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呪われた星々  作者: 三角形
明けの明星編
20/34

二十話『本音』

 夜もすがらを経て朝日は昇る。

 多くの人々が朝焼けで目を覚ましては各々の生活を送り始めていた。とある家からはパンのにおいが、またある家からはパイを焼くにおいが香り、穏やかな日常の始まりが各家庭で散見された。


 同時期にその村の一番の建物、西洋館では早々に活気を見せ始めていた。


「それルガの!」

「あ? もうオレが口つけたんだからオレのモンだっつーの」

「うがぁぁあッ!!」

「ま、まあまあ。ルガくんの分はまだありますから。ほら」


 タタラはルガの皿を横領し、スープを煽る。自分の分を奪われたルガは地団駄を踏んで怒りを露わにするが、スープのおかわりを持ってきたレティになだめられることですぐに機嫌を直す。そして今度は奪われまいと勢いよく口の中に押し込んだ。


「はんッ、単純なヤツ」

「なんだと!?」

「ほ、本当にお二人は仲がよろしくないのですね……」


 タタラが挑発し、ルガがそれに乗る。朝食前からその応酬の繰り返しだった。

 唯一、二人の喧嘩を止められそうな人物であるルミナだが、食事の席にはいない。食卓に彼女の分も用意されているが、彼女は姿を見せずにいる。


「……ルミナさん、全く起きませんね。大丈夫でしょうか……しかも床であんな体勢で寝てたのに」

「起こしに行ったのか?」

「はい。朝食ができあがって間も無い頃、ルガくんは起きていましたがルミナさんは『まだねてる』とのことだったので……起こしに向かったのですが」


 レティは困惑気味に目を泳がせ、ついさっきの出来事を思い出す。


『失礼します、レティシアです。ルミナさーん、朝食ができあがり……る、ルミナさん?』

『あ、いつもこう』

『いつもこうなのですか……』


 ルガと共に客室に向かったレティは、窓際の壁に背を預け、床に座って死んだように眠るルミナを目撃した。


『いつもゆかかイスでねてる。おきるじかんもバラバラ』

『そ、そうなのですか。身体、痛めないんですかね……ルミナさーん、朝ですよー! 起きてくださーい!』


 念のため、レティはルミナを揺さぶって起こそうと試みる。だがルミナは一向に目を開ける様子を見せない。

 代わりにもごもごと小さく口を動かし、至極眠たげな声を上げた。


『ああ、うん……おやすみ』

『おはようの時間帯ですよ』

『……ガラン……?』

『いえ、私はレティです』

『だれその女……』

『修羅場らしき夢に私巻き込まれてません!?』


 あまりにもふざけた寝言に翻弄され、レティは昨日の疲れもあってか朝からどっと疲労が溜まった気がしたのだった。


「――んで、なかなか起きないから起こすのは諦めたと」

「はい……それほど疲労が溜まっているのでしょうか」

「ルミナ、いつもあんなかんじ」

「無理矢理起こす以外じゃ自然と起きるのを待つ他無ェよ」

「む、無理矢理起こすんですか……ちなみにどうやって?」

「ルガがおこすときはビンタ」

「叩き起こすのですか!?」


 強引な物理的手段にレティは声を上げた。


「だってそうしないと、おきない」

「迷惑な話だぜ。ほんッと、前はよく二人で旅できたモンだよな」

「え、元々はルミナさんとルガくんの二人旅だったのですか?」


 タタラの口ぶりからそう察したレティは意外そうに目を見開く。


「うん。もともとルミナ、ひとりたび。ルガがついて、ふたりたび!」

「んでオレが強制連行されて三人旅っつーワケ」

「そうなのですね……よろしければ旅のお話、もっと聞いてみたいです」

「ルミナに聞いた方が早いぜ、そういうのは。オレはルミナに殺されかけた記憶しか無ェし、ルガは話が下手くそだ」

「むぐぐ……」


 ルガはタタラに不満そうに目を向けたが、反論の余地は無いようだ。言い返せずに、されど唸ったまま口は挟まなかった。


「あーあ、あの魔女さえいなきゃなァ。旅なんかかったりィことばっかだぜ」


 タタラは愚痴を漏らした。その様子から旅に乗り気でないことがうかがえ、レティは首を傾げた。


