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―1―

 雨が降った。過去形であるのはそれが寝静まった未明に起こった出来事であったからである。陽が昇る頃にはもう雨雲は流れ去っていたが、アパートの軒からポタポタと垂れる水滴とアスファルトの濡れ具合からそれがさっきまでの雨の強さを教えてくれた。乾いた冷たい風が多少なりとも水分を含んでおり清々しさすら感じさせるものの雨後の深呼吸は体の芯まで冷え切った風が行きわたらせ、思わず身震いをしてしまうのであった。ちょっとだけ恥ずかしい。


 シェイクスピアのマクベスであったかなんであったか『やまない雨は無い。降らない雨もない』といった類いの台詞があったと記憶している。シンプルでいてなんとも明るい言葉である。人の気持ちもそうでありたいものだ。……はて、『明けない夜はない』であったような。……人の記憶とはこんなものである。周囲の人間を私の定規で計ってしまうなど身分不相応で甚だしくも偉そうな言葉を吐くつもりはさらさらにないのだけれども。


「黒川さんにちょっと見ていただきたい『モノ』があるのですが」


 男からの第一声がこれであった。声の感じからすると私と同じくらいか少し下くらいであろうか。社会生活に疲弊していないハキハキとした声の主はそういう印象を私にいだかせた。余談ではあるが、私から広告をうつということは無い。相談ないし依頼を請けた後、SNSなり、ブログなり口コミなりなんなりといった具合で私へのアクセス方法は拡散されている。であるから携帯電話の着信履歴は登録されていない番号に埋め尽くされることが間々ある。決して連絡をくれる友人が少ないことを暗に嘆いている訳ではない。


「実は、祖父の遺品の中に御札のようなものが添えられた桐箱がありまして、一体それがなんなのか調べていただきたいのです」


 正直にいってしまえば知ったことか。というものだ。正体不明の気味が悪いものであるなら氏神にでも持っていけばいい。開けもしていないビックリ箱を赤の他人のそれも伝聞で聞いただけの何も知らない男に託す。意味がわからない。意図はわかるけれども。そんなことは電話口の男には決して言わないのではあるが。

 待ち合わせは駅前のファミレス。窓側の一番奥の禁煙席。座った状態であれば外から見た時に丁度、店名のロゴで顔が隠れるような、聞かれたくない話をするのにもってこいの場所である。そして、そのファミレスの薄く、香りもコクも無いが苦い熱々のコーヒーのことが何故か好きなので打ち合わせはそこのファミレスをよく利用している。場所と時間を伝え、「気持ち悪いかもしれないですが」と気遣きづかいの言葉を添えた上で桐箱を持参していただくように伝えて電話を置いた。


―2―

 夕暮れ時、逢魔が時、とはいったものの冬が近づくにつれ、その時間はとても短いものとなってしまう。特段、逢魔が時に限ってあやかし者が闊歩する訳ではなく、日中と夜の曖昧でいてあやふやである環境下において一見、見間違えのような形で視界に捉えることができるというだけである。日中であれば目にも止まらないその異常で異様なものが、ただ視える、視えてしまうから接触してしまう。それだけのことであり、あやかし者は日中であれ夜であれ、その場に居るし、その場には居ない。居ると認識することができるのであれば居るという事実が浮き彫りになるだけであって、単に認識できないから存在が希薄でいて、いないように扱われているだけである。

 日中であれ、夜であれ彼らはそこに居る。それは神様という存在も同じである。居ると思えばそこに居るし、いないと思えばやはり居ない。見える、見えない。という問題ではなく、想いがそこに在るかどうか、想いは願いであったり怨みであったり色々あるであろうが、想いは思いだ。願いも怨みも辛みも僻みも妬みも祈りもなにもかも想いであり思いである。御札や儀礼といった仰々しくも畏まった行為あるいは物が存在し、利用されているということはつまりそういうことだ。諸々の想いを御札や儀礼に任せている。体系的に捉えたものを儀式とでも表せばいいのだかろうか。結婚式なんかはわかりやすいのかもしれない。婚礼の儀式。結婚をするという実感が沸かない人であってもこの儀式を行うことにより家庭を持つという実感を持つことができる。あるいは、覚悟を決めることができるというべきであろうか。お祝いの儀式であって覚悟の儀式、確認の儀礼、定型の所作を納めることによって事実を事実として認識する。御札も神事も似たようなものだ。


 依頼人との待ち合わせにあたっては依頼人よりも先に場に訪れるように心掛けていた。それは金銭を授受する行為が伴うための最低限の礼儀。ということも無くはないが、単に時間を厳守しないと気持ちが悪いという至極、私事である。相手が遅れようがどうしようが特段気にしない。こういうセンシティブな相談事だ。本人の覚悟もやはり必要であろう。あるいは単に顔も知らない男と会うというイレギュラーに拒否感を覚えてしまうということもあると思われる。今回の場合はどうやらそういった懸念はないようであるが。


