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狐の嫁入

―1―

「黒川さん。実は結婚しようと思いまして」


「はぁ、それはおめでとうございます。……でよろしかったでしょうか?」


 馴染みのファミレス。いつもの座席でいつものように熱々の香りもコクも薄いコーヒーを片手にそんなことを言われたのでそう答えた。


 その日は朝から変な天候ではあった。晴れ間が射しているのに曇天。雨も降らずに流れの早い雲がどこまでも厚く覆いかぶさり、太陽の部分だけ意図的に避けているようなそんな感じ。そんなもんであるから明るいような暗いような。天気予報でも降水確率が傘を持っていくべきか否か判断がつかないようなモヤモヤとしたものであった。猫はいつもにまして顔を洗っているようではあったが、食欲は旺盛でいつもよりカリカリをせがむようなことも言い出す始末であった。「何故か腹が減ってしまうのだよ」とのことであったが、本人にもその理由は分かっていないようではあった。


 何か気持ちが悪い感じ。それは嫌な予感がする。といった具合のものではなく、ただただ嫌悪感を感じるような。猫の毛玉吐きの処理にすら嫌悪感を抱くような心の小さな男の感情であるから、一般の人からしてみれば大したことのないちょっとした心のモヤモヤに過ぎないのであろうとは思われる。


 その日の依頼は二回に分けて行われた。無論、依頼人からの要望である。初めに昼過ぎに一度、その後、時間を置いて夕暮れ時に一度。理由は「会えばわかる」とのことであった。あやしい相談事など日常茶飯事であるから別段不思議には思うことはないのであるが。


―2―

 一度目の面会。午後1時いつものファミレスのいつもの席で依頼人を待った。現れたのはスーツ姿の男性。見るからに一般人。自己紹介によれば不動産会社の営業らしい。土地を持っているお宅にお邪魔してその土地にマンションを建てる提案をするという飛び込み営業。どうにも噂には聞いていたが、この手の営業、かなり心身に堪えるらしい。本題に入る前に愚痴らしいことを零していたが「それはそれはお疲れ様です」としか言い返すことができなかった。私には到底無理な職種であろうことはすぐに分かった。


 彼は飛び込み営業の辛さを語りながら、女性になかなか恵まれないことを悩んでいるようであった。サービス残業とでもいうのだろうか、日に何時間も、土日も仕事なんです。といった具合で出会いがないらしい。と、ここで本題に入る訳である。

 仕事の関係上、飛び込み営業先は地主であることが多い。というよりは地主が対象となっている。以前、飛び込み営業を行ったご家庭で、そこの家の若い二十歳そこそこのお嬢さんに一目惚れをしてしまったらしい。過程は置いておくとして、彼の熱心なアプローチにより営業としての成果とそのお嬢さんとの交際が無事に始まったとのことであった。


 仕事も交際も順風満帆。彼女ができてからというもの、営業の受注もバンバンと増えていき、そろそろ結婚も視野に入れようと彼女にプロポーズを申し込んだそうだ。しかし、彼女の返事は保留。付き合い自体には何ら影響はないものの一歩を踏み出そうとすると話を逸らされるような日々が続いていたそうだ。

 彼女の家は一人っ子。無論、家庭の事情というものもあるのであろうと始めのうちは辛抱していた彼であったが、ある日、仕事の関係で既に顔見知りである彼女の両親に打ち明けたらしい「娘さんと結婚をしたいと考えています」と。彼女の両親は大賛成。外堀りを上手いこと固めることができた彼は再度、彼女にアプローチを試みるも保留との返事。痺れを切らしてしまった彼が彼女に言い寄ると思いもよらない回答が返ってきたそうだ。


「実は私達の血筋は狐が人間に化けた者なのです。ですからいくら貴方を愛していても結ばれるということはないのです」


 彼は何を言われたのか、数日理解ができなかったようで、ボケっとしていたが想いが変わることはなかったので、どうにかできないだろうか。といった具合であった。


―3―

秋の火や山は狐の嫁入雨。小林一茶の俳句であるが、狐が人を化かす、あるいは騙すという事を行う歴史は随分と古くからある。あるいは夫である男性を妻に化けて化かして契りを結んだ結果、腹を痛めて異形の子を産む。といった話まである。女心と秋の空。の拡大バージョンといったところであろうか。それ程までに狐の本心は掴みづらい。

彼女の両親が諸手もろてを挙げて賛成したという話自体、怪しいものである。そんな簡単に一人っ子の娘、行き遅れた訳でもないような娘を交流があるとはいえ、おいそれと差し出すであろうか。それもこれも狐であれば説明はついてしまう。根っからの人間不信で化かすことをさがとしているようなあやかし者であればなおのことである。


「相手の正体を狐と分かった上で婚約するというのはどうでしょう? 冷静になって考えてみませんか?」


「私は十分に考えました。それでも彼女を愛してしまったのです。例え人間ではなかったとしても彼女を思う私の想いに偽りはありません。黒川さん。わかっていただけないでしょうか」


 随分と結論ありきの状態で来られたものだと呆れてしまうのであるが、とりあえず、害があるのかどうなのか。彼女に会ってみてもらいたい。ということであったので、第一部はここでお開き。ということになった。


 相変わらず晴れ間が射しこんでいるのにとうとう雨が降り出してきてしまった。これが天気雨というやつであろう。


―4―

 私はファミレスから出ることは無かった。ここのコーヒーがあれば何時間でも居座れるというものだ。店員の視線も別に痛くはないし、彼らも私を煙たいとは思ってはいないようであった。そもそも昼時に満席にならないファミレスというものの経営が果たして回っているのか。という疑問にあたってしまうのであるが、それをドリンクバーだけで何時間も居座ってしまう私が言い出すのはなんというか、場違いというか、考えてはいけないような気がしたので気にしない素振そぶりを続けた。


