トイレの花子さん
―1―
夏の残滓。とでも言えば聞こえはいいのであろうが、花火の焼け跡、要するに放置されたゴミである。ひと夏の思い出としてそこに居たであろう若者にとっては代えがたいかけがえのない想いであったに違いない。『冬の日本海は』なんて常套句もあったりはするが太平洋であろうが日本海であろうが海であるという事実は変わらず、大小の違いがあったとしても厳しいという表現には違いはないであろう。
日和見というべきか、事なかれ主義とでもいうべきか、そんな私の至極、個人的な理由で遠出はしない。好かない。嫌いではないし誘われようものなら同行するのも吝かでない。ただ単に自らが発信者となって号令をとるような、行動を先導するような性格ではない。修学旅行の写真もよくよく見れば写っていたのは集合写真位なものであった。もっとも、個人的なフイルムに収められた思い出はその数には含まれてはいない。孤独を気取る訳でもないし、人並みに人と触れ合いたいと思うことに善悪があるとは流石の閻魔様も仰られることはないであろう。寂しい人間であるという烙印は誰にも等しく押されるべきで、ただの一人にも押されるべきではない。そうあるべきだと私は思う。
夏の思い出といえば何を空想するものであろうか? 縁日、祭囃子、花火に浴衣、海、山に川。キャンプ、ドライブ、まぁ今思いついただけでもそんなものである。ある人によればそれに何かが加わるのであろう。一つとはいわない。二つでも三つでも。なかには肝試しなんてものを挙げる人もいるのではなかろうか。そこから派生するキーワードとしては、墓場、寺社、神社、森、廃墟、廃屋、そして学校。
―2―
世の中は広いのか、それとも狭いのかはさておき、夏に学校、それも旅行先の廃校ともあれば管理がされているものであれ、放置的な意味合いで管理が行き届いていない場合もあるのかもしれないが、得てして若人は学校へと忍び込む。悪びれる様子がないとは言えない。夏の暑さと蝉の騒がしさのせいにしてもいいだろう。いや、良くないのであるが、ともあれ肝試し。学校の怪談ともなればどこにでもある話ではあるが肝心の中身はマチマチであったりする。私の母校には何故か馬に乗った武者の石像のようなものがあった。よくは知らないが昔々の合戦場であったようで、七不思議ともいわれる一体いくつ存在するのか誰もしらない謎の一つに夜な夜な聴こえる馬の嘶き。というものがあったりする。果たして、それが怖いのかどうなのかはさておき、そういうある意味で伝説的な伝聞が罷り通るのが学生というものであろう。
七つの謎を全て知ってしまった人は謎の死を遂げる。という八番目の不思議があったことを思い出して思わず笑いだしそうになるが喉元で堪えた。
「改めて、黒川さん。ご協力いただきましてありがとうございました。誰に相談しても信じてくれず、どうすればいいか本当に悩んでいたので」
赤い軽自動車は山を越えて走っていた。窓を開けると涼しい風が吹き込んでくるのであろうが、運転されている女性。依頼者は寒がりなのか私に気を使っているのかは定かではないが車内空調を強めに設定してくれていた。一体何の香りであろうか、ばら撒かれた芳香剤の香りが暖かい空気に回され若干気分が悪い。早い話が車酔い。
「いえいえ、私なんぞでお役に立てるのであれば人柱にでも何にでも使ってあげてください。それにお話を伺う限りでは『そこ』へ行かなければ話は始まりませんし」
――話は前日の昼に遡る。
都内某所ファミレスにて(まぁいつもの駅前のファミレス)。
「八月ですのでもう四ヶ月も前になるのですね。時間が経つのは本当に早い……あの時のメンバーは全部で五人、もう集まれることがないのだと思うと……」
そのように言い淀んで対峙した女性は顔を伏せる。余程の楽しい思い出であったのだろう。悲しいかな私にはそのような夏の経験がないので妄想で想像するほか無いのが悔やまれる。
「なんでまた廃校なんかに行かれたのですか?」
「……有名な心霊スポットだって聞いていました。だから今までも何人も何組も毎年毎年やってきては肝試しをやっているって。だから私達も軽い気持ちで。旅行の計画にも組み込んでいましたから」
