真夏の朝の夢
夜遅くまでバーチャルユーチューバーの動画を見た翌朝に、あくびを噛み殺しながら歩いていたのがいけなかった。
高校二年の夏。七月十五日。
面倒臭い期末テストも終わり、夏休みの始まりを告げる終業式を待ち望みながらいつもと同じ通学路を歩いていたら、信号無視をしていたことに気付かなかった。迫り来るトラックに俺の体が轢かれる直前、
「ハヤトさんっ!!」
と、可愛らしい女の子が突如目の前に現れたものだから、俺は驚いて足を止め、その直後猛スピードでトラックが俺の鼻先を通り過ぎたものだから更に驚いた。
ほぼ徹夜明けの肉体にムチを打ち、慌てて交差点を渡り切る。彼女がいなければ今頃異世界転生していたと焦るばかりだ。
「ごめん、気付かなかった。君は命の恩人だ」
茶色がかった綺麗な髪の毛を持った丸顔の可愛らしい女の子に礼を言うと同時に、女の子が半透明なのに気付いてしまった。
彼女は俺の目の前に現れて俺の危機を救った手前、俺の代わりにトラックに轢かれてしまい、今俺の目の前にいるのは出来たてほやほやの幽霊なのではないかと自分の愚かさを悔いた。
おぅ、のぅ……背後の交差点を見るが、そこには少女の死体も血の一滴も落ちてなく、首を戻すとクリクリの瞳を細めてニコニコ笑う半透明の少女が変わらずそこにいた。
「良かった……ハヤトさんが生きてて良かったです」
死人が俺に対し「生きてて良かった」と言うのはレベルの高い皮肉か何かかと思ったが、少女の天真爛漫の無垢な笑顔を見て本当に俺の無事を安堵してくれているのかと思うと、相手が幽霊なのとか関係なく感動した。
「君のおかげで助かったよ……」
何か俺にしてあげられることはないか? と言うと少女は「えっ!? いいんですか!?」と驚いた後幸せそうに微笑んで、
「私とデートしてくださいっ!」
と言うものだから、おう任せろと二つ返事でコンビニのATMから五千円下ろして学校をさぼることにした。
* * *
アイドルグループの真ん中にいる子くらいに可愛らしい幽霊の女の子はナナミちゃんと言うらしく、年は十五の高校一年生と俺に自己紹介してくれたのだが、享年十五歳だと察し、生年月日上では彼女の方が年上かもしれず、敬語を使うかどうか悩ましかったが、ナナミちゃんは俺に対しナチュラルに敬語を使い、その見事な後輩キャラっぷりに俺も先輩キャラを貫くことを決心した。
透けた体は俺の通っている高校の女子制服を着ており、同じ学校という共通の話題を発見して「ウチの学校の図書室、凄い本が多いよね。最近の本とかも多いしね」と読書好きをアピールすると、「私……入学初日に交通事故に遭って幽霊になったので図書室行ったことないんです……」
と悲しいカミングアウトを受けて共通の話題が早くも一つ潰れてしまった。
「だから車に轢かれそうなハヤトさんを見て、思わず声を」
「そうだったんだ……なんかごめんね」
気分転換に早速どこかで遊ぼうと、吉祥寺駅前のショッピングプラザに到着した。
何かしたいことある? と問うと「タピオカが飲みたいです」とナナミちゃんが言うもので、死んでもタピオカ飲みたがるJKのタピオカへの執念に半ば戦慄しながらも二つ返事でタピオカ屋へ向かった。
普段は学校帰りのJKで溢れかえるタピオカ屋だが、学校サボった俺達は待ち時間ゼロ秒でタピオカ購入に成功する。
店員のお姉さんにはナナミちゃんが見えていないようで、サボりであろう男子高校生が一人でタピオカを二つ買いにきた状況に不審がっていたが、俺もお姉さんの立場なら同じ目をするので、お得意の愛想笑いでその場を誤魔化しベンチに座り一つをナナミちゃんに手渡した。
「わぁ。私タピオカ飲むの初めてなんです!」
ナナミちゃんはちっちゃな手でタピオカのカップを掴むと、チューチューと小さな口でタピオカを吸う。俺も習ってタピオカを吸うが、周りから見たらタピオカのカップが浮いて見えるのだろうか? と気になってタピオカの味が殆ど感じることが出来ずにいる。
ふと隣のベンチを見ると、大学生くらいのお姉さん二人が、おっぱいにカップを乗せて自撮りしていて、これが噂に名高いタピオカチャレンジか、眼福眼福と手を合わせる。するとナナミちゃんが「む〜〜〜〜〜」とほっぺたを膨らませて怒っていて、デート中に別の女の乳を見るなんて俺は男失格だ……と深く反省した。
ナナミちゃんも隣の巨乳JDに対抗してか、タピオカのカップを乳の上に乗せようとしているが、十五歳のJKの乳がカップを支えることが出来るはずもなく、最終的にナナミちゃんはカップを浮遊させると「見てくださいハヤトさん! タピオカチャレンジです!」と自慢げに俺に見せてきた。
「それはただのポルターガイストだよ」
と教えてあげるとナナミちゃんは再び「む〜〜〜〜」とほっぺを膨らまし拗ねてしまった。
* * *
その後どこに行こうか? とナナミちゃんと相談し、ジブリの森美術館か動物園に行きたいというので、動物園に行くことにした。
吉祥寺デート、安易にジブリの森か動物園に行きがち問題。
ナナミちゃんはパンダが好きみたいで、ずっとパンダを見ていて、俺はパンダを熱心に見つめるナナミちゃんを熱心に見ていた。
