ルミナの鶴の一声は遠ざかる背を止めた。


 その後は第一発見者の村人は村の長らしき人物へ一旦相談に行き、実際にルミナが手持ちのドライフルーツを見せたことで彼女の要求は通った。

 ルミナの所持品から非常食がごっそりと減ると共に、彼女の要望通りに雨風のしのげる建物へと案内される。


 それは村から少し離れた、随分とボロボロな小屋だった。だが不思議なことに小屋は徹底して隙間や穴、更には窓まで塞いでおり、遮光性や密封性に関しては保証できた。

 ルミナが呆然と小屋を見ていると、案内人となった第一発見者の村人はじろりと彼女を見つけてキツく言い放つ。


「この小屋に獣を拘束しているが、そいつの拘束は解くんじゃないぞ。あと、そいつに絶対に光を浴びせるな」

「まさか猛獣の檻に案内されるとは思わなかったな。これがこの村流の歓迎かい?」

「ふん。雨風を凌げるだけありがたいと思え」


 鼻を鳴らして不遜な物言いで村人はどこかへと去った。残されたルミナは小屋を見上げ、中の気配を探る。

 彼女は耳を澄ませるが、猛獣らしき息遣いは無い。獣臭さも無ければそもそも強い気配はせず、彼女は中に大した存在はいないと確認すると扉を開き、そして光が入らないようにすぐに閉じた。


「……暗いな」


 板の隙間から僅かに光が入るため、小屋は薄暗い程度に収まっている。足場はかろうじて見えるためにルミナは慎重に中へと進む。


「よっこらしょっと。……それで」


 彼女は年寄り臭いかけ声と共に塞がれた窓の近くに荷物を置いた。そして視線を横へと滑らせる。


「もしかして、キミが噂の獣くんかい?」

「……ぅゥ゛」


 ルミナの問いかけに対して軽く唸るのは、ルミナの視線の先で壁に拘束されている小さな幼子だった。

 

