二十三話『お前は人間じゃねェ!』
タタラが動揺してうろたえていると、仕掛けた水の蓋は全て消された。
否、タタラが消すように仕向けられた。
自分の意思でないにも関わらず穴の出入り口を解放したタタラは舌打ちをこぼす。
「……何で燃え広がらなかった?」
「単純なことだよ。マッチ棒を掴んで、油まみれの自分の手に火が移る前に、水に突っ込んで消したのさ」
「水は糸に包んでた。突っ込むのは無理なハズだ。それに地上まではテメェの背丈じゃ届かねェだろうが」
「それは簡単だよ」
タタラは無理矢理帯刀させられると、穴を見た。
穴の中からは身体を動かさずにゆっくりと浮遊し、地上へと戻る暗い青のコートと銀色のナイフが彼の目に映った。
「浮いて、ナイフで糸を切ったんだよ」
「どういう……ことだよ……」
タタラは瞠目した。
ルミナの周りにはマルフィックやセンリュシアが風魔法で浮いた時のような風は無い。
全くの無風で、しかし彼女は地に足つけずに落とし穴から地面へと舞い戻った。
「……そんな魔法が使えるなんて聞いてねェぞ」
「言ってないしね」
「村に来る途中、橋を越えるために空へ飛ばした理由で『空を飛ぶ感覚を思い出したかったから』っつってたろ。自由に空を飛べねェんじゃねーのかよ」
「勝手に勘違いするキミが悪い」
タタラの端正な顔が不愉快げに歪む。
一方、嫌悪にまみれた視線を浴びるルミナは自身の手や服についた汚れをはたき落とすと、身体を動かせずにいるタタラの元へ悠然と歩む。
「落とし穴を掘って隠していたんだね。底にはオリーブオイルを撒いておいて。そして昨日、練った魔力で糸を張って、その糸に毒を馴染ませて罠を仕掛けておいた」
タタラは必死に見えない拘束から逃れようともがくが、びくともしない。ゆえにルミナの多弁な語りを許してしまう。
「『糸の方はキミにとって大掛かりな仕掛けだ、本命だろう』……と考えるのが自然だが、キミにとっては保険、そして落とし穴に誘導するための手段の一つに過ぎない」
ルミナはようやくタタラの前に立つと、歩みを止めた。
「糸を避けた後にした剣での大振りの一撃も、キミに注目を集めて直前まで落とし穴に気づかせないためのもの。ボクはキミにまんまと食わされたワケだ」
「その割には余裕じゃねェか」
「まさか。あのまま穴に閉じ込められていたら、ボクは火だるま。あんな狭い中で他の魔法を使ってもボクは無事に済まない。焦ったよ」
「涼しい顔で言うんじゃねェよ。説得力ってモン知らねェのか」
焦った、と口にする割にはルミナの顔に真剣さは無い。それどころか、どこか楽しげに彼女は口許を緩める。
「水で蓋をするアイデアも良かったよ。ただの糸では火で燃えて蓋の意味が無くなるが、糸で包んだ水ならボクや煙を閉じ込めて窒息死も誘える。キミのさっきの技の……えっと、《オ亡クナリノ人》だっけ?」
「《雨下リノ糸》だっつの。語感しか合ってねェじゃねーか」
「ああ、そうそう。面白いよね。でも残念ながらあんな糸じゃ、人は乗れてもナイフで切れて中の水にマッチを入れられてしまうよ」
ルミナはナイフを月光にかざし、ニッコリ笑った。
「今度からは糸で包んだ油で蓋をするのをオススメするよ。そっちならボクは死んでいたかもしれないからね」
「ご高説どーも。くたばれ」
「まだ死ねないねぇ。キミの成長を見るのも楽しいんだ」
「師匠ヅラすんならルガにでもやっとけ。オレにやられても虫唾が走るだけだぜ」
「なら尚更やめられないね」
ナイフをしまったルミナは笑顔を張りつけている。対照にタタラは青筋を立ててルミナを睨んでいた。
上下関係において、どちらが上から明白だろう。それをむざむざと見せつけられ、タタラは歯ぎしりをこぼした。
「真正面からだとキミはボクを攻撃できない。だから接近戦はあくまで視線誘導として、コツコツ準備した罠で殺そうとしたんだね。無駄に終わったけど。でもなんだか今日は控えめな罠だったね?」
「……ほんッと、そうやって上から目線でぺらぺらと語るとこ、癪に障るぜ。どうせオレがここに罠を仕掛けてるのも知っててわざと来たんだろ」
「ああ。ボクの日課の天体観測にうってつけの場所はここだと、キミが読むことを読んだんだよ」