その後ウサギのふれあいコーナーで野菜スティックを購入し、そう言えば今日朝飯食ってないんだよな、と野菜スティックをボリボリ食べてたら「これはウサギちゃんの分です!」とナナミちゃんに怒られてしまった。
「折角のデートなのに、怒らせてばっかしでごめんね……」
と謝罪すると、
「別に……構いません……楽しいですから……」
とナナミちゃんが言うものだから、もし彼女が生きていて、生身の肉体でデートしていたら、俺は彼女のことを好きになってしまったかもしれないと思った。
デートも盛り上がり夕暮れ時、そろそろ俺の恩返しも終わりかなと思った矢先、「最後に一つだけ行きたい場所があるんです」と可愛い顔を俯かせながら、俺の制服の袖を掴もうとしてきたので、もう少しだけ付き合うことにする。
連れて行かれた先は病院だった。
ナナミちゃんは「こっちです」と広大な敷地を持つ大学病院の構内を迷いなく進んでいくので、置いて行かれないように必死に半透明の背中を追っていく。
受付で来館簿を書いたりお見舞い者のプレートを貰わないと不審者としてつまみ出されないかと不安になりながら付いていくと、やがて彼女は歩を止める。
「ここです」
「ここに誰がいるの?」
「私がいます」
数秒の間の後、ナナミちゃんはそう言った。俺は意味が分からなかったが、とにかく中に入れば分かると言うので戸を開ける。部屋の中のベッドに眠っていたのは、彼女の宣告通りナナミちゃんだった。
「これは……?」
「私……今年の四月、入学式の日に車に轢かれそうになったんです。でも、その直前にハヤトさんが助けてくれたんです」
「……まさか」
俺は数ヵ月前の記憶を思い起こす。
新学期初日、赤信号にも関わらず新入生の女の子に向かって車が向かってくるのを見つけた俺は、反射的に彼女を抱きかかえて飛んだ。だが彼女は俺に抱きかかえられたまま、後頭部を強く打ち病院に運ばれ……そこから先の話は聞いていない。
「私、ハヤトさんに助けられた後、ずっと昏睡状態で……気付いたら生霊としてあの交差点に立っていたんです」
「俺は助けていない。俺は君を押し倒し、君の人生を奪ってしまった」
「違います。もしハヤトさんが助けてくれなかった、私は今頃死んでました」
病院のベッドで昏睡状態になって目覚められないのでは、死んでいるのと変わらないじゃないか。俺はそう言おうとしたが、ナナミちゃんが「私はハヤトさんにそんなことを言わせたくてここに連れてきたんじゃないんです!」と涙目で訴えてきて、俺は正気に戻った。
「じゃあ……俺は、どうすれば、いい。どうすれば、許してくれる?」
「だから、許して欲しんじゃないんです!」
ナナミちゃんはポロポロと泣き出してしまった。
俺は酷い男だ。女の子を泣かせてしまい、その涙を拭ってあげることも出来ないのだから。
「私……多分、今日死んじゃうと思います……理由は分からないんですか、そう感じるんです。だから、最後に、先輩にお礼が言いたくて……助けてくれてありがとうって……」
「何か……して欲しいことは?」
きっとそれが、俺に出来る最後の罪滅ぼしだから。罪滅ぼしなんて言葉を使ったら、きっとナナミちゃんはまた泣きながら怒り出すだろうな。
「キス……してくれたら、許します」
「キス?」
「ファーストキスも無しに死ぬなんて、死んでも死にきれませんから……だから、最後に」
「俺なんかでいいの?」
「ハヤトさんが、いいんです……」
そっとベッドで横になる彼女に寄り添い、ナナミちゃんの口に装着された機械を外し、彼女の小さな唇にキスをした。
「えへへ……抵抗出来ないまま、男の人にキスされちゃいました……」
ナナミちゃんは最後、そんな意地悪で責めたてるような言葉を選び、俺を困らせた後、霧散するように消えてしまった。
「……ナナミちゃん」
俺は彼女に助けて貰ったのに、俺は彼女を助けることが出来なかった。
それでもナナミちゃんは最後幸せそうな顔で消えたから、これで良かったんだと、そう思うことにした。
* * *
あっという間に夏休みが終わり新学期。
このままあっという間に二学期が終わり、三学期が終わり受験生になるのかと思うと憂鬱でたまらなくなるなと、欠伸を噛み殺しながら久方ぶりの通学路を歩く。
そこで件の交差点に差し掛かり、俺は七月に出会った幽霊の女の子のことを思い出す。
「ハヤトさん!」
ふと名前を呼ばれて振り向くと、そこには可愛らしい女の子が立っていた。
「ナナミ……ちゃん?」
「そうですよ」
「なんで……」
俺は思わず通学カバンを落っことしてしまう。ナナミちゃんは俺の通学カバンを拾うと、
「はい、どうぞ」
と俺にそれを渡してくれた。その時、指と指が触れあう。透けてない。触れる。温かい。
「すいません。なんか……生きてました」
彼女はえへへと照れくさそうに笑う。
どうやら俺とデートした翌日に彼女は目を覚まし、夏休みの間にリハビリして復学に成功したらしい。
「ファーストキスの責任、取ってくださいよ」
「じゃあ次は、ジブリの森でデートってことで」
まだセミが鳴いている。夏はまだもう少し続きそうだ。
(終)
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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作者:N