表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/38

合わせ鏡

注意:少しホラーです。


―1―

 合わせ鏡。


 やってはならないとは言わない。そんなことは言えない。何かしらの偶然が重なることがあるであろうから。それでも意識をしてはならない。目的をもって行うことはお勧めできない。こう注意してしまうと余計に見てしまうのが人情というものであろうが、それでもそれは忌避されるべき事象であることを言わざるを得ない。仮にそれがそうなったとして何かがどうかなるのかなんてことも保証などできない。考えてはいけない。思考をするな。というのは難しい話ではあるが、興味を持ってはいけない。子供が悪戯にそれを行おうとしていた場合には手を叩いてでも止めるべきである。


 中世の魔女が、陰陽師が、祈祷師が、名前を何と冠した者であってもあちらの世界からの贈り物を受け取るにあたって複雑怪奇な方陣などを用いて、あるいは贄が必要であった事象を単なる鏡二つをもって実現することができてしまう。世界のルールの中でも一際イレギュラーとも思われる欠陥でありこの世を創り上げた何某かの失敗、明らかなミス。致命的な誤りであり正されなければならない事柄。


 ひどく手前勝手な、それでいて無責任な物言いであることは分かったうえでもう一度だけ伝えておきたい。この話は本当のところ誰の口からも語られることなく忘れ去られるべき話である。脅している訳でもなければ背中を押そうとしている訳ではない。ただ、ただ一言だけ。「やらない方がいい」それだけである。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ、実行に移すことで何が起きても対応できないので了承いただきたい。


―2―

『拝啓 黒川様

 初めまして、茨城の××に住む××と申します。本日は私の娘の奇病についてご相談をさせていただきたく筆を執った次第です。

 娘は今年で十五になります。元気だけが取り柄のような子で我が子ながらに自慢の娘でございました。私も幼い頃に友達同士でオカルト話を行うことがありましたが、どうやら娘の年頃でもそのようなことが流行っていたようです。

 合わせ鏡と言えば黒川さんのことですからお分かりいただけるのかもしれませんが、娘はそれを行って以来、目を覚ますことがなくなってしまいました。話が前後いたしますが、娘が夜中に奇声を上げて意識を失った夜、娘の部屋には二枚の鏡が対面するように置かれておりました。当初はそんなこと気にもしていなかったのですが、救急車で病院に運ばれ、あらゆる検査を施していただきましたが、原因は不明とのことでございました。そんな折に黒川さんのお噂をお聞きし、ご連絡をさせていただきました次第です。

 一体、娘に何が起きているのでしょうか? 黒川さんにご相談する内容ではないのかもしれませんが、娘の為に何か施してあげることができませんでしょうか。大変失礼な事を承知の上で申し上げますと藁にも縋る思いです。もし黒川さんにご対応いただけないようでしたら黒川さんの人脈でどなたか娘を救っていただける方がいらっしゃいませんでしょうか? 微々たることでも構いませんので何か心当たりなどございましたら何卒、何卒ご連絡をいただければと存じます。よろしくお願いいたします。 敬具』


 そういった手紙をいただいたのが、一ヶ月前のことであった。手紙は恐ろしいものと対面しながら書かれているかのようにひどく震えた字であった。そのことからも事態が切迫しているように思われた。


 正直なところ、この件については関与したくない。というのが本音ではあった。合わせ鏡はそれ程までに不確実で不安定な呪術である。もしかすると手紙のあるじである娘さんのご両親に期待を持たせるだけの結果になってしまいかねない。そう考えていた。


―3―

 二つの鏡を向い合わせに置くと鏡は対する鏡を映しあい、それが延々と繰り返される。その空間はあやふやでいて曖昧な空間である。人工的な鬼門もしくは霊道を生み出すといえば分かりやすいかもしれない。そのため、例えば悪魔の通り道になるであるとか、見た人間の心の内を読んで、その者が最も恐れる自分の死に顔を悪戯に映し返したりといったことが起きるとされている。

 鏡、特に姿見の鏡は普段使わない時は布で覆っておく。ということは古くから行われているまじないの一つである。鏡の映す姿はこの世を映した姿。可視光線であるとかいった物理的な反射であることは言わずもがなであるけれども、そういった類いの解釈で説明がつくと言うのであれば世間一般のあらゆる怪異現象、怪異譚の説明もつけてもらわなければいずれは辻褄が合わなくなるというものであろう。

 さて、鏡の話であるが、もう一度繰り返しとなるが『この世を映した姿』である。その世界は左右反転されることにはなるが言い換えてしまえば『この世を移した姿』である。移したからといって全てがすべて同じ世界ではない。右手を挙げると鏡の中の自分は左手を挙げる。別の世界であるからこちらの世界と矛盾が起きてもなんら不思議ではない。それは人形の顔であったり、赤ん坊であったり、絵であったり、写真であったり、はたまたテレビの映像であることもある。こちらの世界では笑顔を浮かべているのにあちらの世界では何故か悲し気な表情をしている。なんてこともある。

 こんな経験がないだろうか。自分が考える表情を鏡の中の自分はその通りに浮かべてくれていない。大半の場合、それは自身が表情を作れていなかったのだと『鏡の中の自分の表情』を見て認識するが、本当にそうだろうか。もしかすると満面の笑みを作れているのにも関わらず、あちらの世界の自分が何某なにがしかの意思を持ってそれを拒んでいるのかもしれない。とは考えられないだろうか。何も怖い話をしたいのではない。鏡という存在は生活の一部ではあるものの、思いの外、知られていない認識の外にある世界なのかもしれないのだということ。ただそれだけのことである。


