勿忘草(ワスレナグサ)
―1―
冬の朝日は冷たい。これならば夜の方がいくらかマシとも思える。明るいという陽の兆しだけでは暖かくはならない。月の陰が強ければそれだけ寒くはなるが昼間は過ごしやすい。暖かい夜の朝は寒いものだ。とうとう吐く息すらも白々しい程に冬を意識し始め、それに応じるように頬は紅潮する。年の瀬もいよいよ迫ってきたかとソワソワする気持ちを抱いてしまうのは誰だって少なからずそうなのであろうと思う。
世の中変わらないことは無いのだとある人は言う。それでも私にとっては駅前のファミレスの香りの薄いコーヒーの不味さは経営者が変わったところで変わることがないのではないかとさえ思えてしまう程に、身近にそうではないことを感じさせる。変わらないものだって世の中にはあるはずだ。今日あるものが明日にはないのかもしれない。けれど、別の場所にはきっとあるはずである。それを誰が否定できようか。世の中変わらないことは無いからこそ変わらないこともあるといえる。
矛盾しているようでいて矛盾していない話。有ることを無いということはたやすい。無いことを在るということよりもずっと。理解できないことと理解しようとしないこととは違うということだ。それでも理解しようとしないのであれば、それはそれでその人の真理なのであろう。それを他人に押し付けようとするのはその人の勝手だ。押し付けるのはいいことではない。ということではない。肝心なのはその人の話を聞いたうえで本人がどう判断するかである。
あまりの冷え込みに霜でも降りてはいまいかと路地をウロウロと眺めてみるが、そんな様子は一編も見ることはできず、単に寒いだけであった。こうも外に出ることを拒まれると散歩のしがいがないというものではあるが、草木が変わらずに迎えてくれると考えればそれも苦にはならない。待ち人が人間であれば、これ程話に尽きないことはないのだろうと思う。どのような話が始まるのかと心が躍るというものだ。しかし、待ち人は動かない。じっと待っている。私を待っているのだろうか、とも想いを馳せれば気持ちも昂るというものではあるが、どうやらそうではないらしい。待ち人は通り過ぎる人々を一様にただ眺めている。冬という季節ですらも彼らにとっては通り過ぎる人々と同義なのかもしれない。
―2―
怖い夢を見た。あるいはよく見る。そういった相談も依頼人の中にはいくらか存在はする。それは単に心持ち次第ではなかろうか、という話が大概ではあるものの、中には気になる話を持ってくる依頼人もいるので一律に処理してしまうのも憚られた。
「小学校の夢を見るんです。私は今のまま。通っていた小学校の夢を」
依頼人には女性が多いのは何度か説明したこともあったと思われるが、改めて。女性は陰の性質を要する。対して男性は陽だ。陰陽という関係性から見て陰により近い女性の方が陰気な『あやかし者』が近づきやすい。雑に言ってしまうとそれだけである。あるいは場所であったり逢魔が時のような特別な時間であったりといった因果関係があるにせよ何にせよ、こういった類いの相談は女性に多いのである。
「それで、貴女は小学校で何をされているんですか?」
私はいつものファミレスで熱々に注がれたコーヒーを啜りながら質問する。淡々と。聞き手に回る。
「……少年がいるんです。それこそ、小学生くらいの。でも、アルバムを見ても居なくて、私の記憶にもなくて……何かを話し掛けてくれるんですけれど、起きるとそれを忘れているんです」
「……そうですか」
悪い話なのか良い話なのかは正直わかる訳が無い。他人の夢の話だ。それは至極当たり前のことだ。たまに何かに憑かれた状態でこの場に依頼人が来るようなこともあったりはするが今回のケースではそんなことはなかった。彼女には何も憑いてはいない。
「場所は……」
「はい?」
「その少年と話をされている場所です。教室の中なのか廊下なのか、体育館なのか、あるいは校庭」
