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鸛(コウノトリ)

―1―

「赤ちゃんはコウノトリさんが運んでくるのよ」


 幼稚園の頃、やはり同じように園児であった女の子たちにそんなことを説明する先生。それがテキストに載っているような園児向けのマニュアルのような、ある意味において正しく誤った答え。物事をまともな判断能力を有していない年頃に生々しいような話をする事などないであろう。そんな下卑た話は漫画の中だけでよろしい。


 それでも当時の私の幼心を悪戯に怖がらせ、「自分は両親の子ではないのではなかろうか」という言葉にならない漠然とした不安を抱えて家に帰り着くなり布団に齧りついてしまったことがあった。なんて笑い話にも使えないようなエピソードがあったりするのであるが、いやはやなんとも。今でもフラッシュバック的に思い出したりするので馬鹿にできない。


 実にくだらない。純粋でいて無垢な、と自分の事であることをそのように表現するのは実に気恥ずかしい所が多分にあるのだけれど、確かにそのような年頃は自分にもあったという風に考えることができれば、いくらかポジティブにも見られようと言うものだけれども、まぁどのように言い繕っても記憶の中の自分は過去の自分であり変えられない自分である。それは十歳であろうが、二十歳であろうが、三十歳であろうが、四十歳であろうが、いくつ歳を重ねても変わらない、変わることのない真理のようなものであり、この世で数少ない真実である。


―2―

 依頼人の話はできる限り夕闇の内に聞くように心掛けていた。逢魔が時といえば陰と陽の境目であやふやで曖昧な時間帯。この世の者とあの世のモノが意図せず、意識せず、知らぬ間に知った風にすれ違い、触れ合う魔の時間帯。それは決してこの世にある者に対して害があるからではなく、あの世のモノ。あやかし者に対しても同様に害をもたらす為、総じて魔の時間帯である。被害者面しながら相談事を当然に被害者のような困り顔で語る顔の影には何やら見え隠れするものである。それが見やすい。心が見えるなんて訳のわからない事は言わない。視ることができないからできるだけ見えるようにこの時間帯を選んでいた。


「妻のお腹の中には僕達の子供がいるのですが……」


 眼鏡をかけた会社員然とした格好の男性。第一印象は酷く真正直な正義漢。体格がいいとは言えない。どちらかといえば営業というよりは事務的な仕事を好んでいそうな、ルールや規則といったものに束縛されることを良としているような。まぁなんというか己が善と思っていることに関しては実直に嘘を吐きそうなそんな男。流石に失礼か。


 私はいつも通りに、いつものように、駅前のファミレスの決まった席にドリンクバーから注いできた熱々でいて熱すぎるあまりに香りも何もかもを吹き飛ばしてしまったような酸っぱいコーヒーが波打っているカップを口に運びながらズッズッと吸う様にしながら楽しむ。うん、不味い。


「それは、おめでたい話ですね。いやはや羨ましい限りですよ。私なんて女性の……」


 別に率先して喋りたい訳ではなかったが、話を遮られるという行為は如何せん頭にくるものがあったりする。男性は気にせず話す。


「もう心臓が動き出してもおかしくはない位には育っていると医者は話していました。その通り、動き出したのは間違いないのですが酷く弱いみたいなんです」


 私に相談事を持ち込む人の大半は酷く動揺した様子で面会をする。それは当然と言えば当然で、理解のできない宗教染みた信用してよいのかわからない人間に己の腹を割って話すのであるから。それでも少なからず存在するのは当たり前のように、助かることが当然であるかのように来る人。それは半ば諦め半分である場合と縋るものがなく、とりあえず掴みかかるような人。……この男性の場合は後者である。だが、どうにも演技クサいと感じてしまうのは悲しいかな職業病ともいうべき人間不信の賜物であろう。


 男性は淡々と話す。不妊治療を何年も何年も続けてようやく実った。待ち望んだ子であることを。医者からも『どうするか』選択を迫られている。ということも。


 他人の事なんてものは他人が分かることは決してない。知ろうとすること、知ってもらいたいと思う事。お互いが擦り寄ることで幾許かの心の内がわかったとしてもそれはわかったつもりになっているだけ。である。そんなものである。


「黒川さんの力で助けることはできないものかと……思いまして……」


「はぁ。そうですか」


―3―

 こうのとり


 日本において子宝に縁のあるとされる鸛は、その伝承としては実に単純でいて面白みの欠片すらない。夫婦の鸛が自分達の卵を狙った大蛇を追い返した。もっとも、大蛇の部分は話を盛られているのであろうが、というよりも鳥が卵を守っただけである。蛇の被害にあっていた民は鸛を祀り、家内安全を祈ったことを始まりとする。

