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呪われた星々  作者: 三角形
明けの明星編
10/34

十話『マル/フィック』

 その魔物はとびきりの悪感情によりできている。


 全ての魔物は人の悪感情を核に構築されるが、中でもその合成獣(キメラ)は格段違った。

 彼の生まれは他の魔物と変わらない。しかししぶとく生き、人間の言葉を理解し、人間の使った風魔法を模倣により習得した彼の前に姿を現す者がいた。


『力をやる。心ある者の身体を支配するまじないの術も教えてやる。だから従え』


 マルフィックの前に現れた者は、人の形をしたナニカだった。

 ナニカは溢れんばかりの悪意を持った、魔物に近い存在だった。ナニカは手駒を必要とし、人間をもっと食う力を欲したマルフィックはナニカの手を取った。


 途端に身体に流れ込んでくるのは、どこから集めたのかもわからぬ悪意の渦。

 悲観、憎悪、嫉妬、憤怒、絶望――魔物の糧となる人間の感情。そして数々の人間の知恵も頭に叩き込まれた。

 

 取り込み終えた後のマルフィックは一味違っていた。エネルギーに満ち溢れ、まさに敵無しに思えた。高揚感は彼の自信の源に繋がったのである。


 ナニカは人間をも手駒にし、マルフィックはそれを不服に思ったが、せっかく手にした力を損ねた機嫌によって奪われれば目も当てられない。主人の指示通りに動き、彼は知見を得てまじないまで教わった。


 そのうちの一つが、ルキダリア島に住む由緒正しき一族が治める村の支配。

 そして一族の女を身体は無事な状態でまじないをかけ、村の人間は時が来るまでできるだけ生かすことが彼の受けた指令だった。


 風魔法を操らせれば右に出る者はいない彼にとって、風魔法と弓を攻撃手段として戦う一族の当主、その女は相手にもならなかった。だが彼の想定以上に粘るもので、彼は重大なミスを犯す。

 当主の女の右足を、風の刃でさらってしまったのである。


 ナニカの指令に失敗したマルフィックだが、挽回の策はあった。

 一族の女であれば、当主じゃなくとも良いのだ。例えそれが後継者になったとしても。

 機転を効かせた彼は仲間の盗賊を動かし、後継者の娘を村へ戻した。


 あとは無力化し、まじないをかければ彼の任務は達成である。


「――だというのニ……こんなニ手間を取らされるトハ」


 マルフィックは空中で感傷に浸る。

 元々は自分のミスが招いたために行なっている尻拭いだが、複数人の邪魔が入ったのだ。


 一人は一族の後継者の女その本人、レティシア。母から事の顛末を聞いた彼女は、例え抗おうとしても母から止められるに違いない。

 そんなマルフィックの予想は裏切られ、彼女は反抗しに来た。

 