「なるほど」
私は火傷しそうな程に熱々に注がれたコーヒーを口に含む。味などあって無い様なものだ。鼻から抜けるのは香りではなく蒸気だけである。ただただ薄い苦みと酸味が売りのコーヒー。大のお気に入りではあるが。
「ちなみに、よろしければその学校に纏わる怪談というもの、お聞かせ願えますか?」
インターネットの投稿掲示板が情報元であるとのことであった。例の如く、どこにでもありそうな理科室の人体模型が動くという話から始まり、その学校独自のものと思われる校舎裏の井戸から聴こえる悲鳴などなど。所縁は知らずともなんとなしに想像できるものであった。そして七つ目。
「トイレの花子さん」
―3―
「これはまた、盛大に有名な話ですね」
笑う訳では無いがお道化てみせた。もっとも、依頼人の表情は硬いままであったのであるが。夏まで一緒に楽しんでいた仲良しが事故死してしまったというのであるから笑えない話なのであろう。
「その学校に通っていた花子さんという名前の女の子は、酷いイジメの末、校舎奥の女子トイレで自殺をしたという話です」
「それは珍しい話ですね。いや、でも、すみません。私の勝手な憶測になってしまいますが、廃校になるくらいですから和式トイレですよね? するとどうやって自殺を?」
「それが、割腹自殺だったという話です。工作道具箱に入っていた大きな鋏で自分のお腹を切り裂いたって。その地域では随分とニュースで取り上げられたらしいんですけれど……」
それはまた、なんとも壮絶な。七不思議のうち妙にその話だけが具体的過ぎるような気がしていた。噂話には尾ひれが付くのはしょうがないことであろう。そこまで言うからには本当に自殺をした生徒が存在していたのかもしれない。割腹自殺かどうかまではなんともいえないが。そうして七つの不思議の現場をグルリと廻るのがその廃校の肝試し。という訳であったそうだ。
ちなみに、その肝試しを行ってしまうと花子さんの祟りに遭うので決して軽はずみな行為は行わないこと。らしい。最後のヤツはスプレー缶で落書きしたりする輩を排除するための代表的な尾ひれではあるが、どうにもこうにも連れ立った友人のうち二人が不慮の死。飲酒運転という訳でもなく、脇見であったということもないそうだ。最後に交わした連絡の内容が廃校に関することであったため「次は私ではないかと思うんです」だそうだ。
「失礼を承知でお聞きしますね。貴女方はその廃校で何か余計なことはしていませんか? 例えば窓ガラスを割ってみたり、扉を外してみたり、小さく落書きをしてみたり……」
最後の一つに心当たりがあるようで、両腕で震える身体を抑えるようにしながら教えてくれた。その、問題のトイレ。校舎奥の女子トイレに自分達の名前を残したのだと。それはある種の度胸試しとも思い出作りでもあったのかもしれない。悪気はなかった。そういう彼女の表情は青ざめてはいたが、同情はできなかった。『悪いことをする』という行動には『悪気』の有無は関係がない。その対価として夏の思い出を得ている以上は何をされても文句をいえる筋合いはないのだと。『他の人も書いていた』なんてものはもっての外だ。その他の人とやらが生きているのか死んでいるのか、はたまた本当に存在していたのかさえも確認する術はない。多少気持ちの悪い表現ではあるのかもしれないけれども、箱の中の猫ではないが、過程と結果というものに動機は必要ない。もっともらしくいえば動機がなければ過程は生まれず結果も得られないのではあるが。
―4―
赤い軽自動車はやがて海に面した小さな町へと入っていった。夏であれば陽の照り返しが眩しい位に海の輝きに目を眩ますのであろうが、それは冬であっても同じである。同じではあるが、その冷たさに拒絶感すら覚える。来るなと海が言っている訳ではない。当たり前ではあるがそう思うのは人の勝手なのであるから。
