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宇宙からやって来た恋人

作者: ピッチョン

【登場人物】

渡会わたらい羽未うみ:二十六歳のごくごく普通の会社員。

リィルゥ:見た目二十歳くらいの自称宇宙人。子作りをする為に羽未のところにやってきた。



 ジャンボ宝くじの1等が当たる確率は1000万分の1、隕石に当たって死ぬ確率は160万分の1、雷に打たれる確率は13万5000分の1、らしい。条件や状況次第で増減はするのだろうが、どちらにしても途方も無い確率なのには変わりない。

 では、宇宙人と遭遇する確率はどのくらいになるのだろうか。宇宙飛行士でも国防に携わるエージェントでもない私が現代で宇宙人と出会う。きっと天文学的な確率に違いない。

 ただ間違いなく言えるのは、宇宙人と遭遇するよりも宝くじの1等が当たる方が絶対に嬉しいということ。

 どうやら私は一生分の運を使ってしまったようだ。



 それは土曜のお昼過ぎのこと。日頃の仕事疲れを癒すべく、ごろごろと寝転がりながら録画していたドラマを観ているとインターホンが鳴った。モニターを見るとスーツを着た女性がマンション入り口のドアの前に立っていた。勧誘か訪問販売かと思い、居留守を決め込む。数分経って再度インターホンが鳴った。しかしモニターには誰も映っていない。嫌な予感がして玄関に向かい、覗き穴を見てみると先程のスーツの女性が立っていた。

(うわ、まじか……)

 誰かが入り口を開けたときに便乗して上がってきたのだろう。なんて非常識な。居留守はバレたかもしれないが構うものか。無視していればいつかは帰る。

 私が覗き穴から体を離したとき。

渡会(わたらい羽未うみさん、ここを開けていただけませんか?』

 ドア越しに声を掛けられた。若い女性の声。まるでドアを挟んで私がいるかのような言い方だ。そういうやり口なのだろう。当然私に開ける気はさらさらない。

 踵を返して去ろうとした私の背中に再度女性が声を掛けてきた。

『そうですか。でしたらすみませんが強行手段を取らせていただきます』

 次の瞬間信じられないことが起こった。チェーンロックがまるで意思を持っているかのようにゆっくりと外れていったのだ。私は触れていないしドアに変化もない。驚いたのも束の間、カギがカチャリと開けられる。呆然とする私の目の前で控えめに二回ノックされ、そろそろとドアが開いた。

 一見した印象は『どこの国の人?』だった。年齢は私より少し下、二十前半くらいだろうか。青白い髪に雪のように真っ白な肌。紫色の瞳はアメジストのように輝いていて整った顔立ちは同じ人間のものと思えないくらい美人に見えた。

「渡会羽未さん、ですよね?」

 名前を呼ばれてハッとする。何を見惚れてるんだ私は。

「……そうだけど、何か用? 人ん(のドア勝手に開けるのって犯罪じゃないの? それとも不動産屋から許可取ってんの?」

 相手を威圧するように語調を強める。隙を見せたら何をされるか分かったものではない。

 女は困ったように笑い返答する。

「不動産屋さんから許可は取ってませんが、それとは別に許可を取っていると言いますか」

 意味がよく分からない。それにしても流暢な日本語だ。案外日本生まれの日本人なのかもしれない。

「許可がないならさっさと帰って。あんまりごねるなら警察呼ぶよ?」

「呼ばれるのはいいんですが、手間が増えるので出来ればやめていただけると助かります」

「……何の用? 販売? 宗教?」

 女が両手を合わせ、満面の笑みを浮かべた。

「あ、実は私、羽未さんと子作りをしにきたのですが――」

 ドアを閉めた。カギとチェーンロックも掛けてから居間に戻りスマホを拾うと素早く110番を押す。しかしコール音が聞こえる間もなくスマホを背後から取り上げられた。

「あのぅ、まずはお話を――」

「うわぁっ!? ど、どうやって中に!?」

 尻餅をついた私に女がリモコンのようなものを見せた。

「これでカギを開けさせてもらいました」

「な、なにそれ?」

「遠隔誘導装置とでも言いますか。触らずにものを動かせる機械です。色々と制約はあるんですけど」

 女がリモコンを操作するとスマホが宙に浮いて私の手元に降りてきた。

 タネも仕掛けもあるようには見えないその超常現象に、今度こそ私は言葉を失った。

「警察を呼ぶのは私の話を聞いてからにしてもらえませんか?」



 姿勢よく正座をした女から2mほど離れた位置で椅子に座り、女の話とやらに耳を傾けた。

「突然お邪魔してすみません。私、リィルゥって言います。こう見えて宇宙人なんです」

「……宇宙人が自分で宇宙人って言う?」

「地球の方々に分かりやすいように便宜上言っているだけです。いきなりミゥレゥイから来ましたとか言っても分からないでしょう?」

「なんて?」

「ミゥレゥイ。私の居た惑星の名前です」

「はぁ……」

 先程の超常現象を宇宙人だからで片付けるのも無理がある気がするが、その異様な見た目とあいまって真実味があるのも確かだ。

「それで、あんたが私のとこに来た理由って? さっきは変なことを言われたような気がしたんだけど」

「あぁ、子作りのことですか?」

 椅子ごと後方へ下がる。こいつは真顔で何を言ってるんだ。

「あんたねぇ、子作りってどういうのか知ってて言ってんの?」

「知ってますよ。まずキスをして――」

「具体的に言わなくていい。とにかく、子供って男と女で作るもんなの。それともあんたの星では女同士で子供が出来るとでも?」

「はい、そうですよ。というよりも、私の惑星には女性しかいませんから」

「はぁ?」

「かなり昔はミゥレゥイにも男性と女性がいたらしいのですがあるときに男性のみに発症する致死性の高いウィルスが蔓延して、女性だけの星になってしまったんです。そこで女性同士でも子供が作れるよう化学者たちが研究を重ねて今の技術が開発されたんです。女の子しか生まれないという欠点はあったんですが、女性同士で生殖可能なので特に問題にはなりませんでした。あ、なので私の親は二人とも女性なんですよ」

