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枕返し

―1―

 人生をもう一度やり直すことができる。


 そう聞くと悔やむ過去がある人にしてみれば願ってもない話であろう。幸運に恵まれた人にとっては勘弁願いたい話かもしれない。夢のような出来事である。どんな人にも一つくらいはやり直したい過去というものがあると思う。これは私感に過ぎないのであるが、一切の後悔のない人生を謳歌しているという人はいないはずだ。少なくとも今までの短い二十五年の人生においてはそんな人間に出会ったことはない。今、この時が人生のピークであるという人にとってしまえばそんな過去も今の自分を生み出した糧なのである。なんてひどく都合の良い解釈をするのであろうが、世の中にはその手の想いをいつまでも引きづってしまう人の方が大半を占めている。

 『人生にリセットボタンは無い』なんていったどうでも良い人生論はこの際置いておくとして、さて、人生をもう一度やり直すことができる。そんなことが可能なのか否か。答えは可能であり不可能でもある。そもそも時間という概念自体が人間にとって都合の良いものさしなのであって、時間というものはあってないようなものだ。ある種の生物、例えば蝉。地上に出てきて孵化した後、七日しか生きることができない。人間が作ったものさしで考えればそうなのであるが、蝉自身にしてみればその七日間は生涯であり、人生だ。人間換算すれば八十年とも百年ともいえる期間を生きているのであろう。そんな話である。


 人間は自動車や飛行機などの発明によって時間を短縮することに成功した。それは片道十時間かかっていたものが一時間ですむようになった。といった話である。このまま未来に進んでいけば一時間であったものが三十分と、さらに短縮、行き着く先はマイナスの領域となる。と考えると非科学的なのか、科学的なのかどちらが正しいのかよくわからなくはならないだろうか。時間という概念に縛られているからこそマイナスの時間、過去への遡り、あるいは時間旅行といったものに対して絶対にありえないとした根拠の無い自信が生まれているのではないかと私は考える。おかしな話だろうか? 私の頭がおかしいと考えるのが普通であろうか? では、一分が何故六十秒でなければいけなかったか、一秒は何故一秒でなければいけないのか、そういったことに正確に回答できる人間はとても少ない。


―2―

「初めは単なるデジャビュだと思っていました。あーこの感じ前にもあったなぁなんて。でもこの頃になってそれが確信に変わったんです。黒川さん。私は二回目の人生を歩んでいるんだって。信じてもらえないかもしれないけれど……」


 私たちはいつもの駅前のファミレスにいる。いつもと変わらずドリンクバーから熱々の香りのひどく薄い酸っぱいと表現した方が正しいようなコーヒーのようなものをカップに注ぎ、それを片手にそんな話をしていた。依頼主は相談のような、友人には話ができないような話を聞いて欲しい。ということであった。聞いてみればなるほど、乙女チックというか、少女思考と言うべき内容であった。否定するのは簡単であるが、私はそうはしなかった。


「信じるか信じないかはまだ推し量れない点がありますが、具体的にはどのようなことが起きてそのように思われたのですか?」


 対面する女性は紅茶を選んでいたが、口に合わなかったのか一口だけ口に運ぶと暖をとるようなカップの持ち方をしてはいるものの、それ以降、口に運ぶことはなかったようであった。女性は半ば自分でも馬鹿な事を言っていると思っているようで、はにかんだ顔をしていたが、私の無表情に苦笑いも交じっているようではあった。


「そうですね、例えば、例えばですよ。会社に出勤する際に特徴的な猫にすれ違った。であるとか、上司に頼まれた仕事に対して過去にやったような気がする。みたいな感じです。でも一番びっくりしたのが今お付き合いしている男性です。一目見た時から、一目惚れってことは無いんですけれど何か運命めいたものを感じちゃって、ふと思い返すと、これも過去に起きた出来事のような感じがして……」


「なるほど。一つ一つは細かいイメージではあるものの、何だか以前にも体感したことのあるようなそんな気持ちを強く抱くようになった。そんな感じですね」


「そうなんです。それが単なる偶然であるとか、そんなものではなくてもっと具体的過ぎて、二回目の人生なんて非現実的だとは思いますが。私にはどうしてもそうとしか思えなくて。でもこんな話、誰に話していいかわからなくて、それで黒川さんなら……と」


「そうですか」


 余程、誰かに伝えたかったのであろう。その女性は一頻ひとしきり話し終えた段階でスッキリしたような表情で深くため息と深呼吸を行い肩に入った力が抜けていくような面持ちであった。


