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想いし紙

―1―

 死は怖くはありません。何よりも貴女に忘れられてしまうことが恐ろしい。私の思いで貴女を縛るつもりはありません。それでもたまには思い出していただけますと私の思いも浮かばれるというものです。


 ある手紙のような遺書のようなB6サイズの便箋に書き綴られたメッセージ。『縛るつもりはないのだけれども』忘れないでもらいたい。切実な願いであり今となっては重い想いである。なお、この手紙にはこの後もつらつらと思い出話であったり御母堂に宛てられたと思われる未練のようなものが書かれてはいるのであるが、所々涙で滲んだように文字が掠れていて読むことは困難を極めた。


 死を恐れているのではないと言いながらも生に執着してしまうのは、それでも命令に背くことができなかったからなのかもしれないが、なんにしても手紙の主は既にこの世にはいないのだそうだ。第二次世界大戦末期の大日本帝国の状況というものは経験した者だけが語ることを許される苦い歴史なのだと私は解釈している。されとて、平和を享受していると言われている現代においても年間に三万人もの自殺者が出ているあたり、死に直面しているという状況だけは今も昔も変わらないのかもしれない。


 『いわく付きの手紙』として預かることになったこの便箋。持っていると不安になるからと依頼人から渡されたものではあるが、目の前にはなんてことはないただの便箋が転がっているだけである。本当にただの便箋に過ぎない。手紙の主が夜な夜な兵隊さんの服でやってくるなんてこともないであろう。仮にあったとしてもそれは手紙を受け取った者にとっては至極感動的な物語に過ぎないのだと思う。しかし、この便箋にはそんな力は無い。まったくと言っていいほどに。

 今日は窓の外が若干、吹雪いているようだ。自宅で作るインスタントコーヒーはファミレスのそれと似たようなものではあるが、自宅においてもあんなに不味いものを口にするのは流石に勘弁願いたいので、私はココアを飲むようにしている。甘く、甘く、苦みの強い暖かいココアを。


―2―

「黒川さん。実は受け取っていただきたいものがあるのです」


 いつもの駅前のファミレス。二階のワンフロアすべてが店舗となっているのであるが平日の午後過ぎには閑散とした雰囲気で店員すらめったに顔を見せない。込み入った話ができるのでその点は評価をしているのであるが、薄く香りの少ないドリンクバーのコーヒーは熱さで味を誤魔化しているのではないかと疑いたくなる位に不味い。


 女性の年齢を詮索するのはマナー違反なのかもしれないが、どう見ても七十、八十を越えているであろう女性に対しては逆に気を使わないとマナー違反なのかもしれない。だが、差し出されたそれを見て、なんとなくざっくりではあるが年齢を推察することはできた。


「手紙ですか?」


 茶封筒に入れられた便箋。もっとも茶封筒自体は後から買い足したものであろうが、中からはすっかり日焼けをしてしまった便箋が姿を現した。年代ものと片付けてしまうには申し訳ないくらいについた折り目が、何度も広げては読んで、閉じて封筒へと戻したことを語っていた。


「中を拝見しても(よろしいですか)?」


「ええ」


 想い人へ宛てた手紙、想い主がしたためた覚悟の手紙。最後に想いを伝えたいと願った痕跡がそこにはしたためられていた。物悲しいとは言うまい。それはその時代においては至極当たり前のように行われていたのであろう。時代に負けた。というようなことは書かれてはいないが、筆跡には悔しい感情を押し殺したように一文字一文字に『これから先のこと』を託している。そんなことを髣髴とさせるのは、やはり時代背景があるからこそなのかもしれないけれども。


「特攻隊……ですか。失礼ですが、手紙の主は想い人だったのでしょうか? それとも旦那様?」


 ご婦人は涙を見せない。それどころか手紙に憎しみを感じているような強い眼差しで私の広げた便箋を睨みつけ、毒を吐く様ないかめしい表情と威圧をもって、言葉を添えた。


「いいえ、私の……私の兄です」


―3―

 ご婦人の話によれば、兄妹仲は大層良かったそうだ。年齢は二つ違い。どこに行くにも兄の背中を追って出かけていたことを今でもよく覚えているそうだ。物の少ない時代。とは言わないが決して裕福な家庭であったとはいえなかったらしい。

 時代に寄らず、少なからずある話なのだと思う。それは歴史の中で埋もれてきた話であったにしても、それをそうと世間が認めてくれずに共に死地へと下ったという悲劇もあることであろう。戦争という異常な時代がもたらしたものとは限らない。平和であってもこの兄妹はそうであったであろう。ご婦人は懐かしむようにそのような事を教えてくれた。「兄を愛していた。兄も私を慕ってくれていた」と。


 戦禍が引き離したのは何も家族だけではない。想い人、想われ人の間柄も同じようなものだ。赤い、赤い召集令状が届いたその日。兄と妹は泣いた。それは兄妹愛という単純なものではなかったのだと思う。恋人同士が流す涙。家族が流す涙。愛する者同士が流す涙。