海に面した小さな町の廃校。ともすれば街中のそれとは異なり半ばあばら屋のような出で立ちである。申し訳程度の鎖が校庭への侵入禁止の垂れ幕を落としていたが、車であればいざ知らず、徒歩であればそんなものあってないようなもので、『どうぞお入りください』とでも言っているかのように見えた。車を隠す訳でもなく、鎖の目の前まで付けて停車する。時間も丁度いい具合に逢魔が時であった。海を照らす陽の光が橙色に輝いている。茶色い木の校舎も校庭も似たような色に染まっていたが、今は使われていない遊具は寂しそうに錆びて遊ぶ者を待つことを辞めたように雑草に覆われていた。
「黒川さん。こちらです」
事前に図面を見ている訳でもないので先導をお願いしていた。夜であるならばいざ知らず陽の出ている時間帯であれば彼女の足取りも軽い……いや、無理をしているのであろう。覚悟を決めているというよりは、『彼ら』と対峙しても己の身の安全は保障されているというような自信とでもいいあらわそうか。解せない。実に解せない。他人の褌で相撲をとっているような気であるのだろう。
まぁ、助ける訳では無いのだけれども。
校舎の入口はトイレから見て一番遠い場所。それ以外はしっかりと施錠されているのだという。観光スポットのような廃校だ。彼女はキシキシと歪んだ音を立てる廊下を一直線に歩く。それを後ろから追うのだけれども、教室の端々から子供の視線を感じる。彼女は気づかない。それが正常なのであろう。視える私の方がおかしいのであるから。
「ここです」
彼女は廊下の最奥まで行き着くとトイレを指差すが、それでも中を覗くことは無かった。
「中には入られないのですか?」
「じょ、冗談でしょう黒川さん。勘弁してくださいよ」
「いえ、しかし貴女方の落書きの場所を教えていただかなければ何とも……」
別に脅している訳では無い。反省を促そうとしている訳でもない。視えもしないものに謝罪をしろというつもりもない。単に場所を教えて欲しいだけなのであるが、あらゆる理由を付けて入りたがらなかった。それまでの足取りとは裏腹に責任を丸投げするかのようにこちらを睨みつけて下手に出る。
「……残念ながらこのトイレには何もいません。仮にいたとしても地縛霊に過ぎませんので貴女のご友人の事故は偶然です。彼らの責任ではない」
「じゃあ、じゃあなんで事故なんかで死ぬんですか? 祟りが起きたに決まっているじゃないですか! 黒川さん。貴方もインチキだってことですね」
「もう一度だけ言います。『ここの女子トイレには何も居ません』貴女のご友人は本当に不慮の事故で亡くなったのだと思います。少なくとも割腹自殺を図ったような女の子は居ません。貴女は友人の死を受け入れられずにココに結び付けているだけなのです」
「だって、だって……」
気の合う仲間。友人あるいは親友ともいえる人物がある日突然亡くなってしまったとして、それを正面から受け止めることができるだろうか。と問われると正直なところ私は自信がない。事故であれば相手を、自殺であれば取り巻く社会を、怨み、憎むであろう。それが事の本質であったとしても、なかったとしてもそれはそんな理屈ではなく、至極当たり前の感情なのだと思う。今回、依頼人のご友人は亡くなった。それは事実である。そして、この廃校舎の七不思議のうち、少なくとも『花子さん』と呼ばれる存在も居た。だが、それと事故との因果関係は無い。『あやかし者』は怨み妬まれ、蔑まれ、嫌われ。嫌がられ、それでいて視えない。だからこそ、想いが届く。この世を呪って自殺を図った挙句、見ず知らずの顔も合わせたことのない連中から恨まれる。それは、それはとても悲しいことだ。
残念なことに依頼人は怒ってしまい一人で帰ってしまったので今日はこの町に一泊せざるをえないだろう。もう陽が沈みそうだ。後で、丑三つ時にでもお邪魔することにしよう。冬の肝試し。という訳ではないが、こんな寂しい夜だからこそ、こんな人気もない廃校舎の最奥に釘付けにされている名も知らない彼女を弔ってあげたいと私はそう思っている。
読了ありがとうございました。
今後も不定期ではありますが更新をしていきたいと思っています。
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