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百足(むかで)

-1-

 ここに木彫りの熊の置物がある。ただでさえ殺風景を保っている男一人暮らしの中で鮭を口に銜えたゴツゴツとした熊の置物は邪魔と言う言葉がよく似合う。折角の土産物ということで無論、捨てるという選択肢はない訳で、置き場に困った挙句、キャットタワーの最下部を熊の寝床とすることに決めた。猫には念のため許可をとってある。


「それで爪を研いでも良いのであろう?」


 茶目っ気を出しているつもりなのか本気なのかは猫のみぞ知る所ではあるが、世間一般的な所で考えてみればそれも往々にあるものだと思われたので「研ぎやすいのであれば」という破格の条件を提示し、交渉は成立した。


 土産物に本物も偽物も関係ない話ではあるが、こじつけとして話のきっかけにさせていただければと思う。偽物の木彫りの熊。たった今述べた話ではあるが、この手の民芸品に真贋の程を突きつけるのは厄介というか意味がないというべきか。名のある名工が手作業で掘った木彫りの熊。なんていうものがあるのかどうなのかは知らないが果たしてそれに価値があるのかどうかは少なくとも現代社会においては値段という形で表される。人間国宝と呼ばれる御方が原木から掘りぬいた木彫りの熊は大層な値段がつきそうなものではあるが、半分以下のサイズの24金をもって工場でそれこそ機械的に造られた偽物の熊の方が高い値段がつくのは仕方がないことだ。そこまでくれば『熊』の造形うんぬんの価値ではなく『木』か『金』であるかというレベルの話であるのだろうけれども。


 何がいいたいか。要するに偽物が本物を越えられるかどうか。という至極単純な話である。同じ土俵で競えばブランドを有している側が勝つのは火を見るより明らかであろう。前述の材質云々と言う所にも同じことが言えるのかもしれない。本物は本物足りえる価値を備えた物であり、偽物は本物を模した物に過ぎない。本物は、より本物であることを求められるが偽物に求められる質は二の次なのであろう。偽物が本気で本物を追い抜こうとするのであればそれはもう偽物ではなく、偽物似た本物だ。


 本物である物の価値と偽物である物の価値を同じ天秤で比べること程に浅はかな事はないであろう。偽物には偽物なりの価値というものが存在する。それが『騙す』なのか、『はぐらかす』であるのか、あるいは『誤魔化す』であるのかは偽物が偽物であろうとするうえで生じる価値そのものである。本物が決して持ちえない価値。それは価値が無い。という表現を用いられることも多分にあるのであろうが、『無価値』という価値があるということだ。


 詭弁ではあるが。


―2―

 世の中には物騒な事を考えている人が多い。そういう言い方をするとテロリズムであったり侵略という単語にすぐに結びつける風潮は少なからずあるのであるが、誰にでも持ち合わせている、ある意味でとても身近な感情であり状態である。陰陽の話を長々とするつもりはないのだけれども、どうにもこの世界の成り立ちは陰陽のバランスが巧い具合にとられている。嬉しい、楽しいという感情が芽生えれば羨ましい、妬ましいという感情も同様に生まれる。言葉の種類、表現の方法は種々あれどもそれは真実であり真理である。極論すれば戦争に勝った国は富み、負けた国は貧困に苦しむ。それを人の単位に落とし込んでいっているだけである。どこまでいっても人は人。人以上のモノには成り得ない。『あの人のようになりたい』憧れの裏には『何故あの人だけ』という思いがあって当然なのである。


「黒川さんに折り入って頼みたいことがありまして」


 この手を持ってくるのは比較的男性が多かったりする。そんなことを思いながら、いつものファミレスのいつもの席でいつものように熱々の湯気に若干の香りを含んだ渋く苦い味気ないコーヒーの入ったカップを片手に聞いている。


「『頼み』ですか。ご依頼いただくのですからそれはやぶさかではないですが。よろしければお話いただけますか?」


「……実は、ある人を呪ってもらいたいのです。殺すまではいかないにしても家庭を壊して人生に絶望してもらいたい……そう考えているのです」


 鬱々としたまるで森の中に突如として現れた沼のような流れが澱み、足を絡めとられてしまいそうな程に彼の言葉は重々しく感じ取れた。それは会社の上司に向けた怨みと恨み。己の人生を破綻させてしまった何気ない上司による嫌がらせ。悪態、暴力……


「……なるほど。貴方のその相手に対する想いはよくわかりました。しかし呪うとはまたなんとも陰湿な……私がいうのも可笑しな話ではありますが。もっと、会社に訴えるであるとか警察に、とは考えられなかったのですか?」