 兄は戻ってくることは無かったのだという。

 妹はそれでも兄を待ち続けた。桜の舞う日も蝉の泣きじゃくる日も落ち葉の積もる日も霜の降りる日も。何日も何年も、ただただ待ち続けたのだという。兄を想う妹の姿を不憫に思った両親は見合いの席を設けた。心ここにあらず、そんな妹であったが良き人に巡り会えたのだそうだ。

 その後、子宝にも恵まれ、夫を支える献身的な妻を演じてきた。演技も続けていけば演技ではなく、その人そのものの現実になってしまう。やがて、時間という何もかもを洗い流してくれる万能の薬をもって、妻は夫を愛し家庭を愛した。兄のことは良き思い出として忘れることはできなかったが、いつの日にか、記憶の中の兄の姿にはもやがかかるようになっていたそうだ。

 何も悪いことはない。そのまま戻らぬ兄を求め続けて独りとなるよりも何倍も何十倍も良い結末であると私は思う。


 人が人として次の世代へ意思を繋ぐための至極真っ当な行いであるといえるし、その証拠に子も順調に育ち、既に親離れを果たしているのだという。


 ご婦人は朗らかな表情を一変させ、憎しみを滲ませるように言う。


「この手紙さえなければ。この手紙さえ見つけ出さずに済めば、想い返さずに死ぬことができればなんと幸せな人生であったか……」


 手紙はご婦人の両親が隠していたものであったらしい。数年前、家主の居なくなった実家を片付けている最中、見つけてくれといわんばかりに父の書庫の一角いっかくから、それは顔を出していた。あの頃、愛してやまなかった兄の。決して結ばれるさだめにはないあの男からの、最後の手紙。


―4―

 見つけた当初は懐かしさの余り涙を流した。その程度であったそうだ。しかし、読み返せば読み返す程に、あの頃の、どうしようもなく切なくて儚い、あるいは一緒に逃げてでも結ばれたい想い。重い想いを思い返す程に真綿で首を絞めつけられるかの如く苦しんだのだという。

 

「手紙を見つけることさえしなければ私は幸せな中で死ぬことができたはずなのに……なんで……なんで今更」


 目は口程に物を言う。憎しみに満ち満ちたような罵詈雑言をもってすら優しい言葉のように聞こえた。ご婦人は大粒の涙をポタリポタリとテーブルの上に漏らしていた。


「私が拝見する限りでは手紙に『あやしい者』は何も憑いてはいません。得てして手紙というものは、なかでも想いをしたためた紙というものは『重い神』とも『想いし紙』、『重いしがらみ』とも言われる程に力を持っています。ただ手紙そのものは単なる紙です。読んでしまった貴女に憑いてしまったのですよ。重い『想いしがらみ』として」


 手紙というものは『手神』だ。自らの手で神を起こす。ご利益のある御札であっても紙は紙に過ぎない。人の手を介して紙は神となる。だが、所詮『紙』だ。そこには人の想いが存在するのかもしれないが、それを在るものとして認識するのも人の役目だ。ある種、芸術家が書いた、まるで蛇がのた打ち回ったようなシュールレアリスムの塊のような作品も見る人によって価値は変わる。そんな絵に価値など私は感じないし飾る所もないので必要としないが、人によっては感銘を受け、大枚ははたいてでも欲しがる人はいる。そういうことである。


 この『兄からの手紙』は私が処分をすることになった。それが依頼人の希望であったから。

 さてさて、この手の手紙は歴史的な価値からいえば記念館などに納めるというものが筋なのかもしれないが、残念ながら私にとっては価値がない代物である。いくらなら売るか。という話でもない。価値がないというのは何も値段がつかないということに繋がる話ではない。

 私にとって価値はなくとも、あのご婦人にとってはかけがえのない大切な思い出であることは確かだ。憎悪にも似た慈しむ優しい目で思い出話を涙ながらに語る姿は、これがそうであることを簡単に思わせてくれた。


 今ある幸せと、あの時の幸せを天秤にかけた結果なのであろう。女性は歳を重ねても女性だ。当たり前のように男性もそうなのであるが、死んでしまった者は歳をとらない。人の想いの中でしか生きられない。ご婦人が亡くなった時、兄に会うことができるなんて幻想的なストーリーは残念ながら生まれない。人の生き死にとは実に事務的な事柄である。


 それでも、手放したはずの重い想いを思い返す日が来ないともいいきれない。その時に「供養しました」の一言で絶望の淵に落としてしまうのか、あるいは「いいですよ」と救いの手を差し伸べるかは、私の今日の判断に委ねられている。ということだけは紛れもない事実である。恐らくひと月もしないうちに私はご婦人のことも忘れてしまうであろう。だからこそ、この『預かった手紙』は私も忘れてしまいそうな本棚の隅っこの方にそっとしまいこむのであった。


読了ありがとうございます。

不定期ですが今後も続けていきたいと思いますので是非ブックマークや評価いただけますと幸いです。

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