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音速獰帝<マッハ・ボウイ>③

「あ?」

 男が唖然とした隙、私は地面を勢いよく蹴り上げた。逆上がりの様に下半身が空へ向かい、私の頭上を越える。男が押し付ける力も利用して、私は背中から倒れ込みフェンスの外へ自ら身を投げ出した。重力に負けて掴んでいた男の手は離れる。


覚悟を決めて飛んだせいか、屋上からの自由落下は案外悪い心地はしなかった。

多少無茶したけど、今こそチカラに頼る時だよね。

『名前は大切なんだよ。言霊がチカラに乗るんだ。』

ネトスト野郎の言葉が思い出された。

 昔習っていたピアノ。もう辞めちゃったけど、一番好きだった曲の名前。

初心者向けの曲だけど、だからこそ今の私の、始まりのチカラの名前に相応しい。そう思った。

「紡ぎ歌<エルメンライヒ>―!!」



「何やってんだぁオメェぇーー!!!」

 男は女が落ちた先を見る。彼女は地面に吸い込まれるように遠く小さく離れ、樹木の葉に埋もれドスンと鈍い音がした。

ヤバい。いくら枝葉がクッションになろうとも、この高さから落ちて無事で済む訳がないのは自明の理だ。確かに女への怨嗟はある。でも殺そうとした訳じゃない。

 我に帰り、1階までの階段を全力で駆け降りた。

裏庭は誰もいない。広葉樹以外何もなく見通しはいい。

男は先程目の前で投身した彼女を見つけた。芝に横たわっている。首も四肢も不自然に曲がっていたりはしない。

「死んでねぇ…よな…?」

恐る恐る首を触り脈を取ろうと男が手を伸ばすと、少女は目をかっ開き、左手で男の腕を取った。



「なっっ!」

死んでいるかもと思った私が勢い良く跳ね起きたことで面食らう男。口は開けたまま。今しかない。

「紡ぎ歌<エルメンライヒ>!!!」

 開いたままの男の口を右掌で蓋をする。ありったけに綿を生成し口腔に捻じ込む。詰まった綿を取ろうと男はパニックになり仰向けにひっくり返った。私は立ち上がり、屋上の恨みとばかりに男の顔を踏ん付けた。

「屋上から落ちて木にぶつかる直前!今みたいに綿を出して全身を覆ったわ!綿と芝生でだいぶ衝撃は和らいだけど、背中がまだ少し痛い…。アンタ瞬間移動出来るんだったら、自分のチカラで助けてくれたって良かったんじゃないの!?」

声を封じられた男は怯えながらも、私の足元でもがき出ようとする。

「まだだ!」

さっき自分の身を守ったのとは逆に、私はチカラを解放して男の全身をありったけの綿で包んだ。運動会の大玉転がしの玉くらいの大きさまで出し切ったところで、男の身動きを封じた事、顔まで綿で埋め尽くしたが一応呼吸は保たれている事を確認した。死なれては困る。

「捕獲完了っと。あとは…」

仕上げを施すべく、頼れそうなツテに電話をかけた。



ここは…どこだ…?

 有り得ない量の綿に拘束されて、視界も開けぬまま1、2時間ほどたっただろうか。男は気がつくと、暗い部屋のベッドの上に横たわっている事に気がついた。しかもパンツ一丁で。姿勢を直そうとすると、じゃらり。と鎖の音。

 綿は無くなっているが、両手両足に手錠。後方に回された腕では体を起こす事もできない。しかも口内にも綿とはまた違った違和感。これは、猿轡(さるぐつわ)か?となると声は依然出せない。

手 足と口をわざわざ異なる方法で縛り直している。何故だ?唯一許された視覚を基に改めて状況を探る。暗い部屋だと思っていたが、よく見ると壁には色とりどりのハートマーク、紫色の間接照明が照らし、ベッドの周囲にはレースのカーテン、枕元には謎のアメニティ。まさかココは…!