「……あぁそう」

 一応現代にもiPS細胞を利用しての同性での子供作りが研究されているらしいし、理論上可能だというニュースも読んだことがある。だからどこかの星でそういったことがあっても不思議ではないのだが。

「あんたの言ってることが全部本当だとしても、わざわざ地球に来る理由が分からない。あんたのとこの女同士で子供作りゃいいだけでしょ」

「それが、ミゥレゥイの女性だけでは子供が作れないんです」

「え?」

「正確には子供が作れても遺伝子的な欠陥を抱えていることが多く、短命であったり何かしらの機能に障害があったりするのでミゥレゥイの女性間での子作りを規制されているんです」

「なにそれ。近親交配のし過ぎとか?」

「詳しいことは私には……。惑星人口は三億人ほどなので近親交配が理由ではないとは思いますが」

 日本の人口が一億二千万人ほど。それを考えると三億では少ない気もする。男が絶滅したのがいつかにもよるが、減った人口を取り戻すために子供をたくさん作ったのなら、似た遺伝子がかちあうこともなくはないだろう。いや、私がよその星の事情を推察してやる義理なんてまったくないのだが。

 とりあえずこいつがここに来た理由は分かった。

「つまり、あんたの星に新しい遺伝子を持ち込んで解決させようってことね」

「そうなんです! 他の銀河を色々探してようやく、見た目が似ていて生殖可能な人達の住む惑星、地球を発見したんです! ここを見つけるまでそれはもう大変な苦労があったそうですよ」

 テレビ番組の探し人を連れてきましたみたいなノリで喜ぶリィルゥ。だが私にはまだ疑問が残っている。

「じゃあ別に相手男でもいいじゃん。わざわざ同性にこだわるのはおかしくない?」

 リィルゥは初めて言いづらそうにしながら返答する。

「……男性、怖いじゃないですか」

「は?」

「ミゥレゥイには女性しかいないんです。つまり恋愛対象も結婚対象も女性という環境で育ってきたんですよ? それをいきなり男性と子作りしろだなんて無理ですよ! 無理無理!」

「……惑星規模のプロジェクトっぽいのにそんな個人のわがまま許されるんだ」

「はい、ミゥレゥイは恋愛自由の星ですから」

「あぁそう……」

「一応希望は取るんですよ? 男性と女性どちらがいいかって。でも結局みんな女性を選んじゃうんですよね」

「あぁそう……希望?」

「まず始めに男性か女性かを選択して、次に私と遺伝子の相性がいい人を世界中からピックアップしてもらうんです。その中から自分の気に入った人を決めて、こうやって会いに行く、という流れですね」

 私の遺伝子情報が出回っているのも怖いが、勝手に生殖相手に選ばれているのも怖い。強制お見合いってレベルじゃない。

「そんなどこの誰とも知らない異星人に勝手に選ばれても迷惑よ。私にその気はないからさっさと帰って」

「えぇ!? 困ります!」

「こっちだって困ってるの! 他に候補いるならそっちにしなさいよ!」

「私は羽未さんがいいんです」

「そりゃどうも。じゃあお引き取りください」

「そんな! 私は誰と子供を作ればいいんですか!」

「うっさい! 会って一時間もしないうちに体を許すほど私は軽くないからね!」

「ちゃんと時間を掛けます!」

「そういう問題じゃ――」

「私だっていきなり子供を作って欲しいって言うのが無作法だっていうのは分かってます。愛のない子作りなんて嫌ですから。でも最初にきちんと理由を言わないのはもっと失礼だと思ったんです。一目見たときから羽未さんを好きになったからこそ隠し事をせずにきちんと伝えた上でお付き合いをして欲しいんです」

 よくもまぁ恥ずかしげもなく私に一目惚れしたと言えるものだ。一説によれば一目惚れの原理は自らに足りない遺伝子を持った相手を脳が瞬時に見極めて好きになるからだとか。私は別にこいつのことを何とも思っていないので真偽のほどは分からないが。

「……悪いけど私今付き合ってる人いるから」

「交際相手がいないのは調査済みです」

「っ、好きな人がいるの!」

「名前を教えてください。その方の身辺を調査しますので」

 ダメだ。嘘は通じない。どうすればいい。

 私が悩んでいるとリィルゥが少し悲しそうに微笑んだ。

「無理強いをするつもりはありません。もし羽未さんが私と付き合ってみて子供を作る気になれないのならそのときは諦めます」

「……本当に?」

「はい」

「期限は?」

「羽未さんが誰かと結婚するまで」

 条件としては厳しいが、とりあえずこいつが諦めてくれるラインが分かればあとはそこに持っていくだけだ。

「……分かった」

「ホントですか!? やったぁ!」

 リィルゥは子供みたいに手を合わせて喜んだ。そんなに喜ばれても困る。

「それでは今日からここに住まわせてもらうのでよろしくお願いしますね」

「は?」

 ぽかんとする私をよそにリィルゥは胸元から小さな缶ペンケースのようなものを取り出すと中から更に小さな箱を取り出して、部屋の空いているスペースに置いた。するとその小さな箱がみるみる大きくなりロッカーほどの大きさにまで膨れ上がった。リィルゥがそれを開けて中をごそごそと漁っている。

「……それ、なに?」

「あぁ私の着替えとか生活用品が入ってるんです。ベッドも持ってきたので寝るところは大丈夫ですよ!」

「そうじゃなくて、なんかめっちゃ大きくなったんだけど……」

「持ち運ぶときは小さくできるんです。便利ですよね」

「便利なのは分かったけど原理は?」

「さぁ? 物体を意味情報で記憶して再構築するとかなんとか」

「原理も知らないのに使ってるの?」

「羽未さんだって普段使ってる家電の原理全部詳細に言えますか? こういうのはちゃんと使えればいいんです」

 ごもっともだがなんというか、猫型ロボットもかくやという展開に驚きを隠せない。驚きすぎたせいで同棲について言及しそこなってしまった。

 私の部屋を片付けながら自分の物を置くスペースを確保し始めたリィルゥを見て、静かに溜息を吐いた。



 一応リィルゥにも貞節を重んじる心はあるようで、私がお風呂に入っているときも眠っているときも襲ってきたりはしなかった。それどころか甲斐甲斐しく家事までしてくれる始末。