 現れた依頼人は大事そうに鞄を抱えて店内に入ってきた。それもキョロキョロと挙動不審にも思えるように周囲を気にしながら。傍からみれば高額な品物を初めて託された新人営業マンのような、そんな感じだった。


「黒川さんですか?」


 店内のそれも座席まで指定しているのであるから確認する必要があるのかよくわからないが、爆弾でも抱えていそうな青い顔をしたその青年をとりあえず席に座らせた。

いつものようにドリンクバーから不味い薄い熱々のコーヒーをカップに注いだものを口に運びながらゆったりとした言葉で質問を投げかける。


「それで、お電話で話されていた件についてですが、早速ですが拝見させていただけますでしょうか?」


「は、はい。わ、わかりました。少しお待ちください」


 青年は仕事中なのか、あるいは仕事帰りなのか、はたまた就職活動中なのかよくわからなかったが、パンパンに膨れ上がったビジネスバックの中から一つの桐箱を差し出してきた。それは上箱と内箱を紫色の麻の紐でしっかりと結ばれたうえで、上下の箱同士の繋ぎ目に縦横に計四ヶ所を何かしらの御札のようなもので封がされている見るも重々しい桐箱であった。


「これはこれは、また大層な封がされていますね。それで、これはどうされたのですか?」


 思わず笑いを含んだような声を発してしまったが、残念なことに青年の緊張をほぐすには至らないようであった。青年は桐箱について、先日亡くなった祖父から引き継いだもので、何か大きな失敗をしてしまったときに使うように、との話を聞かされていたと語った。


「ほう、使う。ですか。ちなみに中身はなんですか?」


「それが、いざという時に開けとは聞かされていたのですが、中身までは」


「なるほど、しかしそれではこの場で開けてしまうのはいささかよろしくはないのでは? 開けてもよろしいのですか?」


「……実はどうしたものかと悩んではいるのです。祖父の遺言の通りにすべきかどうか。それでも気になって気になって、それで何が起きても大丈夫なように専門の方にご相談をしようと思った次第です」


 どうしたものか。桐箱を手に取り軽く振ってはみたものの中からは音はせず、じっくり観察しても何も見ることはできない。あやかし者であったり、あるいは付喪神的に何か憑りついた物であったと仮定して、果たして、それが『いざという時に役に立つ』アイテムであるということも考えにくい。付喪神は九十九髪、要は古くから使われた道具が霊的な力を持つものと言われているだけに、それが善なのか悪なのかという判断基準すら持ち合わせない。


 物は物だ。


「お電話でも少し触れましたが、やはり一度開封してみないことにはなんともいえませんね。どうやら御札もしっかりしたもののように見受けられますし、それなりに意味のある物が納められているとは思うのですが」


「そうですか……まぁそうですよね。黒川さんの仰ること、ごもっともだと思います。せっかくですので、黒川さんの手で開封をしていただいてもよろしいですか? どうにもおっかなくて私自身、触る事もできれば遠慮したい位ですので」


 恐らく、青年は始めからこういった方向に話を持っていきたかったのであろう。中身を見てみたいけれども怖い。一度考えだすとそれは昼夜関係なくやってくる。見てみたいという欲求にも似た願望。自身の努力に影響しない所から生まれた利。遺産。仮にここで「箱ごと持って帰って調べてみたい」と提案したところで「それは遠慮したい」と返ってきたことであろう。人の欲とはそんなものだ。


「それでは、ご了解を得たということで、早速」


 年月を経て枯れ果ててしまっている紫色の麻の紐をシュルリと解き、四方に貼られた御札を遠慮なくペリペリと剥がす。通販で買った商品のような具合に淡々とそれらの行為を行う私を俯瞰してみる青年。箱から鬼が出ようが蛇が出ようが自分には危害は加わらないであろうというある意味で第三者的な視線を感じた。中から金銀財宝など出てこようものなら彼はすぐにでも桐箱を取り上げて「ありがとうございました」と上辺だけの挨拶をくれることであろう。


「……中身はなんでしたか?」


 なんと答えればいいのやら。桐箱の蓋を半分だけ、私にだけ見えるようにそっと開けると彼は私からの答えを待つことができずに思わず聞いてくるのであった。


「……蚕ですね」


 半開きになった桐箱を反転させ、青年に見えるように差し出したそれは白い白い、綺麗な蚕の繭であった。


―3―

 その日を境に青年からの似たような相談事、というよりは蚕の繭に関する依頼が立て続けに寄せられた。「先日申し上げました通りですが」といった発言はこの場合、控えた方がいいと思われた。何せ、毎度毎度、持ってこられる桐箱は封が破られておらず、朽ちた麻の紐で厳重に結ばれていたのであったから。


 この話を猫にすると、話が見えぬとばかりにしきりに「またアイツか」「いい加減に解決すればよかろうに」という具合であった。挙句、興味の無い素振そぶりを魅せつけてくるのであるが、白と灰の尻尾は態度とは裏腹に興味ありげにフリフリと振られているのであるから思わず笑ってしまった。


