二十二話『蜘蛛の糸』
宴も佳境に差しかかる。夕焼けの色が村全体を照らし、しかし村のいい年した大人たちは酒気を帯びていた。
主にタタラのせいで。
「こんなモンか? 根性無ェなァ」
「ま、まら、のめるろ〜……」
ジョッキに入った酒を一気に煽り、タタラはニヤリと笑う。彼の視線の矛先には顔を赤くして酔い潰れる男が呂律の回らぬ様子でもごもごと口を動かしていた。
彼だけではない。酒豪を自称する男たちはタタラの近くで酒の犠牲となっていた。
事の発端はタタラがセンリュシアへ確約させた酒のご馳走だ。それによって用意された酒をタタラが機嫌良く呑んでいると、釣られてやってきた男にタタラは酒の勝負をふっかけ、一人目の男は潰れた。
その様を見て群がった酒の強い大人たちにタタラは片っ端から勝負を仕掛け、全戦全勝して現在に至る。
子どもや酒をセーブしている良識的な大人はそれを遠巻きに見ては引いていた。呆気なくやられる大人たちと、何杯呑んでも顔色一つ変えずにけろりとしているタタラに対して。
「……うわぁ」
ルガは少し眠たげな目をこすりながら遠巻きに勝負の場――もとい、タタラにより作られた惨状に声を漏らした。
「た、タタラさん、お酒に強いですね……」
「タタラ、さけとどく、つよい。……でも今、おさけくさい」
「ルガくんは人より嗅覚が過敏な分、お辛いでしょうね……屋敷で休まれますか? そろそろ夜にもなりますから、眠くなるでしょう?」
「ううん、ギリギリまでいる」
レティはうとうととしながら不愉快げに顔を歪めるルガに気遣う。
本来ならば彼女ももてなす側に回ろうとしたが、突発的に呑み勝負を始めようという思考に至ったタタラにルガの面倒を押しつけられたため、ルガの横で宴会を楽しむ側に徹底することとなった。
ルガもレティのそばは居心地が良いのか、ルミナから離れてからはほとんどレティの近くでご飯や村の子どもたちとの会話を楽しむのだった。
「……あっ、ルミナさんにお夕食をお届けしないと」
「ん、ルガ、まってる。もうちょっとごはん、たべる」
「分かりました。少々お待ちくださいね」
宴に全く姿を見せないルミナだが、彼女にも食事は必要である。誰かに任せても良かったが、自分の使命だと感じたレティは屋敷の台所へ向かった。
未だ料理番をする人たちへの労いの言葉も忘れず、レティは病人にも食べやすい出来立ての料理をよそってはカトラリーも用意する。
賑やかな外に対して浮かれた気持ちで口許に笑みを浮かべれば、軽やかな歩調でルミナの休む部屋へと料理を載せたワゴンと共に足を運んだ。
扉の前へ立ったレティはノックを響かせる。
「ルミナさん、食事をお持ちしました」
レティはしばらく中からの声を待つ。
が、待てど暮らせど返事は無かった。
「……またベッドを出ていらっしゃるのでしょうか。ルミナさん、病人なのに……」
今朝の前例があったため、レティは声が返らぬ理由に見当をつけることができた。
失礼を承知で彼女は一声かけてからドアノブをひねる。
彼女の予想通り、室内には誰もいなかった。畳まれた布団には少しシワがあり、人が使っていたことを示唆する。だがカーテンは閉じられ、隙間から落陽の光が差し込むも部屋は薄暗い。
静寂が何よりも無人を伝えた。
「どちらに向かわれたのでしょうか……またお母様のところですかね」
ルミナに食事を摂ってもらいたいレティはルミナの行き先を考える。
ルミナは重症人であるゆえに遠くに行くには無理をする必要がある。であるならば彼女は近場にいる。
問題はその場所の特定。そして、ルミナに安静を言い渡しても果たして彼女が素直に頷くかだった。
「ルミナさん、休むのが苦手なのでしょうか……」
「あの女に限ってそれは無ェだろ」
「きゃぁああっ!?」
レティはまさか独り言に返事をされるとは思わず、驚いて悲鳴を上げた。幸いにも返事の主にしか悲鳴を聞かれることはなく、レティはその存在を確認すると自然と入っていた肩の力を抜いた。
「た、タタラさんでしたか。驚かせないでくださいよ」
