呪詛
―1―
依頼を請ける際には必ず直接面会をするように心がけている。場所はここに引っ越してきてからは駅前のファミレス。どうにもここのドリンクバーに設置してある味も香りも薄いコーヒーが癖になってしまっている。カップを片手に『お困りごと』を聞くのが最早定番ともなっていた。季節に関係なくファミレスの環境は実に素晴らしい。作業をするのにも話を聞くのにも邪魔にならない程度の店員の配慮と、隣の声が環境音としか思えないテーブルスペースの配置。よく考えられて造られていることに感心してしまう。
私はといえば、ベージュのパーカーに淡いインディコブルーのデニム。安っぽいカーキのブーツに茶色のニット帽と至極地味な、それでいてこのファミレスの暖色系の色に合わせたような組み合わせである。自分では感じていなかったが、気づけば人と会う時にはいつも同じ格好であった。慣れとは良い。ベストコンディションだ。
「実は、ストーカーの仕業だと思っているんです」
「はぁ、ストーカーですか。それはまた悪質ですね」
薄いコーヒーがなみなみと注がれたカップを口に運びながらそんな返事をするものだから依頼主はいつもキョトンとした表情をみせる。私とは良い意味で似つかわしくない、小柄でいて可愛らしい女性だ。疲れているのかその可愛らしさとは裏腹に年齢にそぐわないような猫背っぷりで焦燥感を漂わせている。その中でも目を引くのが右目に施された眼帯。初めてファッション的な意味で眼帯をする者もいるということを原宿で知った時には耳を疑ったものだ。シンプルな白いガーゼの眼帯が、どうやらこの小柄な女性のそれはそういった類いのものではないということを教えてくれたのであるが。
「もしかして、その眼帯と何か繋がりがあったりします?」
「たぶん。病院に行っても目に傷がついているから安静に。としか言ってくださらなかったんです。恐らくぶつけたか、知らずに自分で引っ掻いたのだろうと。でも信じてください。そんなことはないんです。つい先日、夜中に急にズキズキと疼きだして、気づいたら……」
それまでこちらが和ませようと天気の話を振ったりしていたのであるが、急に形相を変えるものであるから驚いた。
というのはまぁ嘘である。若い女性によくある話であるが、自分の要件ばかりを言いたがる。こちらとしてはリラックスさせようと頑張っているのにも関わらずそんなことを屁とも思いやしない。もちろん、私は表情を崩さない。女性の言葉を一言一言確認しながら相槌を打つ。
「それで、それが何故ストーカーの仕業だと思われるのですか?」
「目が綺麗だって誉めてくれていたんです」
「誰が?」
「そのストーカーが」
「ん? ストーカーと呼んでいる割には距離感が近いようですね。ひょっとしてお友達、いや、元カレだとか」
私は察するのが下手くそらしい。今までそれで何人もの女性からフラれてきた。哀しい過去である。思い出すのも憚られる。
それはどうでもいい。
その小柄な女性はこの後、長々と話だすのであるが、これを文字におこすとそれだけで短編小説ができてしまいそうであったので私の方で要約したいと思う。
この女性は銀座のとあるクラブでキャストとして勤務しているとのことだ。その男性。悲しくもストーカー呼ばわりされていることを知ってか知らずか、この女性に恋慕していたのであろう。何せ頻繁に通ってくれていたとのことであったのだから。
クラブに顔を出してくれる度に目を誉められていたのだと彼女は言う。言葉にするのも躊躇されるような臭い言葉で綺麗であるとかまるで~のようだ。などといった具合だったそうだ。
その男性は都内のベンチャー企業の役員であると言っていた。だから時間があれば毎晩でも会いに来れるよと。その日を何となく生きている私にとっては生涯発することのない縁遠い言葉である。無論、この女性、その店のキャストであるからそれを悪くは思わない。私生活まで脅かされる心配がないのであればこれ程の嬉しい言葉はないだろう。
そうは甘くないのが夜の蝶。同伴出勤もあればアフターのお付き合いもある。ただ、一線は越えていないとのことであった。お前は政治家か何かか?
