十五話『パワー!オリャー!』
「くっ……」
スライムと二人の間合いまでは十分にある。今から背を向けて村に駆け出したら、容易く振り切れるだろう。
しかし村へ呼び寄せると危険だ。
「こうなれば……《モノ・ヒュード》!」
レティは練った魔力で風を凝縮し、刃として振るった。風に揺れて銀髪が一瞬ふわりと浮く。
風刃は風を切ってスライムの胴体を切り裂く。いとも簡単に刃が通れば、そのまま呆気なくスライムは切れて二分割された。
「きった!」
「切れましたが……」
魔法の主は苦々しい顔でスライムの顛末を見届ける。
普通の生物ならば胴体を真っ二つにされて生命活動を維持出来る道理は無い。
だがその道理が通じないのがスライムという魔物だった。
「えっ!?」
ルガの幼い驚き声が山に響く。
何せ、絶命したかに思われた二つのスライムの胴体が元に戻ろうとうごめいているのだ。
二つに分かたれたうちならば片方だけでもレティの水魔法で太刀打ちできるかもしれないが、それを放つにはレティが魔力を練る時間が必要だった。
そして彼女が魔法の準備を整えている間に、スライムは再び一つになってしまった。
「切断後、次の魔法を唱える準備をしている間に復活されてしまいますね……」
「ぐぬぬ……」
二人は唸る。
有効打はスライムを真っ二つに切った後に水魔法で包むことだ。
だがそれにはレティが水魔法を用意する間、スライムが元の一つの身体に戻らないよう対策を考える必要がある。
「レティ、きょりとろ!」
「はい!」
スライムがのそのそとトロい動きで二人の方に向く。あの体に触れて飲み込まれたが最後、溶かされて養分にされるだろう。
それを避けるべく、二人はスライムに遠ざかるように登った。
スライムは二人を追いかけるが、巨体ゆえか実に鈍臭かった。そのお陰でレティたちには作戦を考える余裕ができた。
「どうしよ」
「どうしましょうか……」
彼らはスライムを見下ろしながら苦悩する。
「切った後に急いで水魔法を唱えても火力不足でしょうし、あのスライムを包むほどの水魔法は時間がかかりますし、せめて真っ二つにした後に少し時間を稼ぐことが出来れば……」
「きでたたくとか」
「木の枝ですか? しかし有効かは……」
「ううん、き」
ルガはぐいぐいとレティの袖を引っ張り、マルフィックと戦った跡地へ指を指す。
そこにはすっぱりと切られた丸太が数多く転がっていた。木の太さはどれもこれも成人より一回り大きく、抱きつく形で持とうとしても大人では抱えきれないだろう。
そもそも木の重量を考えると、とても現実的ではない。
「さ、流石に持てないと思いますよ……?」
「いける。たぶん」
レティの心配をよそに、ルガは力強く頷く。確信めいた物言いは、子どもの戯言であると一蹴するには押し負けさせられるものだった。
「いこっ!」
「は、はい!」
こうして二の足を踏んでいる間にもスライムは自然を破壊して二人を追う。黒い跡を残して這いずるその生き物に背を向けてレティたちは駆け出した。
目指すは戦場の跡地。第三者が見れば放棄された木の伐採場と勘違うような惨憺たる森である。
走っている間にも魔力を練るレティに対して身軽なルガはスライムはおろか、レティすら置き去りにして突っ走る。一目散に向かうは手頃な丸太だが、やはりレティの目から見てルガが持てそうな木など、マルフィックの風魔法で木が切れた拍子に折れた枝くらいしかない。
しかしルガはどうにかまともな形を保っている丸太の端を持つと、両手で抱えて踏ん張る。
「ふんぬぬぬぅぅう……!」
彼は腰を落とし、己の力のみで丸太を持ち上げようとする。レティが両手を広げても木の周りの半分も掴めないほどの大木だ。
それでも丸太は微かに動いた。
「ふ、ぐぐ、ぬぐぐぅぅう……っ!」
微細ながら僅かに動き出し、徐々に動きが明らかになる。幼い身体に見合わぬ力に木の重さが負け、ついにはルガの持ち手側の丸太が浮いた。
「と、とても重いハズなのに」
「やまの……っ、あかるい、ところっ! いつもよりちょっと、ちからっ、でる!」
「山の明るいところ? 空気が澄んでいるからでしょうか……」
綺麗な空気は埃やちりが少ないため、日光を邪魔することなく通しやすい。
それゆえに木が切られて開けた場所と化した山の一部は、明るい場所で強くなるルガにとって好都合なフィールドであった。
ルガは全身を使って丸太を引きずれば、二人を追ってのろのろとやってきたスライムを見やった。