 翌日の日曜日、私が午前中ベッドで微睡(まどろんでいる間にリィルゥは炊事、洗濯、水回りの掃除を終わらせて買い物まで行ってきてくれた。

 お昼ごはん兼朝ごはんを食べながらにこにこ顔のリィルゥを見やる。

「……生活に入り込んで私を籠絡するつもり?」

「そうじゃないですよ。好きになった人に尽くしてあげたいって思うのは当然じゃないですか」

「あぁそう……でさ、洗濯なんだけど」

「何か間違ってました? 色物や下着は分けて洗いましたし、持ってきた乾燥用の機械で水分を完全に飛ばしたので生地も傷んでないかと。タオルは日光に当てた方が使うとき気持ちいいんですよね?」

「いいよ! 完璧だよ! あとは下着だけ私が洗うから避けといて!」

「照れなくていいんですよ。恋人なんですから」

「私が嫌だっつってんの!」

「でも結局下着を室内に干すなら私に見られますし、だったら私が洗った方が効率よくないですか?」

 宇宙人に効率を説かれる日がくるなんて。やけになって箸を動かす。みそ汁は出汁がきいてて美味しいし、根菜の煮物もきちんと煮込めていて和風味で美味しい。こいつ本当に宇宙人か?

「……そういやお金は持ってんの? あんたの星の通貨とか使えないでしょ?」

「それは大丈夫です。カードを渡されてますから」

 リィルゥが取り出したのは一枚の黒いカード。その重厚な輝きはもしやあの有名なブラックなカードではあるまいか。

「どこでそんなものを……」

「日本に来たときにとある機関から」

「それって詳しく聞いても大丈夫?」

「やめた方がいいかもです」

「……じゃあやめとく」

「別に怪しいところじゃないですからね。きちんと日本政府の許可を得た上で、滞在中の資金としていただいているんです」

「宇宙人にあげるお金があるなら私がもらいたいよ」

「羽未さんが使ってもいいんですよ?」

「え、本当!?」

「お金を直接は渡せませんけど欲しい物を言ってくれれば私が購入しますので」

 服や電化製品などの欲しい物が頭に浮かんだが、理性を以てそれらを振り払った。

「……今度は金銭で買収するつもり?」

「しないですよ。それなら最初からマンションとか車を買って渡してます。愛はお金で買うものじゃないですから」

 意外にもまともなことを言うじゃないか。宇宙人のくせに。

 ただまぁ、含みも虚勢もなく純粋に愛はお金で買えないと言ってのけるところには少しだけ好感が持てた。


 お昼を過ぎて私はなおもだらだらしていた。本来やるべきことを全部リィルゥが終わらせてくれたからだ。しかも秘密道具ばりの便利機械が満載なので私がやるよりも早いし丁寧。これはのび太くんがサボってしまう気持ちも分かる。

「…………」

「…………」

 ベッドに横になったまま昨日観そこねた録画のドラマを観る。

「…………」

「…………」

 いい加減我慢の限界だった。

「あのさ、ずっとこっち見ないでくれる?」

「え」

「私のことじろじろ見られてたら気が散るんだけど」

「す、すみません」

 リィルゥが私の視界の外に身を引いた。しかしまだ視線は感じる。

「だから、私の方見ないでって言ってるの」

「ではどこを見ればいいんでしょう?」

「テレビ観るとか、スマホいじるとか」

「そんなのより羽未さんのお顔を眺めている方が楽しいです」

「そういうことじゃないんだけどな……。近くで見られてると気が散って休めないの」

「でしたら私の姿が見えないようにしましょうか?」

「そんなこと出来るの?」

「はい」

 リィルゥがリモコンを操作するとその姿が空気に溶けていくかのように消えていった。

「え、まじ?」

「まじですよ」

 声はすぐそこから聞こえてくる。本当になんでもありだなこの宇宙人。

 しばらくそのままドラマを観ていたが、やっぱりどうにも落ち着かない。というか同じ部屋にいるのに相手が見えないのは逆に危険なのではないか。消えている間に好き勝手されている可能性もある。

