心霊写真
―1―
健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しき時も、これを愛しこれを敬い、これを慰めこれを助け、死が二人を別つまで、共に生きることを誓いますか?
誓ったのは神に対してか、参列した人に対してか。はたまた互いに対してか……
一枚の幸せそうな披露宴での写真が届いた。中身には手紙も無く、消印すら無い少しだけ泥のようなものが付着した白い横型の便せんに宛名だけ書かれていた。勿論住所の記載はない。
写真の裏には助けてください。と書きたかったのであろう文字が水に滲んで微かに読み取れる程に引き延ばされ不気味さを助長しているように思えた。しかし、写真を見た限りでは何ら変なものは映りこんでいないように思えた。楽しそうに笑顔を浮かべる列席者。中央に主役であろう新郎新婦と思わしき二人が背筋をピンと伸ばして映っている。
悪戯にしては少し悪質すぎるというべきか、手が込み入っているようであった。何が目的なのか、何をしてもらいたいのか、何を伝えたいのか、わからないままに写真を眺め、一人首を傾げるのであった。
午前零時。写真のことなどすっかり忘れ……ることは流石にできなかったが、とりあえずデスクの上に放置し眠りについていた所、見覚えのない番号からの着信があったようで、翌朝、スマートホンのロックを画面には『不在着信68件』との表示があり、ギョッとするのであった。留守番電話には一切メッセージが残っていなかったが、どうやら断続的に掛け続けていたらしく、直近の着信履歴は起きるほんの五分前の時間を示していた。六時に目を覚ましてから以降は着信音が鳴ることはなかった。
ふと、デスクの上の写真に目を落とすと昨日見たはずの写真とは何かが変わっているような気がしたが、結局のところ、何がおかしいのかはわからないままであった。
―2―
いつものファミレスで薄い淡い味のコーヒーを飲みながらそんな怪談めいた話を聞かされたのであるが、どうにもピンと来るものがなかった。リアリティが無いと言ってしまえば依頼人から怒られるかもしれないが、よくテレビでやっていそうな怖い話の類いのもののようなそんなイメージ。怖がらせようと語り手が気持ちを込めて演じているような、偽物が本物であることを必死に説明しているようで本物としてのクオリティというよりも印象にスポットを当てすぎて白くボヤケてしまって何が言いたいのかよくわからなかった。
「……それで、それがどうかされたのですか?」
思わず口をついて言ってしまった一言に待ってましたとばかりに依頼人は一枚の写真を差し出してきた。これがその写真ですよ。と。
確かに披露宴の写真。ただ、話の内容と違う点は、新郎はともかく新婦の顔が晴れていないという事くらいであろうか。
「今までの話では新婦も笑顔であったかと思うのですが、これを観るとどうにもそうではないようですね」
あるがままに見たままの事を、カップを口に付けながら伝えた。男性は何が楽しいのかよくわからないが、そうなんですよ。と得意満面に頷くと続けた。
「この写真の持ち主は、先ほどのような現象が起こり、その都度、写真の花嫁の顔が曇っていっている訳です。私が聞いた話によればこの写真の花嫁さんは不幸にもハネムーン先で事故に遭われたらしく、それ以来、この写真に花嫁の怨霊が憑いているということなのです。私も初めは疑心暗鬼だったのですが、実際に体験して気味が悪くなりまして……」
「それで、その話の出どころは?」
「出どころですか? ……さぁ、私も友人から聞いただけですのでその辺りはわかりかねます。ただ、一点だけ合わせて聞かされたのは『三日以内に他人に渡せ』とだけ。それを破ると先ほどの話のように花嫁の怨念に殺されてしまうそうです」
「……その話もご友人からで、実際に亡くなった方はいないということですか」
「……そうなりますね。あっ、でも友人の友人の話では実際に被害が出たらしいです」
そのような話は確か小学生の時分に不幸の手紙とやらで似たような経験をしたことがあったが、話が長くなりそうであったので、その男性には言わずにおいた。ただ、写真とエピソードを引き取ってもらいたい。との依頼であったため、それは承諾した。
話を終えると男性は肩に乗った重荷が外れたかのように深くため息をつき、ありがとうございました。と礼を述べてくれた。男性にとっては今日がその三日目であり、どうなるものかとヒヤヒヤしていたとのことであった。そしてそれを受け取った私にも友人から受けたであろう気を使ってくれるのであるが『貴方は四日後に死ぬ』と死刑宣告を告げるだけ告げて自分だけ楽になるなんてなんともふざけた話ではなかろうか。
