23,事件
「恐れながら」
それまでキアラに口をきかなかったソフィアが声を絞り出した。聞いた事もない低く落ちついた声音に怒りはない。エマはその心中を察し心を鎮める。
「先程からエマ様の事をそのように仰いますが、公爵家のご令嬢へのご挨拶もなくそのような不敬を申し上げられますと、こちらも穏やかではございません。ここは宮中。もめ事は王への無礼でございます。どなたか存じ上げませんが王への報告をこの場の全員の証言をもってさせていただきます」
「…? そんな女の侍女だけあって生意気ね。共犯者かしら。挨拶する必要などないわ、そんな女。身分が上でも人としてゴミに等しいもの」
全員が息を飲んだ。勇気を出して客人を守るソフィアと、あまりにもひどい返答への嫌悪感が充満する。ソフィアの手が握りしめられる。
――ソフィアを守らなければ。
エマは彼女をかばうように前に出て改めてキアラに向き合う――
その瞬間、ゆらめいた人影があった。エマの視線が意外な人物をとらえた。
「……クリストファー……殿下……」
それを聞いてキアラがバッと振り返る。さすがに慌てたようだ。
「キアラ……」
厳しい顔で立つクリスは、キアラを見つめていた。その瞳に以前のような熱情は感じられない。
ソフィアの震える手がエマを掴む。振り返ると彼女は信頼の目でクリスを見ている。仕える主の大事な息子だ。『この状況で判断を誤るような王族であってほしくない』と祈るようだった。
エマは気付かなかったがソフィアはクリスを見つけており、これを聞かせるためにチャンスを見計らって口を開いたのだ。彼女がエマへの暴言で処罰される証拠を作るため。
このチャンスを無駄にしてはならない。
「ご令嬢、王妃様にお詫び下さい。彼女は王妃様の指示で私の案内をしてくれただけ。何のことかわかりませんが、私の共犯だなどと許し難い侮辱です」
鋭い視線で歯を食いしばり、こちらを振り返るキアラ。エマも譲らない。
その時。
「エマ!」
もう一つの隠し通路から息を切らしたルーカスが駆け寄りエマの手を取る。
「ルーカス殿下……」
驚いたとはいえ自分でも意外なほど声がかすれた。「遅くなった、済まない」と小声で言うと、エマとソフィアをかばうようにキアラに向き直る。
「名も知らぬ客人よ、私は第一王子ルーカス。彼女に無礼を働くことは許さん」
ルーカスの姿を見たキアラの目が輝く。クリスは厳しい顔を少し苦くして視線をこちらに移した。
「先日夜会でご一緒しておりますわ、殿下。聖なる魔力で王室に嫁ぐべく参りました、キアラ=モンテネスと申します」
初めて見る彼女の挨拶は貴族令嬢のそれらしいが、王妃教育のそれとは別物であった。
「……なるほど弟の婚約者候補の一人か」
王室に、と相手を特定しなかった彼女の意図を無視して弟と断定した上で候補と言ったルーカスの声は冷たく感じられた。
「殿下に於かれましては何か誤解があるようですわ。私は決して無礼など働いておりません」
わざとらしく困った顔でルーカスを見つめる。
「何を。この状況での廊下まで響くエマへの暴言、許されることではない」
「騎士がおりますのは彼女が不審な行動をしておりました故に。暴言というのはそれこそ誤解でございます」
キアラはふわりとした笑顔をたたえ、全員に向けるように話し始める。
「少し感情的になってしまい失礼致しました。ですが、私の申すところは全て真実。彼女は国を脅かす罪人なのでございます。ルーカス殿下も最近まで外国にいらしたとうかがっております。でしたらご存知かと思いますが闇の魔力は罪人」
「……この国ではそうではない」
切なそうな顔をして首を横に振るキアラ。エマは彼女の目つきに気付いていた。
「皆様、その悪魔に呪いを掛けられているのでしょう? 私はそれをお救いしてさしあげるべくクリス様と親しくおります。このプラチナブロンドの髪が証明する通り、聖なる魔力でお救いしてさしあげます」
「あなたのその発言、私たちをも侮辱していることになるのにお気づきか」
キアラは心外だと言わんばかりに眉を寄せて、間もなく微笑むときっぱりと言い放った。
「お言葉ですがルーカス様、その様な事は有り得ませんのです。彼女は国に害を為す存在です。クリス様もルーカス様も、皆様騙されています。この女の呪いによってそう思わされているだけです」
「あなたに名前を呼ぶ許可をした覚えはない」
苦々しく放たれるルーカスの声はかつてないほど威圧的だ。
「彼女は誰にも呪いを掛けたり騙したりしてはいない。皆自分の意思で彼女といるのだ。騙しているのはあなたの方ではないのか。エマからあなたへの誹謗中傷というのもあなたの拡大解釈。調べはついている。あなたは歪んだ価値観の歪んだ見方で、彼女のどんな事も悪く捉える。醜い言いがかりは大概にしていただきたい」
淡々と、しかし強く放たれた言葉を指示と受け取った騎士たちがキアラに対しうっすらと構える。
「これ以上この国の大事な民であり、かけがえのない私の婚約者を侮辱するならば、第一王子としてあなたを罪に問おう。容赦はせん」
その言葉にエマとソフィア以外の全員が目を見開く。
暫くの沈黙の後、キアラの顔が感情に歪む。
「こんなに強い呪いをかけるなんて……違うのかしら。皆、あなたの事が嫌いで怖いから怯えてこうなったのね」
「いい加減にしないか」
クリスが止めるが彼女は聞かない。
「クリスもあなたに怯えていたわ。感情が読めなくて気味が悪いと。婚約者なのに心身ともに距離を取るし嫌だと」
途端に気まずそうな顔になるクリス。瞳が寂しそうな苦みを帯びてエマを見る。
「……仮に呪いをかけていなくても。皆恐れて従っているだけ。簡単に人を殺せるその力で呪われたらたまらないものね。味方のふりをすれば安全だもの。重いカルマを背負って生まれたくせにそうやって幸せになろうだなんて厚かましいにもほどがあるわ」
生まれて初めて耳にする、明確な憎しみがこもった声。エマは少女に狂信的なものを感じた。さっきから気が付いていたのだ、彼女の目は真剣だ。本気でそう思っている。自分こそが正しいと。
「命すら奪える首輪を疑いもせずにつけて、他人の言葉を信じておめでたいことね。誰かに抱きしめられたこともない寂しい可哀相な女。悪魔なんて誰にも愛されるわけがないのに」
その言葉は目に突き刺さった気がした。どろりとした感情が目からこぼれていく。視界が真っ暗になる。力が抜けていく。
「エマ!」
ルーカスの声が遠くに聞こえる。エマは意識を失って倒れた。