 そしてあと二人。彼らは村の外からの来訪者だった。

 一人は赤髪の男、タタラ。挑発的な態度は生来のものなのか、たびたびマルフィックをイラつかせようと軽口を叩いてきた。

 もう一人は橙髪の獣人の子ども、ルガ。マルフィックにすら届きかねないタフさと俊敏さを兼ね備えた身体能力で、レティを守るように立ちはだかってきた。


「しかし空に逃げテしまえばこちらのもの。《モノ・ヒュード》!」


 マルフィックは男二人を排除してしまおうと、彼らへ向けて風の刃を複数放つ。無論、女の足を切り落とすなどといった痴態はもう晒さない。

 例え魔法で倒せなかったとしても、地形は荒れて砂埃は舞う。その隙に女にまじないをかけてしまえば、彼の任務は完了するのだ。


 複数の風刃は山を襲う。それは崖の先端すら両断し、大地にも深々と突き刺さる。


「チッ、流石に剣でさばける物量じゃないな、こりゃ……ッ!」

「よっ! ほっ! じめん、ぼこぼこ!」


 亀裂の入った真横の大地を一瞥し、タタラは戦慄の一声を漏らす。攻撃手段も全て無駄な以上、剣は既に不要である。彼は鞘にしまうと回避に専念した。

 ルガは軽々と駆け、時折跳んで避ける。が、地形が抉られるたびに安定的な足場は減り、余裕も段々と消える。


「オイ、降りてこいよ! ギリッギリ攻撃できねェだろうが!!」

「鳴け、喚け。オヌシの刃は、ワシには届かン。ほれ、剣でも投げてみロ」


 先ほどまでの仕返しのつもりか、今度はマルフィックがタタラを煽る。

 マルフィックは既に山の山頂と同等の高度でふんぞり返っており、タタラに投手としての才能が無い限り、サーベルを投擲したところで当たる確率は天文学的だ。

 タタラは歯ぎしりをこぼした。


「だっ、大丈夫ですか、お二人とも!」

「心配すんな、レティサン! むしろオレたちに近づくんじゃねェ!」

「レティにこうげき、ない。あんぜん! だからうごかないで!」

「しかし……っ!」


 弓も風魔法もマルフィックの前ではそよ風同然。仲間がただ刃の嵐に晒されるのを見過ごすことしかできない。

 

 レティにはそれが悔しくて堪らず、悲壮感に顔を歪めた。


「私は……私には、何もできないの……?」


 彼女は弓を握り締める。出かけた涙を飲んで彼女は弓を引き絞って放つ。

 矢は彼女の風魔法によって加速させ、更には旋回を加えた渾身の一撃だった。


 だが矢は呆気なく、悪意の風によっていなされてしまった。


「ン? 今、何かしたカ?」

「……ッ! く、ぅう……っ」


 自分の本気の攻撃をものともせずに、レティが生まれ育った故郷を熾烈に土足で踏み荒らす野蛮な輩。そんなものに思い出も故郷も汚されてゆくなど、レティには我慢ならなかった。

 しかし彼女では手も足も出ない。無力を知って歯を食いしばることしかできない。


 ――自分では果たして何もできないのか。


 そんな絶望感が彼女を苛む。彼女の瞳から光が失われる。



 



 それでも希望の光はまだあった。

 その光は彼女にとってはひどく鮮烈なものだった。


「――キミにできることはあるとも、レティさん」


 絶望の状況下にしては過ぎるほどに真っ直ぐで、過剰なくらいに自信に満ち足りた声が俯くレティの耳に届いた。


「《モノ・ヒュード》」


 戦場には似つかわしくない落ち着いた中性的な声が言霊を唱える。

 それを合図に山中で上向きに強風が吹いた。

 草花は引力にも似た力に対抗して土で踏ん張り、木々はざわめいては落ち葉をこぼし、風は立ちはだかるものを無視して暴れる。

 

 一瞬の合間に(いで)た風の刃の影響は、辺りの大気も巻き込まれた。


 レティの銀髪も風に従って逆立ち、しかし唱えられて出来た風の刃が迅速に放たれると、彼女の髪も少し荒れた状態で重力に従って落ちる。

 だがたった今、大気を荒らした風刃は高速で上を駆け上がるのだった。


 それは空の王座で災害を招くまま、高みの見物を講じていたマルフィックの胴体すら真っ二つに切り裂き、やがて雲一つ無い空を抜けて天へと消えた。


「が……ァ、な――ッ!?」


 並大抵の刃を通さない熊の身体は布切れのごとくスパッと切断される。大胆な一刀両断に彼も飛行を維持ができなくなったようで、瞠目を晒した頭と尾は山の森へ不規則に落ちる。

 

 轟音を立てて地面と落下したマルフィックだが、体の不自由を味わいながら上半身をひねって分かれた下半身を確認した。

 彼はそこでようやく現実を受け入れる。

 

