鈴蘭
―1―
「鳴るんです。夜になるとリーンリーンと、なにがなんだか我々夫婦にはそれが何を意味しているのかわからず、ただただ気味が悪くて……」
11月も下旬に差し掛かると思いのほか陽が短く感じられる。早朝、午前7時の手前位の時間帯から自宅にほど近い都営の公園を散策するのが日課となっている。その習慣は8月にこの辺りに引っ越してくる前からではあるものの、以前住んでいた地域はそれ程に季節を感じさせるようなものは存在せず、季節の変わり目を感じることのできるものといえば日の出の時間帯か同じように散歩する人達の服装くらいのものであった。勿論、暑さ寒さもさることながら、都内というものは如何せん騒がしい。一歩でも街に繰り出せば季節を示す言葉で、もしくは格好で溢れかえっているのでそういう意味合いでは山のような季節感を醸し出していたのではあるが。
8月に初めて足を運んだ青々とした紅葉の街道も今ではすっかりと禿げ上がってしまっていて、ほんの数枚の色づいた葉が風にフラフラと揺らされている光景などを観ると、途端に冬が近づいていることを知らせてくれるのであった。足音も然り。積もり積もった落ち葉を踏みしめるシャリシャリとした音の小気味の良い掠れたリズムは水分を含まない空気の冷たさにも似て私の心をシンと鎮めてくれた。
何を想う訳でもなく。ただただ心の中に静寂をかき鳴らしてくれる。この秋の終わりから冬の始まりに掛けての一瞬の季節のことが私は好きだ。
この世とあの世のあやふやな世界を覗き見るような事を、あやかし者と対峙するという事を生業としている私にとっては極々普通ではあるが、普通とは形容し難い日常。そんな一切合切を含めて落ち葉を踏みしめる音のようにシャクリシャクリと一人の世界に浸らせてくれるこの季節のことを私は好んでいる。
―2―
「花が、鳴るんですか?」
こ綺麗な恰好をした初老の夫婦から差し出された一鉢のスズラン。イメージとしては春先に鈴のような可愛らしい花を咲かせるものである思っていたが、このスズランは11月も終わりに差し掛かろうかというこの寒空の中でもその花をしっかりと咲かせているのであった。
いつものファミレスでいつものようにドリンクバーの薄い味気ない香りも少ない熱々のコーヒーをなみなみに注いだカップを片手に私は素っ頓狂な声を出して質問した。
「私一人であれば単なる聞き間違い。とも思いましたが、どうやら妻にも聞こえているようでして……」
「そうなんです。私も夫に聞かされるまでは単なる空耳だとばかり思っていたのですが、どうやら同じ音が夫にも聞こえているようでして……」
夫婦は俯きながらもお互いの言葉を聞き取るよう目線を合わせて呟くように続ける。
「他の花も同じように鉢に植えているのですが、どういう訳かこの子だけが春先に咲いた花を枯らすことがなかったので何やらおかしいな、とは思っていたのですが」
奥さんは何かの花で縁取られた白地のハンカチを鞄から取り出し、口にあてがいながらそう言うのであった。恐怖のあまり涙が……という訳ではなさそうであるが、悲壮感を漂わせるのにこれ程のアイテムは無いのではないかと思える程にハンカチは場を演出するのであった。
「そして、夜になると鳴ると。それで、それがきっかけで何かご不幸でも起こったのですか? 例えば事故にあっただとか、身内に不幸があっただとか」
私が人並み外れて鈍感でいて、聞き辛いことでも何でもストレートに聞いてしまう性格な人間という訳ではない(と思う)。ただただ、初老の夫婦はそれこそ初めからテーブルに飾られていたかのように鎮座する一鉢のスズランの事を話すだけで一向にその辺りの話を教えてくれなかっただけであった。普通は身の上話から始めるものだ。記憶をたどり、近い事柄から順に自身に降りかかった不幸という名の事象を少しばかし盛って話してくれる。だからこそ異様さが際立つ。原因を突き止めることができれば私の専門の範疇かどうかの判断をすることができる。そこに来てこの初老の夫婦。花の話はすれども肝心のスズランに絡む話はあまり進んで話してくれない。私に何を望んでいるのかが中々に掴めず骨が折れる気分だ。
「……不幸。不幸というよりも事故。という方が近いのかしら。ねぇ」
奥さんは相変わらずハンカチを口にあてたままであったが、視線を夫へ預けて以降、口を噤んだ。ちなみにこのハンカチを口にあてがうという行為。私との間に少しでも距離を置きたいという深層心理が働いていることがある。こういうのを行動心理学とでもいうのであろうか。人と接する機会が多いが為に古本屋でその手の実用書のようなものを読み漁った期間があったので、なんとなく覚えている。
それにしてもこの奥さん。何かを隠しているような気がしてならない。言いたくないのであれば別に無理に聞き出そうとも思いはしないが。
「……あぁ、あれは事故だろう。私達夫婦にとってみれば言ってしまえば不幸な事故であった。ただ、それとこれとは繋がらないとは思うのだけれども、黒川さん。実はですね」
それまでの探り探りであった口振りとは一体何だったのかと思ってしまう程の饒舌振りであった。まるで芝居か演劇か、事前に話すことを決めていたかのような台詞のような口の動きはそれまでにあった私との距離感を一層遠いものとしてしまった。一枚の重厚な見えない壁のようなそんなものが私とその初老の夫婦との間に置かれたような……そんな違和感。
