陰摩羅鬼(おんもらき)
―1―
「あー寒い。うー寒い。たまらん。たまらん。これ何とかせんか」
「うるさい。猫は天然の毛皮があるんだから少しは我慢しろよ」
声を荒げる訳にもいかないペット不可のアパートでこれみよがしに近づき耳元で呻く。ニャーと啼かれるよりはいくらかマシではあるが、こうも寒い寒いと連呼されていては寒くなくとも心持ちが寒くなるというものだ。とはいっても雪がちらつく中にあって軽量鉄骨の余命幾許もなさそうな古アパートであれば、隙間風の一つも吹き込んできて当然なのかもしれない。特段、私が寒さに強いという訳ではないが、どうにもエアコンの温風が苦手である。という理由だけで今シーズンは一度もスイッチを入れていないという有様である。
喋る猫曰く、飼い主である犬神は気を使ってくれた。外出するときにも室温が一定になるような工夫を凝らしてくれていた。などと猫を一番に考えてくれていたというような風潮をするものだから、こちらも「そういえば犬神、猫飼えない家に引っ越したってな」と嘘か真か判断つかないような洒落を嘯いて猫の反応を見るのであった。
「それがどうかしたか、今はこの家が住処だ」
と強がってはいるものの、長く立派な尻尾は嘘がつけないようで、しょんぼりと地に向かってだらりと垂らしているのであった。「どうやら次の家は猫が飼えないらしい」という追撃をいれておいた。これで少しは遠慮という言葉を理解してくれるのであればありがたい。
さて、猫談義は本筋ではない。実のところ犬神との連絡が本当に取れていないのである。喋る猫を早いところあるべきところへ返して独りになりたいと思っているのであるが、飼い主である犬神への連絡が取れない以上、途方にくれてしまうというものだ。
ここ数日、朝の散歩が億劫になる位に冷たい風が吹いているため、景色を楽しむどころの余裕はなく、目覚まし代わり程度に犬神を愁思するような日々を送っている。そういう言い回しをすると聞き手としては恋煩いのように聞こえてしまうのかもしれないが、生憎というかなんというか男性にそういった魅力を感じることはない。とはいえ、昔馴染みの友人である。心配はして当然だと考えているし、それが当たり前だと思う。
―2―
依頼の入っていなかったある晴れた日。猫を連れて犬神家へ行ってみることにした。いつかは行かねばならぬとは思っていた。猫を預かった時から何やら雲行きの怪しいような雰囲気を醸し出していたのは確かである。
「大輔には迷惑かけるけれど、よろしく頼む」
たかだか猫を預かると言うだけなのにも関わらず、そんな大層な、とその時は考えていたが、風の噂によればその日を境に犬神の周りでは親族が亡くなることが相次いだそうであった。まぁ、私や犬神の年代ともすれば祖父の世代はおおよそ七十歳を超えていたであろうから何も不思議な話に持っていく必要もないのだけれど、どうにも先の仰々しい言い回しといい、気がかりではあった。
それが、あるいは『あやかし者』の仕業であるような摩訶不思議な話であるとするならば私に連絡の一本でも寄越そうというものであろう。犬神との付き合いはそれ程に浅くはない。
晴れ間は射し込んでいるが夏程に騒がしくはなく、秋程に木々の騒めきは見られない。だからこそ、風が直接肌を撫でてくる。カラカラの風は水分を含んでいないにもかからわず水の中のような体感を覚えさせ、暑い訳でもないのに喉を干上がらせてくれる。正直、嫌いな季節だが、真白い景色だけは幼い頃からいやに好んでいた。何かと遊んでいたような、遊ばれていたような朧げな記憶ではあったが、それが要因と思っている。
犬神の家はそれ程遠くはない。昔々の幼い時分の話を掘り返すほどには遠くない。というだけで電車とバスを乗り継いでくるくらいの距離は離れているのであるが、都内から一時間と少し、山間に面しているが一応東京都内。旧家と言われる程の名家であるという話は犬神本人から聞いてはいなかったが、数年ぶりに訪れたその家は屋敷と呼んで差し支えない程には大きかった。古い、古めかしいけれども由緒正しそうな民家。
―3―
陰摩羅鬼。
人の顔を持つ鳥、どちらかと言えば鳥の翼を持つ人と表現した方が近いのかもしれない。民間伝承によれば弔われなかった死者の念が死体の肉に集った鳥に憑いた怪鳥と言われている。犬神の家には、屋根にはそれが居た。私と目を合わすと裏山の森の中へと飛んでいってしまったが、誰の顔ともいえない、厳密に言えば人間の顔の体をなしてはいなかったが、それがそれであると確かに実感した。
「ごめんください。黒川ですけれどもどなたかいらっしゃいませんか?」
古い民家である。引き戸にインターホンはついていたが押しても鳴っている様子は見られなかったので試しに引いてみると鍵は掛けられていなかった。玄関から真直ぐに伸びた廊下に私の声は反響し、こだまのように奥まで届いているように思えた。
しかし、反応はない。玄関とはいえ室内であるにも関わらず長い廊下による影響か、外とは違ったひんやりとした冷たい風を感じる。もう一度問いかけてみる。
「ごめんください。信也君の友人の黒川ですけれども、どなたかいらっしゃいませんか?」