―3―
心霊写真。
専ら最近で言えば『オーブ』なんて呼び方もするらしいのではあるが、ともかく心霊写真。撮った本人も撮られた本人も予想だにしないような『居ないはずの人が映りこんだ』写真、あるいは『居るはずの人間が映らなかった』写真のことなどを暗にそう呼称する。例えるならば思念のような実体が無い存在が映りこむ現象。なので光をフイルムに焼き付ける写真にのみ起こり得る現象とも言い換えることができる。デジタル化された0と1で構成された世界においては映りこむ余地は存在しない。
まぁオーブうんぬんの話はさて置いて、当該写真はフイルムによるものであるようであった。華やかな笑顔を浮かべる周囲とは対照的に同じ方向を向いているはずの花嫁の顔にだけ薄暗い影が落とし込まれていた。それは花嫁の思念によるものなのか、はたまた会場に偶然にも居合わせた浮遊霊が映りこんでしまったか、あるいは新郎新婦を良く思わない輩の怨念ともいえる思念によるもの、いずれかであろうと推察される。
何にしても写真がどうこうできるということはありえない。写真はその時を切り取るようにフイルムに焼き付けるが、ただそれだけのこと。写真そのものに何か危害を加える力は存在しない。一般的には。
小学生の遠足の集合写真などでは結構な頻度でこのような現象が起こる。それは子供という魂の定着がまだ固まっていないような不確定な存在であるがために、抜けかけた魂が映ったりであるとか、そういった集団であるから引き寄せられるあやかし者がいるのであったりと理由はある。今日日、集合写真もデジタルカメラで撮られているのであればそういった現象的なことは収められることはないのであるが。
―4―
では、何故この披露宴の写真だけがそういった扱いを受けているのか。と言う話であるが、簡単に言ってしまえば始まりの人間の問題である。少し不気味めいた写真を手にしてしまった人間はありもしない、起こり得るかもしれないといった不確定な事象をあたかも本当に起こった出来事のように風潮してしまうような特徴がある。誰が、とまでは言わない。誰でもやってしまうことなので人間とはそんなものだろう程度の認識で構わない。
そして問題なのはその先、噂を噂として認識して第三者に託してしまうという連鎖。人の想いは連鎖し、積み重なれば重くなり念となる。一人から二人、二人から三人、そして十人、二十人と噂が連なれば連なるだけ『持っていると悪いことが起きる』という念も写真を介して連鎖されていく。ようは観衆に『悪いことが起きるように期待されている』状態ともいえる。そんな環境下において、万が一にでも軽い怪我でもしようものなら全てを写真の責任にしたくなる。実体験として次の人へ回り、廻る。
結果的に写真に写った本人が誰であるのか、私には知る術がなく、生きているのか亡くなっているのか、ともすれば結婚後、新郎を含む列席者に向けて本当に花嫁本人が呪いを掛けているという話を思い描くことも可能であるし、それが真実であるという可能性も無くはないが、それもこれも受け取った人の判断次第といったところであろう。写真はあくまで写真だ。不気味な置物があればそれが不気味に思えてくるのは人の性である。世の中には座っただけで呪われて死んでしまう椅子があると言われているが、そんなものバスの座席にも言える事ではないか。と私は考えるのであるが、語り手としては『そうではない』と言って憚らない。
あやかし者は人の信仰心から生まれたものである。信仰心が失われた現代においてもそれを怖いと思う心がある限りは存在し続けるのであろう。それは記憶であったり記録についても然りであると思われる。語り継がれるからこそ、物語は物語として形を残すし、人の心を動かす。語られない物語はひっそりとその役目を終える。その話の中に存在する者と同様に。
今日の所は、私の手元に届いてしまったこの少し気味の悪い写真を燃やしてしまってこれ以上、悪い気の廻りが広がらないように供養しとおくことにしようと思う。
ベランダで火をつけ、灰皿の上に寝かせた写真は写り込む笑顔を次第に茶色に焦がしていっていたが、花嫁の顔に茶色が迫ったところで、ニヤリと花嫁が笑いかけてきたような気がしたが、一度ついた炎は白い枠の端まで焼いて黒い煤を上げてやがて消えていった。
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