夫婦には娘が居たらしい。『らしい』というのは旦那さんの口振りが他所の家の子供を指すような口調で話してくれたからそう思えた。とはいったものの、夫婦の間には子は授かられることはなかったとのことだ。その娘は所謂、養女ということになる。夫婦は子を天に与えられることが無かった分だけその娘を可愛がったそうだ。それこそ、花を愛でるように。そして、その娘は死んだ。呆気なく死んだ。抑揚の無い棒読み役者のような口調で語られたその少女は花が枯れ落ちるが如く、全くの無感情で、ただ事実として死んだことだけが語られた。
「それはそれは、ご愁傷様でした。ちなみにどういった理由で亡くなられたのですか?」
それからも旦那さんは、例えるなら初めて就職活動を行った学生の面接の想定問答集のような受け答えで話す。表情は悲しみを浮かべながらもしっかりと次に話す言葉を選んでいるような素振りをみせながらも、実はそれも台本上の言葉であるように、あるいは演技派とも呼ばれる役者が演じる大根役者のような、底のないコップを底があるように魅せるような具合に淡々と「自殺」であったことを教えてくれた。
―3―
「それで預かってきたのか、この植木鉢」
猫に尋ねられたので「そうだ」とだけ答える。男一人暮らしに似つかわしくないスズランの花の鉢植え。置き場所を選ぶのに四苦八苦しながら何となく窓辺に近い陽の当たる場所を選んで置いた。
「お前さんも人が良いというかなんというか。まぁ俺には知ったことではないがな」
猫はそう言い残すとこの間買ってやったキャットタワーの頂点に飛び乗り、丸くなるのであった。いつまでもエアコンの上に居座られるとエアコンの風に猫の毛が舞ってしまい掃除が大変だったのでこれはいい買い物をした。その日暮らしの身の上ではなかなかに高額な商品であったので財布には決して優しくはなかったが、代わりに猫の態度が若干優しくなった気がしている。
スズランを預かったのは何か理由があってのことかと言われれば回答が難しい。初老の夫婦の話だけではこれが不味いものなのか放っておいて構わない類いのものなのかは判断できなかった。押し問答というよりは何かを隠されている以上、場を治めるにはこの方法をとるほかなかった。私自身、スズランが鳴るという現象自体を見てみたいという好奇心があった。というのも一因と言ってもいいのではあるが。
人の想いが何かを介してこの世に現れる。という事自体は特段珍しいものではない。それは付喪神であったり、ある種の形見のようなものであったり、言い換えれば念のようなものがそれである。怨念であろうが思念であろうがなんでも構わない。その想いが形となって出現してしまったものが今回のスズランだと思われる。何故、季節を外れてもなおスズランが咲き誇っているのか、その異常な生命力も何となく想像はつく。そしてそれは夫婦が語らなかった真実なのであろうと容易に思える。子に恵まれなかった夫婦が我が子のように接した花々と花のように愛でたという少女。家という名の巨大な鉢植えの中で芽を出そうと必死に身体を捩る少女の姿、それを愛でるという悪魔じみた光景を考えながら寝に入るのであった。
―4―
草木も眠る午前二時。
室内の乾いた空気の中、月夜に照らされたスズランがリーンリーンと音を奏で始めた。
その甲高い音に揺さぶられるようにして目を開くとスズランはその花に月の光を受け煌々と煌いて見えた。花としてのスズランが音を掻き鳴らすということはありえない。しげしげと見つめるスズランの花が花弁を揺らしているというようなことも見て取れなかった。それでもその綺麗な澄んだ音は確かに花から放たれていた。
リーン……リーン……
このスズランが何の意思を持っているのかは私にはわからない。ただ、この音色を聞いた初老の夫婦は心の内から気味の悪い音だと思ったのだというのであるから不思議なものであった。何故なら私にとってはとても心地の良い音色であったのだから。
自殺をしてしまったという少女。果たしてその少女の怨念のようなものをこのスズランが受け入れてしまったのかもしれない。この音色は実は少女の泣き声なのかもしれない。あるいはそうではないのかもしれない。もしかすると、少女の念などというものではなく、花を愛した夫婦に対して花からのほんのお礼のつもりなのかもしれない。
それでも、どういった事実であったとしても、夫婦にとってこのスズランは都合の悪いものであったのだろう。だからこそ私に託した。厄祓いであるとか、悪魔祓いであるとか、あるいはもっと悪意に満ち満ちたものであると夫婦は感じたのであろう。そうであるからこそ私を求めた。真実を、多くを語る必要がない私を探し当てた。押し付けた。
事実として起こった出来事はここまでである。だからこの話には続きがない。救いも無ければ落ちることもない。
あれだけ立派な花を付けていたスズランは目を覚ますと見るも無残に枯れ落ちていた。それは春先から放置されていた花のように、雄弁であった鈴の花も赤黒く鉢の中に落ち、朽ち果ててしまっていた。
もう鳴ることはない。泣くことも喚くこともない。スズランに託された誰かの想いが成就したのかどうかは私の知る所ではない。それでも何か物悲しい思いを私に残してしまった。
その鉢の中身を早朝の散歩の際に公園の端っこに埋めてあげたことなど、他人からすれば至極どうでもよい行動なのだと思う。
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