X人目
―1―
こんな話があったのを思い出した。
夏でも冬でもいいのであるが、朝日を見に行くため登山に向かった男女四人のグループ。その場の勢いではなく、事前に入念な準備を行っていた。それもそのはず彼らにとって登山とは趣味のようなもので、数年来に渡り山を登り続けているのであったから。
その日の天候は晴れ。さらにいえば天気予報も終日晴れとのことではあったが、念には念を入れて各自で天候が荒れた際の雨具、それに食料や水をやや多めに入山するのである。登山道は蛇行しているものの一本道。目的の朝日を拝むために、前日深夜からの登山であった。
「この時間帯の登山は流石に人がいないね」
「そりゃそうさ。元日でもあるまいし、誰が好き好んで夜の登山を楽しめるもんか」
「それは俺達自身への自虐のようにも聴こえるな」
至極順調な登山で、このまま予定通りに進めば陽が昇る三十分前には頂上へと辿りつくように計算がなされていた。繰り返しになるが、一本道の登山道。手元のライトだけでは若干心許ないが、それでも正しい道のりを照らすには十分すぎる程の灯りである。
「これだけ暗いと道順間違えても気づかないだろうな」
「笑いごとかよ。まぁそれでも四人も居れば、間違えたとしても誰か気づくだろうけどさ」
ざっざっざっざっ……聴こえるのは自分たちの土を踏みしめる音と風に揺らされる木々の騒めきだけ。ライトが照らすのはどこまでも続く登山道。天候もありがたいことに変わりはしなかった。ざっざっざっざざっざざっざざっざざっ。
一人が含み笑いを堪えながらあることに気づく。
「誰かわざと足音ずらしてないか」
「……俺もそれ思った。実は誰かついて来ていたりして」
「やだ。気持ち悪いこといわないでよ」
ざっざっざっざっ……
「ほら、気のせいじゃん。やめてよ怖い話は嫌いなの」
「ハハッ。冗談だよ冗談。暗闇の登山でも楽しまなくっちゃね」
「そうですね」
ライトは登山道を照らしている。けれども、それ以外には月明かりの他、光源はない。しかし月明かりとはいっても木々が邪魔をしており、隣り合った、あるいは前後した者の顔すらみえない。そんな暗闇。そんな矢先、一本道は大きく蛇行をしており、先が視えないようになっていた。ライトにぼぉっと照らされたのは狩猟小屋であろうか、小さな、小さな小屋。登山客が休憩に使ったりするしっかりとした造りであるはずの小屋。昼間に出くわせばなんてことは無いそんな建造物、特徴もない何の変哲もない小屋。
四人は気持ち悪い、嫌な汗を垂らしていた。それを誰が提案したのかはわからない。
「そうだな。ちょっと休憩しよう。ご来光まで時間的な余裕もあるし少しくらいいいだろう」
「そうね。私も賛成」
「少し冷えてきたしな。無理せずにゆっくりいこう」
「ああ、俺もそう思っていたところだ」
―2―
気持ちの悪い嫌な気分。乗り物酔いにも似たような、頭がフワフワと考えることを止めてしまったかのような身体的な不調を感じていた四人は満場一致で小休止することとなった。
引き戸になっている小屋はガタガタと不細工な音を立てて開く。日中は開きっぱなしにしているのであろう。建付けが悪い状態であってもそれを放置されているように思えた。
小屋には人が座って談笑するためのテーブルと四人分の椅子が用意されていた。勿論、中に人などはいない。夜の利用なんてものを考慮していなかったのであろう。電気も通されてはいなかった。丁度四人目が小屋に足を踏み入れた時、パラパラと雨に近い霙が降り始める。
「偶然だったな。でも助かった」
「まったくだな。皆、雨具は持ってきているだろう?」
「ええ」
「ああ」
「……」
……とはいったものの、山の天気の変わりやすさは四人が四人共よく知っていた。それにこの降り出し方は本格的な降り出しの前段階であることも。五分も経たないうちに、ポツポツパラパラと舞っていたそれは、ザーザーという擬音が似合う程の風を伴った暴風雨に変貌した。
「こりゃ、小休止じゃすまなそうだな」
キィ、ギシギシ、キィキィと窓ガラスを風が打ち付ける音と小屋の壁を軋ませる音だけが妙に大きく聞こえた。それは、四人が異常なまでに疲れていて会話すらもままならないようになっていたからであった。
「駄目だな。なんだか眠い。小屋の中だし寝袋もあるから死ぬことはないが、このまま寝てしまうのも寝過ごしてしまいそうで嫌だな。何かゲームでもして気を紛らわせないか?」
「賛成。俺も実は結構身体が痛んでいたりするし」
「私も。こんな距離で疲れるなんて初めてだけれども」
「それで、具体的には何をするんだ?」
男は回らない頭で提案をする。身体を動かさないとどうにも眠気に負けてしまいそうだからと、四人を小屋の四隅に座らせて、雨が小康状態になるまで隣り合う人物の元まで歩いて肩を叩く。それを延々と続けようと。ライトは小屋の真ん中にあるテーブルの上に吊るしておいた。時折、隙間風に吹かれ、揺れることもあったが、それでも真ん中に灯りがあることは異様なまでに安心感を与えてくれていた。壁の隅までを照らす程の灯りではなかったけれど。