長い木の廊下の先の方、灯りが届いていないのか、隅っこの方は暗く影を落としていた。五秒ほど反応を待ったが、返ってくる音は無かった。その代わりに携帯電話が鳴った。ピリリリリリリリという電子音は建物中に響き渡るかの如く響いたが、特段それに反応する者はいなかった。画面を覗くと『犬神信也』そう表示されていた。
「大輔か? 今ウチに来てくれているんだってな。たったいま、お袋から連絡があったよ。俺はちょっと出かけているから外で会わないか? 折角来てくれた所、申し訳ないけれど」
人の気配は確かにするが人の動く気配がないというか、言ってしまえば人じゃない者のような感じさえあった。人の家を薄気味悪いなんて言い草はしないが、少し嫌な空気の家であることは例えようがない程に感じ取れた。犬神が外で会いたいというのは、もしかするとそういったことからなのかもしれない。「ああ、わかったよ。また後でな」そう答えたのは私なりに彼の言葉と状況を斟酌したうえでの判断であった。
―4―
猫が犬神の家について多くを語らなかった理由は恐らく、それが以前からそうなっていたからであろう。猫が猫又になる過程において、変わらずにあった状況。環境そのもの。庭に木が一本生えているからといってそれがそうであることに何らの疑問を抱く余地すらないような感覚。迎えるべくして迎えた結果であり、それは今まで変わらずにその場にあってその場に居た。変わることなく。視えていようが見えてなかろうが、そんなことは関係がない。事実として存在している。ということなのであろう。
犬神信也は車に乗っていた。「少しドライブでもしようか」なんて言いながら。
彼が高校を卒業してから以降、どういう進路を歩んで、今どういう状況にあるかということは聞いていない。彼もそうするように私もその辺りはどうでもいい。幼馴染として育った唯一無二の親友であるという繋がりだけでありがたいというものだ。
「すまないが、もう少しの間、猫を預かっておいてくれないか」
「それは構わないが、お前の家、見に行ったよ」
「そっか……お袋、さ、最近、元気になってきたんだ。少し前までちょっと大変だったけれど、それでも、あんな家だけど一応実家だしな」
「俺がなんとかしようか? お前の家、あのままじゃあもたないぞ」
「だよなぁ。不味いとは思ってはいるんだけどなぁ。本当にヤバい時は頼るわ」
ハハッと笑ってみせた大神の横顔はヤツれていた。それは心労によるものなのだろうと勝手に推測した。彼が本当のことを教えてくれない限り私は動かない。それは薄情だからではなく彼が犬神信也という親友だからである。本当に力が必要な時はきっと頼ってくれる。そう願っている。それは私の願望に過ぎないただの想いなのかもしれない。
犬神の家はここ数年、親戚がバタバタと亡くなっている。だが、一度も葬儀や通夜に呼ばれたことはない。何故ならば犬神の家だから。犬神憑きの家ということではない。村八分という話だ。根っこの部分は知らない。だが、犬神の家は古くからあるが、村の一切の祈念も怨念も預かってきた一族である。神社のような神を祀る訳ではない、生き神ともいえるかもしれない。要するに生贄だ。人柱ともいえる。それを一手に担うことで栄えた呪われた家系。
陰摩羅鬼が住み憑く鬼の家。それがそうであると知ったのは確か色々な民間伝承を探し回っていた頃であった。その時には既に犬神信也とは連絡を絶っていたので未だにハッキリと聞いている訳ではない。しかし、確かにその地域には風習として『ある一族』を祀るという恐ろしくも悲しい人の歴史が存在していたようであった。
飼い猫が猫又になってしまったのもそういった類いの影響なのかもしれない。猫又になってしまった猫があの家に居憑いてしまった場合、相克とまではいかないまでも陰の気に満ちてしまってある意味安定している犬神家の和を乱しかねない。信也もそういった事に気づいたのかもしれない。それは犬神信也が私のように霊的な何かが視えるようになったであるとか力が目覚めたといったことではなく、違和感のようなものに過ぎなかったのだろう。あの家には結界も何も張られておらず、村の全体から見れば鬼門にもあたる。どう考えても意図的に造られた家筋だ。
だからといって私は彼のことを可哀相だとか哀れだとか思うことはしない。
彼には彼の人生があって、それは彼自身が選択して進むものである。決して定められた運命に振り回されるようなことはない。ある種の怨念が運命を導くのだとしてもそれも彼が選択をした結果なのだと私は思う。私に助けを求めるというのも彼の選択肢の一つである。もっともそれは一番最後の手段なのだと考えているのは私も彼も同じであろう。
人は行き交い、必要に応じて交わる。ただそれだけのことである。
以下、ネタバレ
ちょっと捕捉。
犬神くんの家が地域の悪い気を一手に担っているということは、それを祓ってしまうと悪い気の担い手がいなくなってしまってしまうので犬神くんは血筋を受け入れて頑張っているので親友である黒川大輔くんも意思を尊重して祓わない。ということです。




