02,婚約提案
「そうか……エマよ。よくぞ一番に報告に来てくれた」
謁見の間。当日の急な希望にも関わらず、両陛下は場を設けて下さった。初めは可愛い息子の婚約者の希望とあって満面の笑みで玉座に並んでいたお二人も私の話をきいた今は、王は眉間に深い谷を刻み、王妃は美しい瞳を伏せ、長い睫毛を涙に濡らしてうつむくという暗い様子。
広い部屋には王と王妃と私の三人だけ。今の力ない言葉がこれだけ響くのだから、この人のいない謁見の間ではため息すら大きく聞こえてしまいそうだ。娘のいない両陛下は未来の娘候補である私を大層可愛がり、絶大な信頼と愛情を寄せてくれていた。
その娘の初めてのお願いがこれほどまでに急でどうしようもないものになるなど、予想もしていなかっただろう。
暫くの沈黙の後、重々しい口調で王が口を開く。
「まず謝らせてほしい。そなたには申し訳ないことをした。数年間、愚息のために貴重な時間を費やしてもらった。その上、学園生活で恥をかかされ……私たちにも責任はある。申し訳ない。そして何より感謝を。王妃教育も努めてくれ非常に優秀、そなたの人柄に励まされた者も多い。私も妃もそなたの力でありたかった」
「陛下、妃殿下、私の心のことなどお気遣いは無用でございます。元より愛というのは移ろいやすいものですし、そもそも私たちの間に傷つく程の愛はなかったと認識しております。噂を耳にした時から今日まで側妃にお迎えになるのかしらと思っていた程です」
穏やかに話す。大窓から差し込む夕日は上等のレースを透かして柔らかくその模様を刻んだ。
「それに、私よりクリス殿下と彼女の方が余程かと思いますの。今回の件で私の名誉などは全く傷つけられておりません」
愛の有無に関わらず婚約者が第一とされるこの貴族社会で、婚約者がありながら他の女性を優先し、周りの視線も憚らずに行動、今回の騒動。婚約者を早々に決める貴族が多い学園内の殆どから良く思われていないのだ。おまけに王命の婚約を一方的に非公式の場で破棄にすると宣言。こんなばかばかしい事を対等に相手にして傷ついてたまるものか。
「本当にすまない……」
頭を下げる両陛下に慌てて声をかける。
「とんでもないことでございます! 頭を下げられるなどと……何より私にも至らない点が……」
そんな事はないと手で制し、王は本当に寂しそうな顔で言葉を吐き出した。
「最後に確認するが、エマは今回の婚約破棄に異存はないのだな?」
「はい。これまで私を育てて下さった皆様――ご指導頂きました妃殿下を始めとする先生方、支え見守って下さったお仕えの方々、皆様に心よりの感謝とお詫びを申し上げます」
薄く微笑むと王妃がウッと喉を詰まらせた。ここまで感情的な王妃を見るのは婚約を結んだ時以来だった。王妃の様子に胸は痛むが、もう決めたことだ。
「第二王子クリスとの婚約の破棄を認めよう。ランディニ嬢」
絞り出したようなその声に、心を込めて感謝の礼をした。
王は深いため息をついた。切ない顔で静かに口を開く。
「公爵夫妻に通達を……」
「恐れながら陛下、自宅には私の馬車が伝言を携えて戻っております。伝え次第、両親を乗せた馬車がこちらに」
下手をすれば嫌味ともとれる手回しに王の顔が益々辛そうに歪む。だがこちらの真意を理解して下さっているのは、長年の付き合いでわかる。
「……ランディニ嬢……」
もうエマとは呼べないのだ。顔をあげる。
「この度の婚約は全面的に我らに非がある。そなたがなんと優しく言ってくれようと、な。数年間続いた婚約のこのような破棄、どのような噂になるかわからぬ。王の力を持ってそなたの今後に一切の不都合がないように努めさせてもらう」
「ご配慮、痛み入ります」
最早ある程度の噂は仕方がないが、王家が力を貸してくれるのは助かる。勝手に傷物扱いは心外だ。
「……これからの事を話そう。王子の婚約者でなくとも、そなたには引き続きこの王家と関わってもらうことになっている」
王の不穏な言葉に思わず唇が薄く開いた。
「婚約者に選ばれた本当の理由……それが何よりの大事なのだ」
本当の理由?
「先程聞いたキアラという令嬢の持つという光の力、それもとても稀有なものではあるが…そなたはもっと重要でな」
自分が婚約者に選ばれたのは候補者試験を最高点で通過したからとしか聞いていない。それ以外知らない。口を堅く結んだ。
「そなたは……」
「失礼します。ランディニ公爵夫妻がお見えです」
言いかけた丁度その時、広間に涼やかな声が響く。どこかで聞いた事のある声。思わず振り返ると、謁見の間の扉を開け、両親を案内してきたのはまさかの人物だった。両親を後ろに歩いてくるその姿に目を見張った。
「やぁ、久しぶりだね。エマリアル=ランディニ嬢」
「……ルーカス……殿下…………?」
驚きのあまり名前で呼んでしまった。からかうような光が弟より青みがかったその瞳に宿る。
「八年ぶりだというのに覚えてくれていて光栄だよ」
もう一人の王子、ルーカス。留学したと聞いたけどお帰りになっていたのね。
「今回は愚弟が酷い事をしたそうで……心よりお詫び申し上げる」
一直線に私に向かって歩いてくる。
「だが、これで遠慮しなくていいね」
その人は見たこともない笑顔で私の手を取りその甲にキスをした。
「私の婚約者になってくれはしないだろうか?」