09,意識
その手紙から半月、王妃教育が再開されて二か月、季節は初夏に差し掛かった。
第二王子の婚約者候補たちは王宮に通っている。王妃教育は思うように進まず、ほぼ毎日通い詰めだという。
そんな王宮に近づくのは少し気が引けたが教育の一環で読みたい本があり、図書館に行きたいとお願いしてみるとすんなり許可された。ただし、念の為図書館に他の令嬢がおらず、ルーカスが共に行ける日だけだ。その移動も隠し通路、隠し扉だったのでその隠れ道の多さに驚くとルーカスが笑いながら言った。
「道はまだある。この百合の紋様の道は僕の道だ。成人した王族一人ずつに裏道がある。有事の際に逃げられるように。王だけがすべての道を知っている。ここは昔は砦としての城だったから王宮内にもあるよ。君を案内するのが結婚後であることを祈るがね」
図書館は本の保存の為に照明が控えめでひんやりしている。紙とインクの香りが心地いい大きな棚の森を進む。以前ここに来た時は古典の先生とで、クリスと共に来ることはなかった。室内に護衛も侍女もいるとはいえ、エマは少し暗い場所で異性と二人という初めての状況に緊張する。
少し離れたところで長い睫毛を伏せがちに本をめくるルーカスは薄暗い部屋のかすかな灯りを受けている。美しい金髪は光を反射し、なめらかな肌はその端正な輪郭を光に浮かび上がらせた。妖精のような幻想的な姿に少しの間見とれていると視線に気付いたのかこちらに近づいてくる。
「どうしたの?」
そろりと目をそらすとふふっと笑われた。
「僕の事見ていたでしょう」
「……からかわないで下さいませ」
――見ていたけど。
ルーカスの意地悪そうな笑顔が和らぐ。
「この前もそう言ったけど最近のエマは色々な表情を見せてくれて嬉しいよ」
手に持っていた本をぱたりと閉じる。
「辛い事をこちらが強いたのならすまない。この前平らだと表現したけど……再会した頃のエマは僕の思い出のエマと全然違った。成長して強く美しくなった。だけど会話が苦しそうだった。常に無難な言葉ばかりで気持ちがどこにもない。立派な王妃候補であろうとするあまり、感情を殺す事に慣れ過ぎたのかな」
そんなことはないと言いたいが何も言えない。この沈黙が肯定と取られると理解したが、返せない。強いられたわけではなく、そうしていたのは下手な自分だ。
「この前からなんと伝えるべきか迷っていてね、うまく言えなかったらごめん。母上は君の前で常に王妃だろうか? 立場はそうだが、たまに一人の女性だろう。本当は君はもっと直接的に正直でいいんだ。感情を殺すのと制御するのは違うし、感情に振り回されるのと感情を抱くのも違う。心を寄せるために感情は必要だ。大事なのはそれを受け止めてどうするかだ。君がこの前あれだけ話して、僕の手を取ってくれたのは本当に嬉しかったよ」
ルーカスと会ってからの変化も自覚していた。友人に書く手紙の言葉選びが変わったと思う。友人の返信も回を増すごとに柔らかくなる。ダンスの講師からも雰囲気が変わって素敵になったと褒めてもらった。どこか事務的だった自分が変わりつつあるのだ。
『自分の感情を優先せず人を敬い、冷静な判断を下す事。決して取り乱さず、民の為に最善の決断をする』、エマは今さらながらに六歳当時のマナー講師の言葉を理解している気がした。
「ありがとうございます……」
なんと言えばいいかわからず気恥ずかしさの末に紡がれたのは感謝の言葉だった。この前もそうだった。感情を殺すことは出来ても、感情をうまく混ぜ込んで伝える事が上手にできない自分がいる。お手本通りの興味のない回答以外は苦手なのだ。
「努めます……」
「今のエマは前よりずっと柔らかい強さがあって素敵だよ」
それを否定することに意味を見出さないルーカスは励ましの言葉で包んで素直に受け取った。
「特に僕と居る時はもっと笑ったり怒ったり、好き嫌いも伝えてほしい。好みを知らないと贈り物もできないよ」
「贈り物だなんて……必要な時にその公務に相応しいもので構いません」
「それじゃだめだ」
ルーカスがむっとした顔になる。不思議な人だとわかってはいたけど、子どもみたいな顔に驚く。
「公務だとしても妃に贈るものだよ。それに公務以外の…君個人には何も贈れないじゃないか」
エマは思わずふっと吹き出す。
「殿下もそういうお顔なさるんですね」
ルーカスは口を尖らせた。本当に変わった人だ。もし私を和ませるためなら、と思わず傲ってしまいそうになる。この気持ちはよくわからないけれど、いつかわかって伝えられたら。
もっと一緒に居たい、エマは彼も同じ気持ちでいてくれたらと願った。
誤字報告本当にありがとうございます!ダメと思いつつとても救われております。
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