ルミナが不可視の拘束を解いたのか、タタラはようやく動けるようになる。
今、どんな手を打ったところで目の前の彼女には通じまい。そんな確信を彼女の笑顔から察したタタラは悪態を吐きながらもサーベルをしまった。
「テメェはいつもそう笑う。その口もよく回る。オレの罠にも『自分は殺されない』と信じながらあえてかかる」
「そういうところが嫌いだと?」
「ああ。……本当はオレをいつでも殺せるクセに。誰の命を奪おうと良心なんて痛まないクセに、テメェは人間のフリをして人の命を惜しむ」
「まるでボクが人間じゃないような言い方だ」
その言葉をキッカケに、ルミナに畏怖の目がギロリと向けられた。
「人は嘘も吐ける生き物だ。だが常に嘘を吐き続けられるワケじゃねェ。欺瞞も虚勢も死ぬまで表に出し続けられる人間はいやしねェ。けどな……」
タタラはルミナを見据えた。
その青い瞳には、ルミナが人の形をしたナニカとして映って見えた。
「テメェは違う。テメェからは言葉を発さずともずっと嘘のニオイがする。旅に強制連行されてから、そのニオイが消えたところを見たことが無ェ」
「だからキミはボクを薄気味悪がっているんだね」
「当然だろ。この世でアンタを怖がらない人間がいるのか?」
なぁ、と彼は敵意を剥き出しにして呼びかける。それに応えたルミナは目をそっと逸らし、夜空に浮かぶ月を見上げた。
「――星の魔女さんよォ」
月明かりを宿した瞳は、夜に輝く金色の星のごとくまたたいた。
「師匠である太陽の魔女を殺し、アブロス王国に隕石を落として壊滅させかけた最悪の大悪党……アンタは噂通りの化け物だ」
「……キミ、その噂、信じてるんだ?」
「テメェならやりかねないからな」
ルミナはタタラの言葉を否定しない。黙り込んで、何か思索を巡らせていた。
「噂は所詮噂。だが、そう断じようにもアンタを目の前にすると納得しちまう」
「ボクが世界最強の魔法使いを殺せるとでも?」
「やりようならあるだろ。テメェのそのバカみてーな魔力と、オレの策を見破る分析力。あとはいつの間にか何かを知れる不気味な力で」
「キミがボクを強さで信頼してくれるのはありがたいね」
「……信頼なんかじゃねェよ」
タタラは吐き捨てるように言う。
「オレはテメェを常に疑ってンだよ、その腹の底を。今度は一体何を企んでる?」
「さぁ、一体何だろうね」
ルミナは星を見上げたまま、静かにはぐらかした。のらりくらりと質問をかわす様は、不信を買うと分かりきっているにも関わらず「構わない」と言いたげだった。
「……一つ聞かせろ。テメェが今朝に言ってた褒美とやらはそれでいい」
「謙虚だね。質問によるよ」
「――マルフィックの最後の攻撃、何でわざと防がず受け止めた? まともな受け身くらい取れただろ」
タタラのぶっきらぼうな質問にルミナは「ああ」と一拍置いた。質問に答える気はあるらしく、彼女は言葉を続ける。
「キミがこの間言い当てた通り、庇って彼女に恩を売るため。あとは回復魔法をかけてもらうためだよ」
「へェ。レティサンに? 何でわざわざ」
「……明けの一族の女は、代々穢れを祓う力を持つ。彼女らが操る回復魔法には特にその力が宿る。それを確かめてみたかったのさ。師匠の資料だけでなく、この身で」
「要は実験か」
溜息がこぼされた。
「人聞きが悪いね。わざとそう言うのは――レティさんがいるからかい?」
ルミナの視線が空から逸れると、畑の下の段へと移った。戦闘になっても巻き込まれず、しかし盗み聞きをするには最適な死角だ。
レティはそこから姿を現し、ルミナたちのいる段へと登った。
「……盗み聞きして、申し訳ありません。タタラさんとの約束だったもので……」
レティは申し訳なさを表情に浮かべ、どこか気まずげに視線をさまよわせていた。
一方、ルミナは得心がいったようにごちる。
「キミが注意を引いて、レティさんが盗み聞きしていると悟らせないようにしたのか」
「まーな」
「なるほど。道理で今日は使える土地は広い割に罠の規模が小さいワケだ」
タタラはルミナから目を離さぬままゆっくりと後退すると、狼狽するレティの元へと近寄った。
