28,この色に誓って
「……ルーカス」
かすれた声で名前を呼んだ。ゆっくり瞼を開けると心配そうな顔が覗き込んでいる。ずっと抱きかかえてくれていたのか。天井の灯りがゆらゆら揺れてみえる。それと別に光がチラチラし眼が痛む。
「エマ!」
「エマ様!」
ソフィアも側にいてくれる。
「ありがとう……一人で立てるわ」
ゆっくりと一人で立ったエマはキアラに向き合う。
「うっすらと、聞こえていたの……。クリストファー殿下、私がお話ししても宜しいですか」
クリスは黙って頷く。キアラの顔は驚きと怯えが混ざったような複雑な顔だった。
「キアラ様」
まだ眼が痛む。チカチカするが、見えないわけではない。
「私は罪人ではないわ。どうあっても有りもしない罪は認めることができない。むしろこの国では今あなたがそちらに近いわ。この国の身分制度でいうあなたの私への不敬は全て流そうと思っていたけれど、国への不敬は見逃せない」
チカチカするからか身体が揺れている気がする。ルーカスがすぐ側に立つ。
「例えあなたに何と言って蔑まれても、私個人は構わない。あなたの個人的な感情だもの。ただ、あなたは間違えている。自分の価値観を振りかざして周りを傷つけていることに気付かない。自分は聖人で常に正しい、他は弱者であると独り善がりのそれを押し付ける。あまつさえ国にも。他人に自分の価値観を押し付けるのは、傲慢無礼というもの」
エマは目の前の女が気の毒になりつつあった。何がここまで狂わせたのか、わかることもないけれど憐れな気がしてしまう。
「この国で生きるならこの国が掲げたことを守らないのは罪よ。誰も呪いで国を捻じ曲げたりなどしていない。これまでもこれからもこの国は呪いとは無縁よ。先程の侮辱、私はあなたを許さない」
「脅す気? 本性を出したわね」
歪んだ顔が歪んだ視界で益々歪む。
「私はただ、自分の考えを話しているだけ」
「そうやって周りの人を脅したの? 言うことを聞かなければ呪うって」
エマは首を横に振る。
「そうかもしれない」
ソフィアが震えたのがわかった。
「魔力に怯えている人も、いるのかもしれないわ。さっき私自身が自分を不安に思ったように。でもそうじゃないって信じているの。私はこの国の人たちが優しい事を知っている。あなたがどんなに人の気持ちが偽りだと言っても、私は人を信じたいし信じるわ。私がその人たちを疑うなんて失礼な事。例え私が悪魔でもすべてを決めるのは当人の心。誰かの言葉に操られない。私の心が間違えなければいいの」
自分にとって家訓もネックレスもそのためにある。両親も両陛下も、愛してくれた。信じてくれたから今があるのだ。
「だからあなたが、その人じゃないあなたが、勝手に私の周りの人たちが呪われているとか恐怖心でしていることだというのは、その人たちへの侮辱だわ。そして謂われのない差別を禁じるこの国への不敬、罪よ」
国への不敬は死罪の可能性もある。この言葉に怯えた目で淑女らしくなく怒鳴り散らす。
「何を言っているの。王家に執着して理解あるふりだなんてみっともない。心を惑わすあなたは悪魔で罪人なの。私はこの国のために王妃になるのよ!」
「私は王家に執着はしていない。だからあの時、婚約破棄に応じたの」
「はっ。ルーカス様に取り入っておきながら何を白々しい」
「エマの事は私の希望だ。あなたが呪いだというこの気持ちはもうずっと前から私が大事にしてきたもの。それ以上言えば私への不敬と取る」
ルーカスがエマの手を握る。すると途端にチカチカが収まっていくような気がする。
「クリストファー殿下に執着していたならきっともっと醜くあなたを排除したわ。簡単な事よ。けどその必要もない。感情論では務まらない椅子を目標にしていたから。あなたは殿下を愛していて、それ故に殿下の手を取るのだと思っていた。だけど違ったのね。残念だわ」
もしクリスすら騙されていたのならなんと切ないことだろう。同情などするものではないが、信じた人に裏切られるのはきっと辛いことだ。
「あなたがクリストファー殿下に私をどのように伝え、殿下が私のことをどう受け取ったかわかりません。ですが、私と殿下の間に誤解があるなら私の努力不足とお詫び申し上げます。ネックレスの事もご理解いただいたと思っておりました」
エマはキアラからクリスに視線を移しながら穏やかに言葉を続けた。クリスの顔は泣きそうだった。彼はわかっているのだ、エマが誤解していないことが。
ネックレスに触れ、視線をキアラに戻す。
「私は真実を知らない。嘘をつかない誓いを破るとどうなるのかも。でもこのネックレスが私の首を絞めるだなんていうのは嘘。これに掛かっているのは私を守る力だもの。私が道を間違えないように」
つないだ手がぎゅっと握られる。いつだって側で励ましてくれた人。信じているの。あなたのことも、あなたを信じる自分の事も。何があっても。
「理由ではなく私を大事にして下さっていたことが私にとっては事実。もしこの国で、私に非がある証拠でもって私を裁くというのなら喜んで受け入れましょう。私を信じて下さる皆様に感謝と親愛の気持ちで忠誠を捧げるわ。この色に誓って」
エマの瞳は真っ直ぐにキアラを捕らえている。キアラが悔しそうに歯ぎしりをした。
「それまでだ」
廊下の空気を震わせる大声で現れたのは王と王妃だった。二人とも厳しい顔で場を見渡す。伴って、先程確認を取りにここを離れた騎士が立っていた。ソフィアが笑顔になったのを騎士も確認し口角を少し上げて頷いた。
「キアラ=モンテネス嬢をお連れしろ。不敬罪で聴取を行う」
「なっ……! どうして! クリス!」
王の厳かな声に取り乱すキアラの隣で、クリスは黙って両陛下に頭を下げた。
「どうして! 私が不敬罪で連行される側なの! 私が正しいのに! 重用される魔力なのに!」
「キアラ嬢。悲しい歴史を刻まぬためにこの国は存在するのだ。そなたの価値観をこの国では歓迎せぬ。我々は魔力を利用する気も貴賤を問う気もないのだ。どんな力も使う者次第で変わる。いかに魔力が稀有であっても、この王家に於いてはそなたを必要としないだろう」
王は拒絶の言葉をはっきりと言い放った。
愕然とした表情のキアラを騎士たちが囲い、背中を押し連れて行く。その様子を見送り、エマに向き直った王と王妃は深く頭を下げた。
「エマよ……すまなかった……」
「いいえ……皆様に感謝致しますわ……皆様のおかげで今ここに立っていられますの……」
笑ったつもりだったが涙がこぼれて仕方がなかった。ルーカスが安堵のため息と同時にエマを抱き寄せると、エマはもう一度意識を失ってしまった。