プレゼントに花束やブランド物など頻繁にいただいていたとのことだ。ここまでくると単なる自慢話にしか聴こえなかったが。話はそろそろ終わる。
この小柄な女性、そんな夜の顔を持つ反面、昼の顔は良妻賢母の如く彼氏に尽くしているらしく、プロポーズをされたことをきっかけに近々クラブを辞める予定であったという。
流石に人知れず辞めるのは気が引けるとばかりに、その話をストーカー男にしてしまったが最後。後はご想像の通りに。という訳である。
「黒川さん。眼帯の下、見ますか?」
「いや、やめておきますよ。医師から安静にするよう言われたのでしょう。外気に曝さない方がいい」
―2―
丑の刻参りという呪いがある。
古くから伝わる呪術の一つであるが、そのインパクトの強さから一般にどういったものか広く伝承されている古き良き昔ながらのわかりやすい呪術だ。
呪術というものは神事と同じように、正しい手順を踏めば正しい結果が得られる。ただ、人を呪わば穴二つ。殺したい程に人を呪うのであれば、相手の墓と自身の墓を二つ用意しておく必要がある。という意味の言葉であるが、これがなかなかエグイ。
呪いは想いだ。幸福を願うのと逆方向のベクトルに働く願いであると考えるとわかりやすい。人は幸福でありたいと思うのが心情であろう。それが人を呪いたいと思うのであるから自身の幸福をも台無しにしてしまっていることを覚えておいていただきたい。
藁を人形に見立て、相手の髪の毛(神の気と言い換えればそれが如何にも効果がありそうに思えないだろうか)を藁に編み込み、丑の刻に人に見られないように五寸釘などを用いて呪いの言葉を唱えながら打ち付ける。
呪いに充てられた人は釘で貫かれた箇所に痛みを覚え、なんとなしにそれが呪いであることがわかる。というものだ。あやかし者が見えない場合であっても呪いに充てられると感覚的にそれを察知することができる。と言い換えた方がわかりやすいか。まぁやられた本人じゃなければわからないものではあろうけれども。
昔々の丑の刻ともなれば真っ暗闇に蝋燭などのか細い灯りを頼りに行われていたようであるが、今日び、そのような場所を探すことだけでも困難であるだろう。だが視られたからといって呪いが霧散する訳ではない。そこのところは心の持ちようというか、在り方の問題なのであろう。儀式というもの、呪いというものは得てしてそんなものだ。
肉体と精神と魂からなる身体を肉体に頼らず、想い、魂をこめて祈る。相手の不幸を。だからこそ効く。だからこそ視られると願いが届かない。いつの世でも呪うのは人であり呪われるのは人だ。人の想いは物理的な距離を選ばない。それはインターネットの普及した現代においては至極当たり前のことなのかもしれないが。
彼女には人形を渡した。人形には顔と、身体の部分には自身の名前を書かせたものを。これを寝る際にベッド脇のサイドテーブルに置いて、人形を中心に両脇によく火を通した粗塩を盛ったものを飾り、香を焚き、窓は閉め、自身はキチンと身体を清めた上でなるべく清潔で白い衣服で寝床に入ることを説明した。
「黒川さんを疑う訳ではないですが、こ、これだけですか?」
右目の眼帯に擦るような仕草をしながら、人形と私とを交互に見返す。まるで疑わしい者を見るような、蔑むような目で訴えかけてきた。彼女が言わんとすることは大体察しがつく。要は復讐したいのであろう。復讐という程のものではないにしても呪いを掛けた相手に仕返しがしたい。そんなところであろうか。わからないでもない。聖人君主である訳でもなし、痛い目をみたのであるから多少なりとも相手を恨む気持ちを持つのが人というものだ。わかる。わかりはするが、お勧めはしない。「これで十分です」という私の言葉に彼女はあからさまな落胆の表情をみせつけてくる。不服だと言わんばかりに。貴方は誰の味方なのかと言いたげに。
「どうしても相手にやり返したい。そうお考えであれば一つだけ。私は決してお勧めはしませんが、人形に何かの現象が起きている際にそれを破り捨ててください。呪詛を返すことができます。繰り返し言いますがお勧めはしません」
そこまで話すと女性は「わかりました」と一言だけ残し、人形と呪詛を防ぐ手順を記載したメモ紙を乱暴に鞄に押し込み、ファミレスから足早に去っていった。私は冷めきったコーヒーをコクリと飲み込み、相変わらず安定の薄さとコクの無さに安堵し、彼女を見送った。呪詛返しなんてことは言うべきではなかったのかもしれない。恐らく彼女は……
―3―
小柄な女性の依頼案件の数日前に遡る。
私はいつものようにアメカジスタイルで、依頼主である男性といつものファミレスで待ち合わせをしていた。自分のことを第三者の視点でみることは中々に難しい。身長は180cm、体重は75kgといえば一般的には中肉中背なのだろうか、不思議と昔から筋肉質であったのだが、これがなかなかどうして、人によって印象が変わるようで面白い。第一印象で怖い印象を持たれることが多分にあった。それは体質柄、目の下に大きくできている隈と体格の成せる業であると推察される。その日に会った男性も私を一目みて若干尻込みしているように思われた。