「レティ、まほう、いける!?」
「ええ、お陰様で先ほどよりは水を出せるハズです!」
「それはチョージョーっ!」
覚えたての言葉を舌っ足らずに口にしたルガは挑戦的にニッと笑った。
「レティ、はなれて! あぶない!」
「は、はい!」
一直線に向かうスライムを見据え、ルガは犬歯を食いしばった。
「ふ、んぬぅっ、おりゃぁぁああああッ!!」
幼い雄叫びが山に響くと共に、丸太が地面を削る跡が徐々に作られる。ルガの足が若干地にめり込むと、丸太が更に動く。
小さな身体をひねれば、丸太も連動して動き、木の先もスライムに向かう。重たいバットを振るような動作は鈍間ながらも力強く、丸太の最高速度は人が走るスピードと同じほどとなる。
ルガが息を吐き切ると共に出したその最高速度で、木はスライムの横っ腹を直撃した。
「どー、だっ!」
勢いに任せてそのまま木を離し、ルガはスライムを丸太の餌食にした。びしゃり、と水に落としたような擬音と共にスライムは潰れ、その体の残骸が辺りに飛び散る。
その中でも一際大きな塊へ、レティは利き手の手のひらを向けた。
「《モノ・ザバンタ》ッ!」
レティの手の前で次々と淡い青に色づいた魔力が清らかな水を生成していく。
虚空から出でた水は水流となり、レティが手を振りかざせば水流は激流となり、激流は一直線にスライムへ向かった。
丸太の横薙ぎで体の半分だけ残したスライムは容易く魔力でできた水に飲み込まれる。
手足が無いので当然もがくこともできず、浮力を得ることもなくただ水を受け止めていた。
「や、やりましたか……?」
一秒、十秒、一分。
二人には時折ごくりと唾を飲む音や己の心臓の鼓動がやかましく響くのを意識の外で聞き、ひたすらその液体を凝視する。
怪力を披露したルガだが、流石に身体中の筋肉や関節に負荷をかけすぎたせいか、手足が生まれたての子鹿のごとく震えている。
それでも腰を抜かさず立っているのは、スライムの死亡をその目で確認するまで気を抜けなかったからだ。
やがてスライムの存亡は決まる。
水の中から命の気配が消えた。
「とけた!」
レティの生み出した水の中の薄黒い液体は形を崩し、固形として保つことは叶わなくなった。
「やりましたね、ルガくん!」
喜色を浮かべたレティがルガに駆け寄り、喜びを共有しようとする。ルガも息を絶え絶えにしながら振り返った。
ルガの表情は、連携して強敵を倒したにも関わらず強張っていた。
「る、ルガく――」
「あぶないッ!」
ルガが決死の形相で力を振り絞り、地を蹴ってレティの身体を弾く。
存外強い力によろめいて尻餅をついたレティは尻に響く衝撃に顔をしかめ、されど目の前のルガを見て目を見開いた。
丸太の横薙ぎで散り散りになっていたスライムのカケラが集結し、一つの個として再誕してはルガの右腕に飛びついてうごめいていた。
自分をかばってスライムに引っつかれたルガに、レティは手を伸ばす。
「ルガくん……!」
「さわらないでっ!!」
強い怒号が、ルガを心配して近寄ろうとするレティを拒んだ。
スライムはルガの腕に襲いかかったまま離れる気配が無い。ルガも疲労困憊の腕を振り回すが、一向に振り払えない。
もしレティもスライムに触れば、スライムのターゲットがレティに向いて消化液の餌食にされるかもしれない。ゆえにルガはスライムの集中を一身に受けた。
やがてルガのカオが苦痛に歪む。
「っぐ、ぅ、うぅぅ゛……っ!」
「み、水魔法を唱えますから、もう少しだけ我慢を……!」
レティは魔力を練り出すが、再び魔法を唱えるには時間がかかる。その間、スライムに腕を包まれ続けた状態では危険だ。
このままでは腕の皮膚はただれ、肉は崩れ、最終的に骨まで溶ける。時間をかければかけるほど、ルガの腕は回復しづらくなってしまう。
レティは額に汗をにじませ、歯を食いしばった。焦りが彼女を急かすが、スライムを倒す必要最低限の水量を出すにはまだ時間を要するのだった。
「い、いだっ、いたいぃ……っ!」
「ルガくんっ! こ、こうなったら……」
ルガの目尻にうっすら涙が浮かぶ。激痛のあまり、弱音を口にする彼にレティは我慢ならなかった。
不十分な魔力の練りだが、ルガの腕が再起不能になることを恐れ、彼女は魔法を口にしようとする。
「まって」
だが魔法の詠唱を止めたのは、他でもないルガだった。
「まほう、じゅうぶん?」
「ま、まだですが……このままではルガくんの腕が!」
