二十四話『魔女たる所以』
「ルガ、くん……」
「なに、してる……? レティ、こわいカオ」
ルガは夜ということもあってか、うとうととしながら歩いていた。眠たげな目は活力を失い、しかし寝まいと必死に瞼を閉じることだけは堪えていた。
「――ルミナのこと、いじめてる?」
「い、いじめてるワケじゃないですよ! ただ……」
ルミナに対して睨み見るようにしているレティとタタラを見て、ルガはおおよそ状況を察したらしい。狼の耳を垂れさせながら問うルガにレティはあたふたとして弁明しようとする。
「ルガくん、あなたはルミナさんに騙されているんじゃないかと……だってルミナさんは星の魔女で!」
「ちがう」
「しかしルミナさんは星の魔女であることを認めたんです! ルガくん、星の魔女は太陽の魔女、トウコ様を殺害し、あまつさえアブロス王国へ隕石を落として壊滅させかけた大罪人なんですよ!」
レティは幼いルガも星の魔女であるルミナに利用されているのではないかと勘繰り、説得を試みる。
「ちがうっ!!」
だがルガは睡魔も理性もなりふり構わずに叫ぶ。
「ルミナ、そんなことしない!」
「どうせお得意の魔法が暴走して師匠ごと国をぶっ壊したんだろ。それで逃げてるワケだ。ルミナが強い魔法使いだって知れ渡らないようにしてんのも、そーゆーこった」
「ちがう! タタラのバカ!」
「テメェの方がバカだっつの、ルガ。テメェもこの女に騙されてる」
「ちがうもんっ!!」
ルガは癇癪を上げ、目には涙を溜めて地団駄を踏む。必死に首を横に振るルガはしゃくり上げて泣いていた。
疑われるルミナの代わりに心を痛め、誤解を解こうとしても彼の言語化能力では高が知れる。そのことにルガはますます怒りを露わにし、タタラの言葉を否定した。
「ルミナね、たしかにたまにホントのこと、言わない。でもわるいウソ、言わないもん。ウソつくの、いつもタタラのほう!」
ルガの訴えが痛切に空へ響く。
「おねがい、ルミナのはなし、きいてあげて」
「る、ルガくん……」
潤む瞳を向けられたレティはたじろいで心を揺らした。
ルガがルミナに刷り込まれている可能性はある。何せルガはまだ分別もつかない幼子。ルミナが星の魔女であると知る前のレティのように、ルミナの表の顔に絆されて気を許すのも当然だ。
ルミナがルガにそう言わせるよう教育していてもおかしくない。
が、そう疑っても、子どもの涙に弱いのがレティの性質だった。
「……分かりました、話は聞きます。聞いて……それからちゃんと、判断しますから」
ルガの涙を止めるには、ルガの思い通りの返答をするべきと思ったレティは頷いた。ルガに近寄ってそっと涙を拭った彼女は、少し心配そうな素振りを見せながらもルミナと向き合う。
「ルミナさん、お聞かせ願えませんか。あなたが……星の魔女たる所以を」
「うん、いいよ」
先ほどとは打って変わり、あっさりとした首肯からルミナの弁明は始まった。
「まず、ボクが星の魔女と呼ばれているのは本当だよ。……けどね、それは濡れ衣だ」
「ぬ、濡れ衣、ですか?」
「ああ」
ルミナはレティたちの元へとゆっくり歩みを進める。身構えるレティだが、ルミナは眠たげなルガの元へ歩み寄った。見上げるルガの頭に手を置き、彼女は話を続ける。
「太陽の魔女――ボクの師匠は、ボクが殺したんじゃない。別のヤツに殺されたんだ。胸をナイフでひと突き。そうして師匠はベッドで息絶えていた」
「べ、別の方って……一体誰ですか!?」
ルミナは視線を落とした。
彼女は間近にいるレティも唾を飲み込むほどの無表情がのっぺりと張りつけられている。
レティはルミナの普段の軽薄な笑みには何の感情も汲み取れないのに、たった今浮かべている無表情には言い知れぬ激情が渦巻いているように感じた。
「そいつはボクの兄弟子。名をガラン・シェーマンと言う」
「ガラン……」
「ああ。ヤツは師匠を殺し、あろうことかアブロス王国に甚大な被害が及ぶよう仕向け、その責任をボクになすりつけて逃げた。その結果、ボクは『星の魔女』と呼ばれるようになった」
ルミナは話がてらルガの頭を撫でる。大粒の涙を流した後の瞼はとても重いようで、ルガはルミナの手の熱が伝わる度にこっくりと再び船を漕ぎ始める。
「ボクの目的はガランへの復讐だ。そこに嘘偽りは無い。今更悪名を撤回してもらおうとは思わないけど、師匠を殺した罪はしっかりと清算してもらう。だからボクはヤツを追う旅をしているんだよ」
「そ、そうなんですか……じゃ、じゃあどうしてタタラさんに『搦め祟り』をかけていらっしゃるんですか?」
