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置いてけぼり

―1― 

 昨夜未明から翌朝にかけて馴染みのファミレスのお世話になっている。原稿の締め切りといえば何やら仕事をしているような雰囲気が出て社会の一員のような勘違いをしてしまうのであるが有体ありていで言ってしまえば寄稿のようなものであった。人づてに頼まれた内容ではあったが、なかなかどうして文章に起こすという作業は私の性に合ってはいないものだとつくづく実感した。

 ドリンクバーでもう十杯近いおかわりを頂戴しているのであるが、ここの店員は心が広いのか、それとも心をどこかに置き忘れたのであろうか全くの無関心を装ってくれるのであるからありがたい。まぁ非難されるいわれも無い訳ではあるが。お腹がお湯のようなコーヒーでタプンタプンになってしまっている我が内臓を思うと心が痛む気がしてならない。タバコは両親の影響か周りの努力によるものであるのか二十歳を迎える頃には吸わなくなっていた。それもコーヒーを嗜むに至った原因の一つではないかと最近になってようやく思うようになっていた。


 座席からは駅前のロータリーが一望できた。夜中こそ人気ひとけもなく、無人のような素振そぶりをみせていたものの、始発を迎える頃から徐々にではあるが、人の姿がチラホラと散見されるようになり、それはあっという間に人の波のように溢れかえっていった。ものの一時間程の出来事である。徒然なるままに眺め続け、もう仕上がりかけた原稿を上書き保存し、それを眺める。香りもコクも薄いコーヒーで喉を潤しながら。彼らは何が楽しくてそんな毎日を謳歌しているのであろうか。いやいや、生活をするためであろう。いやいや、夢を叶えるためか。

 黒々とした男性のスーツやコート姿とは対照的に赤や白、はたまた黄色といった服装の女性が紅一点どころか二点も三点もしており、眼に優しくはなかった。ケバケバしい化粧の匂いや香水の匂いに当てられながら揺られる満員のバスを想像すると酷く気分を害した。如何せん私は鼻が良かったりする。それは視力が若干悪いことと何らかの相関関係があるのかもしれないが、そんな検査はしたことがないのでよくわからなかった。ただ一つ確実に言えることは爽やかな朝の空気はあのバス待ちの列で俯いている人たちにとって爽やかでも何でもない『いつもの日常』のような状況なのであろうということであった。


 基本的に依頼が入っていない日の午前中はすることがない。あと僅かで完成すると思われていた原稿は思いの外、時間がかかってしまった。どうにも慣れないことはするものではない。誰も気にしないであろう原稿の最後の締めくくりの言葉を選ぶのに戸惑ってしまった。ダメならダメで校正が入るのであるから目くじらを立てて仕上げる必要は無いのであるけれど、私の中の職人魂がそれを良しとしなかった。ただそれだけのことである。


―2―

 午前十時頃の駅前バス停、ツタの茂った木の下のベンチに女性が座っていた。次々と行き交うバスに立ち上がる素振そぶりもみせずにただ座っている。通勤も通学も朝方利用する客という客は既に過ぎ去っており、徘徊するのは老人やベビーカーを押すような人ばかりの姿であった。彼女が何をしているのか私は知っている。以前、直接話を聞いたことがあった。


 四十二番のバスを待つ女性。


 このバスターミナルには四十二番という行き先は存在しない。彼女は来ないバスを待つ傍らで人を待っているとのことであった。少し踏み込んだ話まで聞かせてもらったが、その人、想い人は婚約者であるとのことであった。「必ず行くから待っていて」それが彼との約束であったという。小春日和という言葉とは裏腹に季節は冬の始まり、にも関わらずその服装は春か初夏を思わせるような水色のワンピースに白いカーディガン。「この服、彼が可愛いと言ってくれたんです」そう言っていた。


 七十番のバスは彼女が乗車する気がないことを察して乗降口を閉めて出発する。それも何度も繰り返されてきた光景であった。「私も彼も少し抜けているところがあるから。お互いに時間を間違えたりすることもあったんですよ」彼女は楽しそうにそんな話をしていた。