「じゃあ始めようか」
男は壁に手をつき、それを伝うようにして一辺を歩き、次の者の肩を叩いた。それを受けた次の男はそれに倣うように歩き、次に待つ女性の肩を叩く。女性もそれに続き、やがて一周し、最初の男の肩が叩かれるまでおおよそ三分。これならば寝てしまう心配もないであろうと確信し、グルグルと回る……
意識が無いわけではない。機械的に、至極事務的に同じことを繰り返す。やがて、四人の中の一人が気づく。
「もうそろそろ夜明けの時間じゃないかな?」
しかし、外の雨は続いていた。風こそ弱まっていたので、このくらいの天候であれば雨具を着込めば大丈夫なはずであると誰もが感じていた。
「しかし、この雨じゃあご来光は拝めないな」
「仕方ないさ。そんな日もある」
「じゃあ下山しよっか。いつまでもここにいたら申し訳ないし」
「そうだな。実は家に帰って寝たかったりするんだよね」
四人は異様な眠気にも関わらず笑いながらそんな具合に下山に合意した。そして、急いで雨具を取り出してそれを着用する。下山とはいっても大した山でもなければ険しい訳でもない。急ぐ必要もなかったのだけれども急いだ。早くここから出たいと誰もが思った。
「じゃあ行くか」
小屋の外は未だ雨が降っていた。ぬかるんだ地面に足をとられないように足下に視線を向けながら一歩また一歩と足早に小屋を後にする。少し進んだ所で女性から一言。
「ラ、ライト忘れてきちゃった。取りに戻らない?」
三人の男は呆れ顔で女性の顔を覗き見て返答はしなかった。小屋までは、ほんの十メートル先である。中を見通せる窓からはテーブルの上に吊るされたライトが煌々とテーブルを照らしていた。引き戸を閉めた際に入り込んだ風に揺らされたのか光は奥へ手前と動いていた。だが、誰も賛同する者はいなかった。
小さく見える小屋の窓からはライトがこちら側に揺らされた瞬間、半分だけ、半分だけ顔を出した男性とも女性ともとれない顔をした白い人間のようなものがこちらを覗き見ていた……
―3―
「という怪談話がある訳ですが、聞いたことはありますか?」
いつものファミレスの午後2時頃。近所の奥様方のティータイムであろう、うるさいくらいに笑い声を上げながら話をする声が聴こえていた。私の手元にはコーヒーカップが一つ。中身はもう飲み干してしまった。香りが薄く味も無い、ただ熱いコーヒーの『ような』飲み物。
相対するは三十代半ばくらいの女性であろう。年齢を聞くことはしないが、子供の話をしていたので恐らくそんなところであろう。
「よくある山に纏わる怖い話ですか? それと私の話に繋がりがあると?」
訝し気な言い回しではあるものの、別に私は怪談話をするためにココに来たのではない。この女性にはときおり視えるそうだ。視えてはいけない。本来は見ることすらない『あやかし者』と呼ばれるようなイレギュラーな存在のことを。
それが初めて視えたのは子供が砂場で遊んでいた時であったそうだ。我が子を遠目に眺めていると一人で遊んでいるはずなのに、その場に誰かがいるように笑って遊ぶ我が子。それがきっかけ。子供は××君だよ。と『聞き取れない』名前でその視えない子の事を呼んでいたそうだ。××君と呼ばれた存在は子供の話によれば自宅にもよく遊びに来ていたそうで、一人、部屋で遊ばせていたときにも独り言とは思えない、何かと喋っているような口調の我が子を不審に思っていた。「だって、××君とは友達だもの」いくら叱ったところで、そう言われてしまう。視えはしない。だからといってそれが常態化してくると、逆に自分が間違っているのかとも思えてしまう。
次第に視えないものも見えるような気がしてくる。薄らと我が子と同じくらいの身長で我が子の目線に合わせた目をもった。そうなってくると我が子と交わしている会話すらも聴こえてくる気がする。……やがて、一人の人間としておぼろげに姿をなす。年相応の、名前も知らない、どこの子かも知らない子供。
「それはいつ頃の話ですか?」
「もう一年前になるかと思います……」
子供に憑いているとすれば気持ち長い期間憑いているようである。子供と遊ぶような子供の霊とは年相応に『飽きやすい』。ともすれば一週間も持たずに姿を消す。子供同士の繋がりなど蜘蛛の糸のようにか細く目を凝らさなければ見ることは叶わない。だからこそ見た目以上の強さを持つという特性はあったりはするのであるが、ネットワークが相互に絡み合うとそれも混線して誰が誰だか分からなくなり、次第に形あるものだけ、見える者だけが取り残されていってしまう。そういう様にできている。