「実は、復讐をしたい女性がおりまして……」
特に、この手の話を持ってくる輩は相手を選り好みする傾向にある。自身よりも弱い立場の人間、あるいはそれは腕力を持って制圧できるか否かのレベルかもしれないが。大抵の場合は聞こえもしない周りに気を配りながらビクビクとしながら話す。まぁ恨み辛み、はたまた愚痴の一つでもこの狭い世の中において誰が聞いているかもわからないのであるから慎重でありたい。と思う気持ちもわからなくはないが。
「復讐とはまた、怖いことを仰いますね」
いつもの具合で薄いコーヒーを口に運びながら日常会話でも行っているかのようにそう返す。
それはいうなれば男女の仲における痴情のもつれであるとか、社会的な屈辱であるとか、法では裁くことができないような話である。それはそうであろう。この手の話を警察に相談したところで注意されるのが関の山だ。それがどうして私であれば聞いてもらえると思われているのか、いつものことながらどうにも腑に落ちない。
評判を聞いて、誰からとなく紹介であったり直接連絡をとってきたり、と手段や方法を選ばなければ私ではなく、インチキ臭い坊主や宗教団体、あるいは黒々しい悪ぶった組織であるとかに行き当たるのがオチというものであろう。あるいは、社会からは私はそういう目で見られているのかもしれないと考えると軽く頭痛がしてくる。
「人を呪わば穴二つ。という言葉をご存知ですか? 貴方が正しい手順に従って何かしらの呪詛を相手に掛けたとしましょう。仮にそれが成功して相手が痛んだとしてもそれは貴方の魂を千切って相手にぶつけている行為に他なりません。呪うという行為の本質的な怖さはその性質にあるのです。だからこそ、いくら憎くとも私はお勧めはできません」
拳を作って相手を殴れば殴られた側は痛いし、何よりも殴った側の手も無事では済まない。呪いとはそれを魂で行うだけの行為なのである。自身の肉体と精神をつなぐ魂を鏃として相手へ送りこむ。自分に害がないはずがない。それを説明したいのであるが、私の下に辿り着いたこの手の人はそれすらも納得していると『誤魔化す』。実際に痛い目に合わないとわからないと言わんばかりに偽る。
―4―
さて、後者の男性に対して呪いの方法を、丑の刻参りの正しい方法などを示すなどという愚行というよりも悪行は働いてはいないのであるが、どうやら彼は諦めずにインターネットという名の膨大な情報網の中から胡散臭い方法を見つけ出してしまったらしい。先の小柄な女性と呪いを掛けたい男性との間にどのような相関関係があるのかなど私の知ったことではない。
あるいは幸か不幸か、両者のターゲットは偶然にも私に相談しに来ていた者同士かもしれないし、そうではないかもしれない。偶然、ありきたりな偶然の力によって彼女は呪いのターゲットとされ、男性は呪詛というものに辿りついただけなのである。
幼少期、夜中に自宅を抜け出して近所の神社へ遊びに行ったことがあった。その場で偶然にも丑の刻参りをしている男か女か、白装束に、か細い蝋燭の灯りだけでは区別などつかなかったが、木に打ち付けられている人形とそれを睨みつける到底人とは思えないような酷くねじ曲がった形相だけはハッキリと脳裏に刻まれている。
呪いとは想いだ。
事後報告となってしまうが、男性の方は前述の通り、丑の刻参りを実行したらしい。風の噂なので本当かどうかは定かではないが、わざわざ調べようとも思いはしなかった。打ち付けられた藁人形の頭の部分には深々と釘が突き刺さっていたと聞いた。どうしてそこまで明確な話を聞くことができたかと言えば、その男、白装束のまま、木の根元で蹲って気絶していたところを巡回中の警官に見つかってしまったようである。その男の右目は、手に持っていた金づちで叩いたように破裂していたらしい。
そしてもう一方の彼女であるが、夜半に人形の眼の部分に亀裂が入ったことに気味が悪くなってしまいその場で破り捨ててしまったらしい。その行為が果たして本当に気味が悪くて咄嗟に行ったものなのか、呪詛返しを行うために行ったものなのかは定かではない。調べるつもりも興味もない。
ただただ、事実として呪いの身代わりとなってくれていた人形を破り捨てればどうなるか、そんなこと説明するまでもないだろう。
彼女の眼帯はもしかすると一生取れないかもしれない。それは、偶然にしろ何にしろ、彼女も『正しい手順』を踏んで呪詛返しを行ってしまったのだから。
人を呪わば穴二つ。である。
読了ありがとうございます。
よろしければ感想などお聞かせいただけると幸いです。