透明な少年①
非現実的世界からの招待を保留にした私。
異空間の主は『いい返事を待っている』と一言言い残し、あっさり私を解放してくれた。
いつまで悩む自分から抜け出せないのか、悶々としたまま訪れる週末。
以前から予定していたズベ乃の趣味に付き合った帰り、子供たちで賑わう昼さがり。二人で一緒に公園で感想を語らっていた。友達といる間だけは少し気が晴れる。
「あんなに豪華なメンバーそうそうないんだよ!いやアガったねぇー!」
「あのTVで見たことある覆面と全身赤タイツの人、神獣ワンダータイガーさん。バラエティの罰ゲームで出てくるイメージだったけど、本業は気合も一入って感じだったね。」
プロレスの地方巡業なるものが我が街にやって来た。相撲に総合格闘技、とにかく男達の取っ組み合いが昔から好きだったズベ乃。今回のイベントも当然抑えていて、ありがたいことに一緒に行こうよ、とペアチケットを用意してくれていた。
「メガちゃんはあんまり暑苦しいの好きじゃないから、アンタが来てくれて良かったわ!物販も色々買えたけど、サインだけ貰い損ねたのがなー!」
メガ美の不在以上にサインチャンスを逃したことを悔やしがるズべ乃。
「前日に色紙とサインペン持ってこいなんて言うから準備したけど骨折り損だったね。でもさ、代わりっちゃなんだけど、私も神獣さんのグッズ買っちゃった!」
私達のすぐ隣、ベンチに置いたカバンで眠る白紙の色紙には申し訳ないが、そのファスナーのタグには全身赤タイツで勇ましい形相をしたぬいぐるみストラップが誇らしげにぶら下がっている。女子大生のお供としてはやや不似合いな気もするが、私は満足していた。
「私達以外にもさ、思ったより女の人や若い人も多かったよね。」
「どんな分野でも盛り上げるには老若男女、幅広く新規参入してもらわないとねー!今どきのちびっ子はプロレスごっこなんかやらないんだろうけどさ!」
遠くでキャッチボールに夢中になる子供たちを見守りながらプロレス界の未来を憂うズべ子。小学校低学年くらいの男児達だろうか。一緒になって未来の宝を眺めていると、ある異変に気付いた。
向かって左手に見える少年は何も変哲なところはない。その相手。右に見える少年、と呼んでいいのか?子どもサイズのTシャツ。短パン。靴下にスニーカー。頭の野球帽に左手にはグローブ。右の軍手だけやや違和感はあるが、およそ男児らしい身なりを纏っている彼には、ただ一つ大事なものが欠けている。腕も脚も顔も、肌とよべる部分がどこにも見当たらないのだ。端的に表現すると、透明人間が服を着て遊んでいたのだった。まるで平和な風景に溶け込もうとしているように。
私の認識から世界の輪郭がずれ始めた空爆の日。そして避難から帰宅後、ネトスト男の異空間に誘われたあの日。謎の現象の数々から目を逸らし、いつもの日々にしがみつこうとする私を、チカラとやらは掴んで離してくれないみたいだ。
透明な少年の相方は不思議がる様子も慌てる様子もなく、奇跡的に距離があるからかズべ乃も気付く様子はない。今は彼らと私達以外周りに誰もいないが、アレが他の大人に見つかれば、確実に騒ぎになる。
「ズべ乃さぁ。ちょっと先帰っててくれる?突然だけど私さ、用事思い出しちゃった。」
そういってベンチを離れる私。
「あ、ちょっと!もう、たまによく分からんよなナキは!まぁいいけどまた付き合ってもらうからなー!」
ズべ乃がサバサバした性格でよかった。もし一緒にいたのが細かい性格のメガ美だったら、振り切るのに少し手を焼いたかもしれない。彼女を見送った後、少年たちの元に一直線で向かった。
「君、ちょっといい!?」
まずは向かって左、普通の少年に尋ねた。透明の少年とは距離がある。
「どしたのお姉ちゃん?今忙しいんだけど。」
生意気に答える少年。
「あっちの子はさ!君のお友達かな!?」
「んー?さっき仲良くなったばっかだよ!すごいよなアイツ!透明人間なんだぜ!!」
子どもの柔軟さは末恐ろしい。私も6、7歳の頃はこんなだっただろうか。
とりあえず、あの子が透明に見えているのは私だけじゃないことが分かった。
「あの子のご両親とか、他のお友達とか、仲良さそうな人は一緒にいなかった?」
私は妙に冷静だった。チカラの仕業にまず間違いないと思ったが、その詳細は彼の姿とは正反対、不透明と言わざるを得なかった。