「……でも逃げないということは、案外タタラさんもルミナさんのことが嫌いでないのでは? だってそうでないと、嫌いな人間をわざわざ守ったりするなんて――」

「オレは逃げねェんじゃなくて、逃げらんねェんだっつーの」


 レティの疑問は至極真っ当である。

 タタラほどの実力者であれば、例えルミナのような魔法の才人が相手であろうと嫌なら姿をくらませればいいだけの話。


 だがタタラはそうはせず、むしろルミナから雑用を幾度となく引き受けている始末。


 その理由を尋ねようとレティが口を開いた時だった。


「あ、ルミナおきた」

「あ? 今日は早かったな」

「え、分かるんですか?」

「ニオイする!」

「便利ですね、天狼の獣人の嗅覚は……」


 見えぬ遠くの出来事すら見通す嗅覚にレティは感嘆を漏らす。

 彼女は自分の食事を早々に切り上げて席を立ち上がった。


「ルミナさんに朝食を届けてまいりますね」

「律儀なこって」

「ルミナさんは重症者ですし……怪我の負い目もありますから」


 レティは自分を庇って瀕死に見舞われたルミナの姿を想起し、少し視線を落とす。罪悪感は健在で、その感情が今の彼女を動かすのだった。


「……へェ。まあいいが、一つ言っておくぜ、レティサン」

「な、何でしょう?」


 タタラの改めて真面目ぶった口調はまるで忠告のようで、レティは思わず背筋を正した。


「あの女に関わろうとするとロクなことにならねェぞ」


 タタラの碧眼は鋭められた。

 が、隣のルガのジト目がタタラに突き刺さる。

 

「ルミナがタタラにきびしーの、じごーじとく」

「ルミナがルガに甘ェだけだろ」

「ルガ、ルミナ、くったことない」

「いや物理的な意味じゃねェよ」


 ズレた回答をするルガに調子を崩されるタタラ。二人はお互い睨みを利かせて火花を散らせた。


 レティは二人の不仲をしみじみと実感すると、食堂を出て朝食をルミナの元へ運ぼうとした。

 明かりや窓から差し込む日光が屋敷を温かく照らす。レティは先日までの緊張が解けた反動からか、見知った我が家にも関わらず感慨深く改めて見渡す。


「……いけない、食事が冷めちゃう」


 自分の仕事として引き受けた以上、レティはまだ温かい食事をルミナの休む部屋まで持っていく。

 部屋の前に辿り着くと、彼女は何度か扉をノックした。


「ルミナさん、起きていらっしゃいますか? 食事をお持ちしました」


 返事を数秒待つ。

 が、中からいつもの中性的な声も、自信にあふれた口ぶりも、眠たげな声色も聞こえない。


「……? 失礼しますね」


 ルガ気のせいで、本当はまだ眠っている可能性も考慮したレティだが、念のために室内を見てルミナの容態を確認しようとした。


 だが部屋には人影一つ無かった。


「……ルミナさん?」


 部屋を見渡すレティが不思議そうに名を呼ぶ声は静かに空気に溶けた。







「急に押しかけて悪かったね。体調はどうだい?」

「お陰様で快復に向かっています」

「正直に話してくれると助かるよ」

「……本音を言えば、ずっと倦怠感が。心身共に疲弊していますが、休めば問題ありません」


 上品なダブルベッドに上半身だけ起こして座るセンリュシアは、突如来訪したルミナに対して不快感や嫌悪を表に見せることなく出迎えた。


「ルミナさんこそお身体の方は大丈夫でしょうか? レティシアから聞きましたよ。レティシアをかばい、大変出血されたと」

「重度の貧血だからすぐに改善は無理だね。けど移動と会話なら問題無い」

「……ゆっくり静養なさってください」

「そうもいかないな。明日にはここを出る」

「無理は身体に毒ですよ」

「毒を募らせてでも追いたいお相手がいるもので」


 センリュシアの善意の言葉は全ていなされてしまう。

 だがルミナとて、いたずらにお節介を跳ね除けたいワケではない。


「まあボクのことは構わない。それよりキミとは話をしに来た。今のキミには話しづらいが」

「……何でしょうか。まさか私にかけられていたまじないに後遺症でも?」

「センリュシアさんの倦怠感は確かにまじないの後遺症だけど、休めば快復するよ。『影縛り』は精神を無理矢理歪めるようなものだから、元に戻った時の反動が一気に祟ってるだけだ」