 病的なまでの痩身は栄養不足であることを如実に表しており、後ろに回された手や足に食い込んでいる縄が更にその痩躯へ追い打ちをかけている。だが特筆すべきは他にもある。

 子どもの頭には人ならざる耳――狼の耳が垂れていた。臀部からはボサボサとした毛並みのオオカミの尻尾が生えており、力無く地面へと伏している。


「獣は獣でも獣人か。光を浴びせてはいけないということは……なるほど、キミは天狼の獣人だね。ただでさえ珍しいことこの上ないのに、こんなところにいるなんて」

「…………だ、れ」


 小さな子どもの口が小さく動くと、弱々しく掠れた声がようやくルミナの耳に届いた。

 応えるように彼女は右目を閉じ、青い髪を揺らして少し笑む。


「ただの旅人さ。キミは――ああ、喋るのは辛いだろう。少し水を分けてあげるよ、ルガ・ルットーくん」

「なん゛、で……なまえ……」

「とても物知りな知人がいてね」


 荷物の中から水筒を取り出すと、彼女はルガの口元へ水筒のふちをあてる。ルガの手は拘束されているために彼女が水を飲ませるのを手伝い、ルガはゆっくりと水を嚥下する。

 飲みきれなかった口の端から少し垂れた水が、ルガの衰弱具合を表した。


「……折檻されてるワケではなさそうだね。キミ、このままだと衰弱死するよ」

「……ルガ、わるいこ、だから……」

「悪い子?」

「ルガがいるから……ごはん、できないって。やくびょーがみ、って……」


 辿々しく説明する声は痛切なまでに震えていた。彼は言われたことを鵜呑みにし、ワケも深く考えずに「自分が悪い」と信じ込んでいた。

 水筒を荷物にしまいながら、ルミナはルガの横に腰掛ける。


「天狼の獣人の存在そのものが不作を誘うなんて聞いたことが無いけどね。ただ責任をなすりつけたいだけだろう」

「せきにん……?」

「心に余裕の無い人は不都合に理由をつけたがるんだよ。それに責任転嫁して自分を守りたいから。キミのせいなんかじゃないのにね」


 ルガの赤い目がゆっくりとルミナを見上げる。


「……ルガのせいじゃ、ないなら、なんで?」

「単なる天の気まぐれだよ。空に座す住人は鳥も含めて気分屋なのさ」


 乾いた土壌の原因は雨水不足だった。そのために村の端にある畑たちは干害に見舞われ、村には食糧不足が蔓延している。

 この村の者が心なくルミナやルガに対してぞんざいな扱いをする理由も、飢えによる余裕の無さだ。それを見抜きつつ、ルガを横目で見たルミナは肩をすくめた。


「キミが今こうして縛られて放置されているのも差別からだろうね」

「さべつ……?」


 差別という単語を知らないようで、ルガはおうむ返しした。するとルミナはルガの頭に手を伸ばす。

 ルガは向かう手を認識すると、怯えたようにギュッと目を瞑った。


「……例えば、キミの耳。尻尾。これは人間とは違う」


 身を強張らせたルガだったが、彼の頭に熱がこもるだけだった。恐る恐る目を開けると、ルミナはルガの頭に生える耳と耳の間に手を乗せている。


「集落に属する者は集落での共通点から外れる者を恐れる。例えそれが安全だったとしても、輪を乱すかもしれないから」

「……むずかしい……」

「彼らは人間。キミは獣人。彼らにとってそれは大きな違いであり、怖いことだ。だから彼らはキミのことが怖いんだよ」


 ルガはルミナの要約された言葉を噛み砕いて理解すると、視線を地面へと落とした。


「…………ルガも、にんげん、だったら」

「そうだね。キミが人間だったら、彼らもキミを恐れて殺すまではしなかっただろうね」


 ルミナが淡々と述べる予想はルガをしばらく黙らせた。小屋の中は沈黙が流れる。


 外で日は完全に隠れたようで、小屋の中も暗闇が訪れる。ルガの瞳も瞼に覆われかける。

 だが彼の小さな腹からは絞るような声が聞こえ、彼は素直に微睡みに落ちることはできなかった。


「……おなか、すいた……」


 ルガはひどい空腹に襲われていた。飢餓により眠ることもままならず、ひたすらに苦しい飢えに苛まれている。

 ルミナが飲ませた水を除き、もう最後に食べ物を口にしてどれほどになるのか。ルガは考えすらまとまらない頭で思考しようとするが、当然ながら上手くいかない。


「……おとー、さ…………」


 彼は力無く項垂れ、定まらない視線を地に落とす。痩せこけた頰の中からは涎が分泌され、口の端から垂れ落ちる。


「――しょうがないな」


 ルミナは溜息混じりにそうこぼすと、どこからともなく銀のナイフを取り出してルガを拘束する縄へとあてがった。少し刃を当てて引いただけで切れたことにより、ルガを縛るものは無くなる。

