【カッコいい!】初代・瀬川菊之丞路考のこと
「耳嚢」(みみぶくろ)は、下級旗本から南町奉行まで昇り詰めた根岸鎮衛が、天命年間から文化にかけて30年余り書き綴った随筆です。
驚異の出世(元々武士の出ではなく町人という説も)を遂げて名奉行としても名高い根岸鎮衛、相当な秀才だったのでしょうが、その筆マメさには驚くばかりです。
様々な人から聞いた怪談、奇談、美談から、噂話、笑い話、艶笑談から各種トリビアに至るまでバラエティに富んでいて興味が尽きません。
猫が喋ったという不思議系のお話とか、女湯を覗いていて屋根から落っこちた助平の話とか、アワビを柔らかく煮る方法とか、もう何でもアリ!のカオスっぷりが楽しいです。
その中で、個人的に面白いと思ったのは、巻之二に収録されている「芸道其心志を用る事」という短いお話。
歌舞伎役者の初代・瀬川菊之丞路考の逸話です(路考は俳名)。
現在も七代目がご活躍されているそうですが、このお話の菊之丞は初代。
三都随一の「女形」の名人と言われた方らしいですが、女形といえば男性が女性を演じる歌舞伎独特の役柄。
その「女性より女性らしい」とも言われる立ち居振る舞いは現在でも人気がある独特のポジションです。
「女形」と言っても、普通は当然、舞台に上がる時だけ女装するものなのでしょうが、この初代の菊之丞、日常生活でもずっと女装を通して、決して「男性」としての自分を見せたことがなかったそうです。
ある時、江戸の「名物」火事が発生し、もう手が付けられないほどの火勢となり周りは火の海。
菊之丞の住まいも既に火に包まれ、屋根や壁も段々と焼け落ちてくる・・・。
町火消や近所の人でごった返すなか、ふと見ると菊之丞の姿が見えない。
まだ建物の中から避難していない様子。
見かねた近所の人が、決死の覚悟で屋敷に飛び込んで部屋を探すと菊之丞、鏡の前に座っている。
見れば、いつもの美しい女物の着物を着て、しきりに化粧をして髪を直している。
焼け死ぬから早く避難するようにとの説得に、
「たとえ焼け死んだとしても、見苦しい恰好で死ぬのは芸道の恥」
そう言って、静かに支度を整え、いつもの美しい女性の姿で悠々と炎の中から現れたとか・・・・。