「だいじょーぶ」
ルガは痛覚に苛まれながらも口角を上げる。
無理矢理に、けれど自信を持って。
「なんとか、なる」
その表情は、過剰なまでに自信家なルミナの笑みとどことなく雰囲気が被っていた。
「ルガじゃスライム、たおせない。だから……レティ、たおしてね。ちゃんとまほう、となえて」
彼は拳を力強く握った。息を大きく吸い込み、大自然の大気を取り込み、燦々と輝く太陽の光を浴びて。
ルガがスライムの倒し方として知っているのは、スライムの体では消化しきれぬ液体を混ぜることだ。
そのためには毒魔法、その次に水魔法が有効的なのだが、生憎とルガは魔法の類は一切使えないのだった。
ならばルガ一人ではスライムをどうすることもできないのか。
ルガにとってスライムは手も足も出ない天敵なのか。
答えはそうでもなかった。
『大量の物量エネルギーをぶつければ、スライムの体が元に戻りにくいようにあちこちに飛ばすのはできるけど……』
彼が危機に瀕して思い出したのはとある話。
ルガがレティの村に行く道半ばで出会ったスライムを対処した後の、ルミナの言葉だった。
ルガはスライム相手に一人で戦わされたことはなく、予想の範疇でしかない。
それでもルガは一つだけ、自分の腕が養分として溶かされかねないこの状況をなんとかする策を授かっていた。
ルガは全身の筋肉が悲鳴を上げているが無視し、再び踏ん張った。しっかりと地に足をつけ、両手の拳を構える。
「お、りゃぁぁああッ!!」
赤く腫れた右腕を大きく振りかぶり、ルガはスライムを巻き込んで拳を地面へと叩きつけた。打ちつけた力は地面へ小さく跡をつけるほどに大きく、大地から一瞬だけ残響が鳴る。
ルガの腕と腕に引っつくスライムには多大な衝撃が走り、ルガの顔が痛みに歪むと共にスライムは反動で辺りに飛び散った。
「レティっ!」
「はい! 《ザバンタ》ッ!」
空中へ飛散して無防備になった隙を狙い、レティはスライムのカケラたちへ水を飛ばした。
次々と被弾した彼らは水に包まれ、数十秒もしないうちに存在を保てなくなる。
「今急いで回復魔法を唱えますから……!」
今度こそピンチを退け、レティは力なく地面へとへたり込んだルガの傷具合を見る。
活発なイメージをにおわせる少し焦げた肌はただれており、皮膚はボロボロだ。
視覚的な情報だけでも痛々しいその有り様にレティは少しの間だけ息を忘れ、しかしルガの苦しげなうめきに正気を取り戻し、意識を集中させる。
「《モノ・ヒール》」
静かに唱えられた口上を発端に、目に優しい淡い光がルガの腕を包み込む。春の麗らかな緑のような優しさをはらんだ静かな魔力はルガの腕に癒しを与える。
目に見えてルガの皮膚の異常が消えれば、光は収まった。ルガの腕も元通りとなり、彼は何度も手のひらを開閉させる。
「いっしゅん! すごいっ!」
「回復魔法は昔から猛勉強してきましたから。……大事に至らなくて良かったです」
すっかり元の元気を取り戻したルガはキラキラとした眼差しを、彼と同じ視線に立つべく膝を折ったレティへ向けた。
レティは安堵したように笑い、ほっとして胸を撫で下ろす。
「レティのおかげ。すごいいたいの、とんだ! ……わっ、っとっと」
「だ、大丈夫ですか? あれだけ身体を酷使した後ですから、今は大人しくした方がいいですよ」
満面の笑みで立ち上がろうとしたルガだが、流石に筋肉がこれ以上の労働を拒んだせいで前のめりに倒れ込む。
幸いにもレティがそれを受け止めて地面へと座らせたが、ルガは渋い顔をした。
「うでいがい、いたいー……」
「な、治しましょうか? 流石に筋肉痛相手では、私の回復魔法も気休め程度にしかなりませんが……」
「ううん、やすめばへーき」
休憩を必要としている証左にルガの声に覇気は無かった。まだ日中ではあるものの、体力を使い果たしたために疲弊しているのは明白だった。
だがルガが休もうとその背を地面へ投げ出そうとした瞬間、近くの茂みがガサガサと鳴る。音に驚いた二人は顔を向け、警戒心を露わにした。
「……まだちいさいスライム、ちらばってる」
「あの程度なら私が対処してきます」
茂みから顔を出したのは手のひらサイズの小さなスライムがいくつか。
どうやらルガの所業で分裂した一部の個は未だ健在な本能のままに人間に立ち向かおうとしているらしい。
レティは警戒心を強めてスライムたちを見据える。
