もしキスできたなら
僕の目の前でアリスは彼を思って泣いている。ひとつの甘い言葉を待って、たくさんの夜を泣いて過ごす。アリス。安心して微笑むアリスを見たい。僕は、アリスがとてもとても好きだから。
でも僕は嫉妬してもいて、脂汗がひどい。泣くアリスを置いて、逃げ出したい気もするけど、でも、アリスから離れたくない。いつも見ていたい。アリスのさまざまな感情の起伏を観察して、僕の中で消化したい。
要するに、僕はアリスと一緒にいたい。僕を救ってほしい。
「結婚しよう、僕と結婚してくれる?」
彼を待ち、つらい日々を過ごしてずっと生きるの?僕といたほうが幸せに暮らせるよ。彼のことは忘れた方がいい。彼には複数の恋人がいて、アリスはそれにカウントされているの?されていないくらいかもしれないよ。彼のリップサービスに浮いたり沈んだり。
アリスは驚いて大きな目をもっと大きく開いて僕の方をじっと見る。でも、焦点は、僕にない。何を見ているの?アリス。
「涙は、誰のため?彼のため?アリスのため?僕のため?」
「ごめんなさい」
「全て、ぜんぶ、アリスが好きなんだよ」
「ごめんなさい」
「イヤなら、ずっと待つよ」
アリスは急に口角をあげて薄く笑った。
「ほかの男を思って泣く女と結婚できるの?」
「できるよ」
「アリスと言うきれいな奥さんがいて、子供が2人いて、犬も飼って、一戸建てに住んでえっと!」
僕は何が何だかどうしていいかわからなかったけど、このシーンをなぜか深刻にしたくなかった。おどけてみせたかった。まったく完全に長閑な話にしたかった。僕の汗もアリスの涙も全部笑い飛ばしたかった。
「奥さんはビキニのお姉さんで、パフパフだ!」
アリスは声をあげて、あははと笑った。
「あなたは、強いね。大きな人ね。心をほどいてくれる」
「不思議ね、急にイケメンに見えるよ」
「ありがとう。ありがとう。手をつないでもいい?」
アリスは饒舌になり、泣きながら笑っている。でもふるえている。僕たちは手をつないだ。アリスの手はとても小さい。気をつけないと握りつぶしてしまいそうだ。お互いの汗が混ざり合う感じがして、興奮する。
でも、僕は知っている。アリスの心にはまだ彼がいる。
アリスも知っている。アリスの心に彼がいるってことを、僕が知っているってことを。
僕たちは似た者同士だ。きっとね。
手をつないで、目的地もなくぶらぶら歩いた。アリスはもう、笑っていない。僕ももうおどけていない。これは散歩というのか。これから早朝の散歩は一緒にいけるかな?
僕は言う。
「家族になろう。父の日や母の日に子供からプレゼントをもらえるような親になろう。親子喧嘩をするような平和な家にしよう」
「あたしにできるかな」
「できるよ。できなかったらそれはその時だ」
「あたしの全部、許してくれる?」
「僕の全部を許してくれたらね」
アリスは僕をじっと見た。僕も見て、目があって、アリスの顔が紅潮しているのをみつける。アリスは僕を見ている。視線が僕を刺す。
アリスが言う。
「あたしと結婚してくれる?」
僕は頷いた。
この言葉が儀礼的なものだとしても、いい。極端なことを言えば、うそでもいい。ヤケクソだっていい。そんなことは忘れてしまうほどの長い時間をこれから一緒に過ごすはずだから。たぶんね。
アリスは僕を尊重してくれたんだ。だから、僕は嫉妬に翻弄されるだろう自分を受け入れるよ。
信実とは、きっと相対的なものなんだ。僕の真実はアリスの真実とちょっとずれているかもしれない。 でもそんなことは、たいした問題じゃない。キスしたらお互いにそんなことはすべて忘れてしまうだろう。もしキスできたなら。