 ファミレスを出て空を眺めると爽やかな朝どころではなく曇天。雨こそ降ってはいなかったが代わりに雪でも降り出しそうな厚い雲はそよそよと吹く風すらも凍てつかせるように感じられた。私は駅に設置されてある自動販売機から甘い缶コーヒーを二本程仕入れ、そのうち一本を震える彼女にそっと渡した。


「あっ、黒川さん。おはようございます」


「おはようございます。今日も彼を?」


「ええ、流石にこの時期になるとこの格好では少し寒いですけれどね」


 彼女は笑みを零しながらそう答えた。横顔だけしかみてはいないのだけれども、白く透き通るようなその表情は時折、引きつったような笑顔でそう答えた。彼を待つ一人の時の彼女の顔はまるで『のっぺらぼう』のようだった。白く無表情で無機質な、それでいて彼を待つ彼女の姿は、いつ彼が現れてもいいように待ち構えているような緊張の糸を張りつめたような美しさを兼ね備えていた。


「四十二番のバスはまだ来ませんか?」


「そうですね。まぁバスの時刻表にも四十二番はそもそもないんですけれどね」


「ハハハッ」


 彼女も四十二番のバスが来ないことは知っている。それでも待ち続けている。四十二番のバスというもの自体はこのロータリーに寄らないだけで、実のところ存在はする。その行き先がどこなのか私は知らないが、彼女もそのことは承知の上で、それでもなお、バスと彼を待ち続けている。


「おっちょこちょいですから。きっと駅に向かっていると思うんです。それで、二人で「来ないね」なんてやりとりをしてからバスを探すんです。きっと」


 缶コーヒーの熱を自身の冷え切った手に受け入れるように両手で握り、曇天の空を仰ぎ見ながらそんなことを呟く。それは思いなのか願いなのか、祈りなのか、彼女にとってどんな思いでそれを言っているのかは彼女にしかわからない。彼女はそれでも待ち続けるのだという。


―3―

 置いてけぼり。

 

 東京の怪異話の一つであるが、ある堀では魚がよく釣れたそうだ。しかしそれを持ち帰ろうとするとどこからともなく「置いてけ~」「置いてけ~」という唸り声のようなものが聴こえたそうだ。びっくりした釣り人は言われるがままに魚を掘りに返して逃げるようにして帰った。その話を町人に聞かせるとある一人の男が「そんなもの怖くはない」と次の夜に堀へ向かう。同じように魚を釣って帰ろうとすると例の声が聴こえてくる。それでも男は何食わぬ顔でその場を後にする。堀から少し行ったところで顔を隠した美人そうな女に声を掛けられる「その魚を譲ってはくれないか」男は答える「これは売れぬ。持って帰らねばならぬのだ」願いを聞き入れなかった男に対して女は「そうかい、これでもかい」顔を隠した手拭いをひょいと持ち上げるとそこには目も鼻も口も無いのっぺりとした顔があった。男は腰を抜かして魚の入った籠を置いてそのまま逃げ帰ってしまう。そんな話だ。


 彼女はきっと彼に置いてけぼりにされてしまったのであろうという事実を受け止められずにいた。待ち合わせの当日、彼女は誤ってこのバス停に来てしまったらしい。四十二番のバスなど寄りもしないこの駅前のロータリーに。彼女は想う。彼の事を。もしかすると嫌われてしまったのではないかといったマイナスの思いは微塵たりとも感じない。それは、それを考えてしまうと彼への想いも全て彼女の中の勘違いであったのかもしれないと考えてしまいそうだから。


 だから彼女は待った。次の日も、その次の日も。彼が可愛いと言ってくれた服を身に着けて約束の時間を過ぎてもなお待っていた。

 その話が一体いつの話なのか彼女は教えてくれなかった。先日の話かもしれないし、先週の話かもしれない。あるいは一年以上も前の話なのかもしれない。駅前のイルミネーションが点灯していることを彼女は思い出を振り返るようにして語った。