 ルガが前のめりになって倒れかけるところをルミナが受け止めると、彼女は懐から一つの小さなパンを取り出した。


「食べるかい? あと一晩何も食べなければ、キミは手遅れになるだろう」

「……ごはん」


 ルガに差し出されたそのパンにルガの鼻がすんすんと鳴る。おぼつかない彼の視界で食べ物を認識すれば、震えた手がパンへと伸ばされた。


「ゆっくり食べるんだ。別にパンは逃げたりしないし、数日も食べてないなら飲み込むのも辛いだろう」


 まず一口食べた彼は小さく顎を動かして噛むと飲み込む。次にまた一口、更にまた一口と食むたびに一回一回の咀嚼と嚥下の間隔が狭まる。

 渇いた胃にパンが少しずつ収まると、それはルガのエネルギーとなる。餓死しかけた彼は死から遠ざかり、再び生へと戻っていく。

 パンを食べ切るとルミナは今度は自らの水筒を差し出す。ルガは水筒のふちに口を当てると、ちびちびと水を煽った。


 活力を得た彼がまずしたことは、目から涙を流すことだった。


「……ひっく、えぐっ……」

「そんなに美味しかったかい?」

「う゛ん……っ、おいじい゛……おいしいっ」

「そうかい」


 大粒の涙は地面へと吸い込まれた。ルガの胸中を占めている生の実感を噛み締め、彼はルミナの質問にも必死にこくこくと頷く。

 それを微笑んで受け取ったルミナは口を開く。


「さて、対価をもらおうか」

「ぐすっ……たいか?」

「ああ。何をしてもらうにもまず対価を払ってもらわなければね。タダで何かしてもらおうだなんて、虫が良い」


 ルガは意味が分からないといった風に首を傾げる。だがルミナは構わなかった。


「……その前にお客さんかな」


 不意にルミナが扉の方へと顔を向けた。誰かが入ってくる気配こそ無いが、ルガは嗅覚を働かせると人の気配に気づいた。


「静かに」


 人差し指を口の前に立てたルミナは下ろしていた荷物を持ち、勢いをつけるとそれを放り投げる。

 ドサリと音を響かせて扉の前へと荷物が着地した瞬間、先の尖ったくわが扉を破って先端を露わにした。


 突然の物音にルガは肩が跳ねる。だがルミナは冷静に扉のあった場所から目を離さずにいた。


「……旅人の身ぐるみを剥いで生活の足しにしようって魂胆かい?」

「チッ、殺し損なったか。……オイ、化け物の拘束が解かれてるじゃねーか」

「構わんだろ。今は夜だ、アイツは夜だと力が出ない」


 中の様子を確認しに外から小屋へと入ってきたのは二人の男だった。一人はたった今突き出したくわを持ち直し、もう一人は手に農業用の道具を持って敵意を放っていた。


 彼らはルミナの言う通り、彼女の荷物が目当てのようで、男の一人は落ちたルミナの荷物を手に取った。彼は中身を確認しようと鞄を開ける。


 だがその手に白く細い手が乗った。


「おっと、乙女の秘密だよ。中身を見るのはよしてもらおう」

「うわぁっ!? お、おお、おまえぇ……!」


 男が少し目を離した一瞬でルミナは彼の目の前に立っており、男が驚いて気を取られた隙に荷物はひったくり返された。

 

 荷物の無事を確認しながら退くルミナだが、小屋の唯一の出入り口は男二人に塞がれており、彼女の後ろにはルガと壁があるのみ。


「悪いな旅人さん、おれらにも生活がかかってんだ」

「そのためにボクを殺して金品を奪い、ついでにルガも殺そうと?」

「そいつは化け物だ。村に来た化け物が村長の娘をたぶらかして、そいつを孕ませやがって……」

「だからキミたちはこの子を化け物と呼ぶんだね。化け物の子どもだから」

「……何が悪い。そいつを見てみろ、そいつの耳と尻尾! 明らかに獣のモンだろ!? 気味が悪りぃ!」


 男が指差す先には、怯えてルミナの背に隠れるルガが身を縮こまらせていた。

 男の言葉を脳内に反芻させたルガは段々と耳が垂れ、夜であることもあって元気を失う。目には悲壮な涙を浮かべ、彼の幼心がズタズタに傷つけられていることを顕著に伝える。


 ルガを一瞥したルミナは呆れたように溜息を吐いた。


「こんな子どもが化け物? 笑わせてくれる」


 嘲笑混じりの言葉にルガはハッとして顔を上げ、ルミナの顔を見上げた。


「――見たことがないんだね、本物の化け物を」


 彼女の金の瞳は、星のごとく輝いて男たちを見据えており、彼女の口角は自信満々に上がっていた。


 その瞬間、吹き荒れるような風が小屋の周辺を舞った。

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