「ビックリしすぎだろ。ま、気配隠して近づいたオレも悪かったよ」
イタズラ成功、と言いたげにカラカラ笑ってレティを見下ろすタタラは誰もいない部屋を一瞥した。
「……やっぱりいねェか」
「タタラさん、ルミナさんが行きそうな場所は分かりますか?」
「企み事で動いてるワケじゃねェなら、候補は二つだな。……いや、まだ外が騒がしいから実質一つか」
ルミナに食事を届けたいレティがタタラへ心当たりを尋ねると、タタラは己の推測を口にする。
「ルミナは天体観測が日課だ。アイツがよく星が見れそうなトコっつーと、まず第一候補はこの屋敷の屋上。……でもアイツは騒がしいトコは好まねェ」
「そ、そうなんですか?」
「案外あの女は他人と馴れ合う主義は無ェんだよ。ある程度まで近づいたとしても一定の距離は保つ。オレやルガにもな」
「え、ルガくんにすら……?」
レティは意外そうに目を丸くさせる。彼女の目から見てルミナはルガを可愛がっているように感じていたために、自身の精査と違うタタラの言葉には困惑の表情を浮かべた。
「まあそれはともかく、残る候補は一つだ」
「……と、言いますと?」
「山の方だろうな」
後ろ髪をガシガシとかき、面倒そうに吐き捨てたタタラは部屋とは反対方向へ顔を向けた。
「山にオリーブの木を生やしてる段々畑があるだろ? そこで一人静かに天体観測でも洒落込んでいるんだろうよ」
「あちらにですか……」
レティは心配を顔に出す。
裏山の段々畑は屋敷からはそう遠くない距離にあり、ルミナも身体を引きずれば行けなくはない近場だ。
逆に言えば、ルミナは無理をすれば辿り着ける。
「心配か?」
「もちろんです。私を庇ってあんな大怪我を負って、私のせいで血を大量に流したのに……」
「……それなんだがよォ。どうもオレは引っかかる」
「えっ?」
深刻そうに告げるタタラへ疑問の目が向けられる。それに応え、彼はワケを語り出す。
「癪だが、あの女は弱くはない。アンタを庇うにしたって、身代わりになる以外にやりようはあったろ」
「そ、それは化け物のフリをすることで、マルフィックを怖がらせて情報を吐かせるという――」
「恐怖を与えたいんだったら、痛めつけて死の恐怖をチラつかせる方が手っ取り早いだろ。どうせアイツは目的のためなら拷問でもやるぜ」
タタラの反論にレティは言葉を詰まらせる。
「……アンタはルミナに庇われたと思ってるだろうが、実際は違うんじゃねェか」
「ど、どういうことですか?」
レティは不安を胸に抱きながら問う。まだ外が騒がしい中、タタラは宴や酒のにおいを無視してレティを見つめ返した。
「知りたいか?」
「は、はい……」
「ならついてこい。ただし条件がある」
そう言うと彼は屋敷の裏口へ足を向けた。
「条件って、何ですか?」
タタラが歩き始める前、その背に疑問を投げかけられる。
ゆっくり首だけ動かし、彼はレティを再び視界に映すと口を開いた。
☆
夜の帷が下り始め、星々の光が地上からも刮目できるようになる頃。
人里から少し離れた段々畑は静まり返っており、未だ救われた余韻で賑やかさを保つ村とは反対に人気が無かった。
畑にいくつも並ぶ細い木は木にしては低いが、低木と呼ぶには高かった。彼らは青々とした実を枝の先に飾り、人の手か自然にさらわれるその時を待っている。
畑の持ち主によって大事に手入れされている彼らの内、一本の木は一人の旅人の背を預かっていた。
彼女はてっぺんの折れた群青色の三角帽子を被り、ネイビーブルーのコートを羽織っては素肌の露出を拒絶している。
その暗い格好では明かりも無ければ捉えることは不可能に近い。ましてや木陰で腰を下ろしていて、どうして見つけられようか。
彼女は村の方へ向いて地面に座り、オリーブの木にもたれかかりながら目を閉じていた。平均より浅くも落ち着いた呼吸から、寝ているのか起きているかは第三者から見ても判別つかないことだろう。
だが彼女は不意に大きく首を傾けた。
その後に彼女の顔の横で木を傷つける音が大きく鳴る。
「人の寝込みを襲うなんて、いやらしいとは思わないのかい?」