 二本の熊の足と蛇の尾は、力無くして遠くの地面へと伏していた。


「――ガァァアアア……! 一体何ガ……何故ワシの身体がァ!」

「真っ二つでも元気だね。むしろ助かるよ」


 突如として戦闘に割り込み、そして不意打ちの形でマルフィックを真っ二つにしたその人物は、《バリア》によって無傷の段々畑から悠々と歩いてきた。

 大規模な風魔法の余韻で吹く風でローブをはためかせ、皮のブーツで土を踏みしめ、彼女は遅ればせながら戦場に姿を見せた。


「まさか――」


 マルフィックは地面に這いつくばりながら冷や汗を垂らす。


「オヌシの《モノ・ヒュード》で、ワシを切ったとデモ言うのかァァア……!」

「ああ。硬いみたいだから魔力を練ったよ。しかも視覚外からの一撃だ。無防備に当たるに決まっているよね」


 ルミナはマルフィックへ近づきながらしたり顔で笑う。


『空に飛ばれてこそ最大のチャンスだよ』

『ど、どういうことです?』


 窮地こそ好機。

 作戦会議でかく語りきルミナに解説を求めるレティだが、タタラはおおよそ察した様子で「あー……」と声を漏らした。

 不思議そうなカオをするレティにタタラから補足が入る。


『ルミナは魔法の制御がめちゃくちゃ下手だ。それはもう馬鹿みたいに下手だ。とんでもなく下手くそだ』

『そこまで貶さなくとも良くないかい?』


 タタラの私怨が垣間見えたが、彼は「けどよ」と逆接を挟む。

 

『威力だけはピカイチだ。爆発魔法をまともに唱えさせれば山が吹き飛ぶぞ』

『ふ、吹き飛ぶ!?』

『ルミナのまほう、つよい! はで!』

『師匠だったら島一つ崩壊させられるからね。ボクもまだまだ未熟だ、精進しなくては』

『破壊よりコントロールをなんとかしろ!』


 普段から肝を冷やされているタタラは大声を上げて抗議したが、ルミナは曖昧に笑うばかりである。

 改善の余地に期待するだけ無駄なようだ。

 

 自然破壊を任せれば右に出る者はいないほどの魔法を山に放ってしまえば悲惨である。

 だが魔法で敵を倒しながらも、周りには被害が少なければいいのだ。


『空を飛んだらむしろもっと空に飛ばしてくれ。ボクが空に魔法を放ってマルフィックを倒す』

『……! そういうことですか』


 レティはルミナの策を授かり、作戦を察した。


 空に対して魔法を放てば、地上へ届く余波は魔法の種類によっては少ない。

 最大の一撃で敵を倒し、最小限の被害で済ませる。


 敵の得意技を利用した、実にシンプルかつ良心的な作戦だった。


『一応マルフィックが逃げないように山に《バリア》は張るけど、あくまでヤツの逃亡対策と狙いやすくするためであって、ボクの魔法を受け止められるワケじゃない』

『ホー、ならバカスカ煽るか。飛ばれてオレたちが苦戦するザマを見りゃ、油断して隙もデカくなるだろ』

『分かってるじゃないか。――そういうわけだから、ボクは攻撃のチャンスが来るまではバリアの外で待機するよ』

『えっ! ルミナ、べつこーどー?』


 ルミナは一人離れて戦闘に参加すると聞き、ルガの狼の耳が残念そうに垂れる。

 彼の不安げなカオは大変レティの庇護欲をそそるが、ルミナはルガの頭に手を置いて言い聞かせるように撫でた。


『ボクはキミたちと違ってか弱いからね。万が一魔力を練ってる途中で敵の攻撃が当たれば困るし、不意打ちを食らわせるためにもキミたちは陽動で頼むよ。ボクの存在は隠してくれ』

『テメェのどこがか弱いんだよ。つーか一人だけ安全圏にいておいて、美味しいトコを持っていきやが――ぎゃぁあ゛あ゛ッ!! い、いだだだァッ!!!』

『こりないばかだ』


 ルミナに突っかかり、文句をぶちまけようとしたタタラは藁人形を鷲づかみにされ、盛大に情けない断末魔を上げた。

 痛覚に悶え苦しむ彼は屋敷内でのたうち回るが、それで彼に降りかかる厄災は到底誤魔化しきれるものではない。

 