 光がある所には影がある。陰陽という表現を私はよく使うのであるが、合わせ鏡の場合それが無いことに気がつかないだろうか。鏡と鏡は互いに光を反射し合うので互いに映るのは光であり陽だ。そこに陰はない。そんなことはありえない。陽には同等の陰が存在する。世界中の男を陽とすれば女は陰だ。厳密に言えば一対一の比率にはならないのだけれども限りなく陽と陰は近いところにある。無限ともいえる鏡に映る陽に対して陰の存在は……


 逢魔が時には魑魅魍魎が跋扈ばっこするという。それは逢魔が時は昼の陽と夜の陰との境目で曖昧な時間帯であるからこそである。東京と言う地域柄ではない。日本だからということもない。自然がもたらした偶然だといってしまえばそれまでだが、だからこそそれを小さな空間に生み出す合わせ鏡は危ないのである。


―4―

 結果として私はお嬢さんと対面した。その顔はとても意識がないとは思えないほどに恐怖に歪んでしまっており、今なお叫び声を上げ続けているような悲痛な表情であった。案内してくれた母親は涙をみせながら何かに怯え続ける娘のことを嘆いた。


「この子の魂はここには居ません。肉体と精神だけがあり、魂が遊離している状態といえばいいのでしょうか……」


 私の言葉に母親は何も返してはくれなかった。ただただ、泣いているだけであった。自身の非力を嘆いているのか、あるいは、娘の顔が恐ろしいほどの歪んでいることに不快感を抱いているのか、泣けばどうにかなると思っているのか。


 祓うものはその場には何もなく、遊離した魂を肉体へと引き戻すということが必要になる旨、説明をしたが母親の心はここには存在していなかった。イタコでもあるまいし、この世のどこかを漂う魂を見つけて肉体に戻すのではなく、どこの世界に逝ったのかもわからない魂を呼び戻すということは私にはできない。そもそも本物のイタコという者に会ったことがないので、果たしてそんなことが可能なのかどうなのかというレベルではあるのだが。


「保証はできません。私の力に負えるような案件ではないかもしれませんが、少し試してみたいことがありますので、お母さんは少し外していただけますか?」


 その言葉を聞き入れると母親はコクリと頷き、部屋から出て行った。部屋の灯りは一切付けていない。お邪魔した時には昼の陽射しであったが、丁度、陽が傾き始め西日が部屋に射しこんでいた。本棚もベッドも娘さんの顔も橙に照らされていてまるで燃えているように思える。


 私は大きく一呼吸、ふぅーっと息を洩らすと、問題の鏡、一枚は部屋の姿見。それに対面するように、もう一枚はドレッサーから取り外したのであろう化粧鏡を床に伏せて置いた。もう一度大きく息を吐く。ため息にも似た深呼吸。心臓の鼓動が聴こえる。合わせ鏡をする際には極力息をしない方がいい。吐き出す息と一緒に意識を持っていかれることがあるかもしれないから。


「……せーのっ!」


 床に伏せた化粧鏡を姿見と対面させて合わせ鏡を作る。ななめから覗くと部屋の橙をいくつもいくつも反射し、鏡は鏡を映し出した。恐る恐る合わせ鏡の中に顔を差し込む。眩しい位の陽の光が目に照り返し、思わず目を瞑ってしまったが、瞼の裏からでも合わせ鏡の中身が照らし出されているのであった。そろりと目を開き私は息を止めた状態で探す。二枚目……三枚目……四枚目……五枚目……六枚目……七枚目……八枚目……九枚目……十枚目、十枚目に映った私の顔は笑っていた。十枚目の私だけが笑ってこちらを睨みつけていた。十一枚目……十二枚目……十三枚目……十四枚目……十五枚目、私が映っていない。十六枚目……十七枚目……十八枚目……十九枚目……二十枚目……居た。そこに映っていたのは私と誰かの顔が重なっているいびつな顔。とてもとても小さく映った姿ではあったが確かに二十枚目。「六根清浄急急如律令六根清浄急急如律令……」止めた息を吐きだしながら唱え、自らの身が持っていかれそうになるすんでの所で二十枚目の鏡の私をつかみ、こちらの世界へとグイと引き戻し、合わせ鏡から顔を引き揚げ、左手で支えていた化粧鏡をパタリと前方へと閉じた。


 そのまま呪文を唱え続け、娘の横たわるベッドの元へと向かい先ほど右手で掴んだものを娘の口元へとあてがい、物ともなんともいえないモノを飲み込ませた。


 一連の行為が終わると緊張の糸が解けたのかガクリと首が倒れ、その場に崩れ落ちるようにして膝を折った。だいの大人が床に崩れ落ちるドスンという音は階下に移動していた母親の耳にも届いたようで、ドタドタと階段を駆け上がる音を耳にしたが、そのまま私は意識を失ってしまった。


 合わせ鏡を行ってはいけない。それが午前零時であろうが、丑三つ時であろうが、学校であろうが、自宅であろうが、色を塗ろうが、何人であろうが、関係ない。実験的に行うこともやめておいた方がよいと思う。目的意識をもってやることは特にやめておいた方がよい。鏡を長時間見つめることもお勧めはしない。鏡の中の自分に問いかけてはならない。鏡の中の自分から問われたことに答えてもいけない。


 それは鏡の中の自分であって、この世界の自分とは違う自分なのであるから。

読了ありがとうございました。

今後も更新をしてまいりますのでブックマークや評価、感想を聞かせていただければと思います。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