だとすれば、この場合……子の場合、この子の場合、遊びたい年頃に不幸にもこの世の者ではなくなってしまった類いの『あやかし者』とは違うように思えて仕方が無かった。
「……」
カチャリとコーヒーカップをテーブルに置く。広い店内に響く訳でもないが、目の前の依頼人はその音にビクリと身体を強張らせた。怪談話のせいとはいうまい。私にはその女性の隣に子供と思わしき背丈の酷くぼんやりとした『あやかし者』の姿を捉えていた。あるいは……とも考えていたがどうやら間違いないようである。
「幼い頃の話をお聞きしてもよろしいですか?」
「それは、子供のでしょうか?」
「……いえ、貴女のです」
その言い回しに違和感を抱いた様子はなかった。待っていましたという表情でもなかったが、触られたくはない一面に触れられてしまったかのような嫌らしい表情であった。誰にでもそういったものの一つや二つはあるであろう。こちらから多くは尋ねなかった。何故なら俯き加減の女性が自ら訥々(とつとつ)と語りだしたからであった。
幼い時分に行った遊び。鬼ごっこ。鬼を一人決めて鬼から逃げる。字面だけみると異常な遊びではあるけれども、れっきとした子供の遊び。古くからある遊戯。鬼という一人の外れ役に対して複数の人間役の子供。ともすれば鬼を嫌う人が逃げ惑う姿を想像させたりもするが、況や子供たちはそんな深い意味を持たせてはいない。
そんな鬼ごっこではあるが、始まりもあれば勿論終りもある。最後にはノーサイド。鬼も人も交えて終わりと宣言する、あるいは終わりであることを認識する。鬼も人に戻るというものだ。が、鬼を人に戻さなかった。彼女の話はそう言った話であった。
「もう名前も覚えてはいません。それくらいに小さい頃の話です。じゃんけんをして、負けた彼が鬼になったけれども一向に誰一人として捕まえることはできなかったんです。日没も近づき、公園も橙に色づいて皆、一様に帰らなければならないような時間帯。鬼の役の子以外の皆で公園の中央に集まって「鬼って誰だったっけ?」と言うんです」
結果として、鬼が鬼の役目を終わらせることはなく、解散。次の日には別の鬼を立てて鬼ごっこをやっていたのだという話。
―4―
なんてことはない。その時の鬼が今でも鬼役をやり続けているだけの話。偶然か必然か、波長の合う『その時の子供の子供』と会ってしまった。それだけの話である。
一頻りそのような話を彼女に告げると、『知っていた』そのような顔で頷く。隣にいるその子供のような白い塊が果たしてその時の鬼なのかどうなのかは定かではない。
子供は子供同士で繋がりを持っている。それはある意味で大人の知らない一つの社会であるのであろう。早くに亡くなっただけの浮遊霊が鬼と言う名の不浄霊に引き寄せられて彼女の傍を離れないだけなのかもしれない。可能性としてはいくらでも、いかようにでも考えることができるというものだ。
「黒川さんなら祓ってくださるのですよね?」
期待と不安の入り混じったような表情の彼女の横で寂しそうな顔をする少年のような塊。いや、表情までは視えないのであるけれども。
常世を生きる人としてはどのような『あやかし者』であったとしても一方的に害としてみなしてしまう。それが近寄ってきただけの者であったにしても、年端もいかない子供であっても一様に害とみなす。
可哀相だとは思ってはいけない。それがハッキリと視えたとしても同情してはいけない。想いを重ねてはいけない。害はないのかもしれないが、一度気を許してしまうと他の害あるあやかし者が近寄ってきやすくなることに違いはないのであるから。
それでも視えてしまうが故にこそ祓うということに多少なりとも抵抗があるというのは個人的な心情ではある。結局のところ、私自身が甘いだけの話なのであろう。
今日のところは、彼女の横にしがみつくようにして縋っていた子供のあやかし者を預かって帰ることにした。このあやかし者が、彼女の子供のいう××君であるかどうかはわからない。何かあればまた私のもとへ連絡を寄越すように伝えておいた。
子供は自分が死んでしまった事を理解していないという訳ではない。恨めしいという感情があるという訳でも無い。遊びたいだけ。ただただ、遊び足りないだけなのである。ファミレスからの帰り道、自宅近所の公園に少年の霊を置いてきた。遊ばせてきた。満足したのかどうなのかはわからないが、いつの間にやら、ふと姿を消した。成仏した訳ではないだろう。
子供であるから仕方がない。やがて、この世への未練のようなものを持ち始めて害をなすようであれば。その時は改めて人形をもって……陰陽の術をもって、あるべき場所へと案内をしてあげることにしたいと思う。
願わくば私の力で無理矢理送るようなことにならないように、そう思いながら。
読了ありがとうございました。
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