彼が透明人間になれるのか、何者かのチカラで透明にされたのか。彼に接触したら私も透明にされるかもとか。必要なことには違いないが、たまたま公園で見かけただけの異変に接触を試みる私は、変に頭が回っていた。
「知らなーい。直接聞いてみたら?」
その通りだ。他のチカラと関係ない人が接触する前に、私がなんとか穏便に済まさないと。誰から頼まれたわけでもないが自分でも気づかぬ内に、相手の善悪はともかく、私の街に忍び寄る異変から日常を守りたい。そんな使命感に突き動かされていた。
透明な少年に駆け寄り、
「ちょっとボク!?」
激しい剣幕で迫る私。彼は答え返すことはなく、おどおどした様子をとる。
「君、自分が透明だって分かってる?」
質問の勢いにブレーキが利かない。その勢いに後ずさりする少年。言葉が出ない故にじれったさを隠せなかったのだ。私はアプローチを誤った。背を向け後ろに逃げ出す少年。
「あ、ちょっと!!」
私は思わず手を伸ばし、腕を掴もうとした。見えない腕を。
グローブの根本、左手首があるはずの空間。相手が人のカタチをしているならまず間違いなく、多少角度が悪くて掴めなかったとしても、まず触れることは出来たはずの位置。なのに、
「え?」
空しくも、私の手はグローブとシャツの袖の間を素通りした。呆気にとられる私を後目に、一目散に逃げる少年。
いかん、このままじゃ私変質者だ。いや、とにかくあの異変を追いかけないと。
掴み損ねた勢いで崩した姿勢を立て直し、少年の後を追う。
公園から出て、人通りの少ない片側一車線もない細い道へと進んだらしい。
人目の多い大通りに向かわれなくてよかった。距離も20mほどか。そう離れていない。少年の背を追う私。野球帽のつばは時折こちらを向く。差が縮まっていることを彼も視認したようだ。このままではと観念したのか、透明な少年は道沿いの小さな建物に逃げ込んだ。
「ふっ。透明とはいっても所詮子どもね。もう逃がさないわ。」
行きついたのはコインランドリー。出入口は一か所、建物がそのままワンフロアになっており逃げ場はない。
入口から入り中を見渡す。またしても運がよかった。洗濯機は何台か動いているが不用心なことに室内には誰もいない。早めに解決すれば、目撃される心配はない。
一番奥のドラム式洗濯機。ちょうど今乾燥まで終わったのかブザーが鳴っている。
…見つけた。まさにその一番奥の洗濯機の扉を開け、中に逃げ込もうとする少年。まさに袋小路だ。思わず笑みがこぼれる。
「かわいいじゃないの。待っててね~?お姉さん今行くからね~?」
勝利を確信して猫なで声になる私。どう見てもこちらが悪党にしか見えない状況だ。洗濯機の前に立ち、中を覗こうとしたその時。中の洗濯物が一瞬光ったように感じた。私は少しひるんで目を閉じる。
なんだったんだ…?少したじろいだが、やるべきことは変わらない。
改めて洗濯機ににじり寄り、中を失敬しようと手を入れたところ、
グウッ。
子供のものとは思えない力強さで中から手首をつかみ返された。思わず手を引く私。一緒に伸びてきた、握力の主の姿が腕まで露わになる。
その手は軍手でも、グローブでもない。大人サイズの合成革手袋。それに続く赤く長い袖のタイツが伸びてきた。
「ヒィッ!!」
予想できない恐怖に思わず声を上げてしまう。大人なんてとても収まらないような洗濯機の中から、まるで私が外に招いたかのように現れた、赤い全身タイツ、鬼のようにいかつい覆面。ズべ乃とさっき会場で見たあの大男が、なんともあり得ないことだが、今目の前に立っていた。
「し、神獣ワンダー、タイガー、さん?」
腕を組み仁王立ちするプロレスラー。覆面で表情を伺うことはできないが、なんだか睨まれているような威圧感を受ける。ふと視線を足元に落とすと、さっきまで私が追い詰めていたはずの透明な少年が、タイガーの足の後ろに隠れている。まるで、「こいつにいじめられたんですよタイガーさん」と言わんばかりの立ち振る舞い。もう完全に、私が悪者だ。
「お姉ちゃん。ちょっと話聞かせてもらおうか?」大男は何も言わないが、まるでそう語りかけてくるような威圧感と共に、私の肩を掴む。
どうしよう。腕力じゃ敵わない。チカラで綿なんか出したところで、目の前のレスラーをどうすることができようか。