今まで休んでいた彼女が目を開けると、横にはナイフが木に深々と刺さっていた。
「チッ、起きてやがったのか」
「キミがボクに殺気を向けたお陰でね。宴はどうしたんだい?」
「酒に強そうなヤツを片っ端から酔い潰してきた」
「相変わらずの酒豪っぷりだね。――そうして宴会場に酒のにおいを充満させることで、ルガの鼻を撹乱させたワケか」
ルミナの前には、草を踏みつけながらコップを片手に歩くタタラが姿を現す。彼の青い目は暗闇ながらもルミナをしっかりと捉え、鋭く睨みつけていた。
が、彼はルミナの元まで歩み寄るとそのコップを差し出す。
「ほらよ。センリュシアが用意したオリーブ酒だ」
「キミにしては気が利くじゃないか。……うん、度数の高い酒でも渡して酔い潰す気なのかと思ったけど、そうでもないようだね」
「疑ってンじゃねェよ」
「日頃の行いさ」
コップの中には潤沢な艶を見せる芳香な香りの液体が空の星を薄く反射していた。ルミナが軽くコップを覗き込んで嗅ぐが、鼻をつんざくような酒のにおいは無い。
ルミナはタタラの気遣いに上機嫌そうにうっすらと笑みを浮かべた。やがて彼女は自身を見下ろすタタラの方へとコップを掲げる。
そのコップがくるりとひっくり返されると、酒は地面へと吸い込まれた。
「……何すんだよ」
「キミにしては気が利き過ぎる」
ルミナは淡々と語る。
「キミに盛られたものと同じボツリヌス菌満載オリーブを水につけて持ってきたんだろう?」
「チッ、疑ってんじゃねェよ」
「日頃の行い。それに重度の貧血で免疫が下がっている今、それを飲んだら流石のボクも危ういからね。断っておくよ」
「人の厚意は無下にするモンじゃねェぜ?」
「キミのは悪意だろう」
ルミナへの服毒に失敗したタタラは舌打ちをして不機嫌をアピールする。後ろ髪をガシガシとかいた彼はルミナを見下ろし、溜息を吐いた。
そんな彼をルミナは見上げ、命の危機に二度見舞われたにも関わらず動かずに相対する。
「……何か聞きたいことでもありそうだね」
「まあな。まじないはまじないの種類、強さ、あとはかけられた本人の意志の強さによっては解ける。だよな」
「ああ」
「『影縛り』は自然に解くことのできるまじないだった。その効果は相手の精神、もしくは魂を支配し、操ることができる」
「その旨で間違いないよ」
ルミナはタタラの復習の答え合わせとして頷く。
タタラの目が細まった。
「なら――『搦め祟り』だって条件次第では解けるよなァ? アレは『影縛り』とは違うが、相手の身体を支配するまじないだ。似てやがる」
ルミナは何も答えない。
沈黙したまま、彼女は立ち上がってタタラを見据えていた。
「だんまりか。なら当たりってことでいいんだな」
「当たりだったとして、どうするんだい?」
「決まってるだろ。テメェはバカみたいに魔法やまじないの腕はある。けどな……そんなテメェのまじないを、ルガは自力で解いたことがあるらしいな」
ルミナの問いにタタラは帯刀していたサーベルを鞘からゆっくりと引き抜いた。
星明かりを反射するサーベルの刀身は、空中に張られた一本の糸を照らす。
「――テメェがオレにかけた『搦め祟り』だって、テメェに対するオレの憎悪が強けりゃ解けるってこったろ」
村の喧騒を遠くの背景に、タタラは顎を出してルミナを見下した。
サーベルを構えるタタラを静かに見ていたルミナは視線を四方八方へ飛ばす。彼女の瞳に微かに輝くものが映ると、右目が閉じられた。
「……キミのお得意の糸魔法か。随分と魔力を練ったようだね。しかも毒が塗られている」
「いつもの得体の知れない方法で誰かに教えてもらったのか?」
「ああ。キミが昼寝のフリをして魔力を練る様をね」
「チッ……」
タタラは気味悪そうに舌打ちをして顔をしかめると、サーベルを構えた。銀色の刃はルミナへ狙いを定める。
ルミナの指摘通り、彼女を囲むように周囲に何本もの糸が張り巡らされていた。明るい場所であれば一般人が目を凝らしてようやく見れる程度の極細の糸は、時折毒の液体を地面へ垂らしている。