「なァレティサン、アイツは『星の魔女』と言われて否定しなかった。つまりそういうことだぜ」
「……そう、ですね」
レティは目を泳がせながらも、おずおずとルミナを見据える。
段々畑に来る前、タタラと交わした約束を思い出しながら。
『――オレが何をしても止めるんじゃねェぞ。例えルミナを殺しかけたとしても』
『なっ……そ、それはどういうことですか!』
タタラの言葉にレティは驚きで声を上げる。非難の色すら見えるレティだが、それを見るタタラの眼差しは大真面目だった。
『あの女はとんだ化け物だ。オレが殺しに来たって平気で退けるだろうよ』
『ですが、だからと言って!』
『ルミナが星の魔女だと言っても、止めるのか?』
レティは動揺を露わにした。驚愕に顔を染める彼女は言葉に詰まり、まばたきを繰り返す。
『ルミナさんが、星の魔女……?』
『アイツの頭の中はいつも悪巧みが渦巻いてる。オレやルガがそれに巻き込まれたことは何度だってある。けどルガはルミナを疑わねェ。そう洗脳されてるからな』
『そん、な……でも、ルミナさんは……』
『ならアンタはルミナの何を知ってる?』
ルミナを信用するレティはタタラの言葉に反論したかったが、黙り込んだ。
『アンタにはいい顔ばかり見せたが、行動を振り返ってみろ。マルフィックの時はルガですら前線で戦わせ、アンタの母親が操られてる時はオレに囮役を任せて、まじないを解くためとは言えアンタを人質にした』
レティの脳内には自信満々に笑顔を浮かべながらも、危険な役割を他人に授けて自分は安全圏から一方的に眺めるルミナがよぎる。
『なァ、果たして善人がすることか? 他にやりようはあったろ』
『……それは、その……』
レティを庇うルミナに対しても、タタラが疑念をふっかけるせいで懐疑心が芽生えてしまった。
ルミナは確かにレティにとって恩人だ。マルフィックを倒し、村や母親はルミナのお陰で助かった。ルミナがいなければどうなっていたか、レティは想像もしたくない。
が、タタラによって植えつけられた疑念の種は、ルミナを完全に信用することを良しとしなかった。
『そう心配しなくとも、アンタは黙って陰でこっそり話を聞いてりゃいい。オレはさりげなくアイツからアンタが知りたいことを引き出すだけだ』
『そのためにルミナさんを攻撃すると? でもあの人、病人で……』
『重度の貧血なのに動き回る時点でアイツには余裕があるぜ。それに殺すワケじゃねェよ。……どうせ隠し玉とかあるだろうしな』
最後ら辺の言葉はレティには聞き取れなかったが、タタラの顔は屈辱に曇っていた。
「ルミナさん……あなたが星の魔女だというのは、本当ですか?」
レティは自分の背に冷や汗が伝う感触を覚えながら、冷えた空気の中で唾を飲む。
「タタラさんに『搦め祟り』をかけていることも……私の――明けの一族の能力を確かめるために回復魔法をかけるよう仕向けたことも」
何かの間違いであると否定してほしそうにレティは震えた声で紡ぐ。
「どうなんですか、ルミナさん」
「……なるほど。嵌めたのか、タタラ」
ぽつりつぶやくルミナの言葉は否定ではなかった。あくまで冷静にタタラへ目を向け、無感動的に佇む。
レティは段々とその顔を悲痛に歪ませた。
「否定、してくれないのですか」
「ボクが星の魔女として扱われていること。タタラに『搦め祟り』をかけていること。そしてキミたち、明けの一族の能力を確かめたこと。それ自体は否定すると嘘になる」
あっさりとした肯定に、レティの微かな希望は打ち砕かれた。
「誤解しないでほしいんだけど、ボクは害意を持って行動しているつもりは無い」
「いいや、嘘のニオイがするな。放っておくと、何するか分からねェぞ」
「……キミってヤツは」
抗弁するルミナにすかさずタタラが突っ込み、レティへ訴えかける。その顔は真剣そのもので、しかしルミナからは呆れの眼差しを受け取った。
「嘘を言わないでくれ。話が拗れる」
「嘘を吐いてんのはテメェだ。レティ、騙されんな。コイツは人の心が無いクセして人をたぶらかす化け物だ!」
「……散々な言いようだね」
レティは二人の言い分に困惑して立ち尽くしていた。