ガチャリ。

扉の錠が解かれ、何者かが入室した。

 180cmはあろうかという巨体。ホットパンツとタンクトップから露わになる隆々とした上腕、前腕、大腿、下腿。

岩肌を思わせる前胸部から、峡谷の如く下方に伸びる腹筋。顔付きは男のシャカパチスタから見ても精悍そのもの。

侵入者はコチラを見下ろすと、三つ指を付き、深々と頭を下げ、自己紹介を始めた。

「御指名有難うございます。隆♡隆 マッスル!ガールズデリから参りました、ゴンザレス☆ドム子と申します。」

巨躯から発せられたとは思えぬ透き通る様な声色。間違いない、

異常なまでにガタイはいいがこの女、デリヘル嬢だ。そしてここは、行為の為借りられた部屋、ラブホテル…!

「友人様から御紹介賜り光栄です。事前のご注文通り、手足と口はそのままでサービスさせて頂きます。御客様の御趣味には全力でお応えしないとですもんね!あ、あとそれと、本番は禁止なんですけど、お客様と友人様の熱意に感服致しましたので、その、何と言いますか…」


モジモジと恥じらう彼女。

「お店には内緒にしてくださいね?」


シャワーも済ませずにじり寄る巨躯の女性。男の柔肌に、女の逞しい指が、手が、身体が触れ、重なり合う。男はちぎれんばかりに首を横に振り、唸り、身をよじる。彼女の屈強さの前では小鳥の(さえず)りが如く、全て優しく包まれるのみであった。



「…と、言うわけで、異性へのコンプレックスがチカラの根源みたいだったから、そんな事吹っ飛んじゃうくらい女の子と仲良く出来る場をセッティングしてやったわ。」

ネトスト野郎の異空間。事後報告という事で、簡素で手狭な会議室になっていた。

「想定より遥かに厄介なチカラだったが、よく対応してくれた。コンプレックスの解消が無力化の手段とは教えたが、まさかそんな荒療治に出るとはね。確かに童貞じゃなくなれば掛け声にも心が伴わない。チカラは喪失したと見ていいだろう。恐れ入ったよ。」

 ネトスト野郎は軽く触れただけだが、実際シャカパチスタのチカラは相当ヤバかった。本人が恥さえ覚悟すればイカサマや小火未遂以上の悪事も起こしかねなかった。貞操が彼の本意でない形で失われてしまったのは些かか同情の余地もある気もしたが、無力化までの迷惑っぷりを考えればどうでもいい事だ。男の貞操なんてちり紙の如く雑に放ってしまえばいい。


「チカラの名前も決まったし初仕事としちゃ上々でしょ!じゃ、これ経費の領収書だから。バイト代と一緒に振り込んどいてね〜。」

ネトスト野郎にクシャッと紙を放り投げ、私は異空間を後にした。


「エルメンライヒは曲名じゃなくて作曲者の名前だけど、野暮を言うと能力に障るかもしれんから黙っとこ…。」


渡された領収書を開き内容を検める。

「隆♡隆 マッスル!ガールズデリ…2万4千円、か…。」

管理人は窓の外をぼんやりと眺めた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「もしもし、ズベ乃!?ちょっと聞きたいんだけどさ!」

「なにー?ナキ突然電話なんかー?ウチのこと恋しくなっちゃってる〜?」

「あんたキャバクラで働いてるよね?夜の仕事について聞きたいんだけど、風俗関係の友達とか、その辺詳しい人知らない!?」

「なにアンタ、もしかしてこっち関係のバイト探してるの?辞めときな向いてないよ。」

「今からホテルに風俗のお姉さん呼んでさ、その、あの〜本番!してもらう事って出来るかな!?」

「はぁ!?突然何言ってんの!?」

「ちょっと大学の男友達がど〜してもって言うからさ〜お願い頼むよ〜。」

「その男友達はなんでアンタ経由でそんな事を…。まぁいい分かった。あのね、本番って基本はダメなんだけど、女の子と客が内密にする分にはバレないから、後は確実にサービスしてくれる人を指名すればいいと思う!今日この時間だと、あ、ちょうどサービス精神で有名な友達が出勤してるハズ!頼めば行けると思う!」

「ありがとう!あーあとさ、その男友達ってのがさ、ちょっと変な趣味してて、事前に自分の手足やら縛ってないと興奮して本番に臨めないって言うんだけど…」

「そういうの理解あるから全然ダイジョーブ!ラブホの店の人にちゃんと女の子来る事伝えてからセルフ拘束する様に言っといてね!じゃあ今から店の番号と先輩の名前教えるからね、えーと隆♡隆 マッスル!ガールズデリで、ゴンザレス☆ドム子ちゃんっていう…」


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