 ルガはやれやれ、と言いたげな拙い動作で肩をすくめながら呆れた声で罵倒した。


『だ、大丈夫ですか?』

『も゛……っ、問題、無いぜぇ……』

『問題無いらしいから会議を続けるよ』


 タタラの不幸の原因は藁人形をつかむ手を緩め、タタラの強がりを理解しながらも強引に話を進めた。

 恨めしげな視線が彼女に突き刺さっていたのは言うまでもあるまい。


 敵が空に逃げて気を大きくしたところでの不意を突いた風の一閃。それは上手くはまり、見事にマルフィックは半分にされた。

 

 自分は空の檻へ追い詰められていたのだと察すると、マルフィックは鋭い牙を食いしばって青筋を立てる。

 荒く息を吐き、瞳孔をかっぴらき、陥れられた屈辱からせめて一矢報いようと魔力を練り始めた。


 流石のタフさにタタラは思わず声を上げる。


「オイ、まだ動けるのかよ!?」

「ク、フフ……その力――放っておくには口惜しイ」

「それはどうも。でも、手負いで何ができるんだい?」


 ルミナは余裕をひけらかし、獣に近づき続ける。追い込まれたマルフィックは絶体絶命である。

 

 だが彼の万策は尽きず。不気味な笑いが口から漏らしていた。


「――まじないを知っているカ、小娘」


 とある一単語にルミナの足がぴたりと止まった。彼女の表情は今、対峙しているマルフィックにしか見えない。


「東洋独自ノ魔法――精神に作用スル(のろ)い。膨大な魔力を必要とし、特別な儀式ヲ行うことでようやく唱えらレル……」

「……それで?」


 ルミナは催促して言葉を続けさせようとするが、後ろから見ているレティは気が気ではなかった。

 内心でとても恐ろしい予感を抱いたせいで、不安げに瞳を揺らしていた。


「コノ村を襲うまでに一回分――そしてこの数日の間デ、あの方からいただいた力を利用シテ二回分、ワシは身体(しんたい)支配のまじないをかけられる!」


 高らかに魔物は咆哮する。

 その声に言霊を乗せて。


「――《(から)(たた)り》ィ!!」


 追い詰められた手負いの獣は奇妙な魔力を練って、禍々しい色の光線が二方向へ放った。


「っきゃぁあッ!?」

「ルミナっ! レティっ!」


 一本の光線は接近したせいでマルフィックに最も近いルミナに。

 そしてもう一本はその後ろにいたレティに襲いかかった。


 衝撃で悲鳴を上げるレティに、ルガは駆け寄る。魔物の術は確かにレティとルミナの胸を打ち抜くが、外傷は無い。

 

 しかしマルフィックは己の瀕死を棚に上げて勝ち誇る。


「クフッ……クッハッハハハァ! これコソまじない! 人の身体ヲ支配し、意のままに操る呪い! さァ、オヌシらに《命令》だ!」


 マルフィックの目的は果たした。明けの一族の女にまじないをかけ、更には彼を一撃で真っ二つにしたとんでもない強者の魔法使いをも支配下に置いたと()()した。

 怪我は随分と重いが、その功名は彼を高揚させるに十分だった。


「《その小癪な男と天狼の獣人の子どもヲ殺せ》!」


 マルフィックは二人の女に命令を下した。

 殺害対象となったルガとタタラは息を呑んで身構える。


 だが二人は決してルミナとレティには警戒しなかった。


「――お断りします」

「なッ……」


 可憐ながらも引き締められた声がキッパリと拒絶を口にする。

 その声の主は先ほどまで戦場では怯えを見せながらも、命令には従わない絶対の意志を小ぶりな唇から紡いでいた。

 

 それは本来あり得ない事象だった。


「確かニ当たった感触はあった……それにまじないは当たれば確実に効ク。だと言うのニ、何故抗える!?」

「どうやらキミは、まじないに対して付け焼き刃程度の知識しか与えられなかったようだね」


 そしてもう一人、確かに光線に当たったハズのルミナの様子にも変化は無く、命令に一切従わずに地面へひれ伏すマルフィックを見下ろしていた。

 

