30,おしまい
翌日、両親はエマの無事を涙を流して喜んだ。抱きしめてはもらえなくても愛情は必ずあるのだ。両親の手もまた、温かかった。
両陛下から一連の騒動をお詫びしたいと言われ、ランディニ一家はしっかり謝罪を受け取った。全ては事故のようなものだが、謝罪を受け取ることはこの国家と国民の関係を示す重大な意味をもつ。国は民を守り、民は国を支える。信頼関係なくして国は成立しない。
憔悴した王妃が涙目で自分のせいだと詫びたが、図書館へ行くことを提案したのはエマ自身であり、王妃教育を抜け出すなど想定外だ。向き合う判断をしたのもエマ自身。王妃のせいではないとそれだけは受け取らなかった。王とルーカスがその肩に手を添えて頷くと納得してくれた。
クリスも謝りに来た。覇気はないがしっかりした足取りで、深く礼をし凛とした声で誠意のこもった反省の言葉を口にした。エマも自分の至らなさを心から詫びた。
「自分が未熟だった事で何よりもあなたに事務的に接しすぎたのだと思う。結果が同じだったとしても反省しているわ。十年もの間、ごめんなさい」
切ないまなざしに少し涙をにじませた彼は、エマに感謝を告げすべては己のせいだともう一度深く礼をして部屋を後にした。エマの中のクリスが終わった。胸は痛まないがそっと目を閉じた。
モンテネス子爵は娘の思想を知らずにいた。自分の監督不行き届きの愚かさを深く詫びた。取り潰しも覚悟できていると王家の裁定に従う事を誓っているが、子爵の人柄や功績もありキアラの除籍だけで済みそうだという。
キアラは国への不敬罪を問われるが、それがその思想に基づくことと計画が未遂だったことから、終生の修道院暮らしを言い渡された。元よりクリスの婚約者候補から外した後は冤罪の虚偽告訴罪で数年入れるつもりだったらしい。光の魔力の持ち主が厳しく治める修道院では責任者以外魔力が使えず、自らの力のみで社会奉仕活動を行う事となる。
何よりの罰として彼女の目から光を奪うことが決まった。もう誰の色も見ることができない。手を取る人が誰であろうと、関係ない世界で生きなければならない。今の彼女にとってこれ以上の罰はない。改めても改めなくてもその重さに気付いたときに下されたこの罰を彼女はどう思うだろうか。
思えば気の毒な少女なのかもしれない。エマだって六歳当時解釈を違えたことがあるのだ。人は誰しも道を間違えることがある。
だが人の言葉に耳を傾けなかった姿勢は彼女の性格故でそれは紛れもない彼女自身の罪である。何度も差し伸べられた手をはねのけた彼女にこれ以上の情状酌量はなかった。
もっと違った結末が容易に想像できることを痛感したエマは、報告を聞いて天を仰いだ。
気が重くなる話の連続だが、これで終わり、日常が戻るのだ。
エマは両親と共に案内された客間の応接室でため息をつく。ソフィアがお茶を持ち、エマの無事を喜び、道を誤ったお咎めがない事を報告してくれた。エマも彼女の無事を喜び、挑む決心をしたことを詫びた。この半年の間、ずっと側にいてくれた侍女はエマにとってかけがえのない存在であった。両親もソフィアに礼を言い、和やかな雰囲気が心を満たす。
柔らかい夕日が差し込む客間に、エマのつぶやきが流れた。
「……きっと彼女と同じように、私を嫌がる方はいるのよね。黙っていて下さるだけで。昨日、一瞬迷ったの。本当にそうだったら? って……」
その声に両親は何も言わない。娘の答えをわかっているから。
「だけど、だからこそやり遂げるべきなのよね。証明するために。お父様、お母様、育てて下さって本当にありがとうございました」
ネックレスが夕日を受けて輝いている。戻ってきた日常はきっと前より幸せに違いない。
夕食後の帰宅が決まり、晩餐の準備まで両親は両陛下、エマはルーカスと過ごすことになった。
ルーカスの私室を訪れると本人はおらず、中でお待ちくださいと従者にソファを勧められた。間もなくお茶を持ったメイドとルーカスが現れる。エマが立ち上がりながら「おかえりなさいませ、失礼しております」というと上着を脱いでいたルーカスが固まる。
妙な沈黙の後、ルーカスは少し照れたような笑顔で「エマにお帰りと言われるのはいいね、ただいま」と向かいのソファに腰を下ろす。メイドが下がり、ドアを少し開けた控室に従者が下がる。
「さて、エマ。半年間、本当に大変だったと思う。私からもお詫び申し上げる」
「勿体ないお言葉ですわ。ルーカス様はとても良くして下さいましたもの。勿論両陛下も。ソフィアも。本当に皆様のおかげです」
「ありがとう。疲れたと思うが急ぎで話さないといけない事もある。モンテネス子爵には明日の朝、令嬢を除籍せよとの通達が行く。そしてこの騒ぎは国民の知るところとなる」
全てを公表すると王家の求心力がどうなるかわかってもこの国はそうする。それしか道はない。ルーカスの声は淡々と事実を述べるがきっと緊張しているに違いない。部屋に入ってきたときから表情が硬い。
「クリスの事を許してくれてありがとう。結論から言うとクリスは王太子になれない。私が死んでも継承権は彼に行かない。国民からの信頼がどれほどでも、今考えを改めていても、起こした事の影響が大きい。君を婚約者として守っていれば別だったかも知れないがね。君が許してくれ、本人の反省があって今の候補者のどちらかを嫁に迎え、王宮で暮らす事になる。これは本人も彼女達も納得した。だが罰はある。クリスだけは再教育に加え数年間王宮に軟禁される」
再教育を受け、数年間は王宮を離れる事が許されない。学園も卒業できないという。王族には関係ないと言えばそれまでだが退学など大変不名誉な事であり、以前のクリスなら到底受け入れ難いことだろう。だが彼も理解したのだ。廃嫡ではないこの罰が何を意味するのか。
「伴って私が王太子に決まった」
エマは素直におめでとうございます、と口にしかけて自分の立場を思い出した。
「そう、君は王太子妃になる。私としては君が側にいてくれたら嬉しい。君も備えて王妃教育を受けていたから責務への不安は少ないと思う。だがね、無責任に八年も国を空けて民に馴染みもない私の横に立つのは、今回の事を差し引いても想像以上に厳しいかもしれない。それに今回の件で君が王家を信用ならないというのなら――」
「ありがとうございます」
のろのろと失速する言葉を遮ってエマは頭を下げた。
「私の気持ちが揺れるのではないかとご心配下さったのですね。ですが、私の気持ちは変わりません。ルーカス様のお側におります。その様にしたいのです」
「ありがとう」
ルーカスの視線からして控室の従者が出て行ったようだ。
「明日、王太子の件と同時にエマとの婚約も公表される。結婚式は卒業を待つ。婚約発表した以上、表立って護衛もつけられるから安心してほしい。希望であれば王宮で暮らすこともできる……ネックレスも外せる。好きな時に、決めていい」
話しながらルーカスは揃いの指輪を取り出し、「やっと付けられる」と嬉しそうに指にはめた。