「……ちゃんとそこにいる?」

「いますよー」

「やっぱ消えなくていい。戻って」

「はい」

 リィルゥは先程と同じ位置で正座をしていた。なんとなくその佇まいは忠犬を思わせた。

「邪魔しないならそのままでいい」

「はい、邪魔しません」

「じゃあそこにいて」

「はい」

「…………」

「…………」

 やっぱりどうしても気になってちらちらと視界の端で窺ってしまう。

「…………」

「あの、羽未さん」

「なに?」

「そんなに気になるなら私、外に出てましょうか」

 リィルゥの提案に正直迷った。ただ、ここまで家事をやってもらったあげくに目障りだから外に行ってろなんていうのは私の人としての良心が許さない。

「……別にいいよ。家の中にいて」

「そうですか……あ、でしたら少しでも羽未さんの心身が休まるように私がマッサージしましょうか!」

「とかなんとか言って、私の体に触りたいだけじゃないの?」

「違います。地球の、特に日本の方は日々のお仕事で大変だと伺っていたので、疲労のケアが出来るように勉強してきたんです」

 どんだけ日本人がワーカホリックだと思われてるんだ。

「そんなに言うならやってもらおうか」

「いいんですか?」

「ちょっとでも変なことしたらNASAに連絡して連行してもらうから」

「変なことなんてしませんよ。まぁNASAに連絡されるとちょっと困りますけど」

「お、いいこと聞いた。じゃあ何かあったらそこに言えばいいわけだ」

 私がうつ伏せになるとリィルゥがベッドの縁に座り、肩を揉み始める。

「エリア51に戻って説明するのが面倒なんですよねぇ」

「……ん?」

「知ってます? エリア51。アメリカのネバダ州にある空軍基地なんですけど、そこが私達の宿泊施設にもなってて――あ、これ言っちゃいけないんだった。忘れてください」

「あんたねぇっ! 変な黒スーツ二人組みに記憶消されるとかごめんだからね!」

「大丈夫です大丈夫です。私の家族になればお咎めなしですから」

「結婚しろと!?」

「というのは冗談で、別に一個人にバレたところで確たる証拠もないですし取るに足らないと思われてるので平気なんですよ」

「……本当でしょうね?」

「羽未さんが世界に向かって発信しなければ」

「一生しないから安心して……」

 力が抜けて枕に顔を沈めた。リィルゥの指と手のひらが私の肩をゆっくりと揉む。マッサージを勉強したと言っていただけあってうまい。揉む位置をずらしつつ私の反応を見ながら的確に凝りをほぐしている。

 肩が終わるとリィルゥの手は肩甲骨、背中へと降りていった。自分では手の届かないところなだけに押されると気持ちいい。

「そういやさっき私達の宿泊施設って言ってたけど結構地球に来てるの? その、ミゥレゥイ人? とかって」

「たくさんではないですけどそこそこは来てますよ。一度にたくさんは無理だというので制限はしてますけど、出産適齢期の人を優先に希望者を募って順番に」

「はぇー、じゃあ私が気付かないだけで街なかで会ってるかもしれないのね」

「かなり確率は低いと思いますけどね。日本以外に行っている人もたくさんいますから」

「あぁそりゃそうだ」

「でも少なからず実績はあるわけです」

「なんの?」

「異星間結婚」

「……そう」

「結婚式のプランも豊富なんですよ? 地球人の方には天の川を背景に写真を撮るのが特に人気で」

「さいですか……」

 話が宇宙的すぎてついていけない。いつか地球の科学が発展したらそういう結婚式もスタンダードになるのかもしれない。

「羽未さんはどんな結婚式がしたいですか?」

「考えたことない」

「ホントですか? 私のところではウエディングドレスは赤色が主流なんですけど、私もいつかあの深紅に身を包んで素敵な結婚式をあげたいなぁって小さい頃から思ってましたよ」

「こっちでも赤色のドレス着る人いるけどね。まぁお色直しで着る人が多いかな」

「じゃあ羽未さんが白から赤に着替えて、私が赤から白に着替えるのどうです? お揃いって感じでよくないですか?」

「いつ私があんたと結婚式をあげることになったのよ」

「まぁまぁ」

「まぁまぁじゃなくて」

 いつの間にかドラマなんて観なくなって、リィルゥとくだらないことを話していた。最初に感じていた気まずさや余所余所しさももう感じない。そこまで気を許してしまったのはきっとリィルゥのマッサージが上手だったからだ。そうに違いない。

 マッサージを終えたリィルゥに「ありがとう」とお礼を言うと、リィルゥはその言葉を噛み締めるように胸に抱いてから幸せそうに笑った。



 会社に出勤してずっと考えていたのは、どうやって誰と結婚をするか、だった。

 結婚しさえすればリィルゥが諦めてくれるというのなら、相手なんて本当に誰でもいい。用が済めば離婚すればいいだけ。あとは事情をそれとなく伝えて協力してくれる人を探さなければいけないのだが。

 リィルゥを甘く見ていた。

 会社のお昼休み。同僚と社員食堂へ向かおうとしたとき、入り口の方がなにやら賑わっていた。見るとそこには当然のようにリィルゥがいた。

 服は清楚なワンピースだが容姿のせいで異国のお嬢様感がある。首からゲスト用の社員証を下げているので受付を通ってきたのだろう。私の姿を見つけると笑顔で手を振ってきた。

「羽未さん」

「…………」

 周囲の視線が痛い。頬の筋肉が引きつっている。

 リィルゥは私の前に来ると風呂敷包みを差し出してきた。

「はい、これ。お弁当渡し忘れてたから」

「…………」

「晩ごはんがいらないようなら連絡してください。それじゃ、お仕事頑張って」

「…………」

 お忙しいところ失礼いたしました、と丁寧にお辞儀をしてから出て行くリィルゥを見送りながら、私はその場に立ち尽くしていた。

(やられたぁぁぁぁ!!)

 先手を打たれた。善意で昼休みに弁当を届けにくるか? 来るにしたって姿を消せるんだからこっそり渡すことだって可能だった。それをわざわざ昼休みを見計らって甲斐甲斐しい妻みたいな顔でやってくるなんて、目的はひとつしかない。

 見せつけだ。

 私達の間に他の人が入り込むスペースなんてないですよと知らしめたのだ。いかん。これでは私が何を言おうとも『あんな良い子なのに?』と返されるに決まっている。

 ともあれ今は、色めき立った同僚たちをなんて言いくるめればいいかを考えなければならなかった。



「本当、良い性格してるわ、あんた」

「だって、羽未さんに変な虫が近寄ってこないか心配で……」

「あーそうだね。おかげであんたと同棲してることを会社中に知られるはめになったわ」

「それは良かったです」

「いやいや、宇宙人だってバレたらどうすんの。どこの国の人かって聞かれてごまかすの大変だったんだからね」

 結局ヨーロッパあたりのどこかの国のお嬢様で、ホームステイも兼ねてうちに泊まっている、で全部通した。もちろんめちゃくちゃ怪しまれたし、めちゃくちゃリィルゥの連絡先を聞かれた。