「この駅に初めてイルミネーションが点灯した時のことを覚えています。彼と二人で見に来たんですよ。今年ももうそんな時期なんですね。楽しみだなぁ」


「そうですね。私はこちらに引っ越してきて初めてですから、それは楽しみですね」


 そんなことを話しながら、ふと、彼女から目を離すと彼女の姿は煙のように消えてしまっていた。その場に確かに居たであろう飲みかけの缶コーヒーと払われた椅子の上の落ち葉だけが痕跡として残されていた。


―4―

「貴方の彼女は今でもまだ貴方を待ち続けているようですよ」


 私は、彼女のように両手で缶コーヒーを握りしめながらそんなことを一言ポツリと呟いた。その言葉に呼応するように彼女が座っていた場所に一人の男性が座っている。それも今までずっとそこにいたかのように。もっとも彼女とは対照的にダウンを着込んだような冬支度姿ではあったが。


「そう……ですね……」


「彼女が貴方の想いに縛られているのか、あるいは貴方が彼女の想いに縛られているのか。少なくとも貴方は彼女を縛ることを望んではいないのでは?」


 男に私の声は届いていたのかどうなのかわからないが男は小さくうなづいているように思えた。男はいう「彼女も私もおっちょこちょいだから。待ち合わせの場所も時間もあべこべですれ違うことがよくあったんですよ」椅子の上に置かれた冷たくなった缶コーヒーで手遊びをするような仕草をする男は昔を思い返すようにうつむいてそう語った。


「四十二番のバスなんてここには来るはずもないのに、それでもイルミネーションが綺麗だからって勝手な理由なんかでここに待っているなんて」


「貴方も彼女も置いてけぼりになんかするはずがなかった。ほんの少しのすれ違い。ほんの少しの不運が重なってしまっただけなんですよ。貴方にも彼女にも罪はない」


 今、私の横に座っている男性は待ち合わせの場所に向かう途中で交通事故に遭って亡くなってしまったとのことであった。四十二番のバスは彼と彼女が住む筈であった新居に向かうバス。新居に向かうその日に不運にも事故に巻き込まれた。それでも彼女に会いたい一心で浮遊霊となってからも彼女を探し続けた。彼女は四十二番のバスが停まることのないこの駅のロータリーで日長ひなが彼を待ち続けていることに気づいたのはそれから随分後になってからのこと。

 

 彼女は彼の事故を認めることができなくて、毎日毎日、雨の日も雪の日も彼が好きだといってくれた服を着て駅のロータリーへと彼の姿を探して待ち続けた。おっちょこちょいな彼女は四十二番のバスがそのロータリーに停まらないことに気づくのに時間がかかったようではあったが「彼もおっちょこちょいだから。たぶん、このロータリーに来てるんじゃないかなって思うんです」そういって足を運んだ。

 

 それも数年前までの話。元々体の弱かった彼女は無理を押してでも毎日毎日繰り返し彼を待ち続けることで、ある日、肺炎を患い、そのまま亡くなったのだという。

 それでも彼への想いを募らせ、会いたい一心で今でもこのロータリーで四十二番のバスと彼を待ち続けているのだという。


 人はあやかし者を見ることができない。それはあの世とこの世の存在が相まみえないからだ。という話である。では、あやかし者とあやかし者は互いを見ることができるのだろうか。残念ながらそんなに簡単な話ではない。物理的な目も耳も口も持っていないあやかし者同士がまみえるということはない。


 それでも私が彼女達に話掛けるのは、互いの楔を解き放ってあげることで、この世であれあの世であれ、きっともう一度会うことができるのではないかと思って仕方がないからである。


 イルミネーションがライトを灯す時間帯、この駅前のロータリーには大勢の通勤、通学客に紛れるように、それでも互いを求め探し合う男女の姿があるのであった。


読了ありがとうございました。

引き続き更新をしたいと思いますので、ブックマークや評価、感想などいただけると嬉しい限りです。

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