女性は眼を閉じ、思い出すようにしながら間を置いて答える「校庭……だと思います」と、少しだけ自信なさげに。連想ゲームではないが、そうやって原因を探る。フロイトやユングではないが、一つ一つ、絡まった紐を解くように。
「少年の後ろには何かありませんでしたか? 校庭の真ん中ではないと思います」
「校庭……の校舎よりの場所だと思います。そうです。校舎側でした」
「そうですか。では夢の話から少し離れますが、貴女が通われていた小学校のその場所には何があったか覚えていますか?」
彼女の口から花壇であったと思うという旨の話と、小学校の頃は花壇の手入れを進んでやっていた。ということを聞き取ることができた。その時点で、花に関係がある夢であると認識することができた。
―3―
花にも魂というものがある。いやそれは花に限らず万物について言える事なのであろうが。そして魂という不安定な存在は人のものであっても蟻のものであっても花のような植物のようなものであっても一律に魂である。肉体と精神の話ではない。あくまでも魂の話。それがなにか悪い話なのかといえば別にそうとも限らない。
「悪い行いをしてしまえば罰が当たる」という類いの言い回しは要するにそういうことだ。魂在るものを無下に扱うようなことをしてしまえば肉体や精神に影響はなくとも魂に何かしらの怨みや妬みによる傷がつく。魂が傷つくことで肉体あるいは精神に何らかの障害が起きる。というものだ。
「だとすれば、なぜ私はそんな夢を? その少年はなんなのですか?」
「いえ、だから一律に悪いということではないんです」
「はい?」
少年の背格好については『小学生のような』となんとも要領を得ない説明であったが一点。髪の毛の色が水色のような淡い青であった。とのことであった。
勿忘草という花がある。あんまりお目にかかることのない秋から冬に掛けて咲く蒼い花。その花の名前を出した瞬間に彼女は思いだした。確かにその花の面倒をみていた記憶がある。と。それでは何故そんな、わざわざ夢の中にまで今更現れて何かを伝えようとしているのか。
―4―
「貴女の身に、あるいは近親者に何かご不幸があるかもしれません」
「え?」
「花というものは存外、情に厚い生き物なのです。蜘蛛の糸の話ではないですが、それにも似たように恩を返そうとしているのだと思います。虫のしらせとでも申しましょうか。まぁ花ですけれど」
「……ということは、私が昔、面倒をみていた花から実は恨まれていた。そういったことでしょうか?」
「いえいえ、勿忘草は日本では一年生の植物です。恐らく貴女が在学していた頃に貴女にひっそりと憑いていたのでしょう。貴女の周りで不幸事があることを知らせてくれたのですよ」
花の命とは何か? 枯れた時に尽きるのであろうか? そうであれば球根を持つ植物は死にながら生きていることになる。植物の生き死にとはそう簡単なものではない。だからこそ魂が分化されやすい。それは咲き誇る花であったり根であったりとするのであろうが。
このケースでは繰り返しになってしまうが、彼女に対して恩を感じた勿忘草の魂の一部が何かしらの形となって彼女に憑いてしまっていたのであろう。
これから彼女に降りかかる不幸事を取り払うことはできない。それは運命であるとか決まっていることであるとかそういう表現は使いたくはないが、少なくとも悪いものが憑いていることに起因していることではないことは明らかである。
人は他人と分かり合うために色々な方策をとるが、それは簡単な話ではない。況やそれが人と植物であればなおのことである。勿忘草がなんと言いたかったのかはわからない。所詮は植物が話すことであるからわかろうという方に無理がある。それでも縁というものを大切にした彼女だったからこそ、見た、見せてくれた夢であるのであろう。
理解をしようとすることを否定していれば彼女にとってその夢はただの変な夢で終わっていたであろう。動機はどうであれ、結果的に理解しようと努めたからこそ、勿忘草が伝えたかったことが伝わったのである。