「堂々としてれば案外バレませんよ。買い物に行っても驚かれるくらいで実害はありませんし」

「そりゃ驚くし、こんだけ綺麗なら声も掛けづらいわ」

「え、綺麗? 私がですか?」

「あーもう、うっさい。ご飯おかわり」

「はい」

 お茶碗を渡すとリィルゥが台所に引っ込み、ご飯をついでから戻ってくる。

「どうぞ」

「ありがと。……今日のご飯なんか美味しいけどお米変えた?」

「土鍋で炊いてみました」

「台所にあった土鍋はそれか」

「おこげもちょっと入れましたよ」

「うわ、おこげ食べるのとかいつ以来だよ」

「苦手でしたか?」

「いや、うん……美味しいよ」

「よかった」

 私が褒めるたびに心底嬉しそうに笑う。唯一欠点を挙げるなら、褒めるところしかないところだ。ご飯は手作りで美味しく、栄養バランスも考えられている。お風呂だって帰宅していつでも入れるように沸かしてあるし洗濯物は適当にカゴにつっこんでも綺麗に洗ってアイロンも掛けてくれる。お風呂あがりに休んでいたら全身をマッサージして終わったらジュースも用意してくれる。

 ――ここは天国か?

 日を追うごとにその感想ばかりになった。朝は寝坊しなくなったし肌の調子もいいしお通じも良くなったし昼のお弁当も美味しいし家に帰れば至れり尽くせりの極上のリラクゼーションが待っている。この快適さはマズい。慣れたら戻れなくなる。それこそがリィルゥの狙いなのかもしれない。

「たまには私がマッサージしてあげよっか?」

 いつまでも甘えるばかりではリィルゥの思いどおりになってしまう。少しでも優位性を取り戻すために聞いてみたのだが、リィルゥは一瞬きょとんとしてからすぐに口元を手で押さえて喜びをあらわにした。

「嬉しい――羽未さんが私のことを――」

「そういうのいいから。いつもやらせてるばっかだと私が暴君みたいじゃない」

「私が好きでやらせてもらってるんです。羽未さんが気にすることじゃありません」

「わかったわかった。で、マッサージしてほしいの? ほしくないの?」

「ほしいです!」

 私のベッドにうつ伏せになったリィルゥに跨がり、肩を揉みほぐす。子供の頃に親にやったきりなので心得なんて何もない。いつもリィルゥにしてもらってるときの手つきを思い出しながら指を動かす。

 肌はすべすべだし真っ白だし体は細いし、本当にずるいなこいつ。

「……痛くない?」

「天国に昇るくらい気持ち良いです」

「大袈裟な」

「好きな人にマッサージしてもらえたら誰だって同じ感想になりますよ」

「……あっそ」

 抱いた感想は同じでもその理由は違う。私はリィルゥを好きになんてなってない。

 ふとリィルゥの呼吸音が大きいのに気が付いた。枕に顔をうずめたまま鼻から長く息を吸い込み、ゆっくりと吐いている。

「おい」

「え、な、なんですか?」

「なにしてんの?」

「な、なにもしてないですよ?」

「隠し事しないんじゃなかったの?」

「あう……羽未さんの枕の匂いを堪能してました……」

「マッサージ終わり。さっさとベッドから出ろ!」

「ふぇぇ~、天国から地獄に~!」

 人がせっかく善意を見せてあげたらすぐこれだ。やっぱりこいつは信用ならない。

 ベッドから追い出されたリィルゥだったが、それでもその表情は嬉しそうだった。



「これ、初デートってやつじゃないですか?」

「買い物に付き合って欲しいって言ってきたのはあんたでしょ」

「普段ずっと買い物に行かせて悪いからって言い出したのは羽未さんです」

「まぁそうだけど」

 土曜日。ずっと家に籠もってるのもあれだったので買い物がてら外に行こうとしたらリィルゥも一緒についてきた。リィルゥにとっては二人で出掛けることが全部デートになるらしい。

 昼間でも外の空気は冷えきっていた。着込んだコートに首を引っ込めてポケットに両手をつっこんで歩く。もう少し厚着をしてくればよかったかもしれない、などと後悔していたとき、私の腕にリィルゥが抱き着いてきた。