 あり得ない事象は二度も起こっていた。

 まじないは失敗したのではない。確かに彼はまじないを用意し、そして無事に放った。


「何故――何故効かんのだァァアアッ!!」

「ッ、ルミナさん危ないっ!」


 癇癪を起こしたマルフィックはなけなしの魔力を練り、最後の抵抗として間近にいるルミナへ攻撃を試みる。


「《モノ・ヒュード》ォッ!」


 彼は言霊を唱えて風の刃を一振り、ルミナへ飛ばす。

 五体満足の際より威力は劣っていた。半身を失った分、上手く魔力を練られなかったのだ。

 

 彼女の危機にいち早く察したレティは対抗するために即座に魔法を唱え、切れ味を持った風と相殺しようとした。


 が、瀕死とは言え彼女の母親より強い魔物の魔法である。


 レティの無詠唱でロクに魔力も練られなかった風は容易く吹き飛ばされ、止めきれなかったマルフィックの風の刃はルミナの胴体を切り裂いた。


「ルミナさんッ!!」

「ルミナぁっ!!!」


 血飛沫が舞い、大量の血が彼女のローブと地面を汚す。レティとルガの悲鳴が山に響き、彼女の元へと駆け出した。

 ルミナは胴体を真っ二つに切られはしなかったものの、派手な重傷を負った。右肩から左腿にかけてまでできた大きな裂傷からは血が噴き出し、このまま止血も回復も放棄すれば死すら範疇にある。

 すかさずこの場で唯一まともに回復魔法を唱えられるレティが回復を試みる。


「《モノ・ヒ――》」

「いいや、まだ回復しなくていいとも」


 だが当の本人は倒れる気配も無く、それどころか回復魔法を拒んで立っていた。

 手はだらりと地面へ垂れ下がっており、マルフィックへ再び歩み出した際には足取りはノロノロとしていたが、それが余計に不気味さを加速させた。


「お、オヌシ、なぜ普通ニ立っていられ――」

「さて、二つクエスチョン。あらかじめまじないがかかってる者に別人がまじないをかけようとした場合、果たしてどちらの効果が優先される?」


 ルミナは傷に構わず問う。

 見た目は完全に重傷人だが、それに反して悠々と問う余裕さがあった。


 その得体の知れなさからは、マルフィックは恐怖すら芽吹き始めていた。


「正解は『まじないに必要な物の価値の高さと、まじないにこめた魔力が多い方』だ。キミのまじないに警戒して、レティさんにはまじないの人形を持たせておいたのさ」


 レティの懐には、先ほどの作戦会議の前にルミナが作成した藁人形がしまってあった。危害を加えればタタラに厄災が降りかかる人形、そのまじないにこめられた魔力――ルミナの力により、マルフィックのまじないを弾いたのだ。