 センリュシアは己の症状に得心がいった様子で視線を落とした。


「……そうですね。まるで洗脳されているようでした。彼を――ハーミットという人物を盲信するように」

「マルフィックに足をさらわれた時にかけられたのかい?」

「ええ、私が動揺した隙に。……しかしその話でないならば、話とは一体?」


 センリュシアは憂い顔をルミナに向ける。そこに敵意は無かったが、疲弊も相まってか耗弱した様子が見え隠れした。

 そんな彼女からルミナは顔を逸らし、窓辺まで歩みを進めると朝の空を見上げた。


「レティさんの身をしばらく預かりたい」


 ルミナの口から語られた希望案は、時間をかけてセンリュシアの狼狽を誘った。


「ワケを聞かせていただけますか?」

「ボクが追ってる『星の魔女』は、明けの一族の女を服従させて使いたい理由があるのさ」

「……ま、さか」

「察していただけて何より。話が早い」


 センリュシアは心当たりがあるようで、顔を青褪めさせた。対してルミナはあくまで冷静に淡々と語る。


「もしボクらがこの村を離れれば、再びヤツはレティさんを狙うだろう。その時、キミはレティさんを守れると自信を持って言えるかい? ――その身体で」


 ルミナの問いには沈黙が返った。

 無神経な言葉も突き刺さり、センリュシアは黙り込む他に無い。


 どれだけ娘を想っても、現実はそう上手くいかないと先日の一件でよく理解したからだ。


「……『影縛り』とおっしゃいましたか。そのまじないにかけられた私は、隙あらばハーミットへ娘を引き渡そうとしていました。『彼にならば娘を預けられる』と信じ込んで。そんなこと、あり得ないのに」

「その気になれば認知すら歪められるまじないだ。そう思わされても無理は無い」

「しかしそれでも私が大切な娘に危害を加えかけた事実に変わりはありません」


 紫紺の目は閉じられ、彼女は悲壮に顔を歪める。


「キミは『影縛り』の反動もあって弱っている。彼女はここにいるよりボクらと来た方が安全だと言えるだろう」

「……ええ。あなたの方がまじないにもお詳しいですし、お仲間の腕も立つでしょう……」

「なら同行の許可をもらっても? レティさんには後でボクから話しておくからさ」


 ルミナが毅然とした態度で話を進めるのに対し、センリュシアは不安を顔ににじませる。

 反論できずにいることがルミナの主張の正当性を強調させてしまうが、それでもセンリュシアはなかなか割り切れずに語気を弱くするのだった。


「……そう心配せずとも、ヤツがこの島から手を引いたと確信するまでだ。今生の別れにはさせない」

「そう、ですか」

「ああ。それにこの島の案内役も兼ねているし、戦闘があっても彼女は後方で回復役をお願いするよ」


 娘の身を案じる母に対し、ルミナは見上げた空から顔を向けた。


「まだ不安かい?」

「……本音を言えば、ええ。貴女たちの腕を信用していないワケではありません。マルフィックを倒した手腕や、何より昨夜に貴女と対峙してその一片を知りました」

「何を?」

「貴女は強い。……強すぎる。貴女がその気になればマルフィックや私、レティシアや貴女の仲間まで全員を一人で敵に回したとしても貴女は平気な顔で全て退けられる。違いますか?」