「ちょっと離れ――」

 振り払おうとして止まった。急に寒さがやわらいだからだ。吹きすさんでいた寒風は止み、少しずつ自分の周りの空気があたたかくなってきたように感じる。

 原因は抱き着いてきたこいつしかいなかった。本当に何でもありだ。

「あんたねぇ……」

「羽未さんが寒そうだったから」

「すれ違った人に怪しまれたらどうするの」

「不思議に思われるだけですよ。……ホントはあんまり公の場で使わないように言われてるんですけど」

「でしょうね」

「羽未さんを温めてあげたかったんです」

「はぁ、じゃあせめて腕を離して」

「腕が離れたらまた寒くなりますよ? それでもいいですか?」

「こいつ……いっちょまえに交渉するようになったじゃない」

「どうすれば羽未さんを私のものに出来るかを考えたんです」

「誰が誰のものだって?」

「私がいなければ生きていけないって思わせたら勝ちじゃないですか」

「……そう簡単に行けばね」

 現状かなり甘えてしまっているので強く言い返せなかった。

 駅前のショッピングモールに到着すると多くの人で賑わっていた。

 人混みを歩いて分かったが、リィルゥは目立ち過ぎる。どこに行っても好奇の目線が突き刺さり買い物を楽しむどころではない。

「いっそ姿消した方がいいんじゃない?」

「こんなところで消えたら危ないですよ」

「まぁそれもそうだけど。あんたは気にならないの?」

「全然。ひとりで出掛けるときもこんな感じですし、今は何より隣に羽未さんがいますから」

 そのせいで余計に注目されているのだろう。異国の美人が私みたいな冴えない女と仲良く腕を組んで歩いていたらどうあっても衆目を集めてしまう。

 カシャ、と音がした。どこかから撮られたらしい。

 舌打ちをして周囲を睨む。

「見世物じゃないっての……!」

「いいんですよ、放っておいて」

「写真がSNSに出回ってもいいの?」

「別に外国の人が何かのコスプレしてるって思われるだけです」

「だからって大勢に見られて――」

 なんで私はこんなにムキになってるんだ。リィルゥを見られたくなかった? それは宇宙人であることがバレるのを危惧しているからか、それとも違う理由からなのか。

「……ちょっと寄らせて」

 見かけたアパレルショップに立ち寄り、白のニットキャスケットと白のマフラーを購入する。

「あ、私が払います」

「いいから」

 リィルゥの出してきたカードを押し返し、自分のお金で支払う。ただでさえ食費も出してもらっているのに個人的なものまで払わせられるか。

 店を出てから袋から取り出し、ニットキャスケットをリィルゥの頭に被せてやる。

「ないよりマシでしょ」

 さすがにマフラーを巻いてあげるのは照れくさくて、そのまま手渡した。

 リィルゥは何が起こったか分からず立ち尽くしたあと、そのマフラーを大事そうにぎゅっと抱き締めた。

「……ありがとうございます」

 首の後ろがむずむずする。きっと寒風が撫でていったのだろう。自分で自分にそう言い聞かせた。

 誰かに形の残る物をプレゼントしたのは久しぶりだった。社会人になってからはたいてい食べ物だったし、プレゼントの反応を見るのはあげた瞬間だけ。だからリィルゥのような反応をされるのは正直扱いに困った。

「いい加減部屋のなかで帽子とマフラーするのはやめなさいよ」

「せっかく羽未さんからいただいたんです。二十四時間身につけておきたいくらいです」

 あの日以降、お風呂に入るとき以外はずっとニットキャスケットとマフラーを着けている。ご飯を食べてて汚れたらどうするのと言って聞かせても、毎日手洗いしてるから大丈夫です、なんて答える。

 自分があげた物をここまで喜んで使ってくれるのは嬉しい。嬉しいが、限度はあると思う。

「ほつれたりしても知らないからね」

「復元出来るので心配いりません」

 それはまた便利なことで。もう何を言っても無駄のようだ。

 マフラーの先っぽを愛おしそうに撫でるリィルゥを見ながら私は自分の首筋をかいた。



 どんなに私に邪険にされようが笑顔で応え、ちょっとしたことで褒めるとこっちが恥ずかしくなるぐらい喜ぶ。私に対するリィルゥの愛の大きさを身をもって知っているからこそ、そこにある日常がなくならないと思い込んでいた。

「ただいまー」

 帰宅して玄関に上がる。しかしいつもあるはずの返答がない。おかしいなと思いながら居間に入ると、明かりはついているものの誰もいなかった。

「あれ? いないのー?」

 リィルゥの靴はある。トイレにもお風呂にもベランダにもいない。ベランダのカギは開いていたが見て分かる痕跡はない。しかし食事の準備は済んでいた。念のため電話をしてみるがコール音はするもののすぐに留守番電話に切り替わった。

 靴を履かずに出掛けたのだろうか。そんなこと今まで一度も無かった。もしかして、と最悪の想像がよぎる。

 宇宙人ということがバレて無理矢理つれていかれたか、変な機械を使っていたことが咎められて連行されてしまったのか。

 だったらもう仕方ない。リィルゥと添い遂げるつもりがないのならいつかは別れるときがくる。生活が不便にはなるだろうが一カ月もすれば元に戻るだろう。

 本当に?

 仕事から帰ってきてどれだけリィルゥの存在に癒されてきた? 家事をしてもらっていたからだけじゃなく、リィルゥの笑顔や声があったからこそじゃないのか。

 それを『好き』と呼んでいいのかは分からない。でもこのまま何も言わずにお別れなんてしたくない。

 一縷の望みを込めて再び電話を鳴らす。せめて最後に一声でも聞きたい。感謝の言葉を送りたい。留守電に切り替わるたびに掛け直し、何度も何度も天に祈った。

 もう何回掛けたか分からない。やっぱり無理なのかと心が折れかけてもそれでも電話を掛け続けた。

 コール音が途切れ、また留守電かと消沈したとき。

『――羽未さん?』

 電話からリィルゥの声が聞こえてきた。

「リィルゥ!?」

 大丈夫? 話せる? 今どこ? 何から聞くべきか悩んでいるとリィルゥがいつもの調子で言ってきた。

『あ、もう帰ってきたんですね。すぐ戻りますー』

「え?」

 十秒もしないうちにベランダが開きリィルゥが入ってきた。やはり私のあげたニットキャスケットとマフラーを着けている。

「いやぁすみません、上で色々考え事してたらいつの間にか時間経ってたみたいで」

「……あっそ」

 バツが悪くなってスマホをポケットにしまった。結局ただの思い過ごしじゃないか。馬鹿馬鹿しい。

 リィルゥがやけににこにこして私を見ている。

「なにか言いたいことでも?」

「いえその、電話越しでしたけど、初めて私の名前を呼んでくれたので」

「……そうだっけ」

「はい。あ、せっかくなので面と向かって呼んでみてくれませんか?」

「ヤダ」

 これ以上この話題はよろしくない。そんなぁ、と眉を下げるリィルゥに尋ねる。

「それより、上で考え事してたって何のこと?」

「えぇっと、それはその……」

「隠し事?」

「羽未さんばっかりズルいですよ! ……そのですね、女性を喜ばせるには綺麗な夜景がいいみたいなので、上空で星空を眺めるのなんかいいんじゃないかなぁと思って下見に行ってたんです。あとはどうやって誘おうか考えてるうちに気付いたら羽未さんから電話が来てて……」