「なるほど困った。下手に動くとボクの肌は毒の糸で傷つく」
「ああ。ついでにオレに向かって魔法を放てば、村にも被害は及ぶだろうな。つまりテメェは極悪人から超極悪人になる」
「今更悪名なんか気にしないけどね。キミと同じで」
「村にはルガにもいるのにか?」
タタラの目はルミナの一挙手一投足を凝視し、絶対に逃さんと監視している。
ゆえに彼がルミナの些細な挙動を見逃すことは無かった。
「……ルガがボクの人質にはならないことは、キミがよく知っていると思っていたけどね。キミを旅の仲間に引き入れて三ヶ月になるが、その間にもうそんなことも忘れたのかい?」
ルミナは平然と告げた。
動揺も躊躇も逡巡も無い。変わった僅かな仕草も無い。
何より、タタラの嗅覚に何の反応も無かった。
「そうだな。テメェはそんなヤツだ」
タタラは悪辣に笑った。
彼は勢いよくサーベルを振り下ろした。同時に、ルミナの周りの風は糸に切られる。
ルミナの周囲の糸は彼女に牙を剥き、急速に向かっていた。このままでは切られることを察知したルミナは抜け道を探して金色の目を凝らした。
「……張り方が甘いね。抜け出せ――」
「ても無駄なんだよなァ!」
抜け道を見つけて後ろへ大きく飛んだルミナは無事に糸の巣から抜け出したが、着地と同時に右に回り込んでいたタタラが切りかかる。両手で柄を握り、サーベルを大振りするタタラは勝利を確信して笑む。
一方ルミナは双眸をタタラに向けるなり、言霊を練って口を開いた。
「《斬るな》」
早口の命令は確かにまじないのかかったタタラへ、絶対に効く呪いの言葉として届いた。
途端にタタラはサーベルを空中で止める。
「――ああ、お望み通り、斬るのはやめてやるよ」
「……! まさか」
ルミナの顔が初めて崩れた。彼女の視線の矛先は地面。
彼女が足をつける予定だった土は、いざ着地すると脆く、そのまま抜けて彼女は更に落ちた。彼女が着地できたのはそこから三メートル下の穴の底。
落とし穴にかかったルミナは体勢を崩し、尻餅と手をついた。
衝撃に呻く暇も無く彼女は立ち上がろうとするが、その前に手のひらについた土を暗がりの中で見ようとする。
「……ぬかるんでいる?」
ベタベタとした液体混じりの土は、地上の土とは性質が違った。不思議そうに分析するルミナの周りには木の枝や薪がおかれている。
彼女の頭上で明かり役にしては心許ない光が差す。
穴を覗き込むタタラの手には火のついたマッチ棒があった。
「灰は拾ってやるよ。オレが踏みつけるために」
タタラは不意にマッチ棒から手を離すと、ルミナのいる落とし穴の中へと落とす。
「《雨下リノ糸》」
小さな火の揺らぎに釘づけになっているルミナをよそに、タタラは静かに唱えた。
瞬間、穴の唯一の出口を塞ぐように弾力のある水が蓋となって穴を閉じた。
「焼かれて死ね、魔女が」
タタラは穴の前に立ち、中にいるルミナに対して吐き捨てる。
彼の予想ではこの後、穴の中は炎上する。
ルミナが触れたベタベタな土の正体、それはオリーブオイルをふんだんに含んだ土壌だ。タタラはあらかじめ台所からくすねており、それを落とし穴の底へとばら撒いたのだ。
油と火の相性が良いのは明白だ。木にもかかった油で火は一気に勢いを増し、やがて炎となればルミナごと飲み込むだろう。
ルミナが穴から這い上がる時間は無く、仮に登れても水の蓋がそれを拒む。
ルミナは絶体絶命の袋小路へ追い込まれた。
が、いつまで経ってもマッチの火が穴の中で燃え広がる音は聞こえてこない。タタラは水の蓋から中を覗き込もうとするが、炎どころかマッチの明かりすら見えない。
タタラはイライラを募らせた様子でサーベルを構え直した。
「……ッ!? くそッ、身体が勝手に……」
まるで操り糸に手繰られたマリオネットのごとく彼の身体はぎこちなく動き出す。サーベルは下ろされ、彼の操る魔法ですら操られる感覚にタタラは歯ぎしりをこぼした。
自身の策略は失敗したことを悟ったがゆえに。
「流石だね」
穴からは揺らぎない自信にあふれた声が響いた。