「タタラ、わるいやつ」
レティのもう一つの疑問にはルガが拙く答える。
「タタラ、くにの……お、おすすめもの?」
「お尋ね者」
「そう! でね、いろんなひと、こまらせてた。ルガのことも、さらおうとした」
「さ、さらおうとした……?」
「いわゆる人さらいさ。獣人、ましてや天狼のとなれば希少価値が高い。タタラのいた国の物好きな貴族が好きそうなブランドだ。だから売りつけて貴族から大金を得るために、タタラはルガを襲ってね」
ルガの補足に回るルミナは「まあ返り討ちにしたけどね」とつけ足しながらタタラを見る。
タタラは説明へ介入こそしなかったが、ルミナに何が言いたげに睨みつけていた。
「放っておいてもまた悪事を働くだろうし、国の兵士に預けたところで賄賂でも脱獄でもやって再犯するのは目に見えてる。だから無理矢理連れてきたんだよ。役に立つし」
「……タタラ、わるいやつなのに」
口を尖らせてぶーぶー文句を垂れるルガは明らかに拗ねていた。が、同時に今にも寝落ちてしまいそうなほどに目は閉じかかっていた。
不満と睡魔の間で反復横跳びするルガだが、ルミナが撫でるたびに睡魔が優勢になっていく。
何度かこっくりと項垂れると、彼はとうとう耐えきれなくなった。
「おっと」
ルガが倒れ込むとルミナがそれを受け止める。ルミナの腕の中ですーすーと寝息を立ててルガが寝た。
「……嘘だと疑うかい?」
「えっと……」
「まあ別に『いきなり全て信じろ』とは言わない。キミの中にあるボクへの疑念もなかなか消えないだろうね」
ルミナやルガの弁明を聞いてもなお優柔不断ながら半信半疑でいるレティに対し、悠長な言葉が向けられる。
「そこでだ、レティさん」
「は、はい?」
名を呼ばれたレティは反射的に背筋を正した。
「疑うなら見定めればいい。ボクたちはこれから南西にある街に向かうつもりだけど、キミも着いてくるといいよ」
「……えっ!?」
「ああ、センリュシアさんに許可ならもらっているよ。後で確認しに行けばいい」
「い、いえ、いきなりそんなことをおっしゃられましても……!」
突拍子も無いルミナの提案にレティは困惑した。あまりにも唐突ゆえ、彼女はあたふたとする。
「お、お母様のご容態もありますし」
「お手伝いさんがいるだろう」
「村のこともありますし……」
「村にはしばらく手は出さないんじゃないかな。……むしろキミがいると巻き込まれる可能性すらある」
「ま、巻き込まれる……? 一体何故……」
何のことだかさっぱり分からない様子でレティは首を傾げた。対するルミナは腕の中ですやすやと眠るルガをレティへと差し出す。
「まあともかく、今はルガを寝室まで運んでやってくれ。説明は後でちゃんとするよ」
こんなところで眠ってもまともに休めることは無いだろう。そんな配慮からレティは混乱しながらもルミナからルガを受け取る。
やや不満げに胸中をくすぶらせるレティだったが、ルガを夜半の外に放置するワケにもいかない。ルミナから言質を取ったレティは、ルガを背負った。
「……約束ですからね。ちゃんと説明してください」
「もちろん。ボクはもう少し天体観測してから帰るよ。タタラも残るように。話がある」
ルミナはタタラへ視線を向ける。彼は変わらず黙りっぱなしだったが鋭い目だけは健在で、それをルミナへと向けるのだった。
レティは心配げにタタラを一瞥したが、彼はルミナの言葉に異を唱えるつもりは無いらしい。
「そう心配せずとも、本当に話だけだ。少なくともボクからタタラに危害を加えることは無い」
「でしたら、一緒に畑を下りながら話せたりは……」
「おや、男女の秘密の会話に首を突っ込む気で? 馬に蹴られたいなら別に構わないけどね」
レティの視線に気づいたルミナはそう茶化すが、レティの深刻そうな表情に変わりは無い。
しかしタタラからも何か文句を言う気配は無い。
レティは少し迷った後、ルガを屋敷まで送り届けるために畑を下りていった。
残されたのは、命令で黙らされていたタタラと空を見上げるルミナのみ。
そしてレティとルガの姿が完全に見えなくなると、タタラはようやく口を開けるようになった。
「――チッ、口塞いでんじゃねェ」
「あれ以上発言を許すと余計に話が面倒になりそうだったからね」
殺意すら乗せた視線がルミナに突き刺さる。タタラが腹いせに路傍の石を蹴ると、その石は畑を転がって下の方へと落ちていった。
「――オイ、ルミナ」
「何だい?」
タタラは天体観測をするルミナへ乱暴に呼びかけた。
胡乱気に疑う眼差しで。