「空、飛べるの?」

「はい、飛べますけど」

 常識みたいに返された。まぁあれだけ超常現象を起こしておいて飛べないのもおかしな話か。私の感覚が狂ってきてるのかもしれないが。

「……じゃあその綺麗な夜景とやらに連れてってよ」

「いいんですか?」

「嫌ならやめとく」

「行きます行きます! はい、どうぞこちらへ!」

 元気よく案内されて靴下のままベランダに出る。リィルゥがリモコンを取り出した。

「私に掴まってた方がいいかもです」

「あ、うん」

 軽く背中に触れる。

「では飛びますよー」

 緊張感のない呼びかけのあと、体が浮き上がった。そのままベランダを飛び出し、どんどん空へと浮かび上がっていく。

 高層のエレベーターに乗っているような感覚。上から重力に押さえ付けられ、床も何もないのに足が空気を踏み締め立っている。知らずリィルゥの体に抱き着いていた。

 どのくらい上昇しただろうか。すでに町の明かりは米粒ほどの大きさになっていて、周囲には雲が少しばかり漂っているくらいで建造物もなにも見えない。遥か向こうに飛行機らしき光が点滅している。

 リィルゥが心配そうに声を掛けてきた。

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫に決まってんじゃない」

 本当は叫びたいくらい怖かった。耐えられたのは夜なので地面が見えなかったことと、風や寒さを感じなかったので現実感が薄まったこと、そしてリィルゥがすぐそこにいてくれたからに他ならない。

「ほら、見上げてみてください」

 言われた通りに夜空を見上げる。

 地上の光に邪魔をされることのないそこは、まさしく星の海だった。

 月が三日月だったお蔭で月明かりが星を隠すこともなく、視界いっぱいに散らばった星々が宝石のようにまたたいている。空というのはこんなにも星があったのかと驚くほどの数に思わず息を呑んだ。オリオン座くらいしか星座は分からないが、天蓋を覆い尽くすきらめきは何時間でも見ていられそうだった。

「どうですか?」

 リィルゥに聞かれ、素直に綺麗だと答えればいいのに意地を張ってしまう。

「……どうせだったらこのまま落とされたくなければ言うことを聞け、って脅した方が早いんじゃない?」

「しませんよ。私は羽未さんに喜んで欲しいんですから」

 どこまでいっても私のため。その愛の一途さにはほとほと呆れてしまう。呆れるほど嬉しくて、想いに応えてあげたくなってしまうほどに。

「リィルゥ」

「え、今名前呼んでくれました!? はい! なんですか!」

「形だけじゃなくて、本当に付き合おっか」

「? 形に囚われない形而上の交際ということですか?」

「なにそれ……。じゃなくて、普通に恋人として付き合っていこうって話」

「今まで恋人じゃなかったんですか?」

「そうよ。上っ面だけの関係」

 リィルゥがショックを受けた顔で小首を傾げている。ただ一緒に住んで家事手伝いをすることが恋人のやることだと思っていたのだろうか。その辺はもしかしたら異星間ギャップというやつかもしれない。そんな言葉があるのかは知らないが。

「普通の恋人になったら何が変わるんです?」

「デートで色んなとこ行ったり、手を繋いで歩いたり、まぁ、キスくらいしたり」

「え? ということは子作りしてもいいんですか?」

「誰がそんなこと言った! 調子に乗るんじゃない!」

「だって……」

「ほら、もう帰るよ。ご飯食べてお風呂入ってマッサージしてくれるんでしょ?」

 ぶつぶつ呟くリィルゥの腕を引っ張り無理矢理下降させる。

 まったく、人がちょっとデレてあげたらすぐに調子に乗ろうとする。これはもう少し様子を見てしっかり手綱を握っておかなければいけないようだ。



 お風呂上がりのマッサージも終わり、電気を消してベッドに入った。

 勢いで普通の恋人になるとは言ったものの当然まだ気恥ずかしさはある。これまで一カ月弱同棲しておいて急に恋人として振る舞えと言われても躊躇ってしまうだろう。リィルゥはどうか知らないが特に私が。

「……リィルゥ、まだ起きてる?」

「起きてますよ」

 一度深呼吸する。緊張するな。明日から恋人として生活するために、そして今まで尽くしてきてくれたことへのお礼をするために。

 私はすぐ隣に置かれたリィルゥのベッドの上へ移動した。リィルゥは寝るときもニットキャスケットとマフラーをしていた。

「……羽未さん?」

 私は何も答えず、橙色の常夜灯が薄暗く照らす中、リィルゥにキスをした。恥ずかしいので唇が触れるだけのあっさりとしたキスだ。

「まぁその、今までありがとうねっていうのとこれからもよろしくってことを兼ねたおやすみのキスだから、そ、そんじゃおやすみ」

 早口で言ってから自分のベッドへと戻った。心臓がドキドキしている。生まれて初めて女の子にキスをした。やばい。明日も仕事なんだから早く眠らないと。

 不意に重さを感じて目を開けた。そこには私の体に乗ったリィルゥがいた。

「ど、どうしたの?」

「羽未さん、やっぱり子作りしたいんじゃないですか」

「え?」

「私はいつでも準備できてますよ」

 リィルゥがマフラーを外した。

「いや、まっ――」

 今度は私がリィルゥにキスをされる番だった。顔をななめにして唇をゆっくりと押しつけてきたリィルゥは迷うことなく舌を差し入れてきた。普通の人よりも長いその舌は、私の舌に絡み付いたあと口内のすみずみを舌先で引っ掻きはじめた。しかしその動きは決して蹂躙するような荒々しいものではない。優しく丁寧に愛撫するように私の頬の裏を、口蓋を這っていく。そのキスに込められた愛情を感じ取ったとき、私はリィルゥを抱き締めてすべてを受け入れた。

 気の遠くなるような時間キスをしてからリィルゥが体を離した。私の全身は火照り、息はあがり、頭はぼうっとしている。あぁもういっか、と全てを許す気持ちでリィルゥの次の行動を待った。