「それは考えました。勿論。それで解決するのであれば……そんな簡単な話では無いんですよ。立場を利用して、周囲を味方につけて、私を一人にして……屈辱ですよ」


 それは貴方がやろうとしていることも同じなのでは? そのことに気が付けない程に頭に血が昇っている。なんて段階では最早ないのであろう。殺してしまいたい。強く決意しているような語り口がそれを証明していた。


 カチャリとカップをソーサーに乗せるようにして置く。


「分かりました。お受けいたしましょう」


「……ありがとう……ございます」


「但し、私は神ではありません。呪詛。つまり、まじないことばによるのろいになります。貴方の言葉が形となり、その方を苦しませることになる。そのことはお忘れなきようお願いいたします」


「勿論です」


「今から貴方に『百足むかで』を憑けます。貴方に近づくことで毒され、侵され、やがて滅ぼしてしまう恐ろしい生き物です」


―3―

「……」


「百足は宿主を食い荒らすとすぐに出ていきます。期限は一週間といったところでしょうか。それまでに貴方がなさりたい事を成してください」


「……一週間ですね」


 さて、百足むかでに憑かれた彼がその後どうなったのか。事後報告の形とはなるものの、ある伝手つてから確認することができた。まぁアフターフォローみたいなものではあるが、例えば急に恐ろしくなって依頼をキャンセルしたいと思いたったのであればそれはそれで対応をしていたし、そうではないなら結末までを見届けておくつもりである。


 百足に憑かれた次の日。彼は諸悪の根源たる上司に近づくようになっていった。それは、気が変わった訳では無く私の弁に従ったまでのことであろう。百足の毒はすぐに姿を現す。実際に百足の毒にやられると患部が膨れ、高熱を起こすのであるらしいが、まぁ似たようなもの。彼が上司に対する不平不満を会社の幹部や周囲に、それこそ『自分がされてきたように』吐露し、上司は晴れて会社の腫れ物となった訳だ。いたたまれなくなった上司であったが、仕事は仕事と割り切ってはいたものの、徐々に居場所がなくなり、窓際へ、やがて窓の外へ……投身自殺であったらしい。その結果は依頼人である彼が望んだものなのか、そうではなかったのかは知る由もない。


―4―

 上司は部下からの信頼も厚く、仕事熱心であったらしい。ともすれば依頼人であった彼が単に出来損ないのような人間であったかと問われた所で私の知る所ではない。空席となった上司の席には繰り上がりで彼が座ることになったようだ。慣れない中間管理職の仕事に四苦八苦しているようである。ともすれば周囲の人間からは「あいつは良くやっている」と見られているようではあるそうではあるが、下の者から見ればどうであろうか。彼が上司に思っていたような感情を抱いているのではなかろうか。と老婆心を出してはみたが、あれ以来、彼からの連絡もなければこちらからも連絡をしていないのでアドバイスのしようもない。

 

 私は『あやかし者』が視える。地縛霊であったり浮遊霊であったり、妖怪の類いであったり呼び方が様々であるように彼らの生態も様々である。蟲使いじゃあるまいし、そんな簡単に百足なんて造形が受け付けないものを触りたいとも思わない。初めて顔を合わす依頼人に百足を憑かせるなんてもってのほかだ。事前に準備していたのならいざ知らず。そもそも百足に限らず蟲という虫の魂のようなものは所詮しょせん、虫だ。魂は想いの塊のようなものであるので口はなくとも想いを聞き取ることはできるが、何度もいうが虫は虫だ。高尚な考え方を持つ虫など見たことも聞いたことも無い。よしんば、あの場で百足を憑かせたからといってベッタリ憑くとは限らない。恐らく憑いた先から逃げていくであろう。あの異常な程に生えた足で駈けながら。


 百足は家に憑く。人には憑かない。それは生きていた頃の名残りなのであろう。神の遣いとも称される神聖な生き物だ。上司を死に追いやった彼が偽物の百足に憑かれたからといって、本物のように影響を及ぼすことはない。全ては彼が考えて彼が実行した彼の計画である。失敗したのなら百足の責任にすればよいだけなのであるから。


 人間の業はつくづく深いものであると実感する。偽物であってもそれが第三者から本物の烙印を押されただけで本物として認識し、振舞ってしまう。喉元過ぎて、それが偽物であることを知らされた所で何とも思わないのであろう。だからこそ私は、偽物には偽物の価値があるということになるのではないかという気がしてならない。


読了ありがとうございます。読後の感想などお聞かせいただければ幸いです。

また、不定期更新となりますのでブックマークや評価をいただけますと嬉しいです。


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