12,悪意
その日、学園の門の前には迎えの馬車がいなかった。
というより、門の前は主を待つ王宮の馬車を先頭に渋滞を起こして寄せられなくなっていた。いつもなら待つが用事もあるし、何より原因の馬車の持ち主に会いたくない。自分の馬車を見つけて少しでも列を解消すべく歩き出そうとする。
すると王宮の御者と目が合った。知っている顔だ。いくら今現在は無関係といえ……と、会釈だけすると向こうも安堵した顔で返してくれた。
突然声がかかる。
「――もう関係ないはずなのに、接触するなんて」
門のところにキアラが無表情で立っていた。目だけは変わらず、嫌悪の色を帯びて。
「……王妃という立場に未練があるの? 王宮の人間に媚びを売るなんて」
「ごきげんよう。お名前を失念しておりまして失礼申し上げますが、私はエマリアル=ランディニと申します。仰るところがよくわかりませんが、旧知の方にご挨拶しないのは失礼と存じておりますので会釈致しましただけの事。媚びを売るなどと滅相もございません」
挨拶もせずに一方的な物言い。なんと無礼な事か。厄介な事になりそうなのでけん制したが表情は変わらない。貴族の令嬢のはずだがどういう教育を受けているのか。それに王妃教育も受けているはず。
「私自分の馬車を探しに参りますので……ごきげんよう」
挨拶をして行先へ身体を直す。彼女の妙な言いがかりで御者が罪に問われることがあってはならない。帰宅後すぐに知らせを出さねば。
「――どうして? どうしてあなたが大事にされていたの? あなたのせいで私たちは婚約も出来ないというのに」
なに?不穏な空気に振り向くと無表情なまま、彼女が迫っていた。
矢継ぎ早に言葉を投げかけられる。
「あなたが罪と認めて私とクリスに謝るまで私たちは結婚できないのよ。ねぇ答えなさいよ。言い訳を許可してあげる。そもそもどうしてあなたがクリスの婚約者だったの? 騙せる目の色でもないのに。呪いでもかけたの? そうじゃなきゃ王族の婚約者なんて有り得ないわ。生まれた時から罪を背負い、償うためだけに生きるだけの存在なのに」
一気にまくしたてられたうえ、何を言ってるのかわからないけど…手紙で聞いたより随分と明確な悪意ある言葉を使うのね。
「何をしている」
強張った声が間を割く。いつ来たのかクリスが渋い顔でこちらを見ている。あぁもう。今の彼女の発言だけでも頭が痛いのに、どうしてこう厄介事が連なってやってくるのだ。いや、この人たちはセットだった。
「クリス、この人は王妃の立場に執着していて、うちの御者に媚びを……」
彼に駆け寄り抱きついたキアラの言葉を遮ってこちらに投げられたクリスの声に感情はない。
「どうした」
「ごきげんよう、第二王子殿下。……そちらのご令嬢から声を掛けられましたの。同じことを殿下にもご説明しますわ」
もういい。相手にするのも考えるも止めてまずは家に帰ろう。
「そちらの御者の方と目が合いまして会釈致しましただけの事。王室の関係者の皆様に私が話しかける事は許されませんが、会釈もしないのは無礼というもの。意図は一切ございません。ご覧になっていらした他の御者の方にご確認いただいても構いません」
王子は何も言わなかった。ただその瞳が責めるでも怒るでもない色のまま私を見ている。
短い沈黙を破ったのはキアラだった。
「怖いわ。あなた。――やはり罪人だわ」
その発言にクリスも目を見張り、自らの婚約者候補を見下ろした。私を罪に問うている立場とはいえ裁かれていない段階での発言、これは侮辱にあたる。いくら婚約者候補であっても婚約者になっても、私より身分の低いキアラの不敬罪は免れない。
「エマ!」
とりなそうと慌てたクリスが名を呼ぶ。すかさず礼をし挨拶を示す。いくらあなたが王族だとしてももう呼び捨てにされる筋合いもない。あなたの行為も礼を欠いた行動だと、気が付いているだろうか。頭を下げているから顔はわからないけど、友人の手紙の通りあなたが少しでもまともになっていることを願うわ。
彼女の不敬をここで取り沙汰すのも自分にとっては相変わらず無益で疲れるだけの行為。それよりこれ以上ここにいてどんな思いをさせられるだろう。
「無礼を承知でお詫び申し上げますが、先程から少し耳が宜しくないようですの。本日は宮殿よりお呼び出しをいただいております。時間がございますのでこちらで失礼させていただきます」
迷わないと決めたというのに、ままならないものね。
「ごきげんよう」