「一概に言い切れませんが、それは枕返しの仕業かもしれませんね」


―3―

 枕返し。


 枕返し、反返し、あるいは枕小僧といった名前で呼ばれるあやかし者である。夜、人が寝静まった頃にやってきて悪戯に枕をひっくり返してみたり、寝相を変えてみたり、といった至極、害のないあやかし者。中には座敷童の悪戯の一つ。なんて話があるくらいだ。何が目的であやかし者がそんなことをするかなんて野暮なことを考えてはいけない。物事には理由が、ことわりがあるのであるから。


 昔々の話ではあるが、枕は人が夢を見るための道具であるとされていた。そして、夢とは人を構成する肉体・精神・魂のうち、魂が見るものであり、夢をみている間は肉体から魂が抜けだしている状態であるとされていた。ともすれば枕返しによって戻る場所を見失ってしまった魂が肉体を求めて彷徨うことになり、魂の抜けた肉体は目覚めることがなくなってしまう。という恐ろしい悪戯話に起因しているともされている。

 信仰心が薄れるにつれ、夢と魂との間にそんな関係があると信じることも忘れ去られていき、結果として残ったのが枕返しの行動だけ。ということになる。人間とは不思議な生き物である。自ら生み出した信仰を自ら飽きるかのように手放す。だが、完全に忘れ去ることができないために、搾りカスとも呼ぶべきあやかし者だけが残ってしまった。


 さて、その枕返し。単に嫌がらせをするだけのあやかし者とも言えないのである。夢を見ない人間に対して夢を与えるという変わった特性を持っている。もしかすると魂と夢との関係性を持っていた昔々の習慣の名残りなのかもしれないが、ともかく夢を魅せる。そしてその夢は至極、現実めいたものであることが多いのだそうだ。


 過去、現在、未来どの姿を映し出しているのかはわからない。あるいは今風にいえば並行世界、パラレルワールドなんてものなのかもしれない。この女性が『二度目の人生』と言っているのは恐らくその中でも未来の夢であったのであろう。


 時間軸というものは人間が考え出したものさしに過ぎない。枕返しに限らず、あやかし者がいつまで経ってもその風体が変わらないのは人の信仰心によるものだと考えられてはいるものの、彼ら独自の時間の概念というものも、ひょっとすれば存在しているのかもしれない。そうであれば、そうであるとするならば、彼女が視たであろう夢は彼らの時間軸のような概念に乗っ取ったものであり、未来視にも似た経験を夢の中で体験することができたということにもなろう。それが、人間のものさしで指す所の未来と必ずしも一致しているとは思わないが。


―4―

 彼女は断片的に記憶に残っているという今後の未来についても教えてくれた。お付き合いしている男性と婚約することになること、子供を二人授かることになること、自身の死ぬ瞬間までの出来事を。喜々として語る彼女にとっては輝かしい未来の話なのであろう。私は彼女の話を否定などできない。未来の話なんてもの私にとっては未知以外の何ものでもないのであるから。ただただ聞いた。


 枕返しは害のあるあやかし者ではない。魅せられたものが未来であったと仮定して、それが絶望的なまでの希望のない世界であったとしても私は否定などしないだろう。枕返しは神様ではない。いや、神様であったとしても未来を見通すことなどできないのではないかと私は考えている。それはあやかし者の世界における異なる時間軸による予知にも似た世界の光景なのかもしれないが、私が人間である以上は、過去はあるとしても未来は自身の手で築いていくものであり、無限にも似た選択肢に溢れていると思いたい。


 森羅万象において、結果が決まったうえでの過程を今生かされている。そういう考え方も否定はしない。そういった自由な思考こそが人が人であるが故の悩みでもあるのだと思うから。


 事実は小説よりも奇なり。人が空想できる全ての出来事は起こりうる現実である。そういった類いの言葉にあるように、現実だけが現実ではない。目に見えないからといって存在しない訳ではない。ウイルスや細菌などは顕微鏡の開発によって初めて認識されるに至ったが、それよりも昔は悪魔やまじないによるものであるとされていた。


 枕返しは家に住み憑くことはない。彼女の下へと現れることは恐らくないであろう。それでも枕返しという単なる悪戯か神の御業かは定かではないが、彼女が視た未来と同じか、あるいは異なった未来、妬ましいほどにやりなおしたい過去や背けたい現実を夢の世界で顧みることがあった時、朝起きて、自らの寝相や枕の位置を確認してみてもらいたい。


 何かしらの変化があればそれはきっと枕返しの仕業であるから。

 それでも恐れることは何もない。貴方が視たのは夢であり現実でもなければ、ましてや真実なんかでもないのであるから。


読了ありがとうございました。

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