 日本全国に家内安全の神が数ある中で子宝に結び付ける辺りがなんとも日本人らしいといえよう。他方で、こうのとりこうの鳥、あるいはこうの鳥とも呼ばれ、狐などと同じように神の遣いともされる。


 母の胎内に居る赤子は父と母から肉体と精神を授かり、特に母からは魂の分化を授かる。鸛はその長いくちばしを持って母から子へ魂が分化する際にそれを切り離す役割を担う。無論、鸛が役目を果たさずとも自然にそれらは行われるものであるが、それでもこの世には絶対という事柄は存在しない。ともすれば、子への魂の提供が上手く行われない場合、子は肉体と精神だけの不完全の状態となってしまう。人間は、不完全を許容しない。それが望まれるべくして生まれる赤子であれば尚更であろう。


 あいにく、私は独り身であるため、体験談ということではないが恐らく自身がその状況に置かれたと仮定して母子の無事を願わずにはいられない。


 男性の話を聞く限りでは、順調に胎内で生まれる日を待っている母子であるが、魂の定着が不完全な状態であるのだろう。鸛さえいれば解決する話である。そしてそれを呼ぶのは父母の仕事だ。私の仕事ではない。父と母が望めば鸛は役目を果たす。神様なんてものは、ましてや神の遣いなんてものは当たり前にどこにでも居て、どこにもいないのであるから。


―4―

「……不躾な質問で気分を害してしまうかもしれませんが、ご容赦ください」


 まだ、飲み干せていないカップの中のコーヒーをチビリチビリと日本酒を嗜むかのように口に運びながら断りを入れた。


「ええ、構いませんよ」


「貴方、本当に生まれてきて欲しいと思っていますか?」


 世間体という面倒くさいものがあるのであろう。屈辱ともいえる不妊治療を果たしたうえでようやく胸を撫で下ろしてみれば、その赤子の状態が良くないと医者から告げられる。まるで「お前は人として完成されていないから」と烙印を押されてしまったかのように。母は胎内で育つ子が可愛くて仕方がないだろう。それも憶測に過ぎないのであるが、しかし、現実問題として子が、待ち望んだ子が子として目の前に現れるのはまだ先の、将来の話である。全ての男がそう思っているのかどうかは知ったことではないが、事実、少なくとも事実として夫には妊娠中の母に比べれば父たる認識は酷く薄いものだ。

 

 目に見えない者の存在によって己が否定される。社会の中で生きていく中で認められなければならないというプレッシャーの中にあって、プライベートでそのような扱いを受けたとした場合、その男性が子を、生まれてもいない子を非難してしまうことを誰が咎めることができるだろうか。


 男性は私の言葉に唇を噛む。


「……そんな、訳がないじゃないですか。僕だって待ち望んだ、望んだ子ですから」


 含みを孕んだ言い方であった。というのは些かこの男性に厳しい言い回しなのかもしれない。彼もまたどうすればいいのかわからないからこうやってここに来ているのであるから。それでも、そうであったとしても私は人格者である訳でもなければ何某かの先導者でもない。問題を抱えているのであればそれは本人が解決するべき話であるし、誤ってこちらの世に紛れ込んだあやかし者がいるのであれば祓うという手段を用いてあるべき場所へ帰すだけなのであるから。


「そうですか。貴方が心の底からその子の事を待っているのであれば、きっとコウノトリが元気な子を運んできてくれますよ」


 それは、話半分に聞いて回答した慰めの言葉ではないことは私の真面目な顔を見てわかっていただけたようで何よりであった。


 親は子を選ぶことはできない。同様に子も親を選ぶことはできない。それはそうであろう。子を形作るのは親の親たる所以であり、親でなければ成せない神聖でいて人為的な行動の結果である。ともすれば子の幸せは親の影響かと問われれば決してそういう単純な話でもないであろう。子の人生は子のものだ。親のものではない。


 そもそも親になったこともなければ妻を娶ったことも無い様な一人のオッサンと化した私が偉そうにクドクドと、それでいて説教染みた話をするのもお門違いであろう。彼がどういった覚悟を決めてあるいは決めなかったのかは知らない。彼の人生だ。どのような結果が待っていたとしても彼が選んだ道に文句をつけられる人間なんて、それこそ親くらいなものであろう。


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