華奢な手を前に掲げ、今まさに彼女は己の魔力を捻り出そうとした時だった。
大気中で何本もの線が太陽に反射して一瞬だけ煌めいた。
その瞬間、残りカスのように散らばっていたスライムたちはそのどれもが一瞬で形を崩し、やがてドロドロとした液体となって草や土へと吸い込まれていった。
「な――っ、一体、何が……」
スライムたちはレティが手を下す前に絶命した。これが自壊でないならば、犯人が存在する。
そしてその犯人は茂みの更に奥から悠々と歩いてきたことですぐに判明した。
「やっぱりいたか。妙に騒がしいから、どうせテメェが暴れたとアタリつけたらドンピシャだったな」
「タタラ!」
特徴的な赤髪に顔の左側についた傷、髪色とは対照的な青色の瞳の男がサーベル片手にルガを見下ろした。
ルガは驚いてタタラの名を呼ぶが、彼は構わぬ様子で抜き身の剣を鞘にしまう。
「た、タタラさん! 今まで一体どこに……」
「ルミナから雑用を押しつけられたんだよ。森のスライムたちが合体して大きくなったようだから、退治するよう言われてな。……ま、アンタらがほとんどとっちめたみてェだが」
劇物に等しい食物を口にしたであろうにも関わらず、タタラの容態はいつも通りだ。活動にも会話にも問題はなく、だが至極面倒くさがるような口調だった。
「タタラさん、体調は大丈夫なのですか? 昨夜、あなたに出してしまったオリーブの塩漬けに繁殖したボツリヌス菌が……」
「あ? ないない、オレって菌とかウイルスとか毒に耐性……免疫っつーの? あるから、あんま効かねェよ」
「そ、それはよかったです……すみません、どうやら誤って破棄しないまま提供してしまったようで」
「いいって、気にすんなよ」
レティは申し訳なさげに頭を下げ、非礼を詫びる。タタラはカラカラ笑ってなだめるが、そんな彼にルガは胡乱気な目を向けた。
「……何か言いたげだな、ルガ。大体予想はつくが」
「おまえだれ」
「スライム探しに山登ったら迷子になって、昼寝してたら突然の轟音に目が覚めて向かったタタラ様だぜ」
「ばかじゃん」
「知らねェ緑豊かな低山で迷わない方が無理あるだろうが。テメェこそ何だ、地面にへたりこんで。もしかしてスライムに手を焼いたのか? だっせェ」
「むぐぐぅ……っ!」
「どうせそこに転がってる木でスライム叩いてなんとかしようとしたんだろ? 流石はあの脳筋ド腐れイカれ魔女に好んでついていくガキだな。パワー頼りとか単純回路の暴力装置かよ」
「うっさいー!!」
「ま、まあまあお二人とも、落ち着いてください」
ひょんなことから導火線に火がつき、口喧嘩が勃発してしまった。
ニヤニヤと意地の悪い笑みでからかうタタラと、そんな彼に負けじと数少ない語彙で対抗しようとするルガ。
二人の喧嘩の行方はレティが仲裁に入ったことで中断されたが、二人は未だに喧嘩腰――というかルガが一方的にタタラを敵対視するのだった。
「やっぱ道知らねェのに山なんか登るモンじゃねーな。どこもかしこも似た景色だし、朝に屋敷出たのにもうこんな時間になってらァ」
「ひるねのせいじゃ?」
「うっせー」
ルガの正論とジト目がタタラを射抜く。タタラは軽く受け流したが、否定はしないのであった。
「つーか立てんのかよ、ルガ。日暮れ近いぜ。日光浴で回復できんのか?」
「たてる!」
「なんだ。そのままくたばってたらオレも楽だったのに」
「なんだとー!!」
ぼそりと呟かれた言葉にルガは勢いよく立つ。まだ若干ふらつくものの、歩く分には問題ないようだった。
タタラの言う通り、日は空の斜め前に鎮座していた。斜陽を浴びてルガの身体は回復に向かいつつあるが、その回復力は落ちつつある。
「……ま、ルガの騒音のせいで村の奴らの意識は山に向いてるだろうからな。アイツが動くとしたら、今が絶好のチャンスだろ」
「なんのはなし?」
「こっちの話だ。ちょうどいい、とっとと屋敷に戻るぞ、お前ら」
タタラは他二人には通じぬ独り言を漏らせば、屋敷へ帰還しようと爪先をそっぽへ向けた。遭難していたこともあり、呑気に昼寝をしていたことはさておいてとっとと山を抜けたがっている。
が、その足は第一歩すら踏み込むことを躊躇った。
「どうかしました?」
「いや……」
歯切れが悪そうにタタラは口ごもった。彼はひとしきり辺りを見渡した後、レティの方へ振り返った。
「屋敷ってどっちだ?」
「……あ、案内しますね」
一行が屋敷に戻るには、まだ時間がかかりそうだった。