「あの場でルガが来るなんざ、あまりにもテメェにとって都合が良いだろ」
「……そうだね。都合が良かったよ」
「情に訴えかけるオレに対抗するには、レティが好きそうなガキが情に訴える必要がある。そのためにルガを呼んだのか?」
「キミ、何でもかんでもボクが企み事してると勘繰るの、好きだね」
ルミナは皮肉のつもりでこぼす。
だが今回はルミナの仕業ではないと言いたげだった。
「でなけりゃ、なんでルガが来れるんだよ」
「キミのお陰だけど」
「はっ?」
タタラは素っ頓狂な顔を見せる。真っ先に思いつく心当たりはなく、やはりルミナの仕業かと疑って彼女を睨みつけるタタラだが、そんな視線に気づいたルミナは肩をすくめて説明を始める。
「キミがレティさんにルガのおやつの肉袋を託したんだろう? 宴にしばらく戻らないレティさんに痺れを切らしたのか、ルガは部屋に戻って寝ようとするといつもの肉のニオイがしたからそれを追ってきたんだ」
ルミナはルガのそばにいなかったにも関わらず、まるで見てきたように述べる。
「ボクはただそれを知って、ルガが来るまでの間に時間稼ぎしただけだよ」
「ンだよそれ。偶然かよ」
「ああ。ホント、ルガの嗅覚にはとことん驚かされるよ。……ふふ、あの時だってそうだ」
ルミナはおかしげに噴き出すと、自身の懐を探る。
「それはそうと、レティさんをそそのかしてボクに嫌がらせしようとした罰は与えないとね?」
「――ッ!? テメェ……」
彼女が取り出したものは、一つの藁人形だった。頭頂部には赤い髪が一本刺さっており、それを見たタタラは顔を強張らせる。
ルミナはその藁人形をギリギリと握りしめた。
すると次にはタタラの顔が痛覚に歪んだ。
「がッ、ァ゛……! くそ、がッ、あぁァァ゛ッ!」
全身を激痛が苛んでいるかのごとく彼は硬直し、足を震わせてついには膝を突く。冷や汗を垂らして息を切らすタタラをルミナは冷たく見下ろした。
「そういえば、『丑の刻参り』に使用した藁人形の腕を切り落とすと、絶叫するほどの激痛が腕に走るらしいね。試してみるかい?」
「ッ、テメ、ふっざけんな……!」
「でも、そうだね……キミのお陰でレティさんもマルフィックの『搦め祟り』から守ることができたし、今回はこのくらいで勘弁してあげようか」
「……けっ、やっぱりそういうことかよ」
タタラの睥睨がルミナに突き刺さる。
「レティの持ってた藁人形にあの変な光線が当たった時、オレの身体に妙な感触があった。――レティにかかるハズの『搦め祟り』、その藁人形のせいでオレが肩代わりしたってこったろ」
「ああ。そしてマルフィックのまじないより、ボクのまじないの方が強かった。だからマルフィックのものは効かず、実質こちらはノーダメージというワケだ」
マルフィックがレティへとかけようとしたまじない。
それはまるでルミナがタタラへかけた『丑の刻参り』がマルフィックの『搦め祟り』より強かったために防げたように錯覚させたルミナだが、真実はやや異なる。
レティを庇った藁人形に降りかかった『搦め祟り』は藁人形と感覚を共有しているタタラへと作用されかけたが、ルミナがタタラへかけた『搦め祟り』の方がまじないとしての力は強かった。
だからマルフィックのまじないは無効化されたのだ。
「もうこの藁人形は用済みだね。明日までに処分しておくよ」
「今すぐここでまじないを解いて処分しやがれ。でないと安心しておちおち眠れねェよ」
「生憎とまじないを解くにも手順があるんだ。ちゃんと踏まないと、キミに一生分の激痛が走るかもしれないよ」
ルミナの説明にタタラは眉をひそめた。渋々引き下がった彼は後ろ髪をガシガシとかき、ズボンのポケットに乱暴に手を突っ込む。
ルミナは星空から顔を背けてまだ明るい村の方へと歩き出した。
「さて、戻ろうか。明日には村を出るんだ。今の内にキミも休むといい」
「……殺しに来た相手に『休むといい』なんて労うの、アンタくらいだろうな」
「寛大だろう?」
「余計に気味悪りィぜ」
二人は軽口を叩き合うと、共に畑を歩いて下りる。
「ほんッと、いけすかねェ魔女だな。いつか殺してやる」
辺りには再び剣呑とした雰囲気が漂う。それはタタラから発されているものであり、彼の目は前を歩くルミナを鋭く捉えていた。
後ろからの視線に気づいたルミナはタタラに顔向けせず、しかし帽子の下で僅かに口角を上げた。
「ボクを殺そうだなんて十一年早い。……けど、楽しみにしているよ」
本気か冗談か判別つかない呑気な声色はタタラの神経を更に逆撫でした。