10人目 荻生徂徠(江戸)
荻生徂徠
江戸時代
儒家(古文辞学)
父 不明
母 不明
生誕 1666年3月21日(江戸)
没 1728年2月28日(61歳没)
概要
久しぶりの日本史人物考察です。活動報告でもあります通り私はこれから受験をしますので日本史を勉強する際に自分の弱い時代とりわけ江戸時代の文化史系の人物についてこうやって皆さんに発表しつつ勉強していこうというスタイルで行くので、しばらく江戸時代の人物が続く予定です。
さて、今回は儒学者荻生徂徠について考察していきます。考察する理由は江戸時代の儒家の学派や人物名が一致しないのでこの機会に誰が何処なのか弟子は誰? とかわかるようにしたいということです。
では、まず荻生徂徠の人生について見ていきます。
江戸で1666年に生まれています。幼くして学問を林家の林鳳岡に学びますが、当時館林藩(現群馬県館林市)藩主だった徳川綱吉の怒りを父が買い江戸を追放されます。現在の千葉県市原市に移るとそこで学問を数十年に及び学び続けます。
1696年に側用人柳沢吉保に抜擢され政治顧問をします。
柳沢吉保が綱吉の市況により失脚すると日本橋に私塾・蘐園塾を開く。そこで古文辞学の一派である蘐園学派する。
享保13年(1728)に死去する。
荻生徂徠の主張
朱子学を「憶測にもとづく虚妄の説にすぎない」と喝破、朱子学に立脚した古典解釈を批判し、古代中国の古典を読み解く方法論としての古文辞学を確立する。
主な門人
・太宰春台
著書
・『弁道』
・『弁名』
・『擬自律書』
・『太平策』
・『政談』
・『学則』
・『論語徴』
・『孫子国字解』
・『明律国字解』
参考文献
・ウィキペディア『荻生徂徠』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E7%94%9F%E5%BE%82%E5%BE%A0