ルミナとタタラは対立しており、どちらが正しいのかはレティには判別つかない。真偽を見分ける能力は備わっておらず、真実を見極める頭脳も持ち合わせていない。
ルミナの金の瞳とタタラの青の瞳が同時にレティに向く。
「確かにボクは星の魔女とは呼ばれているが、別に――」
「耳を貸すな、レティサン。コイツに惑わされて人生が狂ったヤツが何人いると思ってる?」
「……タタラは無視してくれるとありがたいんだけど」
「レティサンを騙す気なのは分かってんだぞ」
ルミナの声色は静かなものに対し、タタラは感情的になってレティに向けられるルミナの言葉を切っていた。
レティは慌てて取り乱す中、自身が見聞きしたことを顧みる。
タタラはルミナを嫌っており、その原因は無理矢理旅に連れられたから。ルガにもよくイタズラを仕掛けるが、タタラいわく『教訓』。
彼は戦闘においてもレティやルミナを庇って戦い、その業績は二人を危険から遠ざけるほど。
ルミナを殺そうとしたものの、それは聞きたいことを聞き出すためのもので、お陰でレティはルミナの口から真実を知れた。
一方ルミナはタタラへ『搦め祟り』をかけ、服従させていた。戦闘においてもその力が他者を傷つけぬよう、細心の注意を払いながらタタラやルガに戦わせ、被害を最小に留めようとした。
だが彼女は極悪人と噂の星の魔女。レティの力を確かめるために彼女の善意を利用するなど、目的のためなら人の心を弄ぶことすら良しとする一面を目の当たりにした。
「……私は……る、ルミナさんの話も聞くべきだと思います」
「正気か? ……いや、アンタがそう言うなら構わないが。真に受けるんじゃねェぞ」
レティはルミナの話にも耳を傾けようと、タタラの遮りを無視した。タタラはレティの寛大さに一瞬目くじらを立てて説得しようとしたが、彼女の目を見ると案外すんなりと引き下がった。
レティはどこか訝しげにルミナを見るのだった。
「本当に話を聞いてくれるのかい?」
「はい。話を聞いてから判断します」
「……とてもそうには見えないな」
「何故、そう思うのですか」
「だってキミはボクを疑っている」
「ですから、信じるためにあなたの話も聞きたくて――」
「そうじゃないよね」
ルミナはレティの目をまっすぐと見ながら続きを述べる。
「キミはボクに疑念の先入観を持ち、『絶対に騙されまい』と意気込んでる。それはつまり、端からボクの言葉を信用する気は無いんだろう」
「……ッ! そ、れは……」
レティは疑うことに関して不慣れである。そのため何を信じ、何を疑うべきかの取捨選択を上手くできずにいる。
だが信用の天秤はタタラの方へと傾きかけていた。
それはレティが真っ当な感性をした人間であるがゆえに。
「ボクが何を言っても今のキミには響かないだろうね。ボクは理路整然と語ることしかできないから」
人は感情と共に生きる生き物だ。
どんな合理主義者も生きている限りは感情から逃れられない。感情に縛られ、共存する。
だから人は感情論に弱い。情に訴えかけられると、人は時に合理不合理を無視する。
タタラは感情的に訴えていた。
ルミナは理性的に訴えていた。
どちらがよりレティの心を揺さぶったかは、言うまでもあるまい。
「レティサン、あの大悪を許しちゃいけねェ。ルガのためにも――弱ってる今、どうにか拘束すべきだ」
「でも、それはやりすぎでは……」
「相手は一国を滅ぼしかけた大悪党だぞ。優しい方だろ」
「キミがそれを言うのか……レティさん、ボクとやり合う気かい? やめた方がいいけどね……後ろの村が危ない」
「だからやるべきだろ。村のためにも」
村のため。
村を統治する長の娘としての責任感がその言葉にぐらつく。
確かに噂の通りならば、ルミナは危険人物だ。放っておけば、アブロス王国のように村が被害に遭う危険性がある。
何せ魔法の師匠を手にかけるような人格の持ち主だ。何がキッカケで災厄を招くか分からない。
レティがキツく自分の握り拳を握り、村のため、ひいては島のためとなる決断に迷っている時だった。
「……なに、してる?」
場に合わない眠たげな男の子の声が、突如乱入しては困惑気味に響いた。