 十六時頃、夕暮れ時。彼が意気揚々と戻ってきた。傍には彼の裾を掴むようにして顔を俯いたままの女の姿があった。顔をハッキリと伺うことはできなかったが、うっすらと髭と耳のようなものが視えた気がしたが、座席に着く頃にはそんなものは一切目に映らず、白々しいまでに人間の女の姿であった。


「えー。こちらが私の彼女です。そしてこちらが色々と相談に乗っていただいている黒川さん」


「……どうも」


「ええ。初めまして」


 まるで、私と彼女がお見合いをするような感じで紹介をする彼であったが、彼女は人前に出るのが照れくさいのか人見知りなのか、顔を一切あげずに彼に寄り添うようにして座っていた。そんな彼女の反応を嬉しそうにリードする彼の顔は鼻の下が伸び切ったハワイかどこかの変な置物のようなそんな顔をしていた。


「それで、貴女は化け狐であるとお聞きしましたが?」


 もう何杯目になるであろうか、いい加減胸やけしそうなものではあるが、注ぎなおした熱々のコーヒーに口を付けながら彼女に……、彼と彼女に問いを投げかけた。彼が「それは」と話し掛けたところで、彼女が彼の袖を引っ張り、首を横に振り自らの口で語り始めた。


「私の血筋は狐憑きなどではなく、狐そのものです。狐の中の一部には人間に住処を追われたことにより、人間の社会を住処とする存在が生まれました。私の一族は古くから人間に化けて暮らしていたこともあり、今では人間と何ら変わらない生活を送れるようになっているのです」


「ほぉ、それは興味深い話ですね。それで」


「いくら人間の生活を享受しようとも狐はやはり狐。我々の一族は広く日本に生息しておりますから、狐同士、次の世代へと血を残すために契りを結んできました」


 狐は狐、貉は貉、人は人。要はそういうことである。犬と犬であればあるいはミックスなんて呼ばれ方をするかもしれないけれども、それは人に置き換えると人種と人種にあたる。決して人と人ではない者との交わりを現すものではない。言い方はよくないが、ペットに持つ愛情と男女間に生まれる愛情は全く持って別物である。


 どうやら彼女は彼のことを心の底から愛してしまっているらしい。それも男として。言うまでもなく彼も彼女を一人の女として愛してしまった。二人の間の障害はとてつもなく大きいものであると言える。難しい話である。男女の仲。とりわけ異種族間のそれは答えがない。陰陽師で言えば安倍晴明あべのはるあきなんかは狐の子らしいが相手の男が人間であったかどうかはわからない。

 彼らが契りを交わすことで産まれるそれは人かはたまたあやかしか。そんなもの保証などできる訳もない。少なからず、人として生活をしてきた狐であればこれから先もそういった関係を抜きにして彼と共にありたいと思うのであればそれはそれでいいであろう。恐らく先人においてもそういった事があったはずである。


 狐は化ける。化けるからこそ美しくある。人は五感に頼る。だからこそ美しい者には弱い。彼らが出会ってしまったのは不運なのではなく運が良かったのかもしれない。彼は彼女を想い、彼女は彼を想う理想的な間柄になれたのであるから。


「ご両親は何故、彼のことを認められたのかわかりますか?」


「……私達の間に子が儲けられないことは重々承知していると思います。それでも両親は良いと言ってくれました。きっと人間の中で、人間社会の中で生きていく為にはこういった関係は必然であると思うから。彼であれば私を受け入れてくれるから、そういった想いだと私は考えています」


「貴方はどうですか? いくら彼女を愛おしいと思ってもそれは人間が人間に対するものではないといつの日か気づかされることがあるかもしれませんよ? それでも貴方は彼女で後悔はしませんか?」


 私の口調は傍からみればとても失礼な物言いであると思う。それでもそれを伝えなければならないのは私が、こういったあやふやで曖昧な世界に生きる者達の両方の視点で物事を視ることができるというある意味で特異な能力を持っているからこそであると自負している。ここで彼に罵倒されても構わない。蔑まれてもいい。それは彼が今後の人生において避けては通れない事柄と同じ事なのだから。彼は決心を改めるようにして口を開いた。


「彼女を選んだのは私です。例え、人でないのだとしても彼女は彼女です。彼女が生きてきた今までの人生とこれから歩む人生を共に生きていきたい。そう思わせてくれたのは彼女でした。もしかすると後悔することもあるかもしれません。それでも、今は私のこの想いを貫いていきたい。そう考えています」


 結局の所、私は今回の話の中では道化師ぴえろのようなものであったのかもしれない。いや、牧師か? 結論ありきで始まった話し合いの末、結論は何ら変わらず揺らぎなく出された。人間社会に馴染み過ぎた狐だからこその結果なのかもしれない。彼女が狐のままの姿であったならば、きっと彼はこうは判断しなかったであろうことは皮肉なことではあるが、それでも彼女が人間としてこの世界に在りたいと願うのであればそれはそれで想いの一つの形であるので構わないのではないだろうか。


 少なくとも昔話に出てくるような単に人を化かして喜ぶような狐ではないのであるから。

読了ありがとうございました。

今後も更新をしていきたいと思いますので是非ブックマークや評価、感想などお聞かせください。

よろしくお願いします。

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