「蚕。蚕子かいこ、つまりは回顧につながるという訳だ。よくもまぁ今まで誰も封を破らなかったと感心してしまった程だよ。猫、意味がわかるかい?」


「……」


「回顧つまりは廻子。要は過去を振り返っているのさ。その青年は」


「……時間を遡っているであるとかそういったSFチックな話という訳か?」


「そうではない。それがそうであるとするならば、こちらもそうならないとオカシイだろう? でも事実として現実は遡っていない。遡っているのは彼の記憶さ」


「なんだその言葉遊びは。全くもって意味がわからんぞ。そんな意味の無いアイテムを後生大事に抱えておったその者の先祖もそうであるが、お主の言いたいこともさっぱりわからん」


「言葉遊び。言葉は言葉だ。遊ぼうが務めようが担う意味は問われないさ。それにこのアイテムはそうだな、遺言に在る通りであって、それ以上でもそれ以下でもない。というところかな。「大きな失敗をした時にこそ開け」うむ、よく考えられている」


「……」


 猫にとっては、もったいぶっている言い回しに聞こえているのかもしれない。猫という生物はなかなかどうして個体差はあれどもが強い生き物である。己を通そうとする意志こそ尊敬にもあたいするが我慢が足りない。押し問答のようなやりとりに飽きたとばかりに背を向けて丸くなってしまった。この後に続く私の語り口調がなんとなく読めてしまったが為の行為なのかもしれないが。ひとまず猫は黙った。


 人という生き物は、もうそれはどうしようもない程に弱い。強いときはこれでもかと言わんばかりに強い癖に根は弱い。人は一人では生きていけないなどと揶揄されることもあるが、あるいはそれに近いかもしれない。


 遺言にあったという言葉。この蚕のアイテムはそれ自体で何かを解決する力は持ってはいなかった。それでも負の感情を生み出す結果を無いものにしてしまうというある意味で反則的な力を持っていた。人は失敗を糧に成長するものではあるが、それは極々少数の成功者の話であろう。一度失敗をしてしまった者はすべからく次も失敗してしまう。マイナスの感情はマイナスを引き連れてくる。表面上、失敗の影響を考えないようにあるいは同じ過ちを犯さないようにしようと心掛けても芯はそうはいかない。ギリギリのところで踏ん張りがきかなくなる。得てしてそういうものだ。


 ただ、犯した過ちは現実に事実であり、それは間違いなく失敗だ。時を戻すというありもしない荒唐無稽な荒業をもってすればそれすらも無かったことにできることがあるかもしれないが、それは過ちという事実の前に戻るだけで過ちを無かったものにすることはできない。それでも何かにすがる思いで過ちを忘れたかった者がその蚕の繭を桐箱に封じた者であろう。どこの誰かは知らないけれども。

 

―4―

 聞き慣れた携帯電話の着信音が室内に鳴り響く。それは、その電話の主はあの青年であるに他ならないことは登録さえしていない電話番号であるにも関わらず、ここ数日間、最も多い着信回数を記録していることからも明らかであった。


「猫、これで何回目だと思う?」


「……七回目」


 そう。青年からの七回目の蚕の繭に関する相談。


 昨日と、一昨日と同じようにファミレスを待ち合わせ場所へと指定し、同じ座席の同じ時間に同じように待つ。同じようにパンパンになったビジネスバックから同じように桐の箱を取り出して相談を始める。「……実はどうしたものかと迷っているのです」と。


 回数を重ねる都度、蚕の繭は、丸々とした姿から小さくなっていくようであった。毎日同じものを見せつけられているので始めは気づかなかったけれども、最初と六回目を比べてみればそれはもう存在すら疑わしい位に白は透明に近づき、丸は小さなものになっていた。六道輪廻なんて言葉がある位であるから七回目というものには何かしらの因縁があるのであろう。私は残念ながら仏教には縁がない。

 

七回目の今日、桐箱を開けるとそこには何も納められてはいなかった。


「あれ、何も入ってないですか? 祖父からは、いざという時の為に、と言われていたんですけれどね。参りましたね。いやはやお恥ずかしい」


 私にとっては七回目の経験であったが、彼の記憶の中では一回目の出来事であった。だがわざわざそれを伝えることもないだろう。彼の祖父、もしかすると、もっと遡るのかもしれないが、子孫の為に残した蚕の繭は力を使い果たして消えてしまった。その事実を彼に伝えた所で何が変わるという訳でもない。何か悪いことが起こる訳でもない。そこには『無い』という事実がただただ在るだけなのであるから。


「私は構いませんよ。貴方がご不安に思われていることが杞憂に終わったのであれば、それはそれでよかった。また、何かございましたら気軽にご連絡ください」


 深々と頭を下げてくれた青年がファミレスの外に向かうのを目で追いながら、薄く香りの少ないコーヒーを一口だけコクリと飲みこんだ。

読了ありがとうございました。

今後も更新を続けて参りますのでブクマをお願いします。

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