 確信めいた物言いは、ルミナに欺瞞を許さなかった。

 それを感じ取ったルミナは素直に口を開く。


「違わないね」


 あっさりとした頷きには微塵も疑心は無かった。


「自慢じゃないが、ボクより威力のある魔法を使える人間なんて、今のところは師匠しか知らない。師匠が人間かどうかは疑わしいけどね」

「だから不安なのです」


 センリュシアは一息置いた。そしてルミナを見上げた。

 その目はどこか憐れむような、畏れるような――扱いに困った眼差しだった。


「貴女、魔法に使う魔力の量を自分で調整できないのでしょう」

「……流石だね。キミには目くらまし用の閃光魔法しか使ってなかったハズだけど、分かるものなんだ」

「ええ。あれにはなかなか堪えましたから」

「悪かったよ」


 ルミナの魔法のデメリットがセンリュシアの耳に届いたことは無い。だがセンリュシアはルミナの特性を見抜き、その上で不安を抱くのだった。


「だからボクの魔法が万が一暴走した時を恐れているワケか、キミは」

「ええ。一歩誤っただけで、貴女は簡単に村や街を破壊できます。もちろん、貴女がそんなことを好き好んでする人間でないことは分かりますが」

「ボクとて調整したいのはやまやまなんだけどねぇ……」


 曖昧な笑いがこぼされた。


「それにその点は心配無い。ボクが戦わないためにルガやタタラに戦闘を任せている。彼らの強さも昨日証明済みだろう」

「そのようですね。後ろで二人に指示を飛ばすのが貴女の主な立ち回り方なのでしょう」

「ああ。命令した方が連携も取れて効率的だからね。それでもまだ同行はダメかい?」


 ルミナは首を傾げ、センリュシアへ問う。


「……元より反対する気はありません。ただ親心でお節介が過ぎただけです」

「親子だねぇ」


 レティの面影のある母に対し、ルミナは呑気につぶやいた。


「まあ反対しても強引に連れて行ったけどね。マルフィックを倒した恩とか、まじないを解く対価とか、まだ支払ってもらってないし」

「嫌な言い方をなさりますね……」

「取り繕うにもボクはタタラみたいに器用じゃないし、そうしたって中身は変わらないからね」

「……恩人に不躾であると承知してはいますが、レティシアに変なことは教えないでいただけると助かります」

「善処はするよ。善処は」

「そう強調されるとかえって不安になるのですが……」


 不安を取り除きたいのか、煽りたいのか、どっちつかずの態度に翻弄された方は胡乱げに目を細める。

 ルミナはレティと同じ困惑の仕方をするセンリュシアをしばらく見てくすりと笑んだ後、扉へと向かった。


「それじゃあね、センリュシアさん。お大事に」

「はい。……ルミナさん」

「うん?」


 ドアノブに手をかけたルミナは己の名を呼ばれ、振り向いた。

 視線の先には頭を深々と下げ、荘厳にお礼を体現する女性が座していた。


「村を助けていただき、そして私をまじないから救っていただき、ありがとうございます。明けの一族、ひいては村を代表する当主として感謝します」

「……ああ。礼は受け取っておくよ」


 センリュシアの感謝の言葉は、流石のルミナも真っ向から受け止めた。


「それと――師匠の件だが、師匠の代わりにボクからも改めて謝罪しよう」


 途端に険しい顔をするセンリュシアを背にしてルミナは再びゆっくりとドアノブに手をかけると、そのまま退室していった。

 

