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16人目 谷干城(近代)

 谷干城


 初代農商務大臣(第1次伊藤内閣)

 陸軍中将

 正二位

 勲一等旭日桐花大綬章

 子爵


 生誕 天保8年2月12日(1837年3月18日)


 死去 明治44年(1911年5月13日) 


 父 谷景井


 母 ?


 妻 谷玖満子


 子 谷乙猪(養子)

   谷猛熊

   浅野芳子



 ◇概要

 土佐国の儒学者である父谷景井の四男として生まれる。

 そして、倒幕に参加します。このあたりは結構はしょります。で、戊辰戦争で活躍をし、さらに西南戦争で活躍するなど完全に陸軍の主力的な人物でありました。ただ、1880年代ごろから政治に参加をしはじめ、第1次伊藤内閣で初代農商務大臣になります。ただ、鹿鳴館などの欧化政策に反発し辞任。その後は、保守的な活動をして一生を終えます。


 今回は、一生について雑にしています。あくまでも考察をメインにしようと考えているためです。


 ◇考察

 今回は、なんとなくの気分で幕末から明治にかけて活躍した? 人ということで初代農商務大臣谷干城(たにたてき/たにかんじょう)について見ていきます。

 その前に完全にコピペになりますが、以下の文章に見覚え有りませんか?


  まず、谷干城から。谷は陸軍出身であり出身藩は土佐藩です。土佐藩は幕末に坂本竜馬がいたことで討幕派の一派として名高いのですが実は明治維新の際において薩長と主導権争いをしているのです。それは徳川慶喜を完全追放するかしないかという問題です。この問題で、土佐藩は徳川慶喜を中心とした列候会議を開こうと主張しました。しかし、岩倉具視らと結んだ薩長はあくまでも天皇中心を主張し王政復古の大号令という形でこの問題に決着をつけ土佐藩は実質敗北して勢力を弱めてしまいます。その後、明治新政府は薩長政権となります。


 さて、ここで話を谷に戻したいと思います。谷は明治維新後には陸軍に所属しており内閣制度ができるまでの太政官制の下では○○卿とかの重要役職には就いておりません。ただ、軍人としては西南戦争などで活躍をしているようです。また、谷自身はこの内閣で農商務大臣を務めた後は二度と閣僚をやることなく表舞台に出てくることはありません。では、谷が入閣したのはどうしてなのでしょうか?


 ここからは、私の考えを述べていきたいと思います。


 前順の通りに土佐藩出身の人というのは勢力を弱めていました。この時期に私が思い浮かべる土佐藩出身の人というと板垣退助や後藤象二郎などです。そして、これらの人は自由民権運動で活躍しており政府と敵対関係にあります。と、いうことは谷というのは土佐藩の人材不足から大臣になったのではないのでしょうか? ただ、これだけではまだ確証が得られないのでいろいろと参考にしながらもう少し考えてみることにしました。


 谷は個人的信条で言うと明治時代に鹿鳴館外交を推進した井上馨外相に反対する国権派と言われるグル―プになります。国権派といえば日露戦争時には当時の思想界の主流であり戦争賛成派として日本史でも名高いところです。谷もその国権派に属しております。しかし、谷は日露戦争については日本の国益を守るという立場から反対派としての立ち位置を表しています。保守的な思想に立ち戦争賛成派である国権派の中でもかなり動きが違っていると思えます。


 私は谷についてネット上をいろいろと探してみましたが谷の活躍は台湾出兵や西南戦争と農商務大臣に就任するまでのことしか見つかりませんでした。農商務大臣辞任後の話というのがほとんど見つからなかったのです。このことからいかに彼の存在がこの内閣において謎であるのか表しているものと思います。ただし、私の考えですが。


 のちのち、谷についてはもっと深く調べてみたいと思います。もしかしたら、谷についてはいつか別の小説エッセイを書いてまとめるかもしれません。(引用ここまで)


 これは私の別作品『歴代内閣考察』の初代第一次伊藤博文内閣のものです。というわけでそのいつかとは今回のこととさせていただきます。

 さて、谷干城の人生は基本的に陸軍という軍人が中心です。戊辰戦争、佐賀の乱、西南戦争などで活躍をしています。そんな人物が陸軍大臣でもしていればいいのに政治の世界に入ってしまいます。で、案の定辞任しています。まあ、この辞任自体は政策の違いですが……

 軍人は軍人らしく政治の世界に入ってはいけないということでしょうか? 欧化政策に反対って思いっきり保守的な人ですよね。明治の後半に多くいるタイプです。

 というわけで、何だ今回の近代編第1回でした。次回はまた鎌倉かも?


 ◇参考


・Wikipedia『谷干城』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B9%B2%E5%9F%8E

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