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隠れん坊

―1―

 人の噂も七十五日。二ヶ月半、言い換えると『ふたつきはん』要は蓋付反。噂の内容そのものに蓋がされるという意味合いがあったりする。言葉の語源なんてものはそんなものだ。それでもそういった意味が存在するものであることを知らないからといって口に出した言葉に意味がないものであるとは言えない。何が言いたいのかといえば『一度口に出してしまったものは引っ込みがつかない』ということだ。言葉として発する一言一言に責任を持つなんて土台無理な話であろう。だから人は喋る。下手を打つ人程よりよく喋る。それは失言ともいうべき誤りを多くの言葉の海の中に紛らわすためとも言えよう。口数の少ない人ほど一言が持つ重みは大きい。


 そんな馬鹿な話はない。世の中で一言も喋らない人が放つ言葉が世界で一番重たい言葉なんてことはナンセンスだ。テレビの中で大きな声で議論を行っている大人の言葉に重みがあるのかと問われると答えにやや詰まるところがあったりはするが、少なくとも私の一言よりも重みはあるのに違いない。


 ヒソヒソとわざと聞こえるように話しているのではなかろうか、とも思える悪口は世の常だ。それが対象者に対してどれほどのダメージを与えているかなんてものは本人たちには知ったことではない。往々にしてそんなものだ。人の世の闇とは言うまい。そういった類いの行いが堂々と為されるのは物事の善悪の区別がつかない幼子であろうから。そもそも事実であれば善悪の問題ではない。という横やりがあったりはするが、内容はともかく、ある種の下手くそなスナイパーのように身体を表に出しながらそういった行動を取るという行い自体が悪なのであってこの場合における噂の信憑性は問われるものではない。


―2―

 噂というものは得てして本人の知り得ない所から突発的に生まれたりすることがある。無論、悪意の有無に関係なく、悪意をもって拡散されるのであるからたちが悪いものである。当の本人の耳に入った時に初めてそれが真実か否かハッキリするが、噂は噂として、まるで延焼中の木造住宅のような勢いで燃え広まる。火元を消してしまったところで、延焼を止める手立てがなければ手の施しようもない。大元の下手人からの謝罪を受けたところで、本人の知らないところで尾ひれがついて拡散されていた。なんて話はSNSがこれだけ成長している現代においてはなおのこと止めようがないというものだ。


「黒川さん。なんとかなりませんか?」


 今回、相談を受けた内容はそんな話であった。噂の発端は十年も前。依頼人が小学生の頃の話。内容もその時と変わらない。ただ問題なのは『変わっていない噂の内容』である。小学校も高学年にもなればあの子が可愛いだの好きだ嫌いだ。だのといった噂の一つでも立つのが普通であろう。不幸なことにこの男性、今もなお『小学生が好き』というレッテルを貼られていることになる。噂が本人の成長と共に歳を重ねてくれなかった。単にそれだけの話ではあるが、本人にとっては死活問題といえよう。そんな気はさらさらないにも関わらず、そんなような噂がどこからともなくたっては消え、忘れた頃にまた煙が立ったことを友人から知らされる。誰がそんな悪質な悪戯をしているのかは一向にわからないのだという。


「SNSで拡散されているんですよね? そこから火元を探し出すことはできないんですか?」


「それができれば黒川さんにお願いしませんって。それに、変な噂が立ってからというもの実際に私の住む地域で子供が誘拐されたりしているんです。警察も私を見張っているようで、もう気が気じゃないんです」


 泣きそうな表情を浮かべる男は情けない声で助けを求めるようにそう答えた。「そうですか」と酸っぱい薄いコーヒーを口に含み、安そうなカップをカチャリとテーブルに置き、一呼吸置いた。今日もファミレスの店内は閑散としていて、お爺さんや奥様がたの昼時の語り場と化していた。それもそうであろう。平日の15時ともなれば納得もいく。


―3―

 隠れん坊。


 神隠しの民間伝承。隠し子、身隠し、化け婆。呼び名は様々であるが、共通するのは『人が消える』ことである。それは例えば、何かしらのキーワードを噂に流してしまったら、であるとか、聞いてしまったら。そんな単純なものをキッカケに人をこの世から消してしまうというあやかし者。消えるといっても身体そのものが消えてなくなってしまうケースと魂だけを持っていかれるケースとがあったりとバリエーションが豊富なのが特徴である。

 得てして神域とも呼ばれる霊山に足を運んだであるとか、自業自得のような場合が見受けられるが、それに似た現象が起きてしまうのが逢魔が時であるとされている。夕暮れ時、公園で子供が一人、橙色の陽を背景に砂場で遊んでいる光景などイメージしやすいのではないだろうか。ともすれば怪しいおじさんから声を掛けられ、ものの五分もかからずにその場から連れ去られてしまう。人間が行うやり口はそんなところであろうが、あやかし者であっても似たようなものだ。子供は霊的にあやかし者を感知しやすい。飴玉で釣られるということはなかろうが、何か気になるモノを見つけてしまった子は吸い寄せられるように闇の中に引きずり込まれていく。そしていなくなる。