 部屋主を無視するように廊下に出て部屋へ戻ろうとする彼女に、近づく人影が一つ。


「あ、ルミナさん! ここにいらっしゃったのですね」

「もしかしてボクを探してたのかい? 悪いね。ちょっとセンリュシアさんと話を」


 バタバタとして銀色の髪を揺らすレティが小袖を振ってルミナへ駆け寄った。


「朝食を部屋までお持ちしたのですが、部屋にいなかったので……また何かあったのかと」

「なら今から部屋に戻って朝食をいただくことにするよ。ありがとう、レティさん。……ああ、そうだ」

「どうしました?」


 一旦部屋に戻る素振りを見せ、しかしすぐにレティと向き合ったルミナに首が傾げられる。


「センリュシアさんとよく話をしておくといいよ。彼女、今はまじないの反動で精神的に弱ってる状態だから、レティさんと話せば少しは気が楽になるかもしれない」

「そうなのですか? 分かりました。ありがとうございます、ルミナさん」


 ルミナの助言を素直に聞いたレティは頷いて返事をした。それを見届けたルミナは自室へと戻る。


 レティは早速アドバイスを実行しようと、センリュシアの扉の前に立った。


「お母様、私です」

「どうぞ」


 ノックの音に反応し、中からはいつもの堂々とした声が返る。

 たったそれだけのことなのに、レティは何故かひどく安心して口許が緩んだ。


「失礼します。お身体の具合はいかがですか?」

「今のところ、特に目立ったものは。レティシアこそ怪我はしていませんか?」

「大丈夫です。それに、怪我をしたとしても回復魔法で治せます。回復魔法はお母様と同じで得意ですから!」


 少し自慢げな娘に対し、母親はゆっくりと微笑む。どこか感慨深げに、どこか寂しげに。


「……そうですね。貴女は成長しましたから」

「はい。お母様と……ルミナさんやタタラさん、ルガくんのお陰で」

「母親として嬉しく思います。ところでレティシア」

「はい?」


 呼ばれたレティは小首を傾げた。


「少し、いらっしゃい」


 センリュシアはレティを手招きし、そばまで近寄らせる。レティにベッドへ腰を下ろすと、何事かと身体を強張らせていた。


 が、その身体を包み込む熱に緊張を解く。


「お、お母様?」


 レティはセンリュシアに抱擁された。宣言も無く実行された行為にレティは困惑し、しかし拒絶するでもなくやんわりと受け止めていた。


「……大きくなりましたね。少し前まではあんなに小さかったのに」

「いつまでも子どもじゃありませんからね?」

「母親の私からすれば、貴女はいつまでも私の子供です。これから貴女を一人前として扱ったとしても、たまにはこうして子供扱いさせてください」


 レティの頭に手が乗る。髪をとくように撫でるその動きにレティは覚えがあった。


「……お母様、今日は過保護ですね」

「ええ。貴女に本音を言って寄りかかりたい気分でして」


 まじないの後遺症だとあたりをつけたお互いは、今は自分自身の心に正直になっていた。


 それからしばらくは無言が続く。センリュシアがレティの思い出と同じ動作で撫で、レティも子ども扱いであると知りながらもされるがままになっていた。


 大人である母親が子どもである自分に甘えているならば、子どもの自分が無理に大人ぶる意味は無い。

 ゆえにレティは今の自分の扱いに不満など無かった。


「レティシア、私は……まだ貴女の母親でいて、良いでしょうか?」

「え? 何故、そんなことを……」

「まじないにかけられていたとは言え、貴女を害そうとしました。子に武器を振るう親など、貴女は幻滅するでしょう」


 センリュシアは落とした気と共に声をも不安げに落とす。

 彼女自身にとって娘を傷つけた事実はよほど衝撃であったようで、耗弱していた。

 まじないの後遺症も合わさり、センリュシアの背は小さく丸まっていた。


 だがレティは抱擁を解いてセンリュシアに顔を見せると、静かに微笑む。


「私のお母様はお母様しかいません。今も昔も、これからも。幻滅なんてするわけありません」

「……そう」

「ただ。私も少し、本音を語ってもよろしいでしょうか」


 レティの言葉にセンリュシアは躊躇いがちに頷く。


「――寂しいです。もうお母様の横に並び立てなくなるのは」


 本音を吐露するレティは寂寂として語る。


「私はお母様を見下ろすことしかできなくなってしまうのは、寂しいです」


 レティは言いづらかった本心を、これを好機にぽつぽつと吐き出した。


 センリュシアは基本的に座ることが多い生活になった。現にルミナたちのような客人が現れようと、レティが挨拶しに来ようと、彼女はベッドに座って出迎えた。

 彼女の得意の風魔法で浮遊をすれば、ルミナを暗殺しに来た時のように動けなくはないが、それはあくまで非常時用。日常生活で応用するには、魔力の負担や制御に割く集中力が大きすぎる。


 そして例えセンリュシアが車椅子、もしくは義足や松葉杖を利用したとしても、今のセンリュシアではレティの背には届かない。


「だって今のお母様は背が丸まっています」


 レティの指摘にセンリュシアはハッとした。


「私が憧れた貴女は他者を守るために胸を張るお方です。だから……貴女には胸を張っていて、背を正していてほしいのです。だって私、お母様の真似をするのが好きですから。お母様の背が丸まっていると、私も背を丸めてしまいたくなります」

「……それは困りますね。貴女の腰が曲がったら大変ですから」


 二人はくすくすと上品に笑うと、互いに背筋を正した。

 今の座高は、ややセンリュシアの方が上になった。


「貴女が私の娘で本当に良かったです」

「私もです、お母様」


 喧嘩の翌日とは誰もが到底思えないほどに、二人は喜色を見せて同じ微笑を浮かべた。







 レティが退室していった後に扉の方をじっと見つめるセンリュシアは深く溜息を吐いた。


 センリュシアは今、自分は娘に対して過保護であると認識している。その原因はまじないの後遺症だ。

 そのせいで自分が想定より弱っていたことを娘との会話で自覚したのだ。


「……『排外思考』、ですか。昔のことを思い出させられたせいでしょうね……」


 センリュシアは昨夜、ルミナに言われた単語を復唱する。


 センリュシアにかけられたまじないはハーミットという盗賊頭に服従させられた。そしてハーミットを心酔するようになり、『こっそり明けの一族の娘を寄越せ』と命令されたのだった。

 だがそれら作用の中に排外思考になる副作用は無い。


「ルミナさん、貴女は……本当に、本当にあの方に似ている」


 センリュシアは扉から顔を逸らすと、窓の外の青空へと顔を向けた。


「饒舌で、過剰なまでに自信を持っていて、目的のためならばどんな手段も取れてしまう。その結果、人の良心を弄ぶことになったとしても涼しい顔をするところが……」


 紫紺の瞳は太陽のお陰で全てを照らす世界を捉える。

 恩恵を祝福のごとくばら撒く太陽の世界を、どこか恨めしげに見ていた。


「――昔、お母様を半殺しにしていったあの太陽の魔女にひどく似ている」


 ぽつりとつぶやかれた声は普段より低い。

 しかし彼女は静かに瞑目すると、視線を落とした。


「……運命というのは、時にイタズラ好きなのかもしれませんね」


 自分しかいない部屋で、センリュシアの独り言は益体も無く散開していった。

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