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逢魔が時

―1―

 太陽が沈み切らず、また月も昇りきらない、そんな橙の色が濃く眼を眩ます時間帯にはこの世のあの世の境があやふやで曖昧なものとなる。

 人は普段目にしないモノを視ているが、それは常識では有り得ないと、頭の中で最適化された映像として認識してしまう。幽霊、お化け、妖怪、怪奇、呼び方は千差万別あれども、あえて私はそれらを総称して『あやかしもの』と呼んでいる。

 

『あやかしもの』とは何か、と逆説的に問われるとするならば、前述のような表現は用いず、この世ではないものと言い表すようにしている。それは現象であり、実体を伴わない映像のようなものだ。

 人という生き物であれば死生観の話をするつもりはないのであるが、生きると死ぬの狭間において二十三グラム程の重みに差が生じるのだそうだ。

 そうであるとするならば二十三グラム分の想いや重みというものがこの世のどこか、少なくとも己の身体ではない所へ移動することになるという話ではあるが、実際のところなんとも答えづらかったりする。


 一般に、という枕詞が適切であるかどうかという話はさておき、私が『あやかしもの』と呼んでいる現象であれなんであれ、それは事実として、そこで起きていることであり、この世のものではない。

 あの世という言葉で一括りにすること自体が乱暴な表現のような気がしないでもないが、あの世のものだ。決してこの世のものではない。

 宗教論的な話もお題目に持ってくるつもりはないので天国であるとか、あるいは地獄であるとか、極楽浄土やなんとやらといった行き先についてはこれを読んでいる方の考えるままでよいと思う。

 天国があると思っているのであればあるのであろう。あるいは宗教観的なものの一切を否定するような論者がいるのであれば、あるいは、行き先などなく無に帰すというのも正解なのであろう。


 有耶無耶にしようと、煙に巻こうとしている訳でもなければ何かしらの正答を持っている訳でもない。この世があるからあの世と私は呼んでいる。ただそれだけの話である。


―2―

 さて、逢魔が時。

 夕暮れ時あるいはそれに近い時間帯で昼と夜との区別がつかないので、あの世とこの世の境目も混濁する。という具合に『あやかしもの』が現れるのではあるが、どうしたものか怪談話と言えば、そんな曖昧に頼らず夜の闇や孤独、あるいは不安や心許こころもとさという精神的に不安定な状態下での体験を語られることが得てして多い。


 それは何も精神的な不安定さに限った話でもないというのが、前述の二十三グラムの話である。

 肉体が生から死へと向かう際に消失される二十三グラム。果たして救急処置で文字通り命からがら生を掴みとった時には一体どうなるのであろうか?

 二十三グラム増える? 減ったまま? 

 非常に申し訳ないが、そんなものは知らない。

 ただ一つ言えることは、三途の川であったり花畑であったり、亡くなったはずの知人や肉親が遠くで呼んでいるような光景というものも半ばテンプレのような話として度々あがってくるという話である。


『あやかしもの』あの世と呼ばれるこの世ではないどこか別の場所あるいは次元といったものなのかもしれないが、少なくとも精神的なものに限らず肉体的な曖昧さも含んだうえでの『あやかしもの』であり、そのような体験談を含んだうえでの逢魔が時である。


 番長皿屋敷然り、ろくろ首然り、往々にして死に目にあった、あるいは身近な人の死に立ち会うという非日常が生み出す非現実的な時間にこそ魔との出逢いの絶好の機会といえよう。


-3-

 怪談の類いに苦手であるとかあるいは得意という区分けは実のところ全くの無意味であるということを伝えたかったりする。

 似たところで言えば食わず嫌いのようなものであろう。辛い物が苦手という人は過去に辛い物で苦い思いをした経験があるものだから得意になることは難しいのかもしれない。あるいは舌先の味覚を感じる部分が人よりも長けているという身体的特徴に由来するのかもしれないが、それは実に少ない事例であろう。


 何が言いたいかといえば、所謂一般的な表現で言う所の怖い話というものは落語と同じで聞けば納得するし、何度も聞けば覚えるような一種の慣れにも似たものであるということである。

 先ほどから例示が多い気もするが車の運転が苦手、と、怖い話が苦手は根本的には同じ感覚と思って差し支えないということである。


 怪談話は苦手だから聞きたくない。そういう不安定な気持ちになればなるほどに、悲しいかな裏返るように、あの世が近くなる。『あやかしもの』をどうしても引き寄せてしまう。惹き付けられるという方が正しいのかもしれない。


 夜、寝る前にそんな類いのDVDでも観た暁には、深夜に目を覚まして金縛りにでも逢うこと受け合いであろう。

 まあ、だからといってどうという訳でもないが……


 逢魔が時というのは単に『魔と逢う時』であり何も夕方に限った話ではない。というくだらない話である。


―4―

 職業……という表現が正しいのかあんまり使いたくはないのであるが、怪談話に付き合わされることは度々ある。

 こちらから話を振ってほしいという依頼もあれば、事前に用意した話があって、それに巧い具合に話を合わせて欲しい。といった酷く雑な依頼であったりすることも中にはある。

 もっとも、そんな悪戯心で男女のキャッキャウフフな間柄を取り持つのは何とも虚しい想いが渡来するのであるが、その『関係』というのも意外とやっかいなキーワードであったりする。

 人と人との間柄、距離感、眼には見ることのできない繋がり、つまりは酷く繊細な曖昧さや有耶無耶の中で産まれる不安定な状況。


 ……兎角とかく、『あやかしもの』を悪者にしたい訳ではない。怨念や生霊の類いであったとしてもそれはそれは、とても重いものだ。重い想いだ。尊重すべきであると私は思う。


 間を取り持つためにわざわざあやふやで曖昧な空間を演出するのであるから、それに引き寄せられ『あやかしもの』を祓う義理はない。正直「あっ、何か来た」程度である。


 もっとも、それが人に害をなすような悪霊なんて酷い呼び方をされているような『あやかしもの』であれば、それは丁寧に剥がすことはやぶさかではない。

 悪戯に呼びだした悪戯好きな悪霊であれば別に構わないが。そういう『あやかしもの』にかぎって人間臭い行動をとるものだ。一頻ひとしきり憑りついた後、何事もなかったかのように満足してどこかへ消える。


 そんなものである。


 そんな世の中なのである。世の中そんな感じにできているのである。


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