「……?」

 リィルゥは私のベッドから離れてなにやら自分の収納箱をごそごそやり始めた。

「どしたの?」

「んーんー」

 何かを口に入れているような返答。埒があかないので電気をつけた。

 リィルゥが試験管のような入れ物に舌を入れて唾液を流し込んでいるところだった。

 ひとりで『うわぁ』とドン引きする。

「なにやってんの?」

「!?」

 反応はするが喋れないようでばたばたと手を振っている。やがて唾液を入れ終えたのか口を離して試験管に蓋をした。

「なにって子作りじゃないですか」

「え?」

「舌で相手の口腔粘膜を採取し、自分の卵子と合わせて受精卵を作り、それを子宮内に移植するんですよ。習いませんでしたか?」

「……地球じゃ習わないね」

「あ、そうなんですね。いえ、キスしてきたからその気なのかなぁと思ったんですけど」

「……それさぁ、キスする必要ある? 綿棒とかでよくない?」

「愛のない子作りは嫌だって言ったじゃないですか」

「…………」

 あぁもう馬鹿らしい。キスだけだって分かってれば最初から――でもそれだと愛がないってことになってダメだったのか。なんか無性に腹がたってきた。

「リィルゥ」

「はい、なんですか?」

 大事に試験管をしまいこみ、やり遂げたすっきりとした表情で笑っている。私も笑い返した。多分目は笑っていない。

「地球式の子作りは知ってる?」

「知ってますよ。セックス、性行為ですよね。男女間で行われていた記録は私の星でも残ってます」

「女性同士ではしないの?」

「しますよ。恋人とか結婚した相手と愛を確かめ合う行為として広まってます」

 私は人差し指を突き付けてから手首のスナップを利かせて指を床に振り下ろす。

「服、脱ぎなさい」

「え、えぇ!? だ、ダメですよ! 私まだ心の準備が!?」

「うっさいわ! その貞操観念は何だ! 最初から最後まで人の心をめちゃくちゃにしやがって!!」

「濡れ衣ですよ~!」

 …………。

 ……。

 色々と終わった後、裸のままリィルゥと一緒にベッドに入っていた。

「……羽未さんがこんな強引な人だと思いませんでした」

「本気でぶっていい?」

「ご、ごめんなさい! 勘違いさせてたのは散々謝ったじゃないですか!」

「まぁ、私もきちんと確認しとけばよかった部分もあるからこの件はおあいこにしときましょ」

 これ以上揉めたところで得るものもないし。失ったものは色々あった気もするが忘れることにした。

 ごそ、とリィルゥが布団の中で抱き着いてきた。

「えへへ」

「なに笑ってんの」

「だってこれはもう羽未さんが結婚してくれるってことですもんね?」

「もっと段階踏むつもりだったのにどっかの誰かさんが私を逆上させたから」

「段階踏むってことは、やっぱり元から私と結婚するつもりだったんじゃないですか」

「……かもね」

 天井を見上げる。このずっと向こうには星空が広がっている。星空の向こうは、きっと私には想像もつかない世界が広がっているのだろう。

「結婚式はどうします? やっぱり天の川ですか?」

「好きにして。それよりうちの親になんて説明すればいいか」

「包み隠さず伝えればいいんじゃないですか」

「腰抜かして倒れられたら困るの。とりあえず式にだけ来てもらえればいいかな」

「それなら目隠しして宇宙船に乗り込んでもらって、現地に着いたらババーンと」

「バラエティのロケじゃないんだから……」

 先行きが不安しかないが、こんな適当な宇宙人がこれまでやってこれたんだから、何とかなるんじゃないかと楽観的に構えてしまう。多分リィルゥの考え方がうつってしまったんだろう。それもまぁ悪くない。

 ジャンボ宝くじの1等が当たる確率は1000万分の1、隕石に当たって死ぬ確率は160万分の1、雷に打たれる確率は13万5000分の1。

 なら、宇宙人と出会って結婚をする確率はどれほどのものだろう。

 地球の総人口を75億人、女性を半分の38億人としたなら38億分の1でリィルゥが私を選び、リィルゥの星の総人口が3億人なら3億分の1で私がリィルゥと出会った。まぁ確率の細かいあれやこれやは置いておいて、単純に掛け合わせて114億分の1の確率に当たったと考えたなら、控えめに言っても私は最高にラッキーなのではないだろうか。

「新婚旅行のことも考えないといけないですよね。どの銀河行きたいです?」

「そんな『どの国行きたいです?』みたいなノリで聞かれてもわかんないって。その辺は全部任せる」

「じゃあパンフレット取り寄せるんで一緒に見ながら決めましょう」

「……パンフレットとかあるんだ」

「ありますよー。太陽系のツアーとかも結構あるんですから」

 ハワイ旅行と比にならない規模だ。もう訳が分からないし費用の想像もつかない。地球生まれの地球育ちにはついて行くのがなかなか厳しそうだ。

 リィルゥの頭を抱き寄せた。

「そういうのもいいけど、地球にいる間にもっとリィルゥと色んなとこ行きたいな」

「私も行きたいですっ」

「費用はもちろんとある機関様持ちで」

「いいですね~」

 手を繋ぎ体を寄せ合い、未来の計画をあれこれ話し合う。今この瞬間、私達の未来は無限に広がっている。くだらない事もあればとんでもなく大きな出来事もあるだろう。その一つひとつを選び、手に取り進んで行く。そうしてやっと、私達の人生が完成する。

 うまくいかないことも失敗することもきっとある。全部がうまくいく人生なんてそうそうない。それこそ天文学的な確率だ。

 だったら。114億分の1をくぐり抜けた私達なら。結果なんて見なくても分かりきっている。

 いつしかリィルゥの声を子守歌に、私の意識は微睡みに落ちていった。

 目蓋の裏には遥か上空でリィルゥと見たまばゆいばかりの星の海がどこまでも続いていた。



 数年後、実家に帰省したある女性カップルのお腹が二人とも大きくなっていて両親を大層驚かせたとかなんとか。



        終

pixivの第二回百合文芸コンテスト応募作品。


ドレイク方程式というのを使って運命の人と出会う確率を求めた論文なんかもあるようなんですが、まぁリィルゥから見たざっくりとした確率ということで何卒……。

SFっぽいものを書きたかったけど自分にはまだ無理だなぁと痛感しました。


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