「もう一つ。これは自分で考えるんだね」


 マルフィックの一歩手前でルミナは止まる。

 魔物から見て、こちらを見下してくる人間は人間とは到底判断しづらかった。重傷を負っても普通に歩き、会話をし、あまつさえ問いかけすらしている。

 彼女から流れる血は鮮やかなほどに赤かったが、彼女がマルフィックに向ける笑みも合わせ、彼の知る種族としての人間とはかけ離れていた。


「まじないは確かにキミの言う通り、主に精神に作用する。だがそれはあくまで精神、すなわち心を持つ存在に効くものだ」


 ルミナは言葉を続ける。


「ボクはよくタタラから『人の心が無いのか』と揶揄されてね。もしかしたら、それと関係があるかもしれないね?」

「お、オヌシ……人間、なの、カ……?」


 淡々と語る口が三日月を描いた。


「ご想像にお任せするよ」

「――ッ!」


 マルフィックは確かに恐怖した。

 そして彼の脳裏には、かつてのトラウマが想起させられていた。


 ナニカと初めて出会った際にも感じた威圧感、尊大な自信を宿した口調。目の前の存在は自分より下だと信じてやまない絶対的な態度。

 何より殺しても死なないような不気味さは、化け物のハズのマルフィックですら畏怖するものだった。


『もし失敗したら――その落とし前は分かっているだろうな。わざわざ手間かけてまじない叩き込んでやったんだ、ヘマは許さん』


 圧倒的な力量差により本能に叩き込まれた敗北感は、恐怖とも呼ぶものだった。

 それをマルフィックは今、いっそ暴力的なまでに、眼前の魔法使いによって再び呼び起こされているのだった。


「今度はこちらから質問だ。答えてくれるね?」


 有無を言わさぬ圧力を目の前に、マルフィックは返事すらできなかった。咆哮を発し、人を喰らってきた口も今やただ子鹿のように震えるお飾りである。

 しかしルミナは沈黙をよしとしなかった。


 彼女は血まみれのローブの裾からナイフを取り出すなり、マルフィックの右前足に突き立てた。


「ッ、ギィァアアアッッ!!あ、足、アシッ、あしがァァアア……ッ!」

 

 そこはタタラにつけられた傷の上だった。ぐりぐりと抉るようにナイフは動き、たまらず激痛で絶叫を轟かせるマルフィックだが、ルミナの調子は変わらない。


 マルフィックの足からはどす黒い液体が噴出する。血肉が傷口から露出するが、ルミナはその返り血を浴びてもなお上げた口角はびくともさせない。


「会話は知能を持つ生物に許された特権だ。それを行わないなんて……ボクはもしかして意思疎通のできない獣に話しかけていたのかな」


 ルミナはマルフィックを自らと同じく知能を持つ生物として接していた。

 だが自分と同じ土俵に立つ者として扱っているかと問われれば、傍から見る誰もが首を横に振っただろう。

 

 支配者然とした圧巻な態度――まるで虫ケラでも見るかのような、温度の無い瞳がマルフィックに注がれている。

 かの存在の命に対して毛ほどまでもない興味、そしてそれゆえに取れる残忍な行為は、倫理観の無い実験者とその哀れな被験者を連想させるものだった。

 

「ッぎィ、ひ、かひゅ……ッ! い、言う、何でも答えル――!」

「素直な子は大好きだよ。人の感情の機微に疎いボクでも気持ちが分かるからね」


 マルフィックの恐怖は人の形をしていた。

 

 それはいくらズタズタに切り裂いても平気で動き、襲ってくるものだ。どれだけ血まみれにしたところで、奴は笑って見下ろしてくる平気で痛めつけてくるのだ。

 ゆえに、恐怖には抗うだけ無駄。


 マルフィックは命の危機に迫り、恐怖と対峙することで、ようやくそれを学習した。


「キミのボスの特徴は長い白髪を後ろにまとめてて、目つきが悪くて金色の瞳で、ロングコートをよく羽織っている()。違うかい?」

「あ、合ってイル……」

「そうか。彼はどこにいるかわかるかい?」

「わ……分からなイ。盗賊の(かしら)ヲよく使いっ走りにしてイタのはわ、わか、る」

「ならその盗賊の頭の居場所は?」

「……根城にしてイルのは、南西の街に近い洞窟……知っているのはそれだけダ!」

「そうなんだね、どうもありがとう。――タタラ」


 おおよそ心のこもっていない謝礼を述べたルミナは仲間を呼ぶ。

 一方、マルフィックは恐怖が自分から意識が逸れたことでホッと一安心していた。


 だが安堵の息を吐いたのも束の間。


「……ァ――?」

 

 確かに彼は人間たちの連携によって辛酸を舐めさせられ、地面に這いつくばっていた。だから恐怖から目を背けられずに見上げていたのに、気づけばマルフィックの視界は突如として地面をいっぱいに映した。


「ったく、人使いが荒いヤツだな」


 背後に回っていたタタラのサーベルによってうなじを突き刺され、その衝撃でこうべが垂れた。

 それが原因であると最期に学習し、マルフィックの意識は途絶えた。


「だから言ったろ、『大人しく着地狩りでやられた方がアンタのためだぜ』って」

「キミにしては親切だったね、タタラ」


 タタラの手遅れな忠告とルミナの冷たい金の瞳は、息絶えた哀れな獣へ手向けられた。

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