「その話と私の噂と、何か関係があるんですか?」


 男性は余程自分のことが気になって仕方がないというようなことを私に伝えてくれた。確かに直接関係があるかどうかと言われれば私自身半信半疑であることは否めないのであるが、少しでも納得してもらえるように付け加えるようにこう言った。


「例えばですよ。その隠れん坊というあやかし者がこの世に存在するためには何が必要だと思いますか? と聞きつつ答えを申し上げますと、信仰心です。恐怖心と言い換えてもいいでしょう。『子供をさらう、あるいは子供を連れて行く』存在がこの世にいる。それSNSを通しているから本人の顔は見えない。真実を知ることができずに噂が独り歩きし、恐怖心が増幅される。という訳ですよ」


 男性は自らを落ち着かせるように煙草の煙をふかせるようにしてため息を繰り返していたが、一本を吸いきる程度の時間を置いた後に、悟るようにして心境を吐露した。


「ということはなんですか、黒川さんの仰る通りであれば、噂の大元はこの世に存在しない『隠れん坊』とかいう名前の妖怪で、私は単に利用されているだけということですか? そんなもの信じられるはずがないじゃないですか」


 語気を荒げる訳でもなく、怒りを内に押し込んだような声でそう漏らしたが、どうにも納得がいかないようであった。


―4―

「納得されないのは貴方の勝手ですが、私に相談を持ち掛けた段階でそういった類いの話になることは承知のうえではなかったのですか?」


「……それは、そうですけれど」


 私も慣れているといえば慣れている。いきなり『あやかし者の仕業です』といわれて、ああそうですかと返事をもらえることなど、ほとんどありはしない。大概が『ありえない』『馬鹿馬鹿しい』といった反応である。だが、現実問題としてどうにも理解の範疇に無いような出来事が私の前に差し出されるのであるから、私も一般的で現実的な回答を指し示すことはできないと思っている。


「何も、あやかし者がSNSをやっているなんてことはいいません。人の生み出したデジタルな世界に彼らの居場所はないのですから。噂を流している張本人は人間ですよ」


 その一言に「えっ」と声と顔を上げる依頼人であった。先ほどまで『あやかし者』の仕業という理解できないようなインチキ宗教のようなことを言われていたのであるからそれは仕方がない。私の言い回しもよろしくなかったのかもしれない。


「あっ、いっ、えっ? じゃあ誰が僕の噂を流しているっていうんですか? いつもいつも友人から教えてもらってその都度、犯人を捜しているのに見つかりもしないのに」


「いいですか? 実際にSNSに投稿しているのは人間です。ですが、あやかし者がそれを操っているんですよ。本人も意識して行っているとは思いませんが。貴方は友人から聞いてその都度、火消しに奔走しているそうですね」


「ええ、そりゃあ自分のことですから」


「人の噂も七十五日っていうくらいですからSNSだろうとなんだろうと根も葉もない噂っていうものは大体二月半で消えてしまうものなんですよ」


「……申し訳ないです。黒川さんが何を仰りたいのかわからないのですが」


 一口、コクリとコーヒーを口に含んだ。なにぶん冬のファミレスは暖房がキツく、会話をするのにも喉が渇いて仕方がない。男性は餌を待たされた飼い犬のように釘入るように私を見つめていた。その視線を痛いほどに感じていたが、この後に感じる焦燥感に比べれば大したことはないのかもしれない。そう思い、答えを教えた。


「貴方の友人という方ですよ」


 男性は声にならない声で「はぁ?」と返してくれた。


「先ほども言った通り、人の噂はそれが伝聞であろうとSNSであろうと長くは持ちません。噂を長期間持たせる方法は新たな噂を立てる事。そしてその為には前の噂を消し去ってしまう必要が出てくる。神隠しを行うあやかし者が貴方の噂を隠れ蓑としているのでしょう。貴方の友人という方に是非合わせてください。祓って差し上げますから」


 その場で約束を取り付け、彼と彼の友人は後日このファミレスで私と待ち合わせをすることになった。

 そこから先の話は特段面白いものでもなんでもないので結論だけにしておきたいと思う。


 彼の友人、やはりあやかし者が憑いていた。それもベッタリと魂に張り付くように。どうやら長期間にわたって憑いていたらしいことはその姿から明白であった。その友人もまた、幼い頃に隠れん坊と出会ったことがあるとのことであった。その時は三日間、本人すら記憶には残っていなかったが確かに消えていたとのことだ。教本に載っているような夕焼け、逢魔が時の公園の砂場に一人でいた時に公園の隅にあった闇に手を突っ込んだことを覚えていた。気が付いたときには三日後の同じ時間に砂場に居たそうだ。その時に唾でも憑けられていたのであろう。年をおって、自らの存在が薄くなっていくことに恐れをなしたあやかし者が自らの噂をSNSに載せて拡散させた。


 という話だ。元々人に憑くようなあやかし者ではないため、サラッと祓ってあげた。今後は彼に対する噂が拡散されることはないと思う。


読了ありがとうございました。

今後も不定期ですが更新してまいりますのでブックマークや評価、感想などいただけますと嬉しい限りです。

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